9:赤根屋書店へようこそ
継続は力なり。
と、国道沿いにある地元の学習塾は、そんな標語を好んで掲げている。
我がクラスメイトたる希月絢奈も、あるいは婚活に同様の信念を抱いているのかもしれない。
薄々しつこい性格なのは察していたけれど、根は案外真面目なような気もする。
そういう気質は、「粘り強さ」と換言し得なくもない。
少なくとも、屋上での告白から四日が経過した十一月六日(金曜日)――
希月は、相変わらず俺の自宅へ早朝から迎えに来て、一緒に登校し続けている。
もちろん、昼食の弁当もしっかり持参だ(尚、今日は希月のぶんも手作りだった。さすがに連日「奥様ランチ」というわけにはいかないようである)。
さらにこの日は、放課後まで付き纏われることになった。
普段は、恋愛相談所に寄ったり、アルバイトのシフトが入っていたり、カラオケ合コンをちょっとだけ覗いてみたり……
と、希月もなかなか忙しいみたいなのだが、本日に限れば特に予定がないらしい。
もっとも、だからって俺まで都合よく暇を持て余しているわけじゃない。
今日は
妹の雪子から、ある人気ミステリ小説を買って来て欲しいと頼まれている。
現在、テレビ放映されている推理ドラマの原作で、百万部のベストセラーだという。
本屋は、六花橋からバスで二区間移動した先にあって、通学定期が効く範囲だ。
妹が通う中学からは遠いけど、俺なら気軽に立ち寄れる――
というわけで、依頼に応じてやることにした。
まあ、ついでにチェックしておきたい漫画雑誌の連載もあるから、丁度いい。
かくいう事情を説明すると、希月は訳知り顔で首肯してみせた。
すでに同行する意思は、当然の如く決め込んでいる様子だった。
「それとなく勘付いてはいたけど、やはりなかなかのシスコンみたいだね逢葉くん」
「誰がシスコンだ。ちょっと兄妹で頼み事するぐらい普通だろ」
「うふっ、恥ずかしがることないのに。個人的に妹から好かれている男の子は、結婚対象として高評価なんだよ。どうしてか知りたい?」
「興味ないな」
おまえに好評でも嬉しくない。
なので断ったつもりだったのだが、希月はおかまいなしで説明し続けた。
「まず、年下の女の子に慣れているので、基本的に性格が優しい。それに、長年身近で生活していてもずっと仲がいいってことは、少なくとも妹さんの目から見て、傍に居るのが苦にならない異性だって証拠だもん。それって配偶者としては、重要な資質だと思わない?」
「知らねーよ」
「ああ、結婚したら雪子ちゃんが義理の妹になってくれるだなんて、憧れちゃうな~。うちに居るのは、お姉ちゃんだし」
そんな話を聞き流しつつ、バスを降りて一、二分歩く。
やがて、目的の本屋に到着した。
店名を「赤根屋書店」という。
この辺りの地域では、最大規模の大型複合書店だ。
かなり広い敷地の上に、地上二階建ての小奇麗な店舗が建てられている。
正面の自動ドアを潜って、店内に踏み込んだ。
入ってすぐにある新刊平台の横を抜けると、雑誌コーナーになっている。
そういえば、水曜発売の漫画週刊誌を読んでいない。まだ残っているだろうか。
漫画雑誌の棚へ歩み寄ると、にわかに希月が話し掛けてきた。
「私、この裏側の書棚を見てるから」
「おう、わかった」と、短く答えて見送る。
希月は、言葉通りに傍を離れ、通路一本挟んで棚の裏側へ回り込んだようだった。
ちょっと気になって、天井からぶら下げられている案内のプレートを眼差す。
希月が足を運んだ場所は、女性誌コーナーの一列らしい。
「料理/手芸/その他」と書かれている。
得意技能に磨きを掛けるため、情報収集に勤しむつもりなのだろうか。
いつもながら、婚活を成就させようとする意識だけは高いようだ。
俺は、漫画雑誌を手に取ると、お目当ての連載作品を探す。
パラパラ捲っていくと、今週は前から三番目に掲載されていた。
連載初期から追い掛けている青春サッカー漫画だ。
十九ページを、五分少々で読み終える。
次にラブコメ物とバトル物に一本ずつ目を通し、センターカラーの読み切りも眺めておく。
この雑誌で気になった漫画は、それぐらいだった。
他の雑誌も確認してみたけれど、これといって注意を引かれるものはない。
そこで目の前の棚は離れ、店舗の奥を目指すことにした。
今日、本屋を訪れた最大の目的は、雪子に頼まれた小説の購入だ。忘れてはいけない。
漫画雑誌売り場の裏手を横切る際、ちらっと希月の様子を眼差してみる。
