第十二話「フェイク・ユートピア」


 ――結論から言うと、研究員は何も知らされていなかった。俺に対してどういった指示を下せばいいのか、目の前の機器をどのように操作すればいいのか……そういった上っ面だけの情報しか持ち合わせていなかったのだ。……これでは、何もわからない。


「――いや、一つだけあるか」


 自室のベッドから起き上がり呟く。

 ――そうだ。一つだけ確実なことがあるのだった。

 それはこの実験が、|俺にすら感知されないように巧妙に隠蔽されたものである《俺にだけは決して気付かれてはいけない内容》ということだ。


 ……それさえ分かれば十分だ。これは――俺に詳細を知られてはいけない実験なのだ。そしておそらく、俺と彼女が会ってはいけないのだ。

 ……そうなると、ここ数日、彼女に会えないのにも何か理由があるのだろう。きっと、彼女が俺に会えないのではなく――この組織自体が彼女と俺との交流を阻止しているに違いない。……となると、俺にできることは大方定まってくる。


「これじゃどの道、自由なんてない」


 この時、俺を止める鎖はもう『彼女』の他には一つもなかった。この組織に拉致されてからずっと一緒に過ごしてきた少女。ここに来た時には既に血塗れだった俺を「一人じゃない」と支え続けてくれた少女。俺の心の、ただ一つの拠り所。自分だって孤独だったくせに、俺のそばに居続けてくれた彼女――――。


 結局、俺は彼女に依存しきっていた。彼女のおかげで俺は今も俺のままでいられている。彼女がいなければ、俺は既に唯のキリングマシーンであったのだろう。人の心をただ俯瞰するだけの機械になっていたのだろう。それはきっと、恐怖はなくとも感慨もない、虚無でしかないのだろう。そこに可能性などはない。――ああ、それも当然だ。その変貌は、在ったはずの可能性を閉じる行為に等しいのだから。


 だから、俺は彼女を尊く思うのだ。俺を人間のままでいさせてくれている彼女を。この気持ちがなんであるか、分かりそうで分からない。――俺は、彼女に何を感じているのだろう。




 今日こそは、と。俺は彼女の部屋の前にやって来た。……いや、もう既に答えと行動は決まっていたのかもしれない。実際、俺の行動に迷いなどなかったのだから。

 いつも通りインターホンを押す。――俺がこの部屋にやって来るのも。きっと、これで最後だ。


「……おはよう、いるか?」

 いつもよりも穏やかに。彼女の存在を強く想いながら語り掛ける。――やはり、返事はない。……もう、やるこれしかない。


「すまない。――視るぞ」

 部屋の入り口を凝視する。――ここ数日の記録を、記憶を、発せられた言葉を――その何もかもを。


「――――――ああ」


 ああ、やっぱりか。

 踵を返す。――そして、研究棟へと歩みを進める。


 彼女は、実験が始まってから一度も部屋に戻っていなかった。




 通路は、血濡れの戦場へと姿を変えた。俺の能力で物質化された記録によって、研究棟への入り口は封鎖されている。通路のあちこちで、うめき声が聞こえる――――まあ、知ったこっちゃないが。


「ひ――知っている話も記憶もさっきので全部だ! それ以上は――――」


 言い切るより早く、足元の研究員の生命活動を停止させる。

銃を引き抜こうとしたのも視えている――動きの速さは関係ない。思考の始点は、それより速いのだ。

 手には黒剣。周囲には壁という壁この場のすべてを逃がさないから生えた大量のワイヤーと浮遊したナイフという、俺の心が具現化する。その全てを以って、俺は実験室へと向かう。


「止まれ! それ以上動くな!」


 銃を構えた戦闘員が集まってくる。その数十人。――残念ながら、それは大人数とは言えない。質で勝る俺に、その程度の量で挑むこと自体馬鹿らしいというのだ。


「構わん、撃て――――ッ!」


 放たれる銃弾の雨。それは明確に、確実に、鮮明に、俺の命を貫かんと突き進んでくる。それを、黒きナイフが迎撃する。それは周囲の記録を凝縮したモノ。本来は生命体の魂に干渉する武装だが、今回は違う。これはその数十倍の記録を凝縮し、物質化したもの。その硬さは弾丸すら打ち砕く。

