第七章「決戦/フェイク・ユートピア」

第二十一話「決戦①」

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 ――これから語られるのは決戦の話。多くを語る必要はない。そこにあるのは鮮血の闘争と、魂の激突。どちらが勝るという話でもない。ただ断片を集め、決戦に赴いた者たちの戦いだけがそこにはある。血の流れる闘いと流れない戦い。そのいずれかではなく双方がそこにはある。それを俯瞰する者、される者。そこに存在するのはその二種類の人間のみ。我々にできることは、この戦いの行く末を見届けることだけなのだ。




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 空には欠けた月がある。満月の夜には、外からこの世界を覗き見る孔のようにも見える、そんな月。その喩えを用いるならば、外界から差し込む光こそが月光なのだろうか。――とにもかくにも、その月光は今、二崎病院の駐車場に佇む男女二人を照らしていた。


 男の名は神崎カイ、女の名は風宮アケミである。風宮アケミは病院側に立ち、神崎カイを迎え撃つ形となっている。


 ……交わす言葉もなく、二人はただ睨み合う。威嚇でもなく、憎しみでもなく、哀れみでもなく――――そもそも対面する相手に向けたモノではなく、各々が自身の内側に対して向けた思いを、顔に表出させている。


 ……つまるところ、それぞれが浮かべた表情は決意を意味していた。――二人は既に、激突を覚悟し、どちらかの勝利によってのみ戦いが終わることを理解していた。双方に揺るがぬ信念がある限り、それはどちらかが敗北することでしか終わらないのだと、二人は覚悟していたのだ。


 ――それを二崎病院屋上より見下ろす一人の少女。

 名は黒咲アイ。

 この偽りの楽園を夢見た、いわば創造者とも言える少女。その少女は今、事の成り行きをアンニュイな表情で俯瞰している。


 その目は、まるで全てを見通すかのような鋭さで駐車場での攻防を観測している。その目に宿る光は微かで、極寒の惑星を思わせる球体と形容せざるを得ない。それほどの冷徹な視線で、彼女は二人の戦いを眺めているのだ。


 戦況は圧倒的に風宮アケミが優勢。吸血鬼化によって強化された身体能力によって、神崎カイを防戦一方にさせている。神崎カイは瞬時に生成した武装をあらゆる方向から射出することでなんとか風宮アケミの接近を阻んでいるという状態だ。誰の目から見ても追いつめられているのは神崎カイの方だ。


「その程度なの? 神崎君――!」


 攻撃的な問いと同時に、風宮アケミは距離を一瞬で詰める。その速さはとても人間では目視できないほどのもので、当然神崎カイも対応できない。対応できないが故に、その高速移動を、風宮アケミの心を読み取ることで防御した。風宮アケミが攻撃意思を持った瞬間に、神崎カイは自身の目の前に精神攪乱マインドチャフ機能を付与した防御障壁をセットしたのだ。だが風宮アケミもまた神崎カイの心理を既に理解しており、『何か』の発動を目視で確認した上で一気に距離を取り回避しきった。


 この戦いはそれの繰り返し。互いが互いを理解しているがゆえに、決定打に欠ける――そういった状況の繰り返しなのだ。


 風宮アケミが攻撃を仕掛け、神崎カイがトラップでそれを受け流す。それは最早千日手にも似た状況である。――にもかかわらず、戦況は風宮アケミの絶対的優勢。……そう。持久戦すら成り立たない。体力面においても風宮アケミが圧倒的なアドバンテージを有している。その状態で持久戦を続けたところで、神崎カイに勝機などない。――その程度のこと、神崎カイとて当然理解している。理解しているが――それでも尚、この無謀とも言える持久戦を続けているのだ。


 風宮アケミによる実質一方的な戦いは続く。神崎カイは何度も追いつめられる。何度も何度も――時には背後の車両に。時には規則的に並んだポールに。時には病院の壁に。それでも――神崎カイは戦いを止めない。何故なら――すでに彼は活路を見出していたのだから。




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「え? 私の能力?」


 進堂キリカは、突然の問いに驚きの表情を見せた。だがそれも数秒だけのことで、質問の意味を理解するとすぐに能力について語り始めた。


「んー、そうねぇ……めっちゃシンプルに言えば、ワーウルフ騎士バージョン?」


 どんな時でも明るく振舞う彼女らしい答えであるが、さすがにざっくりとしすぎている。


「……え? もう少し具体的に? ……うーん、説明下手なんだけどなー私」


 などと言いながら、うんうん唸るキリカ。ちなみに三分ほど唸っていた。


「――――よし、ばっちこい」


 頬を手で叩いたあと、キリカは説明を始めた。


「私の能力は、自分の心の壁を鎧として身に纏う――というもの。発動条件は満月の夜。別に満月を見る必要はないよ。他には、オプションとして剣が付いてくるよ。それと……これは私のトラウマそのものって感じなんだけど、霧を自動的に発生させる能力もある。鎧とセットだね。そんで、倒した相手を霧の中に溶かしてしまうこともできる――」


