23 逃走不能
勇敢な兵士が、必ずしも優秀であるとは限らない。
それは往々にして、彼らが逃走を良しとしない、戦士としての誇りを旨とする精神の持ち主だからなのかもしれない。
勇気を
にたり、と顔に笑みを貼りつけたティアの首が曲がり、うかがうように兵士を見上げる。
「怯むな、やれ!」
背中を押され、兵士がなにやら喚きながらティアに斬りかかってくる。ティアの伸ばした腕が斬られた。が、斬られた腕からはやはり血がこぼれず、黒い霧が噴出した。
「
霧が腕を形作ったかと思うと瞬時に再生され、その手が兵士の首を掴んだ。
「ひっ……」
「斬ったな」
笑いながら、ティアは掴んだ首を持ち上げた。兵士の足が地面から離れていく。
「斬ったなァ!」
そのまま洞窟の壁に投げ飛ばした。
「
ティアがすかさず両手を洞窟の壁に向けると、壁がどろりと液状の黒い沼へと変じた。投げ飛ばされた兵士が、その沼のなかに呑み込まれていく。
「アハ……」
ティアが天井を指さすと、壁の沼が移動をはじめた。さらに別の手で地面を指さし、新たに黒い沼を作り出す。
空間を挟み、上下にふたつの沼が向かい合う。
「落ちろ」
ティアの言葉とともに、先ほど壁に呑み込まれた兵士が天井の沼から現れ、真っ逆さまに落ちていく。そうして地面の沼に呑み込まれたかと思うと、
「上がれ」
今度は下の沼から吐き出されるように兵士の身体が飛び上がり、天井の沼へと呑み込まれていく。
捕えられた兵士の、無限の上昇と落下がはじまった。
「アハハ! アハハハハハハ!」
落ち続け、昇り続ける兵士の様がいかにも滑稽である。悲鳴を上げながら、それでも剣を手放さない健気さが惨めでしょうがない。
ティアは手を叩きながら、身をよじって
やがて、兵士の悲鳴が止まった。気絶したらしい。
――つまらない。
悲鳴を聞けなければ、意味がない。気を失い、四肢をだらりと伸ばした兵士からあっさりと興味をなくしたティアは、くるりと振り返った。
ぺろりと、妖艶なまでに赤い舌を出して唇を舐める。
次は自分かもしれない、そう思った兵士たちの意地が砕けた。
「こんな化物、相手にできるか!」
兵士たちが脱兎のごとく駆けはじめる。しかし――
「
兵士たちが洞窟から出るよりも早く、入り口付近に大量の黒い霧が発生した。こちらに背中を向けて霧のなかに走っていったはずの兵士たちが、また霧からこちらに向かって走ってくる。
「いなぁい、いなぁい……ばぁ!」
再び目の前に現れたティアに、兵士たちは何が起こったのか理解できず、放心状態で立ち尽くした。
「逃がさないよ」
ティアは、くすくすと笑い声を漏らす。
「全員、オレの糧となるがいい」
今度はティア自身が黒い霧へと変じはじめる。身体に突き刺さっていた何本もの矢が地面に落ち、高い音を立てて転がった。
霧は分散し、流れ、ひとりの兵士にまといつく。
「うわあぁぁぁ!」
霧に包まれた兵士が手持ちの剣を振り回すも、霧を斬ることはできず、ただ叫び声を上げる。
霧が、兵士の背中あたりに集束し、おぶさるようにティアが姿を現した。黒い水が伝う指先を、兵士の耳の穴につき入れる。
途端、ぐるりと兵士が白目を剥いた。兵士の全身がガタガタと震えはじめ、突如として剣を振り上げ、味方に襲い掛かる。
「なっ、やめろ!」
味方の兵士たちが盾を構えて防ぐも、黒い水を注ぎこまれた兵士は錯乱したように絶叫し、仲間たちにむかって剣を振り回す。
ティアは再び霧へと変じ、次々と兵士たちに黒い水を注ぎ込んでいく。
強制された同士討ちがはじまった。
リュニオスハートの兵士たちが叫び、互いに武器を向け、傷つけ合う。
そのなかで、ティアひとりだけが狂ったように笑い声を上げ続ける。
「……やめろ」
ティアの笑い声がぴたりと止まった。洞窟の奥側を見ると、シダに支えられたカホカがこちらを睨んでいる。
「みんなに……ひどいこと、するな」
呼吸を乱しながら、カホカが責めるような眼を向けてくる。
ティアは無言のまま、手を伸ばした。赤い瞳の光が強まる。カホカの身体がふわりと宙に浮かび、ティアの両腕のなかに入ってくる。
カホカは顔を起こすのがやっとの様子で、こちらを見上げてくる。
「カホカ……」
ティアは首を傾げた。
「なぜ、オレを責める? お前は、オレの物だろう?」
本当にわからないといった様子で、顔を横に倒す。
「オレはただ、お前の心を踏みにじったリュニオスハートに復讐をしてやっているだけだ」
「……ふざけ、んな」
それだけ言って、カホカの首ががくりと落ちた。反り返り、白い喉が露わになる。それを見た瞬間、ティアのなかで血への渇望が鎌首をもたげてくる。
「カホカ、血をもらうぞ」
ティアの指先がカホカの喉をなぞる。なぞると、その喉がぴくりとふるえるのがたまらなく愛しい。
「やめ……ろ……」
カホカが喘ぎながら抵抗しようとするのを、ティアは微笑ましいものを見るような目つきで牙をのぞかせた。
その時、ティアの視界に黒い影が走った。何かが喉をかすめた、と思った刹那、喉元がぱっくりと真一文字に深く裂けた。黒い霧が噴出し、ティアの首が皮一枚つながった状態で背中を打つ。両腕に抱いたカホカを奪われた。
イスラが、くわえたカホカを放るようにシダに預ける。
「まったく、一から十まで手のかかる阿呆じゃ」
苦りきった口調で言い、琥珀の瞳をティアへと向けた。
「ティア様にいったい何が……」
シダが狼狽した様子で訊くと、
「完全に血に
「どうすれば……」
「どうするもこうするも」
イスラが黒い体躯を地に這うように沈ませた。ティアは背中に落ちかかった首を自らの手で持ち上げ、もとの位置に置く。みるみるうちに首の傷が塞がり、何事もなかったかのように胴体と繋がった。
「さすがの私も
その声にはかすかに緊張がにじんでいる。
イスラの琥珀の瞳と、赤い瞳が交錯した。
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