第二十話「ポイント・ゼロ② Phantom Pain Phenomenon」
4 「ある果ての話」
「――――――」
……その沈黙はカイによるもの。ただただ黙りこくるその様は、まるで糸の切れた人形の様でどこか物悲しい。
「――神崎くん」
アイの声もどこか弱々しい――震えている。
そんなアイの声を聞いて、カイはようやく我に返る。沈黙は数分続いていたのだ。
「…………黒咲……すまない」
どこか虚ろな目つきでカイはそう答えた。
彼らが立っている場所はやはり荒野。だが、この道の先には海がある。あるのだ。あるというのに――――
「……俺たちは――海に行けない」
道は閉ざされていた。二崎エリアと呼ばれるこの荒野は、巨大な結界によって隔離されていたのだ。
出ることも入ることもできない。それは特別に許可された者だけの特権なのだ。それは神崎ツヨシでありホーネットであり――アギトである。そういった一部の限られた人間のみが、この荒野を管理すべく出入りしているのが現実であった。
その事実を、カイは知らなかった。当然アイも。彼らは幼少期より施設によって管理されて生きてきたため、大まかな世界情勢こそ知っているものの、細やかな事柄は身近なことすら知らされていなかったのだ。
「――は、なんだこれは……なんだこれは、はは――ハハハ」
乾いた笑いと共に、カイは膝をつく。それは絶望故か、虚無感故か、あるいは――――怒りか。
いずれにせよ、いつの間にかカイは地面を拳で殴りつけていた。ただただ無力。それをカイは痛感していた。それは絶望であり虚無であり憤怒である。その抑えきれない感情を、ただただこの隔絶された錆の大地にぶつけていた。
痛み。カイは、痛みを感じていた。それは何も大地を殴りつけたからではない。それとは違う何か。突如己が肉体――あるいは精神から抜け落ちた何か。その何かによる謎の痛み。もうない筈なのに――その喪失が神崎カイに痛みをもたらす。その痛みが――そして痛みの正体がカイの精神をすり減らしていく。それはもはや恐怖である。恐怖が、突然の恐怖がカイを襲う。それは、そこまで保たれてきたカイの強靭な精神にすらヒビを入れていく。
「神崎くん……待って、待ってよ……ふさぎ込まないで……あなたがふさぎ込んでしまったら、私、今度こそ一人になっちゃう――だから」
アイの声すらほとんど聞こえない。黒咲アイを海に連れていく――外の世界に連れていくというカイの願い。その喪失は凄まじいダメージをカイに与えていたのだ。
「ああ――どおりで神崎ツヨシが余裕なわけだ。……井の中の蛙だったんだ、俺は――」
心にヒビの入った少年は、少しずつ己が内側へと埋没していく。それは黒咲アイにとってはなじみ深い光景であった。他ならぬ、自分自身がそうであったのだから。こうして神崎カイに連れ出されるまで、彼女は毎日、己が空想に埋没していた。……いや、空想というのは誤りだ。彼女が夢見ていたもの、それは――確かに存在する現実なのだから。
そう。彼女――黒咲アイは、並行世界を観測できるのだ。
だからこそ、己が内側に埋没することの多かったアイは、何度も何度もカイに外の世界の話を聞かされた。……それは、今まで観測してきたどこかの世界で観たことはあったが、それでも、その時だけは、特別な能力について考えなくてよかったのだ。その時だけは、一人の――年相応の少女としていられたのだ。
それは神崎カイも同じこと。彼もまた、そうやって彼女に外の世界の話をしている時だけ、兵士ではない少年として存在できたのだ。
互いに、互いの心の内を知らない。そういったものを読み取れるカイですら、アイの心だけは決して見ないと誓っているのだ。だから、能力を使わなければ人の心を解することが苦手なカイは、アイの気持ちに気付くことができない。そして、人の心を読み取れるがゆえに用心深くなってしまったカイは、アイにすら想いをさらけ出すことができなくなってしまっていた。
――けれど、今のカイを見ていると、アイは無性に胸が苦しくなった。カイもまた、アイを守れないのではないか……そう思ってしまえばしまうほど、その喪失感という名の痛みは増していく。
そして、己の内側へと埋没していくカイを見ている内に、アイは一つの考えに思い至った。
「――ねえ、神崎君。私にいい考えがあるの」
「――――え」
カイは、虚ろな目をしたままアイの方を向く。その目に光を取り戻すべく、アイはその考えを口から紡ぎ出そうとした――――――その時だった。
「――――その痛み。それが虚しさだ。それがお前の心に生じた
破壊の顎が、その姿を現した。
「――お前は」
「全く、ホーネットを怨嗟の闇より引きずり出すのには骨が折れたぞ」