 そう言った後、キリカは顔を伏せた。――この辺りで止めておこう。


「――ごめんね、これ以上は、もういいかな……?」


 そう尋ねてきたキリカの表情はやはり重苦しいものだったため、対話はここまでにすることにした。


「……うん、助かる。まあこれ以上教えられることもないんだけどさ――じゃあ、またどこかで」


 キリカは、どこかさびしそうな表情でそう言った。


「またどこかで会えるって、信じてるからね」


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「あん? 俺の能力? なんで今更聞くんだよ」


 高杉宗永に改めて尋ねた結果、そんなことを言われた。正論ではあるのだが、ここは我慢して付き合ってほしい。そういった旨を伝えた。


「……そこまで畏まられたんじゃ仕方ねえな。……俺の能力、それは、見えないものを視る――っつう単純明快なもんだ。単純ゆえに応用も利く。基本、俺達は霊体に干渉できねえんだけどよ、それは俺達が正しく霊体を認識出来てねえからだ。……俺の眼はそういった存在を正しく視ることができる。そんでもってその結果、霊体に干渉することができる。――とまあ、そんな感じだ」


 能力の説明がよほど面倒くさかったのか、ムネナガは一方的にまくしたてた。


「わりいな勢いでゴリ押しちまって。ただなんつーか、俺、こういう説明面倒くさいんだわ――なんつーか、その」


 突然語気が弱まるムネナガ。……何かトラウマに触れてしまったのだろうか。などと心配したのも束の間。


「ぶっちゃけ恥ずかしいんだよな。……ホラ、俺、自己紹介とか苦手じゃん?」


 それが杞憂だったとすぐに判明した。


「――まあ、でもよ。俺はよぉ……」


 ムネナガは、今度は頭をポリポリ掻きながら話を続けた。


「俺はよ、二崎の近くに住み続けるつもりだからよ。またそのうち寄れよ」


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「私の能力ですか? ふっふっふ、ついに私の炎化能力の詳細説明をするときが来たようですね――」

 

 絡みがうざいのでスルー。


「待って! 待ってください! ごめんなさいッス! 私が悪うございました! 悪うございましたから待ってください――――ってホントに帰っちゃったーーーーー?」


 調子に乗っている後輩をからかうのは楽しいものである。


「ううー、いいですよーだ。構ってくれないのならヘソ曲げてふて寝するだけです!」


 あちらはあちらで本当にふて寝を始めてしまった。……だからこそ、いいのだが。彼女、穂村原ほむらには、殺し殺されの世界にいて欲しくない――というのが俺の本心なのである。それが――その無敵に近い能力ゆえに、好奇心が恐怖心を振り切ってしまう少女に対して、俺が抱いた感情なのである。


 ――微かに。


「……また、『つきみね』に連れてってくださいね」


 そんな声が聞こえた。


/↑




2/


 袋小路とはこのことを言うのだろう――と、アケミは思った。……勿論、袋小路に陥っているのはアケミではなくカイの方である。無謀とも言える――いや、無謀そのものな防戦を行っていたカイは、当然の如く追い詰められていた。背後には二崎病院。内部に入り込もうとも、アケミの優位性にそう変化は無い。――どうあがいてもアケミの勝利は揺ぎ無いもの。アケミはそう確信していたし、事実そうに違いないはずだった。


 ――しかし。


「……ありがとう、風宮さん。これで、


 この状況に誘導する事こそが、カイの作戦だったのだ。


「――は。減らず口を。神崎君、状況、分かってる? 今更その病院に入ったところで地の利を得られるとでも思っているの? 壁を破壊する事ぐらい、今の私には造作もないことなのよ?」


