レベル1

1-1 レベル1のペンシルナイト

 物語は紡がれ始めた。

 それを見ていた世界はにっこりと満足そうに笑った。暇つぶしには持ってこいだった。

 誰も傷つかないし、誰も悲しまない。

 それでいて傷つく恐怖に世界中が怯えるのだ。

 これで人類は無駄な争いをやめるのだ。彼らがこれに懲りなかったら、またゲームをしてしまえばいい。

 世界は笑っている。

 終わらない悪夢が終わろうとしている。

 

 高杉陽太たかすぎようたは指先が震える感覚を楽しんでいた。ぐーとぱーを繰り返し、何度も押さえ付けようとするが両腕が、全身が好奇心にうずくのだ。

 テレビ画面には下手くそな落書きなような字体で「ワールドオブナイトメア」という文字だけが浮かんでいる。

 ロード時間のようなものだと思い、しばらく待っていた。だが、いくら待っても動かない。

 いい加減待ちくたびれた。手の震えも全身の震えもどこかに吹っ飛んでいた。

 不覚にも中途半端な良心の呵責が陽太にシャープペンを握らせていた。

 金曜日までの宿題を終わらせようと思った。

 テレビと向かい合い座布団を胸の下に敷いてうつぶせに宿題を始めた。

 最も効率の悪い宿題のやり方である。何といってもすぐに腕が疲れるのだ。おまけに頭はゲームでいっぱいだ。

 新発売のゲームをやる時だって、ここまで集中力を削がれたことはなかった。

 ちらちらとテレビ画面に目を向けるが、一向にゲームは進行しない。

 ついには宿題を終えてしまった。やれやれと嘆息を吐き出しつつ時計を見る。

 すっかりお昼を過ぎていた。もう午後の授業が始まる時間だ。

 こんなことなら学校に行っていればよかったと後悔した。きっと、月野卓郎つきのたくろうならば喜んで、この非現実を共有してくれることだろう。

 樹美鈴いつきみすずも現実として受け入れることは出来ないだろうが、真剣に話を聞いてくれるだろうということは予想できた。

 学校が終わったタイミングを見計らって連絡してみようと思った時だった。

 ふいにインターフォンが鳴った。

 日中の自宅訪問など決まっている。新聞の勧誘か保険の押し売りだ。

 陽太はこほんと一つせき込むと迫真の演技で病人を演じ切ることを決めた。

「はい、今お父さんもお母さんもいませんよ」

 先手必勝とばかりに声と同時に咳を吐き出す。返ってきたのは一瞬の沈黙と躊躇いがちの息遣いである。

『あの、高杉よね?』

 遠慮気味に響いた声にわずかに聞き覚えがある。

 慌てて寝癖を抑えつけて玄関へと飛び出す。

 玄関の向こうには女子バスケ部のエースでクラスでは筋肉乙女と名高い星宮灯里ほしみやあかりの姿があった。

 服装は制服だが、足元にはバスケットシューズを装備している。

 ショートヘアの似合う部活少女がこんな時間になんの用なのか。

 そんな疑問を感じ取りつつ、星宮は周囲を気にしながらもそそくさと陽太の家の中に上がり込んできた。

「ちょ、ちょっと」

 陽太の制止の声も気にも留めていない様子だった。土足で部屋の中に上がり込むと陽太の自室へと一直線に向かった。

「な、な、なんだよ」

 と、声を上げたのもつかの間。陽太は閃光のような速度でベッドへとダイブした。

 そこには不覚にも男子のたしなみが顔を覗かせていたということをいまさらになって気が付いたのだ。

 学友から押し付けられたような借りものだ。バレてはいないかと星宮の様子を伺ったが、星宮はテレビ画面にくぎ付けになっていた。

 ほっと一息つくと本の表紙の上で妖艶に笑う裸体の女性の乳房に顔を埋めた。

「高杉、あんた、もう起動しちゃったの?」

 腕の中の本を慌てて布団の中に突っ込むと陽太はベッドの上で正座した。

