0-4 チュートリアル終了のお知らせ

 宵の帳が世界を覆う。クマが出没しているという言葉を信じて町は息を潜めている。

 大して美味くもない凛子りんこの用意してくれた夕食を済ませ、高杉陽太たかすぎようたは武装していた。といっても、中学生男子に用意できるものは限られている。

 とりあえず尖ったものを用意しようと手にしたのはシャープペンシルが五本。武器と呼ぶには心もとないが、それを敵に投げつけて戦うというシチュエーションを想像して、やはり中二だなと小さく笑った。

 時間は二〇時。集合時間だった。

「あ、出遅れた」

 陽太は慌てて家を飛び出した。野球帽を目深に被り、ベルトに縫い付けたシャープペンシル入れに手を添えてアスファルトを駆け抜けた。

「遅かったな、戦友」

 おそらくワクワクし過ぎて早めに来ていたのだろう月野卓郎つきのたくろうは夜に紛れてしまいそうなほど黒い。

 右腕にはジャラジャラとチェーンで繋がれた安っぽい指輪がすべての指を包んでいた。

「なにそれ」

 聞いてくれ、とばかりに右腕を差し出す月野に嫌々ながらも質問を投げつけた。

「これは冥王から授かった五大魔法を司る指輪だ。指輪にはそれぞれ火、水、土、雷、闇の魔力が封じ込められているのだ」

「はは」

 陽太はただ笑うことしか出来なかった。

「おーまーたーせー」

 静まり返った街に響き渡る黄色い声に二人はうんざりとして振り返った。

 大方二人の空気を壊すようなピクニック気分で来たのだろうと思ったのだが、樹美鈴いつきみすずの様相は想像をはるかに超えていた。

 いつものひらひらした服装。その上の重装備に二人は開いた口を閉じるのを忘れていた。

 鍋を頭からかぶり、右手にはフライパン。左手には包丁を持っている。

 仕留める気満々だった。

 陽太は自分のチョイスがシャープペンシルであることを恥じた。どうせなら月野のような意味不明な設定ありきの使えない武装の方がよっぽどマシだった気がした。

「さぁ、魔物退治と洒落こもうぜ」

 月野の口調を真似するように美鈴はにやりと笑うのだった。

 目撃された地点へと三人は歩を進める。道中近隣の警備にあたる警察官の目をかいくぐり、三人は易々と目的地へとたどり着いた。

 木々が生い茂る森だ。森と言っても大して深いものではない。山道にさえ向かわなければ三〇〇メートル程度も歩けば反対側に出られる。

 幼い頃は何度もこの森の中で迷子になってよく涙を流したものだが、何年も通っている内に庭といってもいいほどに熟知してしまった。だが、夜遅くにやってきたことはない。

 目の前に広がる森林の闇はさながら月野が喜びそうな漆黒に満たされていた。

「古傷があいつの息遣いに反応している」

 怪我どころか病気で入院したこともない月野は右手をプルプルと震わせた。

 いまさらになってやめておけばよかった、と後悔する陽太をしり目に二人を従えて歩くのは乳房の魔女だ。

 重装備とは裏腹に軽い足取りで歩き出す。その背中を見て、一番楽しんでいるのは美鈴であると理解した。そして、一番臆しているのは自分であることも同時に理解した。

 月野と陽太は美鈴の前に肩を並べる。

「お前は俺の背中に隠れていろ」

 月野が意地悪に笑った。陽太もまたそれに応えるように意地の悪い笑みを浮かべた。

「ほざけ、こうべを垂れて助けを請うような真似をするなよ」

 小さい頃はこうして悪のヒーローごっこをしていたことをふいに思い出した。

「二人とも仲良しだねぇ」

 そんな二人の様子を見て美鈴は嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見てとっさに陽太は我に返った。

