第四章:成人式で会う友人の顔は割と覚えてる

第28話 培われつつある友情といらん期待

夢を見ていた。

子供のころ、師匠に修行を付けられているときの夢だ。


リンゴの剣術の基本は波と流れの理解。それを実感するために、投げられ、受け流され、ときに攻撃を跳ね返される組手を徹底的に行っていた。


リンゴも、師匠も素手。

リンゴは本気だったが、師匠はものともしていない。それは訓練であり、同時に観察だった。可愛い我が子の映像をカメラに収めるように、一挙手一動作を喜びの視線で眺めている。


勝負になどなっていない。力の差は絶望的なものだった。


夢の中でも、やはり金髪の女性の顔がよく見えない。

しかし、声はよく聞こえる。


疲れ切って地面に大の字になり、伸びているリンゴに向かい、優しく言う。


「私たちの剣術は完全に外道のそれですが、でも武術として考えると理にかなってはいるんですよ。この前、剣を持った相手の力を利用する術は教えましたね? それの延長線上にある、究極奥義をその内に教えてあげますよ」

「え。そんな格好いいものあるの?」


究極奥義など、まるでヒーローだ。是非とも学びたい、とリンゴは目を輝かせるが、師匠は小馬鹿にするような調子で吹き出す。


「ああ、ごめんなさい。ちょっと勘違いさせちゃいましたね。私たちの剣術の究極奥義は『一番強い技』って意味じゃなくって」


◆◆◆

またしてもファンファーレの音によって叩き起こされた。

夢の途中でのことだったので、不快なことこの上ない。


昨日と同じようにベッドから転がり落ち、這いつくばった姿勢のまま、トランペットを携えたシィプの方に顔を向ける。

流石に同じ失敗を、連日で繰り返すシィプではないようだ。今日はきちんとメイド服を着ている。


「せ、先輩……今、すっごくいい夢を見ていたのに」

「ええ。わかってます。なんか顔が凄く穏やかでしたよ。死んだみたいでした」

「生きてるよ! もう!」


立ち上がり抗議するリンゴに、シィプは鼻白んだ。肩を少し落とし、皮肉っぽく言う。


「……本当にいい夢を見ていたようですね」

「ああ。なんか師匠っぽい人に組手を付けられる夢を見てた。多分、過去の映像だ。記憶が段々戻ってきてるのかも」

「なるほど。それはタイミングのいい」


シィプの妙な言葉に首を傾げる。リンゴが疑問に思っていることに、当然シィプは気付いたが、あえて説明を省いた。


「……じゃ、支度なさい。あなたにちょっとしたタスクを与えましょう。一時間あげますので、その間にキチンと準備を整えてください」

「準備って?」

「そうですね。具体的には柔軟と軽いアップでしょうか。朝食と着替えも当然。あ、そうそう。あの執事服、吸水性とストレッチ性能は抜群ですよ。いわゆる戦闘執事服です」


それだけ言われれば、説明されないでも理解できる。

タイミングがいいと言ったのも、こういうことだろう。


「……訓練に付き合えってこと?」

「いいえ。まさか」


シィプは首を横に振る。

そして、リンゴのことを見下した目で言った。


「サンドバッグになれって言ってるんです」


安い挑発だが、リンゴの頭にカチンと来る台詞。

流石にこれが本心からの台詞ではないことはリンゴにもわかる。昨日知ったことだが、彼女には本当に気を許した相手に対し無礼になる傾向があるらしい。


それはある意味『この程度の台詞を言っても、この人が相手なら禍根も残らないだろう』という信頼であり、甘えでもある。


信頼されることは嬉しい。甘えられるのも悪くない。


だがそれは相手にとっても同じこと。


「言ってくれるな、先輩。流石に今度は後ろを取られたりしないよ?」


信頼には信頼で。甘えには甘えで。挑発には挑発で返す。

リンゴが不遜に返し、申し出を受けたことに満足したシィプは、部屋の外へと歩き出す。


