序章

序章

 薄暗い螺旋らせん階段を女性が降りていく。

 石壁に手燭てしょくでできた人影がぼんやりと風に揺れ動く。

 階段を降りると、まだ、先は続いている。

 闇に包まれた通路を手燭を頼りに女は進んでいった。


 一本道の先はやがて、行き止まる。

 手燭を持ち上げれば、そこに荘厳そうごんな扉が現れた。扉は小さな手燭で照らし切れず、その上が見えない。

 大扉にかけられた頑丈な南京錠を鍵で開ける。


 扉の中は一面丸い石壁に囲われ、天井は肉眼で見えないほどに高い。

 壁の各所に均等に設けられた燭台へ、手にしていた手燭から火移し入れるが、湿気をふくんだ空気のせいか、火がなかなか移っていかない。

 何度か試すが、燭台に火は灯らなかった。


 いきどおりを感じた女は、燭台へ先端が尖った小ぶりの棒を向け、言葉を呟いた。

 すると、燭台にボッと音を立てて辺りを明るく照らし出す。各所の燭台に同様の現象が順番に起きた。


 抱えて持ってきた身長と変わらない長さの杖を、両手で持ち直し、部屋にある中央へと上がる階段を上り始めた。

 階段の先は人が一人乗れる広さがある丸い台座がある。地面より高くなっているその場へ向かいながら、言葉をつむぎ始める。

 手にした大きな杖の先端がほんのりと白く光り輝き始めた。

 台座へ辿り着くと、石の床へ杖の先端を躊躇ためらいなく突きたてた。

 パァっと白い光が周囲をより一層明るく照らしだす。

 女は躊躇いなく、紙に線を描くように杖を滑らかに動かしていく。

 描かれていく複雑な模様を迷いなく描いていく。

 き終わると、杖を床から離した。

 描かれた線は淡く白く光る。

 杖を両手で一薙ぎすると役目を終えた光が先端から消え失せた。床に描かれた模様はより一層白く光り輝きだした。

 描いた模様の中央へ、杖の先端を突き立てた。

 線は杖によって白い光をまっすぐ天へと伸ばしていく。


「完成したか?」


 どこに潜んでいたのか、フードを目深にかぶり全身を黒で覆った男が、術者の後ろから描かれたものを覗きこんだ。

「ええ、完成よ」

 術者がほくそ笑んだ。

 幾度の失敗を繰り返してきた。それが、ようやく完成した。

 術者は言葉を紡ぎ始めると、描かれた模様は地面からゆっくりと剥がれだし、空中に浮き上がった。



 詠唱を始めてしばらくすると、遠くで階段を駆け降りてくる足音がした。音は徐々に大きくなっていく。

「……来た」

 男は術者へ異変を伝える。

 術者は眉を顰めつつも、詠唱えいしょうを続ける。

 いま詠唱をとめてしまえば、次はもうない。


 成功まであと半分。


 詠唱が終わるが先か。足音がここへ来るが先か――。

 石床を叩く足音は徐々に近づき、大きな音と共に扉が乱暴に開け放たれ、蝶番ちょうつがいが耐え切れずきしんだ。

 若い青年が息を切らせ、扉へ拳を強く叩きつけた。


「母上!」

 青年は、づかづかと無遠慮に入り、詠唱する術者を呼ぶ。

 術者にとって、青年の乱入は予測の範疇だった。

 術者は描いた魔方陣を完成させることだけに、全ての神経を集中させた。

 魔方陣は、術者の腰のあたりまで浮き上がってきている。


 完成まであとわずか。


 魔方陣が手元まで上がってきたら術は完成する。

 失敗すれば、魔法陣は浮き上がった高さでぜて消えてしまう。

 魔方陣は宙を浮遊していた。魔法陣の線が徐々に淡緑から濃緑へと光を放ちながら徐々に変化していく。

 女はその変化に口角を上げた。


 青年は女が立つ場へ行く階段へと向かった。

 たえず、女から目をそらさない。何かが起きてからでは遅すぎる。階段に靴裏が着く前に、見えないなにか《・・・》に阻まれ先に進むことができない。

 これがなにか。

 青年は知っていた。

 なにもない空中をためらいなく触る。手が触れた周りに波紋が生まれた。

 これは魔法だ。

 見れば階段の前に隙間なくぴっちりと薄い防壁ができていた。

 これを妨害されないための予防策をしっかりとされていた。

