4 聖乙女の憂鬱Ⅲ

 聖騎士団本部の自室に戻ると、太った使者の男が椅子に腰かけていた。

「お待たせしました。ファン・ミリア=プラーティカ、参上しました」

「こちらこそ、お忙しいところ申し訳ありません」

 まだ春にも関わらず、使者は額の汗を服の袖でぬぐう。すでに何度も顔を合わせており、ファン・ミリアとも顔なじみになりつつあった。

 そして会う度にファン・ミリアはこの使者について、もうすこし堂々とできないものか、と思ってしまう。

 男の面には人の好さと気弱さがにじみ出てしまっている。

 ウラスロの使者とはつまり、任された一定期間・権限内においての名代である。その言葉はウラスロそのものの言葉といっていい。が、そうである以上、たとえ親切心からだとしても「もっと自信をお持ちなさい」とは口が裂けても言えない。

 要件はわかっている。けれどもあえてファン・ミリアは改まった口調で、

「今日はいかがなさいましたか?」

 と水を向けてやると、

「殿下からなのですが」

 男はそろりそろりとこちらの反応をうかがいながら話しはじめた。そんなことはわかっている、と言いたくなるのを、ファン・ミリアは我慢しながら聞く。

「ファン・ミリア様におかれましては是非とも晩餐会にご出席いただきますように、と」

「そのことでしたか……」

 ファン・ミリアはいま気づいた、という顔を作り、

「申し訳ありません。殿下から何度もお誘いいただておりますのに。ただ、どうしても公務が忙しくて……」

 ファン・ミリアが謝罪を申し出ると、「いえ、そのような」とあわてた様子で使者は首を振った。

「ファン・ミリア殿がご多忙の身であることは殿下もご承知の上です。であるからこそ、決してお怒りにはなられません」

 どうだろうか、と思ったが「申し訳ありません」と重ねて詫びる。

 ウラスロからの晩餐会への誘いを、ファン・ミリアは断り続けていた。

 理由はいくつかある。

 

 一、ウラスロを敬愛できない。

 二、晩餐会が苦手。

 三、ドレスが苦手。

 四、忙しいという名を借りた物ぐさ。


 はっきり言って、私情である。

 晩餐会が、というより、改まった場所が苦手なのである。あくまで自身を武人と規定しているファン・ミリアにとって、身も知らぬ者たちに取り囲まれ、愛想笑いを浮かべ、談笑をする、という一連の作業がどうにも好きになれない。

 また、自分のような田舎娘が優雅なドレスに身を包むのはいかがなものか、という思いもあった。馬子にも衣装という言葉もあるにはあるが、農民時分のほとんどを襤褸ぼろのような服で過ごしたファン・ミリアである。肌触りのいい、裾の膨らんだ上等なドレスなぞ、想像しただけでむずがゆい気分になってくる。万が一、団員に見られでもしたら、次の日からは赤面で素振りをすることになってしまう。

 ちなみに――シフルの一件からさして日をかず、ウラスロから特注のドレスが届けられたが、ファン・ミリアはその箱さえ開けてはいなかった。いまもこの部屋の棚の抽斗ひきだしの中で絶賛冬眠中である。春だが起こすつもりもない。

 物ぐさは……とどのつまり面倒だからである。そんな時間があるなら訓練をしていた方が百倍マシな上、身にもなる。

 とはいえこれらが私情であることはファン・ミリアとてわきまえている。目上から、しかも王族から誘いを受けた以上、これもある種の公務と呼べるものだし、そうであればファン・ミリアに断るよしはない。

 問題は、ウラスロを敬愛できない、という一点に尽きる。

 敬愛どころか、むしろ大嫌いだった。

 好き嫌いで仕事を選ぶことなどわがままに過ぎないのは重々承知しているつもりだが、それでも、と思ってしまうのだ。

 それはシフルの一件でより鮮明あきらかとなった。

 もともと、ファン・ミリアはウラスロについての良い噂を聞いたことがなかった。この国の第一王子であり、王直属の特務部隊の長だというが、王直属といってもウラスロの私軍の色がきわめて強い部隊である。気が乗らなければ軍の要請にも応じず、珍しく出陣したかと思えば好き勝手に振る舞い、必ずといっていいほど残虐性の際立つ土産話を持ち帰ってくる。