まだ同じ棚の列を左右に動き回って、あれこれと雑誌を調べているようだ。
料理のレシピ本を元の位置に戻したかと思うと、代わりに別の一冊へ手を伸ばした。
淡いピンク色の背景に、純白の衣装を身に着けた女性の写真が表紙を飾っている。
一瞬、「特別付録は『幸福の婚姻届』!」という文字が見えた。
どう見ても、結婚情報誌ってやつじゃないですかねそれ。
やっぱ希月さん危険すぎるぜ……。
しばらく、そっとしておこう。
別行動できる自由を、自ら手放す理由もない。
一般文芸の書棚へ向かう途中、レジカウンターの前を通り掛かる。
そのすぐ横には、平台に特設コーナーが作られていた。
並木道の風景写真で装丁されたハードカバーの単行本が、大仰なポップと共に積まれている。
題名は、『その手の雪がなくなる前に』。
ラブストーリー作品で、昨年の某有名文芸賞も受賞しているみたいだ。知らなかった。
帯には、「ついに今秋映画化決定!」という文字が躍っている。
何気なく立ち止まって、手に取ってみた。
「純愛物か……」
カバー折り返し記載のあらすじに、ざっと目を通す。
なるほど、これは好きな人が多そうな話だ。
俺も純愛系作品は嫌いじゃない。
たとえ、それが本気で信用するに足りない、あからさまな
ひょっとしたら希月のやつも、少しはこういう小説を読めばいいのかもしれん。
そうすれば、多少は打算塗れの結婚観を見直す気になるんじゃなかろうか?
……いや、やっぱ無理かな。
まあ、こんなことして油を売ってばかりも居られん。
ハードカバーを平台へ戻して、文庫小説の売り場を見回した。
出版社毎に分別された書棚の脇を歩いて、目的の本を探す。
集欧社、堂談社、新洋、河波、文冬、四葉――
あった、
ドラマ化作品らしく、書棚手前の片側上段に置かれていた。
表紙が正面に見える状態で陳列されている。
こういうのを、たしか
早速、ひとつ確保しておこう。
さて、ふと同じ書棚の列を反対側へ眺めてみると、そこに見知った人物が居た。
藤凛学園の制服を着用に及んだ、小柄な女子生徒である。
気弱そうな瞳で、棚差しされた文庫本の背表紙を見詰めていた。
ふわふわした栗色のロングヘアは、紛れもなくクラスメイトの篠森砂世だ。
遥歌の親友でもあるし、軽く声を掛けておくか。
「よう、篠森。奇遇だな」
近付いていって挨拶すると、篠森はびくっと身体を震わせた。
小動物的な仕草で、こちらをゆっくり振り返る。
俺の姿を見ても、まだどこか怯えたような面持ちだった。
一拍置いて息を吐き出し、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。
「あ、逢葉くん……こんにちは。こんなところで会うなんて……」
「驚かせちまったか。悪いな」
謝罪すると、篠森は「ううん。そんなこと……」と、かぶりを振ってみせる。
この子らしい、気弱そうな仕草だった。
「篠森は、ここの書店をよく使うのか」
「ふ、普段は、そうでもないんだけど。いつもよく行く駅前の本屋さんには、たまたま欲しい本が置いてなかったから……」
「へえ。篠森の家って、星澄駅の近くなのか?」
「通学路の途中だけど、地元ではないよ……。じ、自宅があるのは、北区十七条で……」
「ふーん」
欲しい本のためとはいえ、それで今日は雛番方面に寄り道か。
篠森は、よっぽど本が好きなんだな。
文芸部員で、たしか図書委員にも自ら立候補していたはずだし、改めて確認するまでもないか。
「なあ、どんな本を買ったんだ?」
「……えっと。古いミステリ小説だけど……」
表紙を見せてもらう。
たしかに、有名推理作家の本だった。
戦後を代表する社会派ミステリだな。現代では、古典に属すると言ってもいいかもしれない。
「なかなか渋い趣味だな」
「そ、そうかな……」
篠森は、少しだけ戸惑ったような表情を覗かせた。
「逢葉くんは、ここへ何の用事で……?」
「俺は、妹から買い物を頼まれて来たんだよ。あいつ、この本が読みたいらしくてさ」
問い返されて、こちらも手に持っていた本を差し出す。
篠森は、表紙を見ると、「ああ……」と声を漏らしてうなずいた。
「これ、篠森は読んだことあるのか」
「う、うん。売れっ子作家さんのだから……。サスペンス風味なんだけど、恋愛小説の要素もあって、面白かったな……」
古い名作から売れ筋の流行作まで、なかなか守備範囲が広い。
