7 神託の乙女

 東ムラビア王国。

 王都ゲーケルン。

 開け放たれた扉から、足早にひとりの女聖騎士が姿を現した。

 廊下に控えるふたりの近衛もまた、聖騎士団の所属である。彼らは部屋から姿を現したその女聖騎士に対して深く頭を下げた。その顔が緊張で赤くなっている。彼女のどれだけ見ても色褪いろあせることのない気品と美しさは、国の至宝とも称えられていた。

 ファン・ミリア=プラーティカ。

 十七歳。腰まで届くストロベリーブロンドの髪と、アメジストを溶かしたような紫の瞳。身長こそ平均的ではあるものの、四肢は長く、均整がとれている。

 『神託の乙女』とも『救国の聖女』とも呼ばれ、東ムラビア王国において、団長のジルドレッド=イェガーと人気を二分する筆頭聖騎士である。

 三年前、ラズドリアのとりで包囲戦において、ファン・ミリアは神の啓示を受け、彗星のごとく歴史の檜舞台ひのきぶたいに現れた。神々から贈られたとされる槍剣そうけんを操り、戦場を駆け、劣勢だった戦況を一変させるほどのめざましい活躍をみせた。

 白地に金の縁取りをした制服の胸には、天使の片翼をかたどった記章をつけている。また彼女にのみ許された群青色ウルトラマリンのマントは、神に対する純潔と、彼女が神の恩寵によって海の彼方より遣わされたのだとする、その神秘性をも象徴していた。

 ファン・ミリアは『団長室』と書かれた室の前で立ち止まった。

 ノックをすると、すぐに「入れ」という声が聞こえてくる。

「失礼します」

 扉を開くと、奥の黒檀こくたんの机に聖騎士団の長であるジルドレッドが座っている。

 ファン・ミリアの顔つきは厳しい。挨拶もそこそこに、直立の姿勢で話を切り出した。

「トッド=ポールマンの離反に関して、団長はご存知ですか?」

「もちろん知っている」

 それで? と、ジルドレッドが話の先を促す。

「では、タオ=シフルという名は?」

 意外な質問だったようだ。ジルドレッドは口元に手を当て、しばらく考え込むような仕草を見せた。

「ご存知ありませんか?」

 重ねて訊くと、

「いや」とジルドレッドは翠眼すいがんをファン・ミリアに向けた。

「知ってはいる。ひと月ほど前か。うちの見習いとして採用したと報告があった。面識はない、と思う。お前は?」

「私もありません」と、ファン・ミリアは率直に頭を振り、

「タオ=シフル。シフル男爵家の次男。タオというのが通名つうめいになっていますが、正式な名はテオドール=シフル。見習い採用時の評価は中の下、といったところです。彼がトッド=ポールマンの離反に同調したとの報告を受けました」

「それは俺も聞いている」

「ご存知……だったのですか」

 ジルドレッドの言葉に、ファン・ミリアは驚きを隠せない。

「まあな」という彼の言葉には、めずらしく覇気がなかった。どことなく落ち込んでいるようにも見える。この、武人としてだけでなく文官としても優秀すぎる上官は、すでにすべてを知っているのだ。

 しばらく沈黙が続いた。先に声を発したのはジルドレッドだった。

「ポールマンの離反に同調したのかどうかの真偽は定かではない。タオ=シフルは王都へ帰還する道を取らず、山岳のシズ村に姿を現している」

「故郷のシフル領に帰ろうとしたのでしょう」

「俺もそう思った」

 はっきりとジルドレッドも同意して、

「そこで調べさせた。タオ=シフルはこれまで戦場での経験がなかったらしい。だからこその今回の実地訓練だった。十六歳という年齢を考慮すれば――おそらく衝撃を受けたのだろう。精神を疲弊させた者が故郷へと足を向けるのは、別段めずらしいことではない」

「そう思います」とファン・ミリア。

 見習いの最初の実地訓練では、あえて先輩団員を同行させない。

 それは戦場での過酷な体験を自身の力で乗り越えなければ、一人前の聖騎士として立つことなど到底できない、という団の方針からだ。

「おおむね性格の優しすぎる人間がこうなる。団に戻るかどうかは五分五分といったところだろう。もし戻ればそれなりに使える可能性はあった」

 あった、という過去形でジルドレッドは言った。

 それはすなわち、もう彼のなかでは終わってしまった事案だということに他ならない。

 だからこそファン・ミリアは彼のために抗議してやらなければならなかった。

「たとえ見習いだとしても聖騎士団に所属している以上、我々は彼の汚名をそそぐ機会を与えてやらねばなりません」

「お前の言うことは間違ってはいない。我々の結束は固い。し、そうあらねばならん。だがな……」

 ジルドレッドの次の言葉は聞かずともわかった。

 シズ村で起こった事柄をまとめた報告書は、ファン・ミリアを愕然とさせるものだった。タオ=シフルは悪魔と通じている、と。はじめは目を疑った彼女だったが、報告は細部にわたっており、目撃者の数も多く、客観的な信憑性は高い。

