5 旅立ちのエルフⅡ《外伝》

「ほーぅ、ほーぅ」

 エルフ族の第三皇女、シィル=アージュはふくろうの鳴き声のような声を漏らした。

 大陸北部、ノールスヴェリア王国、港街キトー。

「これはこれは」

 シィルは濃緑の瞳を輝かせ、街の広場を見回した。

「わっさわっさと人がおりますわねぇ」

 頭には白地に紫模様の入ったターバンを巻き、長い耳を覆い隠している。腰までのハーフマントを羽織り、その上に愛弓を背負っていた。すらりと伸びた細足には、すねまで届く、しなりに強い枝と紐とで編み上げたサンダルを履いている。

 街の広場には市が立っていた。

 広場いっぱいに露店が立ち並び、様々な商品――革製品や毛皮の服、色彩豊かな食料品などが、商人たちの威勢のいい声とともに売られていく。

 人界に出るのは生まれてはじめての経験である。エルフ郷を旅立つにあたり、人間族に関する通り一遍の知識を学んだシィルだったが、やはり聞くと見るとでは大きくちがう。

 キトーはノールスヴェリアにおいて大都市とはいかないまでも中堅ほどの規模がある。

 シィルの目には活気立つ街の景色は新鮮で、なにかのお祭りかと思ったほどだ。

「これほどの人間の数、いったいどこから湧いて出てくるのでしょう」

 おそらく、とシィルは考える。

 ――人間族の娘たちが、なんにも考えんと馬鹿みたいにぽこぽこ子供を産むからですわ。

 生まれました!

 また生まれました! みたいに。

 エルフ族はその長命ゆえか、基本的に強い生殖本能を持たない。そのため、なかなか人口が増えないという由々しき問題を抱えていた。

 数は力である。

 暴力ともいう。

 個体差はあるものの、総じてエルフ族の身体能力は人間のそれよりもはるかに高い。けれどもそうかといってエルフ族が人間族よりも繁栄しているかというと、事実はまったくの逆である。エルフ族は衰退の一途を辿り、一方の人間族は繁栄を極めている。

「あやかりたいものですわ」

 市のなかを歩くと、仲のよさそうな夫婦が会話をしながらシィルの横を通りすぎていく。よほど人間族の男女の仲とは睦まじいものなのだろう。

 ……夜とか。

 夜とか、である。

 くーふふ、とシィルはほくそ笑む。

 エルフの高貴なる姫(自分)と、下賤な人間との愛の物語。

 そして夜である。

「良いですわ。宵ですわ」

 想像しただけでシィルの白い頬が上気しそうである。

 にやつく口元をターバンの余りで隠しながら歩いていると、「む」とシィルの目が留まった。

 露店に弓が並んでいる。

「これが人間族の弓ですか」

 シィルは棚に陳列された弓を、子供のようにじぃっと見つめる。

 その興味深げな様子に、さっそく店主から声をかけられた。

「お、姉ちゃん、いい目してるねぇ」

「……姉ちゃん? わたくしのことですか?」

 シィルが瞳を丸くさせて自分を指さすと、

「おうよ、私のことだ」

 店主の男は得意そうに腕を組む。

「その弓は、ノールスヴェリアの王都で職人が作った一品物だ。狩りにはもってこいだぜ」

「ほーぅ」

 シィルはまじまじと商品を見つめた。

「そうなのですか……」

 小声でつぶやくも、全然わからなかった。これといって強い力を感じなければ、素材の強度も高いとは思えない。全体のバランスは悪くないが、かといって良いと言えるほどでもない。

 一方のシィルの愛弓は、エルフ族とドワーフ族の友好の証として、当代随一とされるドワーフの職人が、頌弓姫しょうきゅうきたるシィルの腕に応え得るものを、ということで特別に腕をふるい、贈られたものである。

 精霊の加護をも宿したそれは、すでに神器の域にさえ達していると言われていた。長弓であり、機能性だけでなく、見事な意匠を凝らした装飾も施されており、見た目の荘厳さも比類がない。

