第一章 出会いと再会と出会い③

 本日の授業がすべて終わった放課後。

「一緒に帰ろうぜー」

 奏太が軽そうな鞄を持って席までやってきた。

「じゃあね、空也君とついでに奏太。明日ー」

「またな。小野と阿呆」

「阿呆って何だぁ、阿呆ってッ!」

「あ、うん。……また」

 奏太が大きな声で叫んでいる横で、僕は小さな声で慣れない挨拶をした。

 席に座ったまま、笹岡さんと龍之介の背中を見送る。

「ほんっと、口悪いよなぁ、龍之介ってさ」

「そう?」

「そうだよ! あいつさ、本当に口が悪いんだよ。なんか俺だけに! どうしてだと思う?」

「えっと」

 なんて答えればいいのだろうか。

 まだあって一日も経っていないけどなんとなく分かってしまった。

 けれどストレートに言うのも憚られるので、僕はあいまいに微笑んでおくことする。

「あたしも、一緒に帰っていい?」

 目を向けると、花桜梨が笑顔で立っていた。

「うん」

 僕はすぐに答える。

「え、新宮さんッ! うそ、どうぞどうぞ!」

 なぜか奏太が畏まっているが無視をすることにした。

 だって目の前には彼女がいるのだから。

 何年ぶりだろうか。

 小学五年生の終りの頃からだから、四年ぶり?

 一緒に帰れることがすごく嬉しかった。



「で? 空也、お前いつのまにさぁ、新宮さんと帰る仲間で進展させてんの? お前今日転入してきたばっかだろ? え、もしかして前からこの学校にいたとかっ!?」

「ち、違うよ」

「じゃあ、なんで!」

 下駄箱で靴に履き替えている間。奏太とは下駄箱が隣同士だったらしく、その隙にいきなり小声で早口に話かけてきた。どうやって返答しようか。迷い口ごもる僕を見て、「なんでぇー!」と大声で叫ぶものだから、いち早く靴に履き替えた花桜梨がその叫び声に気づき、奏太に向かって「どうしたの?」と優しく問いかけることになった。

 話しかけられた奏太は、不意打ちに目の前に花桜梨の顔があったものだから、奇声を上げて退く。

「あ、いやぁ、新宮さん。こんにちは」

 なんで挨拶しているのだろうか。

「うん、こんにちは。で、さっきどうして叫んでいたの?」

「そ、それはもちろんね、それはね。あれだよあれ。そうそうそれなんだ」

 奏太は、見事にテンパっていた。

「それって何?」

「それは、どれだよ。あ、そうそうですね。うんと、どうして?」

「え? えっと、私が聞いてるんだけど……」

「あ、すみませんッ! うん、いやでもあながち間違ってない気がするぞ。うん。あのですね。ど、どうして空也と一緒に帰る仲まで進展させてんでしゅか」

 見事に噛んだ。噛んでしまった。

 一瞬の沈黙の後、奏太の顔がみるみる赤くなっていくのと同時に、くすっ、と可愛らしい声が響いた。あはは、と笑いながら花桜梨が口を開く。

「見事に偶然なことなのだけどね、実はあたしと空也は、幼馴染なの」

「え、呼び捨てっ! て、ええッ幼馴染!」

「うん、幼馴染。ほんとーにたまたまなんだけど、空也とは小学生の時同じ学校でね、よく遊んでたんだぁ。でもあたしが引っ越しちゃってね、それから会えず仕舞い。だから久しぶりに一緒に帰りたくて」

 にっこり笑顔で微笑む彼女に見とれてしまう。

 思わず花桜梨の顔を眺めていた僕に気付き、彼女は慌てて顔を逸らしてしまった。

「そうかぁ。偶然ってすげぇな。俺も、偶然前世の恋人とか現れないかなぁ」

 花桜梨の言葉で納得した奏太が呟いた言葉に、くすっ、と花桜梨がまた笑う。

 奏太は「うしっ」と叫ぶと、僕の肩に手をまわしてきた。

「じゃあ、俺はおじゃま虫みたいだな。幼馴染との感動的な再会を邪魔しちゃ悪いし、先に帰るわ」

「いや、いいよ」

「いいっていいって。明日からは俺も一緒に帰るから。じゃあなっ!」

 そう言って、奏太は靴に履き替えることなくシューズのまま、ダッシュしていくのだった。

 奏太の後姿を見送り、花桜梨に声をかける。

「えーっと、帰ろうか」

「うん。そうだね。……それにしても、尼野君って本当に面白い」

「確かに」



「また一緒に帰れるなんて、夢みたい」

 帰り道、一軒家の家が建ち並ぶ住宅街を歩いているとき、花桜梨が口を綻ばせて言った。

 僕は同感して頷く。

「うん。本当に、夢みたい。もう会えないと思ったから」

 事故があり、行き先を言うことなくいなくなってしまった彼女と、また会えるなんて本当に夢のような出来事だと思う。こんな素敵な偶然があるなんて、今までの〝いじめ〟はこの時にための試練だったのかもしれない。