 俺の元へ殺到した弾丸は、その悉くが塵と帰す。呆然とする戦闘員の前に近づき、まず一人、ナイフで撃ち抜く。


「なんだ、なんだコイツの力は!? いったい今までどうやって封じていたんだッ!?」


 戦闘員の一人が叫ぶ。――次にそいつを鎖で捩じ切り、死角から放たれた銃弾をナイフで落とす。――そしてそのまま振り返り、その流れで切り捨てる。これで三人。あと七人。


「今の断末魔で、また武器が増えた。助かるよ」

「うおぉぉおぉぉぉぉおぉぉおッ!」


 突撃銃を撃ちながら、三人の戦闘員が迫る。その弾幕は、ナイフだけでは捌ききれない――が、それが何だ。ここを進ませてくれない存在は、根こそぎ潰す。そう決めたのだ。彼女の元へと向かわせないというのなら、死んでもらう。それだけだ。


〝あの被検体なら、数日間、ずっと昏睡状態に陥ってもらっているよ。実験のためだ。……ああ安心してくれ。死にはしないから〟


 俺のではなく、彼女の実験担当者がそう語った。


 甘かった。死にはしない。それは事実だが、それは容認できるものではない。彼女は、能力発動状態を維持するために、機器によって昏睡状態を維持されているのだ。――その方が、精神安定度が増すのだそうだ。――ふざけるな。


 彼女は、その能力による利益のみを買われたのだ。彼女自身のことなど、ここの奴らは歯牙にもかけていないのだ。――ふざけるな。


「な、なに――――?」


 地面から障壁を発生させる。これも記録の物質化であり、この通路に来た時点で仕込んであったものだ。その障壁は、あらゆるものを阻む。だが、


「が――――」


 。この場における支配者は俺だ。誰も俺を止めることなどできない。

 障壁はその場を離れることはできないため、いつまでも俺を守ってくれるわけではないが、それでも十分だ。このエリアは、たった今制圧したのだから。


「許さない、許さない、許さない――」

 彼女を傷つける奴らを。存在を。人間を――俺は赦さない。



 それはどこでだって同じだ。次の区画でも、蹂躙を繰り返す。抵抗する者の中には能力者もいた。それは既に、組織への忠誠を誓っている奴らだ。そんなものには、興味などない。――だが、どうしてだ。どうして、俺の邪魔をするんだ。止めてくれ。俺は、俺は、俺は彼女の元へ向かいたいだけなんだ。止めろ、邪魔をするのを。止めろ、俺を阻むのを。やめろ、やめろ、やめろ――――


「向かって、どうするつもりだ」

「――――」


 実験室から屈強な男が一人、歩いてくる。機械仕掛けのゴーグルを身に着けた大男――ベラルだ。


「こんなことをして、無事で済むと思っているのか? お前も、彼女も」

「さあ、知りませんね。けど、このままだと彼女は目を覚ませない。それなら――こんなところ、ぶっ潰した方がいいんだ」

「衝動で動くな。いつも言っているだろう。それを今やれば、お前は滅ぶ――分からんのか」


 それが心からの言葉であるのはよく理解できた。だが、それがどうした。


「関係ない。邪魔をするのなら叩き落す。それだけ――それだけですよ」


 それだけが俺の――存在意義なのだから。

 だから俺は、不意打ちともとれる一撃をベラルにぶつける。ナイフの連射だ。


「そうか――それがお前の答えだというのなら、俺も応えよう」


 ベラルが、返答と同時にゴーグルを外す。その声色は、俺の選択への理解と、自身のとった選択――その結果の提示という二つの意味が重なっているようにも見えた。


「俺は自身の能力を恐れた。故に、大きな力への従属を望んだ。――だがチェイン、お前は逆に、支配への叛逆を望んだ。自分の信じる正義を貫くために」


 ――瞬間、部屋全体に大きな負荷がかかる。……いや、そうではなく。俺に対して凄まじい重力がかかる。精神にさえ干渉する、ベラルの重力攻撃。ゆえに俺の能力で生成したナイフでさえその悉くが地に落ち、俺の体も地面に縛り付けられる。


