7 花街Ⅱ

『お前にしては考えたものよな』

『別に……運がよかっただけだ』

 褒められたのかもしれないが、ティアは嬉しくない。仏頂面である。お金がない、というのはこれほどに心を荒ませるものかと、身をもって知る思いだった。

 ティアは、店内に通された。

 女はクラウと名乗った。背が高く、女性として平均的な身長であるティアよりも頭ひとつ分はありそうだ。

 店は三階建てになっていた。

 中央が吹き抜けになっており、一階が酒場で、ここで男が酒を飲みながら目当ての女を誘い、二階の部屋へと案内する仕組みになっているとのことだった。三階は二階が満室のときは客用として使うが、基本は従業員のための部屋だとクラウから教えられた。

「別に、金を払ってもらわなくてもよかったんだけどね」

 あんたには悪いけどさ、とクラウは苦笑する。

「でも、追い出したかったんだよ。あの客、金払い悪かったし、酔うと女に当たる奴でさ」

「そうか……」

 ティアの気分は複雑だった。救われた気がするし、そうでもない気もする。

 三階の個室に入り、ティアとクラウは机を挟んで椅子に座る。

「で、雇うって?」

 前置きなしにクラウに訊かれ、

「用心棒として雇ってくれないか? こう見えて並の男には負けない」

 言うと、クラウはなぜかぽかんと口を開いた。

「なんだいお前さん、こっちの仕事じゃないのかい?」

「こっちの仕事?」

 ティアが訊き返すと、クラウは「こっちだよ、こっち」と部屋の寝台ベッドを顎で示した。

 意味がわかり、ティアはぶんぶんと頭を横に振った。

「ちがう。そっちじゃない」

「なんだ」

 クラウはひどく残念そうな表情を浮かべた。

「あんた、ものすごい別嬪べっぴんじゃないか。稼ぎも半端じゃないよ?」

「稼ぎはたしかに欲しいが……そこまで欲しくはない」

 ティアは顔を赤くさせながら、

「旅をしているんだ。で、リュニオスハートにいる間、泊まる宿をさがしていた。置いてくれれば給料はいらない。それで、働く」

「ふーん」

 と、クラウは理解したような、していないような表情を作る。

「まぁ、泊まらせるだけで働いてくれるんなら、考えてもいいけどさ」

 けどさぁ、とクラウはつまらなさそうに頭を掻きながら、寝台を見る。

「本当にこっちで働く気はないのかい? それこそ一財産――」

「だから、それはいいんだ」

 あわてて言葉を遮ると、もったいないねぇ、とクラウは釈然としない表情で腕組みをして、

「でも、あいにく用心棒は間に合ってるんだよ。こんな店だからね。ケツ持ちはいる」

「そうか……」

 そう言われてしまっては、ティアは肩を落とすしかない。

「でも、あんたみたいな見栄えのいい子をみすみす逃がしちまうのもね」

 クラウは腕組みをしたまま悩んだ末に、

「じゃあ、給仕はどうだい? それぐらいならできるだろう?」

「給仕?」

「客を案内したり、料理を運んだり、あとは……そうだね、客の呼び込みでもしてもらおうか? 頑張ってくれるなら給料も少しは払ってやれるよ」

「それなら――」

 自分にもできそうだ。

「わかった。やらせてくれ」

 ティアがうなずくと、クラウは「それともうひとつ」と指を立てる。

「あんたみたいな子が、なんで旅なんかしてるんだい。巡礼かい?」

「いや」

 と、ティアは否定する。

「王都に向かってるんだ。理由は、言えない」

「ふぅん」とクラウはティアを見つめる。

「それはあんたが着てる血だらけの服と関係があるのかい?」

 はっとして、ティアはクラウを見返した。

「さっきあんたが客をぶん投げた時に、ちらっとね。多分、気づいたのは私ぐらいだと思うけど」

 ちゃんと見るところは見てるんだよ、とクラウは笑う。

「ま、言いたくなければ詮索はしないよ。私にしたって、人には言えない過去のひとつやふたつあるしさ。他の子たちだって、同じようなものさね。――で、これは私の好奇心で聞きたいんだけどさ。あんた、どこから来たんだい?」

 意味がわからず、ティアが小首を傾げると、

「あんたみたいな黒髪って、ここいらじゃなかなか見かけないからね」

 言われ、ティアはとっさに、

「ルーシ人なんだ」

 そう答えていた。

 ルーシ人とは黒髪の多い少数民族である。独自の国を持たず、大陸中に点在しているため、出所を探られる心配もないだろうと思ってのことだった。

「……なるほどね」

 とりあえず納得してくれたのか、クラウがうなずいた。



 酒場が開くのは夜のため、昼間に動く必要がないのはありがたかった。

 が、甘かった。

 ティアは給仕というものを甘く考えていたらしい。もっとも、動くこと自体はまったく苦にはならない。身体も徐々に思い通りに動くようになっていたし、険しい山道を歩くのに比べれば、体力的にははるかに楽だ。

 だが――。

「動くなって言ってるだろう?」

 クラウからするどく注意され、ティアは氷のように身を硬くした。そんなティアの様子を面白がってか周りの娘たちがくすくすと忍び笑いをもらす。

 開店前の、一階の食堂である。

 椅子に座らされたティアは、緊張で何度も目を瞬かせた。

「給仕にも、化粧は必要なのか?」

 顔を動かさず、おそるおそる尋ねる。

「当たり前だろう?」

 真剣な目つきのクラウに、ティアは白粉おしろいを塗られていた。

「まったく、年頃の娘がいままで化粧もしたことがないなんて」

 ぶつくさと文句を言われ、ティアはさらに身を硬くした。非常に居たたまれない。おまけに服はお仕着せだった。ふんだんにレースがあしらわれた上下揃いの服を着せられている。

 スカート自体は女性に限らず男性が着用することも珍しくないが、ティアになる前のタオはズボンを好んで履いていたため、足が空気に触れる感覚がどうにも落ち着かない。あまつさえスカートには動きやすいように深い切れ込みが入っていた。完全に女物で、脚を美しく見せるように作られている。

 ようやく血だらけの服を脱ぐことができたのは嬉しいが、これはこれで辛いものがある。

「せめて男性用のスカートではだめなのか」

 そう訊いたティアだったが、

「いいと思ってるのかい?」

 ドスの効いた声でクラウから言われ、ティアは黙るより他ない。

『イスラ……』

 助けを求めるように声をかけるも、

『知らん』

 無情な答えが返ってくるばかりだった。

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