「な、なにを?」

 キョトンとして問いかけると星宮は鋭い目つきで陽太を睨み付けた。

 ぎょっとする間もなく星宮は殴り掛からんばかりの勢いで陽太の胸倉をつかんだ。

「あれ!ゲーム!」

 ズル休みしてゲームをしていることを怒っているのだと思った。

 それほどに陽太はパニックに陥っていた。なんといっても星宮の足元に一冊取りこぼしが落ちているのだ。

 しかもよりによってショートヘアの似合う素人と書かれている。こんなものを見られたら、本当に殴られてしまう。

「ご、ごめん、ごめんなさ」

 ベッドの上からつま先を伸ばす。だが、無慈悲にもつま先もかすりそうにない。ひたすらに足をピンと伸ばす。

 素っ頓狂な陽気な音楽が聞こえたのと陽太が足を吊った痛みに苦悶の悲鳴を上げたのは同時だった。

 痛みに悶絶しながらも、何とかショートヘアの似合う素人をベッドの下に退避させることに成功し、陽太は安堵のため息を吐き出した。だが、それとは裏腹にテレビ画面にくぎ付けになっている星宮の横顔は苦痛に悶えているかのようだ。

 見られたのだろうか。

「いい?これ以上進めないで。私が全部終わらせるから、あんたは家に引きこもってな」

 陽太の無駄な杞憂を知らない星宮は唾でも吐き捨てるかのような表情を浮かべ、乱暴な言葉を置き去りに玄関へと小走りで去っていった。

 少なくともショートヘアの似合う素人は守られたようだ。

 ふぅ、と一息つくと陽太は台所へと向かい、ペットボトルのコーラを取り出した。

 ラッパ飲みは凛子にきつく禁止されていたが、経った今プライベート空間を荒らされた陽太にしてみれば、そんなもの些細なものだった。

「装備を選択してください」

 テレビの画面に浮かんだ文字を見つめる。その下には項目がいくつも並んでいた。

 一番上に剣、槍、弓、と言った基本的なものから杖やら水晶などと言った魔法使いが好みそうな武器まで並んでいる。

 とりあえず、やっぱりRPGと言えば剣だろう。月野にそんなことを言えば凡庸すぎると一蹴されそうなものだが、剣士という響きこそ至高なのである。

 陽太は迷わず剣を選択した。だが、ゲームは随分と細かいところまで求めていた。

 剣の種類まで選ぶことを望んでいるのだ。

 直剣、曲剣、といったものからレイピアや刀まである。

 一刻も早くゲームをプレイしたいと思った。それ故に陽太は詳細を省くことにした。

 直剣を選び、次の画面を待った。

 次に画面に映ったのは陽太の視界そのものだった。まるで、陽太の目玉がカメラにでもなったかのようだ。

 目を動かせばテレビの中に映る景色も同じように動いた。

 そこに映るのは今まさに陽太の目の前に映るものだ。

「ベースとなる武器を選択してください」

 もう選んだじゃん、とばかりにふてくされた。

 その上、今まで選択肢形式だったにも拘わらず、今度はその文字がうっすらと見えるだけで選択肢のようなものは出ていない。

 コーラに目を向け、次に宿題のノートに目を向けた。開いたままのノートにはシャープペンシルが寝転がっている。

 何の気なしにシャープペンシルを手に取った。

 コンビニで一〇〇円程度で販売されているシャープペンシルである。

 ずっと握っていると指は疲れるし、たまに詰まる。

 これはないな、と頭で否定すると同時に目の奥がきゅっとなった。

 カメラのシャッターを切る時のような動きに似ている。ハッとしてシャープペンシルを落として、何度も目をこすった。だが、気のせいだったのか、目はなんともなかった。そして、テレビ画面には先ほど陽太が手に取ったシャープペンシルの画像が映し出されている。