 特に今日は、出会いが多かったから。

 奏太、龍之介、笹岡さん、それから花桜梨。

 今が人生で一番幸せなときで、これから楽しい日々が続いていくとしか思えなく、笑みが止まらなかった。

「あ、あたしこっちの方なの」

 信号のない交差点を通りかかった時、花桜梨が立ち止まり言った。

 彼女が指さす方向は叔母の家とは反対方向だった。

「僕はこっちだよ」

「なんだか寂しいなぁ。もう少し空也と話していたかったのに」

 どこか哀愁を漂わせ、そう言った彼女はとても儚く思えて、僕は考える前に叫んでいた。

「大丈夫だよ! 明日も会えるし、また一緒に帰ろう!」

 そうだ。また一緒の学校に通える。一緒のクラスで、一緒に学んで、一緒にご飯食べて、一緒に帰ることができる。あの頃当たり前だったあの日々が。またこの町で一緒に暮せるのだから。

 花桜梨は目を見開きすぐに細めると、くすっ、と笑い声を上げる。

「そうだよね。当たり前だよね。あーあ、どうして私こんなこと言ったんだろ。空也とまた一緒に帰ることができたのに」

 そうして花が満開に咲いたかのような笑顔を浮かべ、彼女は顔の横で手を振った。

「じゃあ、また明日ね、空也。また、一緒にしゃべろ?」

「うん。またね、花桜梨」

 もう少し、話していたかったけれど、花桜梨があの頃と同じような笑顔で手を振るものだから、思わず僕も手を振り返していた。彼女はペコっと会釈をすると、僕に背を向けて、自分の家の方向に歩いていく。

 彼女の後姿が消えていくのを僕は少しの違和感と共に見つめていた。



 高校一年生の六月。僕は忘隠町にある叔母の家にやってきた。

 忘隠町は、東京都の隅にある町だけど、都心とは全然違う町並みとなっていた。

 マンションの類いは一切なく、建ち並ぶのはすべて一軒家。この町の学校は忘隠高校と小中一貫校の二つしかなく、保育園は隣町にしかない。

 僕は似ているようで似ていない、一軒家の建ち並ぶ住宅街を歩いていた。

 叔母の家はこの先にある公園を通り抜けたところにある。

 時刻は午後四時半。空は少しずつ陰りを見せていた。

 行きと同じように、公園の中を通って、叔母の家に帰るつもりだった。

 公園で子供が遊んでいることはなく、入り口から見える限りでは誰もいない。

 だから。

 ――キィィ。

 誰もいないと思っていた公園に、ブランコの音が響き渡って僕は驚いた。音をした方向を見た瞬間に目に飛び込んできた光景に、思わず息を飲む。

 黒く美しい少女が、俯いてブランコに座っていた。

 艶を浴びた腰まで伸びた黒髪は近くの照明で輝いており、少女の着ている服はシンプルな黒い着物。どこか人形を思わせるほど白いさらさら肌の少女が、ブランコに腰掛けてふらふらと揺れている。

 中学生ぐらいだろうか。とても幼い顔をした少女はここにいるが当たり前かのように、不思議と公園に溶け込んでいる。

 思わず、一歩、一歩と足を踏み出し、僕は少女に近寄っていく。

 少女は僕の足音に気がつき顔を上げると、眉を潜めて小首を傾げた。

「なんじゃ、お主。まるでバケモノにでもあったかのような顔をしおって」

 耳に浸透してくる、幼い声。

 僕は暫くしてそれが彼女の声だと気づき、慌てて後ろに下がった。

「い、いや特に用はないんだけど、綺麗だと思って! どうしてここにいるの?」

「き、綺麗?」

 瞬間、面白いように少女の顔がぼっと赤くなった。

「そんな褒めたってもなにも出んぞ! はっ! さてはお主、誘拐犯じゃな! 幼子に甘い言葉を囁いて攫う、不届きもの! だが、ぬかったな! 妾は幼子じゃない、十五歳じゃ!」