 無意識であったが、アケミは未だにカイの戦意を削ごうとしていた。自分との圧倒的なまでの実力差を見せつけることで、カイに負けを認めさせようとしていたのだ。

 だがカイは不敵な笑みを浮かべたまま、院内に向って後退を始めていた。


「――神崎君。あなた、馬鹿じゃないでしょう? だから、自分の状況ぐらい分かっているでしょ!」

「ああ、分かっているさ」

「だったら――――」


 言い終わらないうちに、カイはある事実を告げた。


、俺は二〇一五年三月――この病院に入院していた」

「…………!」


「入院期間はそう長いものではなかったが、院内の構造は記録してある。……加えて俺は、この再現世界を具現化している張本人だ。今からここに攻撃性トラップを瞬時に設置する事もできるし――いや、そもそも既に設置してあるかもしれないわけだ」


 それはブラフかもしれない。――だが、この再現世界を具現化しているのが他ならぬカイであることもまた事実。それこそ、カイが今の今まで本気を出していなかった可能性さえある。そのことを理解したアケミは、次の一手を固定されてしまった。


 ――そう、次の一手で決める。

 次の一撃でカイを仕留める、というプランだ。


「理解したか? どの道君は、次の手で俺を仕留めなければ勝てない。この病院の前に俺を立たせた時点で君は――一気に勝負を決めなければならなくなったんだ」

「…………っ!」


 ――最早選択肢は無い話術で動きを縛られる。アケミは既に、カイの口車に乗せられていた。悪循環のスパイラルが、アケミの思考回路を乱していた。元々思い込みの激しい性格であるアケミは、この時、他のあらゆる選択肢をカイによって破壊されてしまっていたのだ。


 これこそがカイの張った対アケミの罠。アケミの速すぎる攻撃行動をただ一つに固定してしまうというもの。小細工の通用しない、いわば暴威とも言えるアケミを、小細工が通用するレベルまで落とすという巧妙な罠。それを、その罠の発動する瞬間のみを、カイは待っていたのだ。


「さあ、来るのか、来ないのか。どちらにせよ、俺の目的はほぼ達成したといっていい。完遂を止められるかどうか――それは、あとはもう君次第というわけだ」


 そう言っている間にも、カイは後退を続ける。その速度は徐々に上がっていく。そのつど、カイの勝利が明確なものになっていく気がして、アケミの焦燥は加速していく。


 ――もう、覚悟を決めるしかなかった。


「――――いいわよ。やってやるわよ」


 アケミは突貫を開始する――その時、彼女の体を真紅の外殻が覆い始めた。その正体は――まるで溶岩のような血液であった。彼女の血液が、鋭利かつ強固な外殻を形成したのだ。腕の先はまるで槍の様だ。腕中からいくつもの赤い棘が生えた様、そして赤と黒のコントラストはどことなく彼岸花を思わせる造詣である。カイはそのように思った。もっとも、彼岸花に黒い部分を見出したというよりは、夜闇に浮かぶ彼岸花を想起したといった方が正しいだろう。


「……これは、予想外だったな」

「はん、今更言っても遅いのよ――――!」

 

 ――そして戦闘形態となったアケミは、血鎧の鳴動おびただしい重低音と共にカイへと突貫する。


 空気が――いや、空間が軋みを上げる。凄まじい、重機の駆動音めいた鳴動音は徐々にピッチを上げていき――やがて轟音となってカイの眼前へと迫る。その破壊力はカイの予測を遥かに上回っていた。これほどのポテンシャルがアケミにあるなど、流石のカイでも図り切れていなかったのだ。

 ……だが、それでもカイはこの攻撃を受けきらねばならない。それだけが、現状を打破できる方法なのだ。速度だけで言えばアケミは、カイが知る中で最強の鮮凪アギトすら上回っている。それほどの暴威が既にカイの体へ向かって殺到して――――


「ご――――ぼ」


 ――いや、既に刺さっていた。カイの予測を遥かに超えた高速の一撃は腹部に直撃し、内臓はミキサーにかけられたかのようにぐちゃぐちゃにかき混ぜられている。槍と化していた腕を引き抜くと、カイは力なく地面に崩れ落ちた。その肉体に、もう神崎カイの魂は存在していないのだろう。徐々に赤みを失っていくカイの体と、それとは対照的に周囲に広がっていく血の赤がそれを嫌でも実感させる。……その様子を、感情のない顔でアケミは見下ろしていた。




「――嫌なもんね。こうする他に方法はなかったのかしら。…………ほんと、最悪」


 すでに慣れつつあった吐き気を堪えながら、アケミはカイの代わりに院内に入った。黒咲アイに報告するためである。


「――って言っても、どうせ見てたんだろうけど、一部始終」


 独り言をつぶやきながら、アケミは階段を昇る。エレベーターを使わなかったのは少しでも一人の時間が欲しかったから。今年の秋からずっと共に暮らしてきた友人……あるいはそれ以上の存在を手に掛けたこと。その重みと虚無感をその身に刻み付けるために。