 青年は障壁を作った犯人を睨みつけた。

「外すんだ。今すぐに」

 防壁をタンッと、叩く。

 音はなく、ただ、空間に波紋が広がってなくなる。

「あなたの命は聞けません」

 男はフードの中で笑みを浮かべると、杖を出し魔法を唱えた。

 これも青年はなにか知っている。

 対処する前に青年の両手首は吸い寄せられるように体の前に寄せられ、手首に丸い輪が出現した。

 魔法の拘束具。魔法使いを捕えるときに使われる。牢へ入れる者以外に使うことを禁止されている魔法。

 拘束具は水で作られていて、腕を動かすと拘束具に波紋が生まれた。

 両手だけではなく、足も拘束具で自由を奪われてしまい地に膝をつく。身動きが取れなくなった。

 木の拘束具とは違い壊すことが難易な魔法の拘束具。

 邪魔は許さないと暗に物語っていた。


「母上、すぐにやめるんだ!!」


 唯一自由を許された声で青年は叫んだ。

 この国ではいかなる理由であろうと術者による大きな魔法の使用を皇王の権限によって、禁止されている。

 魔法を使う者が少ないため、使用を極力控えさせている。

 許可された魔法の使用以外は、魔法を使った時点で周囲に危険を伴うことがあるからだ。

 事前に知っていれば、周知することができる。魔法を使うなら事前に申請しなくてはならないのだが。女はこの申請手順を踏んでいないままに、魔法を発動させようとしている。


「見れば分かるでしょう?」

 目を眇め女が青年を見下げた。

「『召喚』を行うつもりだろうが、皇王がお許しになっていない!」

 青年は負けじと睨み上げる。女から目を一切そらさない。

 何かを呼びよせる召喚はこの国で禁忌とされている。

 どんな理由であろうとも、許されていない。

 なにを喚ぶか分からない召喚は、なにが起きるか検討がつかず、対処のしようがない。

 大量の水、木々、果ては家屋が現れてしまうこともあり得る。


「そうよ。それが悪いって言うの?」


 女は悪びれた様子はない。問題でもあるのかといわんばかりに目線を送ってきた。

「やめるんだ! 陛下の側近が大きな魔力の波動を感じ取って、陛下とここへ急ぎ向かっている!」

「それがなに?」

 焦りなど微塵みじんも感じない。涼やかな顔で女は魔方陣を見守る。

 魔法の詠唱はつい先ほど、終えていた。

 魔法陣はかつてないほどに、成功の色を見せている。


「俺は、陛下の命で、止めにきたんだ。いますぐ、やめてくれ!」

 青年には、魔法が成功しているのか、失敗しているのかわからない。

「やめられるわけがないでしょう。もう遅い」

「やめ……くっ」

 青年の拘束が突如ゆっくりと引き絞められていく。

 痛みに青年は歯を食いしばる。額に玉の冷や汗が浮き上がり、突然のことに血管が悲鳴をあげた。

 かけられた《魔力》はすぐに弱められ、血の流れがよくなる。血が勢いよく体中を巡りだす。がくんと膝が落ち、両膝両手を冷たい石床についた。

 額の汗が数滴落ち、石床に黒い模様を作る。

 荒く呼吸を繰り返しても、青年は諦めない。

 顔をあげ、口を開き……


「――、――!!」


 声が出なかった。発声はしている。その証拠に声帯が動いているのを感じるのに、音が出ない。

 青年は、離れたところで静かに立つ黒いフードを睨んだ。声は、この人の魔法によって封じられてしまっていた。

 抵抗する力は、すでになかった。手を挙げれば魔法によって拘束され、同じことを繰り返す。

「いまから起こることをその眼に焼き付けなさい」

 女が喜びに微笑む。


 ようやく、成功する。

 この機会を逃したら、次はもうない。

 誰にも、邪魔されたくない。

 最後の言葉を告げた。

 濃緑に染まった魔方陣が宙を揺蕩たゆたう。

 宙に浮いた魔方陣は呪文が終わりると石床へ吸い寄せられ、黄緑色の強い光を天へとき放った。

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