「お前は誰だ」
「――神崎カイ。お前もまた幻肢痛を背負った。その痛みは、これから生涯背負うものになるかもしれない」
「お前は誰だと聞いている――――!」
地面より何発も撃ち出される漆黒の刃。それら全てが目の前に立つ黒ジャケットの巨漢に迫る――――それを。
「――俺は鮮凪アギト」
――
「――――!」
何発も放たれた死の刃、それを。――男は。鮮凪アギトは。
「貴様を壊す者だ」
拳一つで
――有り得ない。それだけは有り得ないはずだった。
今、カイが撃ち出した刃は、先ほどの戦場跡に残留していた怨恨の凝縮体なのだ。カイですら、対話をした上で承認を得てようやく武器化できたほどの刃だったのだ。
――それが、その一つ一つが、ただの一撃で砕け散った。霧散していく黒靄を、カイはただ茫然と見送ることしかできない。
「――ああ、確かに強力な攻撃だ。並の人間ならば、それこそホーネット――いや、残留思念の扱いに長けているお前ですら無事では済まないのだろう」
それを、当事者とは思えないほど冷静にアギトは分析し、そして――
「――だが弱い。人としての領域を超越した俺にとって、人の器から離れただけの思念体はそよ風も同然。魂本来の姿ならばともかく、残留思念で俺を崩せると思うな」
その、圧倒的な実力差を言い放った。
「――――――」
再び沈黙するカイ。それは絶望故か。それとも活路を開くための沈黙か。
立ち尽くすカイにアギトは語りかける。
「道理を理解できないわけではあるまい。お前は確かに凄まじい力を持っている。だがしかし、人の器を超越した俺以下の存在である限り――お前に俺を倒すすべはない」
それは自信の表れか。それとも既にそのような在り方なのか。己が特殊能力を高め続け、極限を越えた結果――人としての器すら超越したアギトは何の躊躇もなく言い放った。
「神崎カイ。もう分かっているはずだ。理解しているはずだ」
今もなお撃ち出される漆黒の刃をその拳で破壊し、アギトは言葉を続ける。
「これがお前の果てだ。お前の終着点だ。痛みを背負う者よ、それでこそ完全なる人間だ。苦しみを背負いながらも足掻き、歩みを止めない。人という器の中にある以上、逃れられぬ性であると俺は考え、そしてそこに価値を見出す。そして――」
天と地から放たれ続ける漆黒の刃を砕きながら――顔を怒りとも悲しみともつかぬ形相に変えながら。
「その在り方諸共破壊しつくす――――それが俺の唯一つの欲求だ…………!」
どこか遠くを睨みつけながら、語気を強めて言い放った。
その言葉を聞き、カイはようやく口を開けた。
「……それが、お前の痛みか」
「これは違う。だが、幻肢痛が発端であることは否定しない」
「そうか、やはりお前にも痛みが――」
「それで俺の心を揺らがせることができると思っているのか」
「――期待はしちゃいないさ」
この相手に『鎖』は期待できない――カイはそう分析し、なんとか綻びを作り出すよう努める。
「鮮凪アギトと言ったな……もしかしてあんた、『影衛の夜』の生き残りか?」
「――そうだ」
「それも――参加者だな?」
「――その通りだ」
二つの問いに肯定を返すアギト。その目には敵対心が宿り始めている。
「確かあの儀式――世界中の残留思念を集合させて一つの思念体とし、それを使い魔として戦わせる……といったものだったか」
「――その通りだ」
「人によるものではなく、『星』そのものが引き起こしているとも聞いているが、あんたはどちら側だ?」
アギトの顔が曇り始める。綻びとまではいかないが、それでも、活路を開くとっかかりになっているという確信がカイにはあった。
「どちら側――とは、どういう意味だ」
「なに……アンタが人間なのか使い魔なのか――って話さ」
その言葉を聞いた直後、アギトは体を硬直させた。――カイには見えていたのだ。この男の傷跡が。この男が『影衛の夜』で心に深い穴をあけたことを、カイはこの問答の内に観測したのだ。
「――貴様、見えていて言っているのか」
「さあ、そこまでは言えないな」
「俺にその話をするということがどういうことなのか――心を視ることのできるお前にはわかるはずだ」
アギトが、走り始めた――向かう先は、カイ。
「ああ、わかるさ――アンタがそこで、使い魔を失ったこと。そして、その使い魔を愛――」
「それ以上、
――――話すな」
まるで隕石のように、アギトはカイに迫りくる。それを待っていたかのように、カイは周囲の空間を凝視し始める。
「手段なんか知らない。俺は今までずっとこうしてきた。アイを守るためなら、何だってできる……!」
言い切ると同時に、アギトを周囲すべてから漆黒の弾幕が殺到する――!