「拝見させていただきます」

 言い、シィルはうやうやしい手つきで商品の弓を掲げ持つ。片目で陽に透かしながら、本筈もとはずから未筈うらはずまでを丹念に調べると、くるりと反転させ、弓柄やづかの感触を味わうように何度も握り直す。

「姉ちゃん、慣れたもんだなぁ」

 流れるような一連の動作は、店主も見惚れるほどだった。しかし。

「ふぅむ……」

 一方のシィルは悩み続けている。

 やはり、何をもって『良い弓』としているのか、わからない。

 自分の未熟のせいだろうか。

試射ししゃをさせていただくことはできますか?」

 訊くと、店主は「それはちと難しいな」と申し訳なさそうな顔を作った。

「いや、俺は別にいいんだけどよ。ほら、こんな人の集まった場所じゃ、したくてもできんだろう? 射った矢が誰かに当たって怪我でもさせたら大変なことになっちまう」

「はぁ……」

 そんなヘマをする者などエルフにはひとりとしていないのだが、人間の世界には人間の世界のルールがあるのだろう。けれど。

 ――それでも、試してみたい。

 こと弓に関しては夢中になってしまうシィルである。

 店主がこの弓を良いと言うからには、良いのだろう。それを頭から信じて疑わないシィルにとって、何かしらの秘密が隠されているのではと気になってしょうがない。

「わかりました」

 シィルは弓から視線を外し、

「矢がダメだと言うのでしたら、その木枝のような物ならよろしいのでしょう?」

 店主が昼飯用に置いておいたソーセージを指さした。

「あぁ?」

「では拝借」

 店主があれこれ言い出す前に、シィルはソーセージを掴む。思ったとおり、柔らかく、先も丸みをおびているため、これなら誰に当たろうが問題ないと思った。

「お、おい、姉ちゃん!」

 と、店主が声をかけるよりも早く、シィルはソーセージを射終えている。

「え……あれ?」

 店主の目には彼女の構えから離れまでの動作がまったく見えなかった。弓返ゆみがえりに弦のふるえる様だけが残っている。

 直線状に放たれたソーセージは広場の尖塔の鐘に打ちあたり、ひしゃげ、炸裂した。

「なるほど……」

 神妙な面持ちでシィルはうなずく。

「俺の昼飯のソーセージが!」

 悲鳴をあげる店主をよそに、

「ぜんっぜん、わかりませんわ!」

 シィルはわからないことがわかった。

 ソーセージなる小枝は、あくまで鐘の中央に命中し、その上で飛び散らなくてはならなかったのだ。けれどもソーセージは鐘にあたるには中ったものの、中央からは想像以上に外れた位置で飛び散ってしまった。

「というわけで、――この弓、いただきますわ」

 謎は解けないものの、人間族の扱う弓ということで土産にはなるだろう。最悪、使えなければエルフ郷の糞餓鬼クソガキにでもくれてやればいい。

 え? 買うの? という店主の視線に気づかぬまま、

「これで――」

 と、シィルは革帯ベルトに提げた布袋から、小石ほどの大きさの緑色の宝石を取り出した。一見すると緑柱石ベリルにも似ているが、それよりも緑が濃く、深い。

「足りますか?」

「おいおい姉ちゃん、うちはタクト貨幣じゃな……い……と……」

 店主の言葉が尻すぼみに消えていく。受け取った宝石を見て、ゴクリと唾を飲んだ。

 見れば、魔法石の原石である。この大きさであればファーレン金貨一枚分の価値がありそうだ。

 店主はあわてて周囲に視線を走らせながら、素早く宝石を懐にしまい込む。

「よ、よし! 今日は特別だ。姉ちゃん持ってきな!」

「ありがとうございます」

 シィルはお礼を言って購入した弓を背負う。まだきの旅ではあるが、欲しい物が次まで残っているとは限らない。『良い弓』ならばなおさらである。

「ふふ、いい買い物ができました」

 浮き立つ気分で市を後にしたシィルは、先を急ぐため門へと向かう。

 その途中、道の先で何やら人がうずくまっているのが見えた。

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