「部屋の外で、楽しみに待ってますよ」

「うん」


午前五時半。一時間たっぷり時間を取れるなら、訓練開始は六時半だ。

先ほどシィプは楽しみに待っていると言ったが、リンゴからしてもそれは同じ。


早起きして行うシィプとの訓練。刺激的なものになりそうだ。


◆◆◆

シィプに連れられた先は、正門に対して、屋敷の反対側にある裏庭だった。もっと行けば、リンゴが発見されたあの山につく。


朝日が眩しく、冷たい風が心地いい。足元はよく手入れされた芝生で、靴越しでもその柔らかさがわかる。朝露に塗れているのか、少し湿っているようだ。

裏庭は広い。おそらく、シィプとリンゴが暴れても、屋敷に影響が出ない程度に。


「組手のルールは?」

「そうですね。最初は素手で行きましょうか。自由組手で、相手に膝を付かせたり、この芝生に寝転がすことができたら一ポイントです」

「え? ポイント制?」

「七時半まで続けます。それまでに合計ポイントが上回っていた方は、下回っていた方に一日限定でなんでも命令できる、というのはどうでしょう」


悪くない条件だ。

その命令が常識の範疇はんちゅうのものならば、の話だが。


「……違法行為はナシだよね?」


念のため確認すると、シィプは無表情のまま舌打ちした。


「ええ。もちろんですよ」

「舌打ちしたな!? アンタ俺が念を押さなかったら何するつもりだったんだ!」

「お酒パーティに付き合って貰おうと思ってましたが」

「記憶は曖昧だけどこれだけはわかる! 俺、未成年だよ!」

「じゃあ、そうですね……」


シィプはしばらく目を伏せ、考えていたが、すぐに思いついた。


「あなたの持っている技術を、私に教えてくれませんか?」

「……なんだって?」

「ほら、木の枝で大イノシシを吹っ飛ばしたアレですよ」


確かにそれなら、なんら非合法なことはない。

だが、リンゴは嫌な気分になる。漠然としているが、この剣術は、顔も忘れた師匠との絆の象徴だ。


それが術である限り、教われば誰でもある程度のところまでは習得できる。しかし、リンゴの精神的にそれはできない。教えるわけにはいかない。


「……ちょっと負けられなくなった、かな」


かといって、勝負そのものをなかったことにするのもナンセンスだ。

既に買ってしまった喧嘩を返品するのは、失礼にあたる。ましてや、相手は仕事の先輩だ。余計にそんなことはできない。


リンゴは腰を落として、手を前に出す。

シィプもそれに合わせて、構えた。拳を握っているので、打撃の型だろう。組手に対し、なんとも血の気の多いスタンスをとる。


「あの、先輩。もしかしなくてもその構えって――ッ!?」


シィプが距離を詰め、顎にパンチを放つ。咄嗟にリンゴはいなしたが、かなりエネルギーの乗った重いパンチだった。下手を打てば、これ一発で立ち上がれなくなるほどの。


距離を取り、リンゴは信じられない面持ちでシィプを見る。

当然だと言わんばかりに彼女は鼻を鳴らした。


「ええ。打撃型ですが?」

「組手だよね!? ヘッドギアなしに、そんなことやっちゃダメでしょ! グローブも必要じゃん!」


言っている間に、シィプがまたしても距離を詰めてきた。

文句を言うのに夢中だった上、素早かったので瞬間移動に見紛うほど急激な移動。


――しまった!


そう思ったときには、ダメージが表面に出やすい顔面の正中線上、鼻の頭を打ちぬくようなパンチがめり込む。

あえなくリンゴは吹き飛び、背中から芝生に落下した。


シィプは殴った方の手を、握ったり開いたりを繰り返す。

異常はない。彼女の皮膚、特に拳周りは防刃仕様だ。見た目こそ女性の肌だが、アミノ酸組成は人間のものとは遥かに異なっている。人を殴った程度では破けはしない。チタニウム合金でできた骨の方も同様に影響はない。


