第6話「六道輪廻を思いみれば」
あづさが去ったあと、カコと二人きりになったマークは、ポチの情報収集のため馴染みの酒場へ向かった。朝っぱらから酒場というと変だが、早朝から開いているワケではなく、昨夜からまだ営業しているのである。名物マスターの人気もさることながら、うまい朝食を食べさせてくれるということもあり、客が帰らないのである。
表通りを外れ、路地のような細い道を抜けるとその『ぷれんてぃ』がある。あまり目につかない古ぼけたテナントビルの一階。小さな看板らしくない看板を、一枚だけぶら下げている。
人けのない静かな通りから、立て付けの悪いドアを開けると、一気に圧を感じる喧噪に出くわす。いつも通りの騒がしさ。10席ほどのカウンターと、テーブル席が5席。朝っぱらから(というか、昨夜から)酒を飲んでいる客たちが、席から溢れて立ち飲み状態になっている。しかし、これもいつも通り。
マークはその情景にうんざりしながら、でもどこかホッとしながら、カコの手を引き、客たちをかきわけてカウンターへ向かった。
「あーら、マーちゃん。お久しぶりっ!」
ハデな化粧をして、香水のニオイをプンプンさせたマスターがカウンターの中からマークに投げキッスをよこす。マークはそれを右手で掴む素振りをみせ、その手をカコの頭になすりつけた。
「ね、ね」
と、カコがマークの袖を引っ張りながらマスターを指さした。
「あのヒト、オカマ?」
マークがそっとうなずく。
「オカマ、初めて!!」
思い切り嬉しそうな顔で、カコが叫んだ。と同時に『ぷれんてぃ』の中は一斉に静まり、客たちの視線はマークとカコに集中された。
確かにこの推定年齢40歳のマスターは見るからにオカマだが、彼には自覚症状がなく、オカマと言われるのをとてつもなく嫌っている。自分では(あたしのどこがオカマよっ!)と思っているのだ。
そして、このマスターに面と向かって「オカマ」と言って無傷で済んだ者はいない。ケンカなら負けたことのないマークでも、一目置いているほどだ。
マスターは”フッ”とニヒルな笑みを浮かべ、7:3にべったり分けた髪をなでつけた。
ヤバい。客たちがざわつき始めた。
マスターの戦闘態勢だ。
「ね、マーク。オカマ、オカマ!」
さらにカコが追い討ちをかける。
マークは恐怖のあまり、カコの口を押さえることもできず、直立不動で黙り込んでしまっている。
マスターは水玉模様の蝶ネクタイをキュッと締め直し、ゆっくりカウンターから出てきた。静まり返った店内に、マスターの靴音が響き渡る。そして、苦虫を噛み潰したような顔をしたマスターは、マークの目をじっと睨みつけたあと、カコの前にしゃがみこんだ。マークは身じろぎもせず、それを目で追う。
マークの名誉のために言っておくが、動かないのではなく、動けないのだ。
「こんにちは、オカマさん!」
カコはなにも知らずにヘラヘラ笑っている。
マスターは、カコの頬に両手で包み込むように触れた。
首でも折られるのかな…そして、次はおれの番か…。こんなことになるなら、稼いだ金をとっとと使っとけばよかった。首を折られたら、痛いだろーな…。
マークは目を閉じ、頭の中で十字を切った。
”ざわざわ…”
カコの首でも飛んだかな…。
マークは恐る恐る目を開け、マスターを見た。
「な…!?」
鬼の形相のはずのマスターは、何とも言えない優しい笑顔でカコを見つめていた。そして、”もうタマらん!”という具合に顔を左右にプルプル振りながら口を開いた。
「かわいい!!」
客が一斉にどよめいた。
「なによっ!!」
マスターは、どよめく客たちを怒鳴りつけた。その一喝で、店内は再び凍りつく。
「しばらく…マスター」
「よく来たわね」
と、マークにも愛想のいい笑顔を見せてカウンターの客をどかせ、二人分の席をつくると、カコを抱き上げてストゥールに座らせた。そして、そそくさとカウンターの中へ戻っていく。
「面白いオカマだね」
「まだ言うかっ!」
カウンターに入ったマスターは、変わらぬ笑顔でカコの頭を撫でた。
「お名前は?」
「カコ!!」
「そう。可愛い名前ね」
いいなぁ、子供は…。
マークは本気で思った。
「マーちゃん、いつの間にこんなコできたの?」
「おれのコじゃない!」
言ってしまってから、マークは慌てて口を押えた。しかし、
「ジョーダンよ」
とマスターはニッコリ。マークは胸をなでおろした。
「ご注文は?」
「今日はノンアルコールビールにしとくよ。カコはミルクでいいな」
「わたしもマークと同じ」
「ダメ!」
「ケチ!」
「先輩!」
署の前でタクシーを降りるなり、一人の若い刑事があづさに駆けよってきた。
津上祥介、27歳。一年前にあづさがいる部署に配属されて以来、ずっと彼女とコンビを組んでいるのだが、あづさは単独行動が多く、彼は『やれやれ、またか』という表情である。
「どこ行ってたんスか」
この一年間で、何度このセリフを言っているだろう・・・。祥介は言ってしまってから、つくづく思った。
「ちょっとね」
目も合わさずにいつもの返答。こちらは、なんとも思っていない。彼女にとっては、挨拶のようなものなのだ。
「先輩、車に乗ってください」
ここで、いつもなら祥介の『カンベンしてくださいよ』と続くのだが、今日はなにやら只ならぬ様子。あづさはそれを敏感に察知し、鋭い眼光で祥介を見た。
「また”ゴールド”の中毒患者と思われる男が事件を起こしました」
あづさは祥介の言葉を最後まで聞くまでもなく、駆けだした。
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