 彼女の言葉に、僕は驚く。十五歳って……。

「同い年?」

「ぬ、そうなのか。お前、まだ女みたいな顔しているから、てっきり年下かと思ったぞ」

 少女は偉そうに言いながら立ち上がろうとして、思いっきり背中から地面に激突した。どうやら自分がブランコに座っていたことを忘れていたらしい。

 大丈夫、と言葉をかけながら傍によった瞬間、ゴッと顎にずっつきを食らう。

 いいタイミングで起き上がった少女は、頭を押さえて縮こまる。

「な、何をする貴様ぁ!」

 いや、それはこっちの台詞なのだけど。

 そう思いながらも、僕は痛む顎を押さえて尋ねた。

「大丈夫?」

「――なわけあるか、ばっかあ!」

 大変ご立腹の様子だ。

 見上げるとすぐそこに彼女の顔があり、やっぱりこの子同じ年に見えないよなぁ、と考え込んでしまう。

 それが駄目だったらしい。少女は、僕と目があった瞬間、両腕を振り上げで僕の頭をぽかぽかと……何というか、力ない拳で――。

 一瞬遅れて、自分が今殴られていることに気がつき、あの頃とは全く違う状況と痛みにも関わらず僕は反応してしまい、頭を庇おうと両腕を上にあげ、しゃがんだ姿勢だったものだから尻餅をついてしまった。

 僕の反応に驚いたのか、少女は拳を作っていた手をその場で停止させる。

「どうしたのじゃ。その、痛かったのか? すまぬ。妾、あまり力ないから、少しぐらい殴っても大丈夫だと思ったのじゃ……」

 はっ、として僕は上体を起こすと、自分に言い聞かせるかのように大きな声で「だ、大丈夫! ちょっとびっくりしただけなんだ」とハハッと声に出して笑う。

 だけどその笑い声は掠れていて、少女は首を傾げると心配そうに覗きこんできた。

 少女の瞳は黒く澄んでいて、ずっと見つめられていると吸い込まれてしまいそうで。

 僕は目を逸らすと慌てて立ち上がった。

「じゃあ、ごめんね、遊んでいるの邪魔して。僕はもう帰るから。ごめん」

「ぬ? よくわからぬが、帰ってしまうのか?」

 見下げる形になった少女は、僕の顔を覗き込みながらそういう。

 そんな彼女は、まるで見捨てられた小動物のようで、僕は思わず訊いた。

「君は、帰らないの?」

「……ああ。まだ、迎えは来ないからな。……帰りたくないけど」

 迎えって、彼女の両親だろうか。だとしても、少女はどうしてこんなところで、帰りを待っているのだろうか。

 少女の言葉は途中で小声になりよく聞こえなかったが、僕はそれ以上尋ねはしなかった。いや、どちらにしても尋ねるはできなかった。

 なぜなら――。

「たま様~! どちらに御出でですかぁ!」

 誰かの名前を呼ぶ女性の声が聞こえてきたからだ。

 最初、名前からして、それは猫の名前なのかなと思ったが、それなら様をつけるのはおかしな話だ。だからそれは人の名前だと察し、ほかに公園に誰かいたかな、と辺りを見渡して。

 ちょうど近くに、少女がいたことを思い出した。彼女は女性の声に反応して辺りをきょろきょろ見渡すと、怯えた表情で下を向いた。

「たま様~!」

 再び女性の声が。

 びくっと少女の肩が震える。縋るような瞳で見られた気がした。

 もしかして彼女は家に帰りたくないのではないか?

 そんな考えがよぎる。

 どこにでも事情はあるのだろう。僕みたいに両親が共に海外に行ってしまい、叔母の家にやっかいになっているように……。彼女には、家に帰りたくない事情があるのかもしれない。

 ぎゅっと、服の端を少女が掴んでくる。

 そんな彼女は余りにも儚く思えて――。

 長いまつげを震わせて、桜色の唇を震わせる彼女が一言。

「帰りたくない」

 そう呟いたのを聞いてしまい――。

 僕は思わず彼女の手を握り、女性の声が聞こえた方とは反対の方向、叔母の家に向かって走り出していた。



 本当に、どうしてなのか。

 どうして僕は、この時彼女の手を握ってしまったのか。

 もしかしたら。と何回も考える。

 この時彼女の手を握らなければ、あんな思いをすることもなかったかもしれない。

 ――だけど、きっとそれは運命で。

 僕が人と違うものが見えたが為に。

 彼女が、人と違う力を持っていた為に。

 それは、必然だったのかもしれない。

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