「よくよく考えてみると、俺が篠森一人と校外で会うのは、わりと珍しいな」
「そ、そうかもしれないね」
「今日は、遥歌のやつはどうしたんだ?」
何気なく思い至って、素朴な疑問が思い浮かんだ。
クラス内だと、篠森は遥歌と一緒に居ることが多い。
もちろん、必ずしも同行しているわけじゃないのは当然なのだが、そういう印象が個人的に強かった。
まして、ここは雛番方面に位置する書店だ。
俺の通学路の途中にあるということは、遥歌にとっても同じである。
篠森に「放課後に寄りたい」と言われたら、平時ならば連れ立って来て居そうなものだと思った。
「は、遥歌ちゃんは今頃、委員会の仕事だから……」
「ああ、そういうことか」
思わず納得した。
遥歌は、学級委員長である。生徒会の招集が掛かって、そちらの用件で居残りなのだろう。
「あいつも大変だな」
「そうだね……。でも、遥歌ちゃんは、とっても偉いと思う。み、みんなが嫌がるような仕事を、進んで引き受けたりしてあげるし。どんな辛いことがあるときでも、いつも頑張り屋さんだから……」
「――そうだな」
遥歌は頑張り屋さん、か。
厳密に当て嵌まるかはさておき、篠森の指摘には一定の事実がある。
一年一組の学級委員長に立候補したのも、他のクラスメイトが面倒臭がって、わざわざ誰もやりたがらなかったからだ。
あいつは、進んでそういうことができる女の子なのだった。
困難な物事ほど、一生懸命に立ち向かう。
あの子が学業面で成績良好な背景にも、そうした気質が作用している点は疑いなかった。
そう、遥歌とは幼馴染だから、俺もよく知っている……
○ ○ ○
そのあと篠森とは、二言三言やり取りして、すぐ別れた。
雪子に頼まれた本をレジで購入し、希月のところまで引き返す。
あいつのことをいちいち気に留めなきゃならないのは、正直言うと不本意だ。
希月は、単に俺の周囲をうろちょろしているだけである。
用事を済ませた今、本来はこっちから合流してやる義理などない。
このまま置き去りにして帰宅したところで、恨まれる道理もないはずだ。
でも、だからって本当に置いて帰ったら、あとから何を言われるか。
そういうわけで仕方なく、売り場の通路を歩いていると――
にわかに、奇妙な人影が視界の片隅へ映り込んだ。
長身で、足の長い男子高校生だった。
俺と同じ、藤凛学園の制服を着ている。
その男子生徒が、雑誌売り場の
辺りを妙に気に掛けている。
ぱっと見て、万引きでも企てているのか、と訝しく思った。
だが、それにしてはあからさまに挙動不審すぎる。
いまどき小学生だって、悪さをするときにはもう少しバレないように自然体を装うだろう。
いったい、何者だろうか……。
俺は、つい立ち止まって、その場で様子を窺おうとした。
すると、ほどなく不審な男子生徒は、急に早足で歩き出した。
あっと声を上げる間もなく、書店の出入り口を潜って、立ち去ってしまう。
「――どうしたの、逢葉くん?」
男子生徒に気を取られていると、背後から俺の名前を呼ぶ声があった。
釣られて、そちらを振り返る。
希月が雑誌を手に持ったまま、歩み寄ってくるところだった。
「今、この辺りに
「そうなの? 逢葉くんの知り合い?」
「……いや。そういうわけじゃないんだが……」
ちょっと説明に詰まって、口篭もってしまう。
妙に注意を引かれる男子生徒だった。
とはいえ、それを「不審」だと感じたのは、あくまで個人的な主観に過ぎない。
怪しいやつだ、と決め付けるような言い方は正しくないと思う。
考え込みかけて、ぼんやり視線を彷徨わせる。
――そのとき。
何となく、希月が持っている雑誌に目が行った。
表紙は、腹部がふくよかな女性の写真。
誌名の脇には、ヒヨコとタマゴのロゴマーク。
……これは、ひょっとして。
「えっと、その――将来的には、こういう知識も必要になるかと思って」
俺の視線に気付いたのか、希月は不意に頬を赤らめ、身体をくねらせながら言った。
「実は私、子供は男の子と女の子が一人ずつ欲しいんだよね♪」
おいこんな人目のある場所でそういう話はやめろ。やめてください。
なんか向こうから、変な目でこっち見てるオバちゃんとか居るぞ!
あの、ごっ誤解なんです!
この子と俺とは、全然そういう関係でも何でもないのでッ!
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