 アケミは、そんな虚無感に浸りながら二階の廊下を歩き始める。――そんな彼女が二階に生じている異変に気が付くのに、そう時間はかからなかった。


「――ウソ。いくら冬だからって、寒すぎる…………!?」


 彼女が寒がりということではない。二崎病院の二階全体が異常な寒さとなっているのだ。真冬でも精々氷点下二、三度ほどまでしか気温が下がらない二崎市。それに対して院内二階の温度は氷点下十度を記録していた。


 凍える体に血液を戻し、アケミは現状を分析する。考えられる可能性は二つ。

 一つは別の能力者がカイに協力している可能性。だが、それならば黒咲アイが院内へ侵入することを許すはずがない。――故に、可能性はやはり一つに固定されてしまう。


 この時アケミは、今更ながら痛感する。……そもそもカイの存命を望むアイが、カイの死を許容するはずがなかったのだ。――アイは、この程度の状況でカイが死なないと確信しているのだ。――いや、それ以前の問題として、カイが死んでしまえばそもそもの前提条件が崩壊することとなる。


「――そうだ。アイツが死んでたらこの再現世界自体維持できなくなる。……再現世界が今も健在ってことは、つまり――――」


 直後、アケミの背後で燃焼が起こった。

 ――この燃焼を、アケミは知っている。

 周囲の熱を奪い、そして再生する魂の炎。その担い手は穂村原ほむら。かつて立体駐車場にて繰り広げた死闘。その際相対した少女。


 ――だが、今宵だけは違った。


「能力を応用して借りてきた。――さて、第二ラウンドだ、風宮さん」


 此度の担い手は神崎カイ。再現世界の構築者。全ての発端。人の心に干渉することのできる魔人。

 アケミとて、カイがあの程度で死ぬとはとても思えなかった。故にある種の安堵さえ感じて、風宮アケミは神崎カイに再度接近する。


「誰が! 乗るかぁぁあああああああああああああああああああああああああああ!!」


 接近し――接近し、そして――――


 ――漆黒のナイフを、神崎カイに突き立てた。


「――――な、に」


 如何に炎化していようとも関係なく、精神そのものに突き刺さる漆黒の記録ナイフ。それは本来神崎カイにのみ許された能力。――だが、それを今使用したのは風宮アケミであった。


「何故――君、が」


 当然の問いを、カイはアケミにする。


「あら、知らなかったのね神崎君。私の、本来の能力」

「…………!」


 それはカイとて分かっていたことではあった。彼女の能力が、吸血鬼本来の能力とは些か毛色が違っているということ――それは、分かっていた。


「吸血鬼としての私しか視ていなかったみたいね。――せめてもの遠慮ってところかしら? だとしたらもう今更気にしなくたっていいわよ。私をその眼で凝視してみなさい。ナイフの影響せいでボロボロの心でも視やすいよう主張しておいてあげるわ」


 アケミの口車に乗せられることをカイは快く思わなかったが、それでも現状を何としてでも打開するためか、血走った眼でアケミを凝視する。……その答えは、すぐに判明した。



/「私の能力は『吸血』じゃない。私の本来の能力は…………『風の加護特殊防御抱擁能力吸収』よ」/


/「すべてを受け止める風の加護と、すべてを包み込む風の抱擁。それが私の能力であり、吸血能力をその抱擁によって包み込んでしまった末の姿が今の私よ」/



 風の加護と抱擁……それが、それこそが風宮アケミの能力――その、真の姿だったのだ。


「さ。もう十分ね。神崎君。今まで放ち続けてきた記録攻撃を受けた感想はどう? 初めて受けるだろうし、耐えられないんじゃない?」


 アケミの声は自信と勝利の確信に満ちたものになっていた。それに対しカイは微かなうめき声を上げただけである。そして耐えきれずにカイは再び崩れ落ちる。


「あぁ――確かにこれは…………最悪だ」


 それだけ言って、カイは姿勢すら維持できず完全に倒れ伏した。


「――ふん、しばらくそこで寝てなさい」


 殺さずに済んだ安堵感をアケミは――死闘の直後であっても尚抱くことができた。自分にもまだ人としての心があるという実感が、彼女の凍てついた心を溶かしていく。


 そして黒咲アイを呼びに行くため、アケミは再び階段に向かって歩き出した。

 ――かくして。




 勝負は、神崎カイの勝利に終わった。




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