 王の器ではない。

 それこそ口が裂けても言えないことを、シフル以降、ファン・ミリアは秘かに思っている。

 本来ならば父である国王がこれを戒めるべきなのだが、すでに老境に入っている上、病を得たという噂もある。朝議にも休みがちだと聞いていた。

 デナトリウス=ディル=ムラビア。

 東ムラビア王国の現国主である。

 そのデナトリウスが身罷みまかれば、継嗣けいしであるウラスロが次の王位に就くことになる。

 暗澹として滅入る気分だが、ファン・ミリアにはどうすることもできない。

 ――いや、むしろ。

 ファン・ミリアがどうするまでもなく、異を唱える有力貴族が出てくるかもしれない。

 ――そうなれば、国が割れる。

 そんな危惧を抱くのは、考えすぎだろうか。

「――そういえば」

 と、何やら使者の男が思いついたように、

「先日のご活躍、殿下のお耳にも入っております。さすがファン・ミリア殿だと、たいそう喜んでおられました」

「痛み入ります」

 先日の活躍とは、この王都での大捕物おおとりもののことだろう。

 王都に限らず、どの街にも様々なギルドがあるものだが、そのなかには物騒なギルドも存在している。

 盗賊ギルドや暗殺ギルドなどである。

 王都においても、近年、暗殺ギルドの間で大きな再編があったらしく、その動きが活発化していた。

 ファン・ミリアは軍の治安部からの依頼を受け、暗殺ギルドの長と一戦を交え、捕縛するにいたったのである。

「手強かった」

 ぽつり、とファン・ミリアは感想を漏らす。それほどに、暗殺ギルドの長は手練れだった。巧みに棒術を扱う様は、野にはまだこのような者がいたのかと、ファン・ミリアが舌を巻いたほどである。敵ながら天晴だとも思った。

「くれぐれも人道的な扱いを。捕えた者からは強い意志を感じました。拷問にかけようと、吐かぬものは吐かぬ、という者もいるかと存じます」

 ファン・ミリアが伝えると、

「申し伝えておきます」

 使者は請け合い、

「それと、前々よりファン・ミリア殿から申し出のあったシフル領の処遇についてですが」

 その言葉に、思わずファン・ミリアは身を乗り出した。

「いかがでしたか?」

 打って変わって熱のこもった瞳に、使者は身体をけ反らした。

「ファン・ミリア殿のこれまでの功績をかんがみれば、シフル領をファン・ミリア殿の封地ほうちとるするだけではむしろ足りぬぐらいでは、という意見が議会の趨勢を占めております」

「つまり、私にシフル領を任せていただけると?」

「反対をする方はおられませんでした」

 拳を握りしめる。ファン・ミリアは胸のなかで快哉を叫んだ。

 ――これですこしはあの英霊に報いることになろう。

 しかし、そう思ったのも束の間、

「ですが、この件については是非、ファン・ミリア殿と晩餐会にて語り合いたい、と……その、ウラスロ王子が……」

 ――そういうことか……。

 ファン・ミリアは即座に理解した。同時に、なんと愚かなことかと思った。封地とは国のまつりごとに関わる重要事項である。それをたかが一人の娘を釣るための餌にするとは。

 表情を曇らせたファン・ミリアに、使者はあたふたと言い訳をするように、

「殿下もシフル領に関しては、随分と御心を痛めている御様子でして……」

「……そうですか」

 白々しいことを、とファン・ミリアは思わずにはいられない。すべて自分のしでかしたことではないか。

 ――しかし。

「わかりました」

 ファン・ミリアは即断した。それでシフル領を預かることができるなら、晩餐会に出ることなど些事さじに過ぎない。

「殿下とお話できることを、このファン・ミリア、心より楽しみにしておりますとお伝えください」

「おお!」

 使者は顔中に喜色を浮かべる。

「ありがたい。殿下もたいそうお喜びになることでしょう!」

 自分を晩餐会に出すようウラスロから締め上げられていたのだろう。使者は胸をなで下ろす仕草を見せながら「よかった、よかった」とつぶやき、

「では、私はこれにて失礼いたします。好事ゆえすぐに殿下にお伝えしなければ」

「かしこまりました……その、殿下にはくれぐれもシフル領のこと――」

 ファン・ミリアが頼みかけると、

「万事お任せください。いやぁ、本当によかった」

 使者は一方的に挨拶を済ませると、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 ファン・ミリアはひとり、部屋の椅子に深く身を沈ませた。

「貴族……か」

 かすかなつぶやきは、雨音のなかに消え入るようだった。

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