17:お断りします

 美衣歌は廊下を急いで歩いていた。

 フィディルの出立時刻まで、三十分を切っている。

 自国皇子が帰国の途につくというのに、その国で生まれ育ったスティラーアが見送りをしないという選択はなかった。

 他国の皇子が帰国の見送りに皇子皇女も集まる。

 当然、ニコジェンヌや、ケイルスらもいる。彼らよりも早く到着しなくてはならない。

 一階へ降りる階段を目指していると、先の廊下に、フィディルがいた。

 目の覚める青と白の正装をまとい、隣の従者と話しながら窓外を眺めている。

 美衣歌の足が思わずぴたりと兵隊のように綺麗に止まる。

 二人の侍女は、突然歩を止めた主人あるじを不思議に思ったのか、前を伺い見る。誰かを知った途端、警戒を強めた。

 今朝アルフォンからフィディルに注意するように言いからめられているからだろう。

 美衣歌の後ろスカートをわずかに掴み、戻りましょう、と促してくる。

(引き返すよ! でも……!)

 景色に気を取られ、相手は美衣歌に気づいていない。今なら、引き返して別のルートで階下へ降りられそうだ。

 けれど、従者が気がついてしまったら。逃げられそうにない。

 じりじりと後退していく美衣歌に気がついたのは、やはり強面な体格の良い従者の方だった。彼から美衣歌が来たと教えられたフィディルが振り向く。

 ――それはそれは、満面の笑みで。

「やあ、スティア。待っていたよ」

 フィディルは美衣歌に極上の笑みを向け、歩いてくる。

 まだ、一定の距離がある。踵を返せば、歩幅の違いはあれど、逃げおおせる。

美衣歌の逃走の妨げとなるフィディルを止めてくれる人が後ろに二人も控えている。

 廊下の角まで行けば、騎士がいた。客室や、その先にある王家の私室に不審人物の侵入を防ぐために、複数人の男たちがいる。

 踵を返そうと、足を後ろへ引いた。

「何処へ行くんだ?」

 ビクリ、と肩が飛び上がる。

 フィディルは、美衣歌が思案する間に間合いを詰め、目の前に立っている。従者は彼の後ろにぴたりと付き従っている。

 捕まりたくなかったのに。心の中で悪態をつきながら、腰を落として挨拶をした。

「ここからの眺めはとても素晴らしいよ」

 フィディルは再び窓外を眺める。

「ありがとうございます」

 早く階下へ降りていってほしい。

 警戒をしながら、窓から見える景色に目をやった。ここからの眺めは、何度見ても見飽きない。

 作り込まれた花壇に木々。遊歩道。美しい写真のような綺麗な景色に思わず魅入ってしまう。

「そうか。スティアはこの景色が好きなんだね?」

 あまりの声の近さにどきりとして、振り仰げば、フィディルがわずかな間合いを詰めてしまっていた。

 景色に一瞬気を取られ、警戒が緩んだ隙をつかれた。恋人関係のような距離の近さに、冷や汗が滲み出る。

 詰められていく距離。

(逃げれない。どうしよう)