「そ、そんなんじゃねぇよ」

 照れくさそうに顔を背ける陽太を見て、月野はやれやれとため息を吐き出した。

 月野が厨二と称され始めた頃から、どことなく距離を取っていた。といっても、あからさまに距離を置くようなことはしていない。

 体は傍にあるというのに、心は少しずつ離れていくような、そんな曖昧な感覚。

「おい」

 ふいに月野が声を上げた。その声に顔を上げると目を凝らさなければわからない程度に何かが動いているのが見えた。

 人の姿ではないと理解すると同時に陽太と月野はその場にしゃがみ込んだ。

 その姿を見て遅れて美鈴も腰を低くした。

「あれがそうなの?」

 思った以上にあっさりと見つけてしまった。本来なら地元の警察官に見つかるのが先だと思ったが、まさか探索を初めて五分としない内に標的に出会うとは思わなかった。

「もっと近づこう」

 囀るような声を置き去りにして美鈴はそそくさと歩を進めた。陽太が制止するまもなく美鈴は歩き出す。

「まて」

 とっさに美鈴の手を掴んだのは月野だった。伸ばした右手がじゃらりと声を上げた。

 その物音を敏感に察知したソレは動きを止め、闇夜の中で煌めくルビーのような赤い瞳を三人へと向けた。

 一歩、一歩、とじりじりとこちらの様子を伺うように距離を詰めてくる。

 しゃがみこんでいた二人も立ち上がり、三人は警戒体制へと移行する。

 一歩、突き進むごとに物陰に隠れていた体が月の光に照らされた。

 四本足の化け物だ。犬よりは大きいがクマよりは小さい。体毛のない体は学校のグラウンドの土のような色をしている。

 飛び切り三人を驚かせたのは頭だった。まるで、ラグビーボールのような形をしている。

 ラグビーボールの半分の面積を埋め尽くす赤い目玉がぎょろりと三人を見ている。

 まるで、狙う順番でも決めているみたいに、それはぎょろぎょろと三人の顔を順に見つめていった。

 逃げなきゃ、と脳みそが震える。

 じり、と後退をしようとした時、不意に服を掴まれた。

 ハッとして美鈴を見ると美鈴は怯えたような眼差しを陽太に向けている。

「陽ちゃん」

 ごめん、と心の中で謝り、陽太は美鈴の手を払いのけ走り出す。

 妹のような存在の幼馴染。彼女を守らなければならない。それ尚に、ふがいない。

「月野、美鈴を頼む!」

 月野を後ろに突き飛ばし、その勢いを利用するように陽太は走り出す。

 赤い目が陽太に狙いを定めるのを理解する。それと同時に陽太は地面を蹴る力を精一杯に木々の合間を抜けていく。

「つっきー」

 離れていく陽太の背中を見つめながら、美鈴は月野に助けを求めた。

「は、はは、は、はは」

 月野は腰を抜かして動けなくなっていた。

 森の中は視界が悪い。だが、すっかり慣れた道だ。手元が見えずとも目の前の枝を掴み、体を持ち上げるように走った。

 足元が見えずとも滑るように地面を駆けた。

 すぐ背後で木々と体をぶつけ合いながら迫りくる気配を感じた。とっさに頭を下げるとさっきまでそこにあった枝がごっそりと引きちぎられる。

 目的地は光だった。

 かすかに木々の隙間から蠢く白い光の残り香。そこに警察がいるのだと理解する。

 そこまで逃げ切れば何とかなる。そう言い聞かせて我武者羅に走り抜けた。

 陽太の腕を食いちぎろうと開かれた牙をすんでのところで木に守られる。

 肩に飛びつこうとしたところを運よく足を滑らせやり過ごす。

 五〇メートルにも及ばない距離だ。だが、足場の悪い中を全力疾走で走ってきたのだ。

 もう息も絶え絶えだった。あと少しというところで、膝が崩れた。

 改めて運動部に入っていればよかったと思った。いくら若いと言えど帰宅部の脚力ではこれが限界なのだ。そして、そこが高杉陽太という少年の終わりなのだと理解し、目を閉じた。

 目の前で誰かが悲鳴を上げた。それと同時に目の前が真っ暗になった。

 最後に見えたのは黒い汚れのこびりついた牙だった。

 

 ハッとして目を覚ました。

 じっとりと脂汗が浮かんでいる。呼吸は乱れ、乱雑に心臓は高鳴っていた。

 そこは見慣れた高杉陽太たかすぎようたの部屋だった。

 朝日がカーテンの隙間から覗き込んでいる。

 あれ。

 いつの間に家に帰ってきたのだろう。

 昨日の出来事を思い出すことが出来ない。

「陽太!朝ごはん食べなさい!」

 突如、ふすまを突き破るような勢いで現れたのは姉の凛子りんこだった。

 唐突なデジャブ。この景色をつい最近見た気がする。

「う、うん」

 生返事を返しながら、陽太は思考する。そして、自室のテレビ画面に見慣れた文字が浮かんでいた。

「チュートリアルを終了しますか」

 陽太はおもむろにテレビ画面へと近づいた。

 ゲームをしていた記憶はない。ただ、外に出ていたという記憶だけがある。

 そこで恐ろしい目にあったのだ。

 あれは夢ではない。あんなリアルな夢があるはずがないのだ。

 コントローラを握りしめる。

「陽太、ご飯食べて学校の支度してよ」

 背後でそれを阻止するように凛子の声が響いた。

「あ、ご、ごめん。体調悪いから休む」

 ゲームのコントローラを握った弟の言葉に説得力はないが、凛子はじぃとしばし睨み付けると諦めたようにため息を吐き出した。

「あ、姉ちゃん」

 居間に顔を引っ込めた凛子が再び顔を覗かせる。

「なに?」

「俺、昨日帰ってきたのって何時?」

 凛子はしばらく考えるように人差し指を突き立てるようにこめかみに当てた。

「何言ってんのよ、あんた昨日は帰ってこなかったじゃない」

「え?」

「だから、昨日は学校から帰って来てから、ずっと家にいたじゃない。珍しく食器洗いまでしてたくせに」

 一度目と二度目の言っていることが違う。その疑問をぶつける前に凛子は再び居間に戻っていった。

「あ、そうそう!今日パパもママもいないし、私も帰りは遅いから」

 居間から怒鳴り声を上げる姉の声。その後にもいくつか文句を並べていたが、陽太の耳には入ってこなかった。

 また、今日が来たのだ、と理解する。

 漫画やアニメのような世界が、目の前に広がっている。厨二と言われようと構うものか、その手がかりが目の前のテレビ画面に映っていると信じた。

 陽太はテレビと向き合い、「はい」を選択する。

 次に現れた文字に驚愕する。

「ゲームを始めます」

 と、上段。

 下段にはこう書かれていた。

 「二度と戻ることは出来ません」

  わくわくと恐怖のせめぎ合い。心臓がブレイクダンスをしているような気分だ。

「いってくるからねー。鍵かけといてー」

 凛子ののんびりとした声が玄関から響く。

「はーい」

 と、返事をしながら陽太は「はい」を選択した。

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