 ファン・ミリアでさえそうなのだから、部外者が見れば疑う余地はないだろう。

 だが、それでも――

「ただちにタオ=シフルを召喚し、申し開きをさせるべきです。沙汰さたはそれからでも遅くないはずでは?」

 結果、異教徒として断罪されるのであれば、ファン・ミリアとて諦めがつく。

 それがせめてもの仲間への手向たむけにもなろう。

「わかっている」

 苛立たしそうに、ジルドレッドは指の腹で机を打った。

「だが、決定事項だ。俺が決めたことではない。異端審問官でもない。決めたのは、もっと上だ」

「上?」

 ファン・ミリアの表情に動揺の色が浮かんだ。異端審問官は教会管轄のため、基本的に独自に動くものだ。それでもあえて彼らに指示することができる役職の者は限られている。

「まさか、宰相閣下ですか?」

 おそるおそるファン・ミリアが訊くと、

「ちがう」

 ジルドレッドはあっさりと否定した。

「陛下が直々にお決めになられた」

「陛下が……まさか……」

 ファン・ミリアは二の句が継げない。

「どういう経緯で陛下の御耳おみみに入ったのかはわからん。そもそも、こういった異教の件に関して陛下が直接の指示をお出しになること自体、めったにない。にも関わらず、だ。しかも今回の件は聖騎士団とは何の関係もないことだと明言されたらしい。つまり、タオ=シフル個人に対しての処置ということになる。そこまで言われてしまっては団として手の出しようがない」

「……聖騎士団に対しては何のとがもないかわり、手を出すな、ということですか」

「すこしでも頭の回る人間ならそう受け取るだろうな」

 先ほどよりもはるかに重苦しい沈黙が室内を支配した。

 君主たる王の命令、それはすなわち勅命ちょくめいである。この国で生きる者であるかぎり、王の勅命に逆らうことはできない。

「わかりました」

 ややあって、ファン・ミリアは決心したように顔を上げた。

「私はこれよりシフル領に参ります。せめて、見届けようと思います」

「いいだろう」

 ジルドレッドはこれを認め、うなずいた。

「筆頭聖騎士は現場における総ての責任を負っている。お前がどこに行こうが止めるつもりはない。だが、くれぐれも軽挙だけは慎むように頼む」

「その……つもりです」

 ファン・ミリアは一礼して室を出ていく。その出しな、「団長」と声をかけた。

「なんだ?」

「物は大切にするべきだと思います」

 言い、ファン・ミリアは扉を閉める。直後、机の天板にひびが走った。ちょうど、ジルドレッドが指の腹を打った場所を起点として。


 ◇


 残されたジルドレッドは、ゆっくりと立ち上がった。

 背後の窓から王都ゲーケルンの街並みを見下ろす。

「タオ=シフル、か」

 ちいさくつぶやく。

 面識がない、と言ったのは嘘だ。

 彼とは二度会っている。ひと月前に彼が聖騎士見習いとしてはじめて登城した時に、たまたま見かけたのだ。はじめは気づかなかった。だが、タオ=シフルに関する報告書を読んでいる時、ジルドレッドは思い出した。

 ジルドレッドが聖騎士団長に就任したその初日に、おそらく父親のシフルきょうに手を引かれて自分を見上げていた幼い子供。

 憧れの眼で自分を見てくれているのだとわかった。その時、ジルドレッドは思ったのだ。自分はこの国の子供たちに夢と希望を見せてやる存在でなければならない、と。争いの絶えぬこんな時代だからこそ、子供の笑顔を守ってやりたいと思ったのだ。

 それが初心となり、ジルドレッドが困難に直面した際には、自分を支える大きな力になった。

 タオ=シフルが聖騎士団を志してくれたのだとわかった時、ジルドレッドは嬉しかった。だからこそ、ジルドレッドはあえてタオ=シフルと面識がないと言ったのだ。でなければ、人はタオ=シフルを人脈コネによって聖騎士に取り立てられたのだと思うだろう。それをおもんばかってのことだった。

「……ままならぬものだ」

 だが、すべては水泡に帰してしまった。

 ジルドレッドにできることは、タオ=シフルの魂が迷わぬよう、神に祈ることだけだ。

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