「フィディル殿下。もうすぐ、出立時間になります。み、皆さまが殿下の見送りにお待ちです」

 かろうじて返せた言葉は、どもってしまった。

 背後で侍女たちが懸命に冷静さを

 後退する美衣歌との距離をいとも簡単に詰めた男は、美衣歌の腕をとった。

 振り払うことは簡単にできた。握る手は割れ物を扱うような優しさがある。けれど、恐怖心が優ってできない。

 この手を振り解いたら、どうなるか。

 怖い。

 賢くいかなければ、この場を切り抜けない。

 高校生の美衣歌のままでは出来ない。

 美衣歌は、覚悟を決めた。

「離してくれませんか?」

 美衣歌の躊躇いながらも睨み見上げる顔は、まだ、少しの躊躇いが出ていた。

 その躊躇いを読み取ったフィディルが口元を上げる。

「僕と話をする時間をくれないかな?」

 自ら腕を払うことをせず、代わりに扇を広げて口元を隠し、身体の向きを変え、拒否を暗に示しながら、フィディルから一切目を離さない。

 目元だけで、美衣歌は微笑んだ。隠した口元は恐怖でひくついている。

 フィディルがわずかにためらいをみせる。

 美衣歌の態度が変わったことへの戸惑い。もしくは、あからさまな拒否に対してか。

「君は何処にいても、変わらない」

 美衣歌の腕を名残惜しそうに離した。

「君と、話がしたいだけだよ。ダメかな?」

「セレーナさまが階下で殿下をお待ちです」

「本当に僅かな時間でいい。良いだろう?」

 遠回しに拒否をしても、彼はひかない。下手にでてくる。

 どうやって諦めてもらおうか。いい案が思いつかなくて戸惑う。

 フィディルは辛抱強く美衣歌の返事を待っている。

 焦れば焦るほどに、かわすすべがなにも思い浮かばない。

 二人の侍女はフィディルに警戒をしている。あからさまな態度を出さず、相手の行動から目を離さない。

 それが、動いた。

 気配を察し、読み取る事はできない美衣歌でも、衣擦れの音を聞けば、察してしまう。

 美衣歌を守ろうと動きだしたコーラルを、美衣歌は腕を真っ直ぐに横へ出すことで制した。

 侍女は主人前に出てはならないのだ。どんなことがあろうとも。それがここの常識。

 相手は皇国よりも権力がある他国の皇子。今後の付き合い方にも影響してしまったら、外交がうまく立ち行かなくなってしまう。

 フィディルが問うているのはコーラルではなく、美衣歌。侍女は主人の決定に従わなくてはならず、この場の決定権はない。

「まもなく出立のお時間になります」

「すぐに行くよ。君と話をしたら、ね?」

 時間が迫っていると伝えても、全く引いてくれない。彼の要求を満たさない限り動かない。

「スティラーアさま、危険です」

 コーラルが小声で警告をしてくる。

 今後の外交や、これから帝国へ行くことになるセレーナのことを考えると断ることもできない。セレーナの婚約が決まったと昨夜、貴族の前で披露目ひろめたばかりなのに。

 波風立たたずに、帰ってもらう方法がひとつも思いつかない。

 知力があれば……。

 美衣歌は出した腕をゆっくりと下ろした。コーラルはもう動かない。

「スティア?」

 フィディルが名を呼ぶ。

 早く行こうと、急かしているようにも、承諾以外の返事はしてこないと確信しているようにもとれた。

 美衣歌が返事をしない理由が、侍女だと判断したのか、フィディルはコーラルをすごんでみせた。コーラルが迫力に怯えたのは、ほんの一時。主人の背に隠れもせず、毅然と立っている。

 自身の想いが通らない憎しみが込められた無言の圧力は、コーラルだけでなく、間近に美衣歌をも震え上がらせる。

 顔が引きつる。

 蛇に睨まれたカエルのように、動けなくなる。

 笑顔はとっくに消えていた。

 美衣歌はこの近くにあるものを思い出す。確か近くに、テラスがあった。中庭に面し、下からよく見える。今の時間は庭師が手入れをしているはずだ。

「……フィディル殿下。この近くにテラスがあります。僅かばかりのお時間でいいでしょうか?」

「構わないよ。君と話せるなら」

 フィディルの目が、愛おしむように細められた。

 ヒヤリとしたものが背中を這い上がった。思わず、コクリと唾を飲み込む。

 焦りがよくない提案をしてしまった。後悔してももう遅い。

 この男と一人で対峙するなんてできない。

「わたしの侍女を近くに置いてもいいですか?」

「仕方ない、許可しよう。ただし、一人だけ。僕が認めた方だけだよ? もう一人は、そうだな。遅くなることを伝えに行ってもらおうか?」

 フィディルはそれぞれ、コーラルを側に、イアはアルフォンの元へ行くようにと言った。


 テラスでフィディルは美衣歌と並び立つ。

 眼下は見事な花が咲き誇り、庭師たちが花壇の手入れをしている。

 彼の従者と、コーラルは廊下からこちらを見ている。様子を伺うだけで、会話は聞き取れない。

 一体間隔の距離を保ち、美衣歌はフィディルと向き合った。

「ご婚約おめでとうございます。セレーナさまであれば、殿下と幸せに暮らせます。心から祝福申し上げます」

 改めて、祝辞を言った。

 けれど、フィディルは不愉快に顔を歪めた。

「スティア、僕は君からそのような言葉をもらうために待っていたわけじゃない」

 わかっているだろう? と顔で問われる。

 美衣歌は階下の花々に目を向けた。

 目を合わせ続ける勇気はない。

「わたくしから、お祝いの言葉が欲しくて待っていたと思ってました」

 そんな理由なら、その場で聞いたと、軽く笑い飛ばされた。

「君に聞きたいことがあったんだ。……なぜ、君はここにいるんだ?」

「アルフォンさまの結婚相手ですから」

 至極当然の回答を、当たり前のように返した。

 フィディルの表情が険しくなる。

「いつ決まったんだ?」

 ドスの効いた声に怖いと感じた。

「それは、最近、でしょうか」

 実際、いつ決められていたのか知らない。

 美衣歌が召喚される前かもしれない。はっきりと言えないので曖昧に答えた。

「どうして僕じゃだめなんだ?」

「すでに決まったことです」

 矢継ぎ早な質問に、淡々と返す。

 あまり言いすぎると美衣歌が墓穴を掘りかねなかった。

 