「これでワンポイントですね。あなたは自分の技術に随分と思い入れがあるようですが、私の方も強くなりたい意欲はあるのです。ちょっと譲れないんですよ」

「ぬ……」


鼻血が滴る顔面に手をあてながら、リンゴがゆっくりと起き上がる。

その手が鼻からどけられたときには、彼の顔面は綺麗に治っていた。

シィプに原理はわからないが、どうも彼に生半可な攻撃は通じないらしい。


リンゴはシィプの拳に視線を注ぐ。


「その拳、なんか入ってるな。そういえば機械化されてたんだっけ」

「ええ。他にも色々と秘密兵器はあります。前にあなたを気絶させたスタンガンもそうです。が、今回はそれらは使いません。あくまで私本体の力のみで戦います」

「そう」


リンゴは構え直す。次からはもう油断はしない。

しかし、シィプは最初から隙など見せていない。やっと同じ条件が揃ったところで、勝機が出てくるわけもなし。


リンゴはここで、勝つことは諦める。

ひとまず、あと一点あれば引き分けには持ち込めるのだ。一回限りしか使えない奇策でいい。


「怪我させたら本当にごめんなさい!」


謝罪の言葉と共に、リンゴはシィプとの距離を詰める。

その足運びは、シィプのそれよりも遥かに軽やかだ。スピードの点では優っている。


シィプはリンゴの正中線を捉え、再び右ストレートを繰り出す。


その突き出された手首を、リンゴは右手で掴んだ。


関節技でもする気かと思ったが、違う。余った左手の方でリンゴは、シィプの右肘を掌底しょうていで打ちぬく。


「ぐっ!」


直後、右手に痺れが走る。神経に直接的にエネルギーを加えられたのだ。すべてではないにしろ、影響を受けた機能が一時的にダウン。


痛みに怯んだ隙に、リンゴが体を翻し、左肘のエルボーをシィプの額に激突させる。無抵抗な右手首を掴まれているので、衝撃は倍近くになる。


先ほどシィプがやったように顔面の中心を打ちぬくことをしないのはリンゴの温情だろう。シィプは意識と重心を一瞬だけ刈り取られ、膝を付いてしまう。


「……同点。振り出しに戻ったよ、先輩」


息切れ甚だしくリンゴは言い放つ。シィプは辛うじて返した。


「痛い、ですね。単純な打撃なら問題ありませんでしたが、神経由来の痛みは本当にイヤです」

「肘を机の角でぶつける事故を、人為的に、悪意満載で再現したんだから当然だよね。収まるまで待つ?」


流石に、ダウンした相手に追撃するのは組手としてマナー違反もいいところだ。


律儀に返答を待つリンゴの顔を見て、シィプはおかしくなる。


先ほど自分の鼻を折った女のことを、心底心配しているのだ。その不安そうな顔は、滑稽以外のなにものでもない。


「そうですね。一分くらい時間をくださいな。流石にそれくらいしたら痺れはなくなるでしょう」

「ロスタイムあり?」

「なしです」


リンゴが掴んでいる手首を支えにして、シィプは立ち上がる。

膝についた汚れを左手で払い、呆れ混じりの笑顔をリンゴに向ける。


「いつまで掴んでるんですか」

「あ! ごめん!」


リンゴは慌てて手を離す。

どことなく気まずい空気が流れ、会話が途切れてしまった。

一分はすぐに経過する。手を振り、調子を整えると、シィプはまた拳を固めた。


「さてと。それじゃあ続きを……あら?」


シィプが何かに気付き、遠くに目を向ける。

そのままじっと、リンゴには見えない何かを見つめ、顔を真っ青にした。


前にもこういうことがあった。確か、シィプと初めて会ったときのことだ。


「屋敷の中に生体反応。お嬢様以外に、誰かいます!」

「えっ!?」

「これは、まさか……ああ、なんてこと」


シィプはあまりのことに舌が回っていない。

自分の家同然の屋敷の中に、不審者がいるのだ。その恐怖も当たり前のものだろう。


しかし、雇用主に危機が迫っている。その事実に自分を奮い立たせ、シィプに半ば怒鳴るように告げた。


「行こう! センジが危ない!」


これが、奈良家炎上事件としてテレビに報道される約五時間前の出来事だった。

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