13:その手の雪がなくなる前に
擬似結婚式が済むと、そのままチャペルで簡易撮影会に移行した。
白タキシードとウエディングドレスのまま、写真を撮られる羽目になったわけだ。
係員によると、写真は参加者当人らに配布されるだけでなく、実名登録制SNSの企業公式アカウント上でも、後日記念にデジタルデータで公開されるらしい。
それだけでも充分困りものなのだが、希月は受け取った写真がエラく気に入った様子で、「これは帰ったら、みんなにも見せてあげなきゃ」と息巻いていた。
正気ならば、是が非でも阻止せねばならない。
……まあ、それはさておき。
その後は元の服に着替え、別室で
疲れた。とにかく疲れた。
正直、もうとっとと帰って休みたい。
個人的には、半ばそんな心情だった。
けれど希月には、この「休日デート」をまだ終わらせるつもりはないらしい。
「ねぇ、逢葉くん。私、まだ今日は帰りたくないよ」
第三者が聞けば、激しく誤解を招きかねない発言だ。
おまけに今の希月と来たら、何か謎の余韻を引き摺っているみたいな様子で、ぽーっとした雰囲気があった。
大丈夫かこいつ。
ひとまず現在時刻を確認してみる。
午後三時四十分過ぎ。
微妙な時間帯だ。
これからすぐ帰宅しても、夕飯までは中途半端に間が空くことになるだろう。
「……じゃあ、映画でも観て行くか」
俺は、少し考えて提案した。
今日は元々、無理やり連れ出され、騙まし討ち的なやり方で「婚活」に付き合わされた一日である。
それを思えば、ここで希月の申し出に乗ってやる義理はない。
日頃から妙な思惑に振り回されている教訓も
とはいえ折角休日を使って、市内で話題の遊興施設まで来たのだ。
渋々セミナーに参加させられただけで帰宅するのも、何となくもったいない気がした。
映画鑑賞程度なら、余計な体力を消耗することもないはず。
黙って約二時間、座席から上映される作品を眺めてさえいればいい。
これから一本観終わった頃には、おそらく夕食するにしても悪くない時刻だ。
自宅には電話で事前に連絡を入れて、タワー内でレストランを探そう。
噂では、いくつか評判の店があると聞いている。
「そっか。そう言えば、ここって
希月は、得心した面持ちで、賛意を示した。
「映画、映画鑑賞ね……うふっ。休日デートの大定番だけど、それだけに仮交際を目指すに当たり、ちゃんと二人でこなしておくべきステップのひとつだよね」
かくいう成り行きを経て、俺たちは中央エレベーターに乗り込んだ。
行き先は、タワー内十六~十七階の「シネマコネクトHOSHIZUMI」。
合計十八スクリーンにも及ぶ、市内最大の複合映画上映施設である。
フロアのエントランスホールで、上映作品を一通りチェックした。
この時間帯だと、あまり待たずに観られるものは、それほど多くないらしい。
あと三十分早ければ、娯楽SFアクション大作の開始時間に間に合っていたのだが……。
次の上映時刻を調べてみると、午後七時五十分となっている。
観終わってから帰宅した頃には、それじゃもう深夜に近い。
……一応、希月の好みも訊いておくか。
「希月は、どんな映画が好きなんだ?」
「うーん……。私は、『ピーターとドーナツ工房』とかが好きかなー?」
なるほど。子供から大人まで楽しめるファンタジックな洋画だな。
わりとベタなやつが好きなのだろうか。
その辺りも、多少考慮せねばなるまい。
壁面に掲げられた上映作品のパネルを、順に眺めていく。
コメディ、ホラー、サスペンス、ファミリーアニメ……
と、視線を左から右へ移動させていくうち、ふっと見覚えのある邦画が目に付いた。
――『その手の雪がなくなる前に』。
過去の記憶を手繰り寄せる。
たしか先々週、赤根屋書店で見掛けた題名だ。
原作は、某有名文芸賞も受賞した一般文芸小説で、(たぶん)感動の純愛ストーリー、だと思う。本屋であらすじを立ち読みした印象に限れば。
上映開始時刻までは、あと二十分弱。
チケット売り場の前も混んでいない。
「なあ、希月。これにしないか?」
俺は、パネルを指差して、反応を窺ってみた。
すると希月は一瞬、意外そうな表情を浮かべる。
だが、ほんの一、二秒後には、にやっと口元を緩め、上機嫌で首肯した。
「休日デートで、恋愛映画。私も悪くないと思うよ。――うふっ、凄く恋人っぽい」
双方合意に達したので、すぐさま券売カウンターに並んだ。
チケットを学割で二枚購入し、もぎりに半券渡してから上映シアターに入る。
指定座席は、中央やや後列寄りの位置。まあ悪くない。
シートに揃って腰掛けると、ほどなく辺りは暗くなって、上映がはじまった。
さて、簡単に映画の内容を説明しておこう。
劇場版『その手の雪がなくなる前に』は、原作のあらすじをほぼ忠実になぞった作品のようだった。もっとも、小説は本文まで読んだわけじゃないから、細部が完全に再現されているかは知らない。
ざっくりとした筋書きは、
「子供の頃にいじめられっこだったヒロインは、極度の人間不信のために高校生になった現在も独りぼっち。だが、心優しい男子同級生の献身的な愛情に触れ、少しずつ凍り付いた心が融けていく」……
と、要約すればそんなところだ。
《大昔の安っぽいドラマで、『君のためなら死ねる』だなんて言った男が居たらしい。今なら、その男の気持ちが僕にもわかるよ。――でも、きっと正しくは死ねるんじゃない》
物語のクライマックスシーンで、同級生の男子はヒロインを抱き締めながら囁いていた。
《僕は、君のために死にたくて……そんなふうに何もかもを、君に捧げたくて堪らないんだ》
○ ○ ○
映画を観たあとは、タワーを十九階へ移動した。