 貴方に興味がない。


 ここで示し、フィディルにすっぱりと諦めさせることが今の美衣歌の使命のように感じた。

「もう一度、尋ねよう。僕じゃだめなのか?」

 フィディルが絶望に肩を震わせ、美衣歌に手を伸ばす。

 美衣歌は手を重ねることはない。

「申し訳ありません。わたくしがお慕いしているのはアルフォンさまです」

 美衣歌ははっきりと断り、腰を深く下ろして、謝辞した。

 こんなにもフィディルが強く一途に想うスティラーア。どんな人なのだろう。

 美衣歌はひらりと廊下へ戻るために踵を返した、その矢先。

 肩を強く掴まれた。

 指が肩に食い込み、痛みに顔が歪む。

 無理やり振り向かされたフィディルの顔は憎しみによって、ひどく歪んでいた。

 美衣歌では彼の執着を減らすどころか増幅させてしまっていた。

 救いを求めようと、廊下で待機するコーラルを探すと、ぐったりとしたコーラルが従者によって担がれていた。

「君は、僕の……、僕が見つけた……!」

 しまった、と思った直後。目が眩む強烈な痛みが鳩尾を襲い、美衣歌の意識を奪っていった。


 * * *


 美衣歌の姿がない。

 フィディルは帝国の馬車の前で出立を待っている。なにやら、少し落ち着きがないのは、美衣歌の姿がないからだろう。

 イアに言われて、テラスへ行った。けれど、すでに立ち去った後だった。

 ならば、この場にいてもおかしくないのに、美衣歌と侍女のコーラルだけが一向に姿を表さない。

 時間に厳しいフィリアルは、なぜがにこやかに、皇王に寄り添い、美衣歌がこの場にいない事に苛立っていない。

 警備の兵士が城門までの道のりを一定間隔で左右に並び、馬車の出立を待っている。

「それでは、皆さん、見送り、感謝します」

 フィディルの一声が合図となった。フィディルが馬車に乗り込む。馬車がゆっくりと動き始めた。

 ミイカはまだ来ない。

 馬車がゆったりと去っていく。その後ろに深くお辞儀をする。

 顔をあげ、馬車を見送るアルフォンの元へ急用と言ってクレストファが駆けてきた。小さく囁く。

「コーラル殿がいました。ベランダ近くの空き部屋です。意識はありませんが、無事です。しかし、ミイカさんは……いません」

 コーラルと共に。

 今この時、ミイカが姿を消すこととなる原因は、動き出した馬車に乗る人物ただ一人。

 しかし、疑うにはまだ早い。彼はミイカが扮するスティラーアに執着していた。

 彼は馬車に乗り込む際、ミイカの姿がないことに違和感は感じていなかった。

 婚約中とはいえ、まだ、帝国の貴族。

 見送りをしないことを許す寛大さを彼が持っているように思えない。

 フィリアルが易々とスティラーアの身代わりを手放すと思えない。本物が見つかっていない。

 それまでの代わりが城を離れないように、美衣歌をこの地に縛った、張本人が全く慌てていない。

 アルフォンは執務に戻る皇王から離れた王妃の代理を勤めたフィリアルの元へ急ぐ。

「母上!」

 フィリアルがアルフォンに向き直った。城内へ戻る手前で止められたからか機嫌が悪い。

「なに?」

「彼女がいない。貴女ならどこにいるか知っているはずです」

 ミイカを縛る魔法。あれは探知もなしている。場所の特定は術者のみが行える。

「それを知ってなにがしたいの」

「なにと? ただ、フィディル殿下の帰郷を知らせるだけですよ」

 フィリアルは鼻で嗤う。

「そんなこと。ご自身で探しなさいな」

 これは賭けだ。

 フィリアルがミイカの拘束魔法を解いていれば、探知はできない。あれは、拘束がされているからこそできる。その魔法を生み出したフィリアルは、簡単に探知をしてくれるような人物でないことをアルフォンはよく知っていた。

「私の魔力の全ては、彼女がもつ第二の指輪に納められている。その意味が、わからない貴女ではないでしょう?」

 アルフォンはフィリアルに問いかける。魔法を使う者として、命の次に大切にすべき魔力を、異界の小娘に全てを与えている。

「なんですって? アルフォン、なんてことをしてくれたの!?」

 そのことにフィリアルは怒り震えた。

「それと、指輪には仕掛けがしてある。わたしから離れる、もしくは意志と反して城から出るようなことになった時、それは発動する」

 美衣歌の拘束はフィリアルで跳ねれば解けない。フィリアルがミイカを必要としなくなったとき、彼女は本人の知らぬところで、その拘束は外すだろう。

 そうすると、どうなるか。

 アルフォンは第二の指輪に仕掛けを施した。

「な、なんてことを!」

 フィリアルは小さくなっていく馬車を凝視した。

 馬車はまだ城門まで行っていない。

 速度を落としたままに走行している。

「最悪の事態に備えて、我が婚約者を守るためです。なにが悪いのでしょうか?」

 フィリアルがミイカを手放すことは最初から予想していた。

 偽物はいらない。欲しいのは本物だけ。

 もし、仮に、ミイカがフィディルの馬車に乗っていたとしたら。いや、きっといる。遠ざかる馬車の中に。 

 顔面蒼白となったフィリアルは、怒りに震える手を振り上げアルフォンの頬を目掛けて振り下ろしたその時。

 ドン!!

 城門手前で、大きな光が天に登った。黄金に輝くその柱はまさにアルフォンの魔法が発動したことを知らせていた。

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