 そんなもの武器のベースにされてたまるものかと慌ててキャンセルボタンを押した。つもりだった。

 気が付くと画面は次の画面へと進んでいた。

 ゲームの最中に手を放すとたまに決定ボタンとキャンセルボタンを間違えてしまうアレだ。

 慌ててキャンセルボタンを押すが、時はすでに遅かった。

 ごとん、と音がして、その方向へと目を向けるとシャープペンシルがどこかに行ってしまっていた。

 その代わりとばかりに黒い刀身の剣が、そこに寝転がっていた。

「・・・」

 何度も目をぱちくりとまばたかせた。口は半開きで、部屋の端っこにあった姿見に間抜けな自分の姿を見て、ようやっと我に返った。

 まるで、シャープペンシルをモデルにした剣のようだ。

 芯が黒い刀身へと姿を変え、指を支える滑り止めのゴムは剣の柄に変わっている。そのほかの装飾は鍔に凝縮されているようだ。オレンジやら青やらの鮮やかな色合いが、鍔で混ざり合って竜のシルエットのようにも見える。

 手に持ってみれば、その軽さは元々の大きさと何ら変わらない。頑張ればペン回しだってできそうだ。

 陽太の身長の半分ほどの長さを誇るそれは見た目とは裏腹に軽々と持ち上げられ、しっとりと手に馴染むようだった。

「ナビゲーターを装備します。しばらくお待ちください」

 そんな言葉が画面に映るとほぼ同時だった。突然左腕に痛みが走った。

 視線を向けるとそこには身に覚えのないデジタル式の腕時計が取り付けられている。

 大きな画面には何も映っていない。外枠には「ワールドオブナイトメア」という下手くそな刻印が刻まれている。

「ナビゲーターの指示に従って行動してください」

 その文字を陽太が読み終えると同時にテレビの電源がぶつんと切れた。

 代わりにナビゲーターが音もなく産声を上げたのがわかった。

 腕時計にしては大きな画面には「その他の装備を三つまで選択できます」と表示されていた。

 武器は選択できないらしい。

 頭、肩、腕、腹部、腰、脚部、靴、の選択肢がある。

 股間を真っ先に思ったが、いきなりパンツがシャープペンシルのように変形しても滑稽である。

 陽太は腕を選択する。

 操作はスマートフォンと一緒だ。指先でタッチして選択する。

 腕を選択し、右腕、籠手を選択する。

 せっかくシャープペンシルが剣になったのだ。どうせなら文房具でそろえてしまおうと思った。

 籠手に選んだのはコンパスだ。陽太が持つ文房具の中で唯一鉄製のものである。

 そのうえ、切っ先は尖っていて武器にも使える。

 その選択は正解だった。右腕を覆う青いコンパスはがっちりと腕を守ってくれた。

 重さもほとんど感じない。全体の重さは元々の物体の重さを反映するのだろう。

 続いて二つ目だ。

 陽太はまたしても腕を選択する。先ほどは右腕、今度は左腕を選択する。

 形状は盾、ベースは折り畳み式の定規である。

 なぜ籠手は防御力を重視したにも関わらず、盾は定規なのか。

 それは折り畳み式というところがポイントである。それすらも反映されるのであれば、と陽太はわくわくしながら定規が変形するのをじっと待った。

 案の定、盾は折り畳み式の形を要した。手動で展開しなければならないというデメリットを除けば、軽い上に目立たない。

 剣と違って日常的に装備することが可能であるということを理解する。

 さて、これで二つがそろった。

 問題は三つ目である。

 腕を守るということは最初から決めていた。だが、そのほかにどこを守るべきか。

 やはり、股間、という選択肢が浮かんだが、なんとも滑稽だ。

 改めて全身を見る。

 鏡の前に立つと大事なものがないことに気が付いた。

 鞘がないのだ。

 陽太は腰を選択し、その中に鞘という項目を発見した。あとになって後悔したのは肩という項目にも鞘があったということだ。

 肩に鞘をつければ背中から剣を抜くという流浪の剣士のような様を成すことが出来たのだが、それに気づくのは少し先のお話。

 三つの装備を手に入れ、陽太は満足げにうんと一つ頷いた。

 準備は完了した。

「レベル1.ターゲット」

 そこに映しだされた映像に陽太は息を飲む。

 グラウンドの土のような色をしたラグビーボールが人間を襲っている様がまざまざと映っている。

 鋭い牙を剥きだしに画面越しに赤い目で陽太を睨み付けている。

 昨日見た今日が、今日であるならば、それは今日の夜に出会うことが出来る。

 陽太は確信をもって、剣を握りしめた。

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