このフロアは、いわゆるレストラン街になっている。
今日は日曜日で、時刻も午後六時半頃だから、混雑はかなりのものだ。
それでも幸いにして、偶然見掛けたイタリア料理店へ入ってみると、二人用の席を確保することができた。
俺と希月は向かい合って座り、メニューを開く。
それによると、ここのシェフが作る品々は基本的にナポリ風のやつらしい。
少し迷ったが、共にパスタを一皿ずつとサラダ、生ハムの盛り合わせを注文した。
ちなみに料理名は、「プッタネスカ」「ボンゴレ」「カポナータ」「プロシュット・ミスト」……とか何とか書かれていたけど、ボンゴレ以外は見本の写真だけ見て決めたようなものだ。
それから、いましがた観て来たばかりの映画について、少しだけ感想を述べ合った。
「何だか、いかにもお涙頂戴って感じだったよね」
やけに複雑な表情で、希月はボンゴレのパスタをフォークに巻き付けながら言った。
どうやら映画の内容に関して、やや不満を感じているらしい。
俺は、咄嗟にちょっと反論したくなった。
「そうか? 俺は悪くなかったと思うが……」
というか、個人的には予想以上にいい作品だった。
どちらかと言えば、女性が好きそうなストーリーだったと思うけれど、恋愛映画の主な客層を考えれば当然だろう。
しかし、それを差し引いても感動させられた。
正直テーマ的には、ごくありふれたものを扱っているとも思う。
でも、それだけにかえって普遍性が感じられ、万人の心に響く要素もありそうな内容だった。
「希月は、気に食わなかったのか」
「気に食わないってほどじゃないよ。普通に面白かったし、よく出来た話だと思ったもん」
「じゃあ、どのへんに文句があるんだ」
「具体的に訊かれても困るけど。その、何となく、違和感があって……」
希月は、考え込むように、いったん口を閉ざした。
こちらも黙って、様子を窺いながら少し待つ。
すると、おもむろに言葉を継いで、先を続けた。
「登場人物の行動が、素直に信じられないというか。……例えばね、あの男の子は純粋な正義感で、いじめに合っていた女の子を助けたみたいに描かれていたでしょう? でも、脚本上はたしかにそうなっているとしても、実際にスクリーン上で演じている女優さんは超美人なわけだよね。そうすると観ていて、あれはやっぱり『可愛い女の子だから助けたんじゃないかな?』って思っちゃうんだよ。――少なくとも、あんなことが現実にあり得るとしたら、そっちの方が本当っぽい」
「……はあ?」
思わず、変な声が出てしまった。
だが、想像の斜め上を行く見解は尚続く。
「結局、最終的にあの二人は恋人同士になっちゃってるし。『あ、なーんだ。可愛い子だから、このヒロインは助かったんだな』って感じちゃって。自分の恋愛市場価値を、正しく利用して、あの男の子の恋人になったから、その見返りに幸せを手に入れたのかなあと」
希月は、時折うなずいてみせながら、自分で自分の考えに納得しているようだった。
「だから、そういう臭みを上手に消して、綺麗で泣けそうな映像作品にしてあるなあって。よく出来た面白い映画だと思ったけど、観ていてヘンな感じがしたっていうのは、つまりそういうことだよ」
俺は、目の前に座る自称「婚活女子高生」の顔を、まじまじと見詰めた。
なんつー穿った視点の感想だ。
包み隠さず打ち明けるなら――
俺が希月に対して、柄にもなく恋愛映画を一緒に観ないかと持ち掛けた背景には、ある淡い期待があった。
それは、この子にも世間で「純愛」と呼ばれているようなものについて、きっと人並み程度には憧れや関心があるはずだろう、という憶測だ。
さっき希月が模擬結婚式の中で、瞳を一瞬潤ませていたように見えたせいもある。
あのときの表情も、あるいは日頃決して見せない本心から出たものだったんじゃないかと、そう思った。
それで、以前に本屋で映画の原作小説を見た『その手の雪がなくなる前に』が、純愛系作品だったことを思い出して、そんな可能性をたしかめてみたいと考えたのだ。
……けれど、どうやら見込み違いだったらしい。
この子の恋愛観には、常に打算が分かち難く結び付いている。
損得勘定を伴わぬ行動など、この世にはあり得るはずもないと断じるように。
「おまえはなぜ、そんなふうにばかり物事を考えてしまうんだ」
ちょっと食事の手を止め、俺は問い掛けてみた。
「ひょっとしたら、映画や小説の中みたいな恋愛のかたちだって、あり得るかもしれないとは思わないのか? ……それこそ『その手の雪がなくなる前に』みたいに、互いの幸福を願い合って、相手のためには何かをせずに居られないような心境になったりだとか――……」
「もし、私と交際してみたいって男の子が、本気でそれだけの覚悟を見せてくれるのなら」
にわかに希月は、こちらの言葉を途中で制し、強い口調で持論を述べる。
「正真正銘そういうことであれば、私も考えてみてあげてもいいけど。――口先だけなら、何とでも言えるよね。『君が好きだ』とか、『愛してます』とか……。でも、それを実際どこまで信用していいのかは、わからないもん。時間が経てば、人の気持ちなんて、案外コロッと変わっちゃうかもしれないし」
「それは、たしかに交際し続けているうちに色々あって、気持ちがすれ違うような場合も考えられるかもしれないが……」
「――じゃあ、相手が心変わりして恋愛関係が破綻したとき、そこで女の子の側に生じる損失を、君はちゃんと考えてみたことがある?」
希月は、宝石みたいに大きな瞳で、きつく睨み付けてきた。
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