6 花街Ⅰ
嬉しい誤算だった。
ティアとしては一軒でも酒場であれば、という気持ちだったが、意外にも店の数は多かった。
それもほとんどが営業している。
広場の大通りから路地に入り、三叉路を右に進んだ横町である。
酒場が軒を争っている。界隈は灯の数も多く、夜更けにも関わらず人通りも少なくない。
「さすがだな」
ティアは舌を巻く思いだった。
『シズ村とはやはりちがうの』
イスラも興味津々といった口調である。
『シフルとも違う』
話しながら、ティアはマントのフードを目深にかぶった。予想していたことではあるが、道を歩くのは男ばかりである。
――男は、女の
ここにたどり着くまで、
「落ち着かないな」
人目を避け、隠れるように道の片隅に立つ。
周囲をうかがいながら、ティアはそれが起こるのを待ち続けた。
『何を待っておる?』
黙然と立っていると、痺れを切らしたイスラが尋ねてくる。
『オレにはこれしかないからな』
言い、ティアは両手を見つめた。拳を作り、ほどく。
細い指先と、
この女の手がいまのティアには心もとない。
「うまくいけばいいが……」
つぶやいた時、通りに怒声が響き渡った。顔を上げた先にはいつの間にか人だかりができている。
男の声と、女の声。
「行こう」
ティアは足早に人だかりに向かっていく。ぐずぐずしていると、他人に先を譲ることになる。
その間にも言い争う声がティアの耳に届いてくる。
「いいからさっさと金を払えってんだ」
女が威勢のいい
「うるせぇ!」
男も負けじと怒鳴り返す。
「いけしゃあしゃあと言いやがって。さんざん待たしやがった挙句、女がいねぇたぁどういう了見だ?」
「あんたみたいなチンケな男を相手にする子なんていないんだよ」
「それで金を払うわけねぇだろうが!」
そういうことか、とティアは人混みのなかへ入っていく。
「店に入った以上、金を請求するのは当然じゃないか」
「なにぃ?」
ティアはタオである以上、男の視点から物事を考えるが、それを差し引いても男の方に理が通っているように思えた。男の怒りはもっともだと思いつつ、男と女の間に割り込む。
「なんだい、あんた?」
肌の露出の多い服を着た女が、驚いた顔をティアに向ける。
ティアはフードを取って女に愛想笑いを浮かべると、男に振り向いた。随分と酔っているらしく、
「おじさん」
ティアは言葉を選びながら、
「お金、払いなよ」
突然の
「な――!」
その赤ら顔がさらに赤くなっていく。
「ふざんけな、てめぇ!」
「いいから、払いなって。この人がそう言ってるだろう? 店に入ったら、店の
ティアはあえて淡々とした口調で、男を挑発するような言葉を並べる。
「ひょっとしてお金、持ってないの? だから女にも嫌われるんでしょう?」
とどめとばかりにティアが小馬鹿にするような笑みを浮かべると、男の堪忍袋の緒が切れた。
「小娘ぇ!」
男がティアに殴りかかってきた。「危ない!」と背後の女が叫ぶ。
――うまく動いてくれよ。
自分の身体に言い聞かせ、ティアは男の拳を左の掌で受けた。軽く掴みながら相手の拳に合わせるように腕を引いてやると、男の右半身が伸び切り、身体が前のめる。それを見逃さず、ティアは空いている右手で男の伸び切った右肘を掴んだ。
――ごめん。
心のなかで謝りながら、それでもなるべく派手に見えるよう、ティアは男を背負って宙に投げ飛ばした。
男の身体が浮かび、半回転して背中を地面に打ちつける。怪我をしないよう背中ぜんたいで落としてやるも、男は痛みで表情を歪ませた。
――ごめん。
もう一度謝り、
「お金、払う気になった?」
男が痛そうに唸っているので、ティアはすかさずその懐から財布を抜き取った。
背後の女に振り返る。
「いくら?」
「え?」
女は呆気に取られた表情でティアを見つめていたが、
「料金」
ティアが訊くと、「ああ……」と思い出したように女は金額を伝えてくる。
ティアは教えられた金額を財布から引き抜き、女に渡してから、
「おじさん、名前は?」
男は一気に酔いがさめたのか、不安そうにこちらを見上げてくる。
おびえたような男の瞳がティアの瞳に映った時、ふと、ティアのなかで閃く力を感じた。
男は不安のせいか、瞳の力が著しく弱くなっている。
意思の力が弱くなっているといってもいい。
漠然とした形ではあるものの、ティアにはそれが見えた。本能のような感覚で、
「――試してみたい」
と、思った。その衝動が抑えられない。
ティアは倒れている男の顔に、息がかかるほどに自らの顔を近づけた。
男の顔を両手で包みこむように持ち、瞳の奥にむかって話しかける。その弱まった心に直接触れ、その形を確かめるように。
「お前の……名前は?」
すると男は呆けたように、「マルク」とちいさくこぼす。
「……住む家は?」
「ミョゼ通りの十一番の薬屋の二階」
「マルク……家に帰れ……」
命じると、男は「はい」とだけ返事をして、虚ろな足取りで去っていく。
――名前と住所は憶えた。
ティアがはじめて使う、他者を支配する力の片鱗だった。
――いつか機会があれば金を返しにいかないとな。
思いながらティアが身体を起こそうとすると、激しい立ち眩みが起こった。
「く……っ?」
よろめきかけたところを、「おっと」と背後の女に支えられた。
「大丈夫かい? あんた、いま何をしたんだ」
「説得、かな」
答え、ティアはとりなすように笑顔を作る。
「あなたに頼みがあるんだ、――オレを雇ってくれないか?」
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