「質で駄目なら量ということか! 甘い、甘いぞ――そんな小粒で俺を滅ぼせるとでも思ったのか……!」
叫びと共に、アギトの両拳は弾幕を打ち砕く――だが、その全てを破壊することはできず、いくつかの粒子はアギトに突き刺さる。
痛みはなく、ただただ打ち払うのみ――――アギトは、そうやって徐々に前に進み始める。
やがてアギトは、殴ることすら止めて――カイに向かって突き進み始めた。
「互いに譲れぬ意地と信念があるというのなら、神崎カイ、お前はここで滅びろ……!」
その拳を紙一重で回避し、カイもまた叫ぶ。
「勝手にここを――俺たちの果てだと言ったお前に、かける情けなどない……!」
互いに譲れぬ思いを抱いて、二人の男は激突する。
「これで、決着だ…………!」
今度こそ――と。アギトは真下のカイに狙いを定める。
「それは、こっちのセリフだ…………!」
そこにカイは、すかさず攻撃意思を向けた。
直後、アギトの体から衝撃が走った。気付いた時にはもう遅い。アギトの体からは、何本もの『鎖』が出現していた。
「――神崎カイ、貴様、先刻の弾幕か……!」
その間にも、鎖はアギトを縛り上げ――その心を抉り続ける。
「ご名答。量でもいいんだよ。アンタに対して相性がいいのなら、足りない質は補える」
「く――ぬ、ぅおおおおぉぉぉおおおお…………ッッ!!!!!!」
魂からの慟哭を上げながらそれでも尚、アギトは鎖を引きちぎらんと体を震わせる。
「その前に倒す――!」
すかさずカイは剣を作り出し、鋭い突きを繰り出す。
だが、それより速くアギトは動いた。
「そうは――させん!!」
「何――――!?」
アギトの体――その中心より、カイでなくとも見えるほどの思念が、龍の姿を形取り顕現した。それは巨大な、破壊にして破界の顎であった。
「――――――――――――『
それは、それまでアギトの両腕に潜んでいた破壊者にして破界者。全てを飲み込み砕き抉り完膚無きにまで粉砕し破砕しこの世界から――いやこの世界ごと喰らい尽す究極の顎。アギトが手にした究極の一撃。拳による攻撃などはその一割にも満たない。
――それが今、世界にではなくカイに牙をむいた。
「神崎くん………………!!!!!!」
叫び声。それがアイによるものだと気付いた時、究極の顎は既に、カイの眼前にまで迫っていた。カイにその顎を受け止める力などない。いや、カイどころか、この世の誰にも不可能である。カイは最早、その終焉に向かって突撃するしかない。そんな絶望的な光景が、アイの眼前に迫っていた。
それを認められないアイは、ただ目を閉じた。それは最早現実逃避に近いものだった。ただただアイは、カイと自分が笑って過ごせる世界を夢見た。能力に対しても理解者のいる世界を、彼女は夢見た。自分たちにこわいことをする大人たちのいない世界を――彼女は夢見た。自分たちと同じ、能力を持ったがゆえに精神的孤独に陥った人々と、自分たちへ理解を示すことのできる、非能力者を含めた味方だけがいる世界を、カイと二人で楽しく過ごす――――それだけを、彼女は夢見た。
その時。
「アイ、それはもう――夢なんかじゃない。観るだけのものじゃない」
アイが考え、そして先刻提案しようとしていたこと――それと全く同じことを、カイは実行した。
5/「ある選択の話」
「――これが事の顛末。この、偽りの楽園が生まれたワケ。……どう、風宮さん? あなたはどちらにつくの?」
黒咲アイは、ほほ笑みながら私にそう言った。彼女が心の中で観測した無数の並行世界、それを死の間際にいた神崎カイが自身の能力で複数混ぜ合わせた上で具現化したのだ。
その結果、神崎カイはこの結界にいる間延命ができるようになり、黒咲アイは理想の世界を手に入れることができた。その上で、時を止めたこの結界を維持するのか、元の世界に戻るのか、その選択を――『
――確認されるまでもなく、既に答えは出ていたのだけれど。
「私は――この世界を残したい。私はね、神崎君。今の自分を認めたいの。不本意とはいえ吸血鬼になってしまった自分を。血の衝動に耐えながら、贖罪の術を探したいの。それは、この世界でしかできないことだから。だから私は、この世界を――――」
「だからなんだ」
「――――え」
そんな私の思いを、カイは一言でねじ伏せた。
「俺の前に立つ以上、風宮さん、君もまた障害だ。だから――邪魔するのなら倒すだけだ」
「――――どうして」
どうしてこいつは、いつも一人でなんでも抱え込もうとするのか。全てのことを。たった一人で。どうして――どうして
「どうして頼ってくれないの……? 私じゃ力不足なワケ?」
黒咲アイの前だったがそんなのは関係ない。私は、神崎カイへの疑問を口に出した。思わず語気が強くなってしまった。それほど、私はこのことを重く思っていたのだ。大切なものだと思っていたのだ。
――だというのに。この男は。
「これは俺の問題だ。邪魔をしないでほしい」
尚も一人で背負いこもうとした。
「なら、いい」
そう言った直後、既に私はカイの頬を叩いていた。
飛び散る鮮血。それをとても愛おしく感じる自分がたまらなく嫌だ。
「――黒咲さん、案内してちょうだい」
「ええ、いいですよ――フフ」
止まってしまった世界の時計。それを自身の犠牲と引き換えに再び進ませようとする神崎カイと、このまま停止を望む黒咲アイ。
今宵、その二つの思いに決着がつく――――。
そんな中、私はただ、反抗だけを胸に抱いていた――――。
第六章「PPP」、了。第七章に続く。↓
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