「いいかチェイン。その道を行くのなら、自身の能力としっかり向き合え。向き合って答えを見つけ出せ。この状況を脱するための解法を。そしてこの先自分が歩む道筋を…………! でなければここで潰えろ!」


 これこそがベラル・K・ベラルの超能力。視界に収めた対象に、強大な重力負荷をかける――その恐ろしさは凄惨の一言。この重力を越えることなど人間にできるものではない。正直なところ、ここまで接近を許してしまった時点で俺の勝機は限りなく小さなものとなってしまった。


 では、どうすればいいか。それはベラルの言う通り、己が能力と向き合う他ない。


「――――、俺は――」

「そうだ考えろ! 己の無力さを痛感しろ! その上で何をなすべきなのか見出してみろ!」


 ベラルから放たれる銃弾を、かろうじて一枚設置できた障壁で凌ぐ。その間も重力は、俺を圧殺せんとその威力を上げ続けていく。――このままではジリ貧だ。この状況が続けば俺は死ぬ。


「諦めるのか。それとも進むのか。お前の岐路は、たった今だ」

 ベラルは俺に対して哀れみともとれる視線を向ける。


「俺は、俺は――――」

 何か突破口を。突破口を見つけなければ。突破口を。俺がこの重力という鎖を引きちぎるための――――突破口、を。


「俺は――機械じゃない」

 彼女が俺を、人のままでいさせてくれた。――だから、助けに行かないと。――だから、もう少しだけ待っていてくれ――――――――


「黒咲ィ――――――――…………ッッ!!!!!!」


 その叫びに、俺は強さを求めた。今俺を地面に縛り付けている、この重力という名の鎖を引きちぎるための力を――――!


 そして、気づいた。


 ――――ああ、そうか。鎖、鎖だ。俺はあらゆる物事において『鎖』を喩えに用いてきた。それは今俺を縛り付けるこの重力であり、そして俺を人の姿に保ち続ける彼女への想いである。――それは、広義では人に現状を維持させているとも言える。……ならば。それはベラルにも言えることなのではないか。


「時間切れだ。残念だが死ぬがいい、チェイン」

 大きく目を見開くベラル。これはとどめを刺す際のサインだ。これを受けたが最後、苦しむ間もなく体は潰される。後悔も、悲哀も、憐憫も慟哭もなく。俺の体は無残にも崩壊するのだろう。――だから、その前に。


 俺はベラルを凝視する。その心中を凝視する。彼の過去にあったあらゆる出来事、あらゆる後悔を理解し、保存する。――――そしてそれを、


「さらばだ。チェイ――」

 言い切るより早く、俺の眼とベラルの心にパスがかかる。


「チェックメイトは、こちらの方ですよ」

「な、に…………」


 ベラルの表情が驚愕のそれに変わる。超能力とはいえ有り得るはずがないのだ。物理法則を超越した攻撃など。それは俺も分かっている。

 だがこの鎖だけは例外だ。この鎖は俺が放ったものではない。これは、ベラルが抱く『後悔』が生み出した鎖だ。ベラルの心中に潜む後悔を、俺が鎖へと変えたのだ。俺の能力、その真の力は、他者の内側にあるものを媒体にして、その他者を崩壊させるというものだった。肉体ではなく精神を――――。


「――――これは! ——……が、ァ――」


 ベラルの動きが止まり、そして崩れ落ちる。同時に、俺を縛り付けていた多大な重力負荷も消え失せる。……勝利したのは、かろうじて俺だった。


 ……勝利の感慨などはなく、ただただ足を進めるのみ。何かあるとすれば、それは一つだけ。


「――最悪ですね。俺」

 精神が崩壊し、動かなくなったベラルの横を通り過ぎながら、そう呟いた。


 後はただ、進むだけ。――いや、進むしかなくなってしまったのだ。もう俺には、には、その道しか残されていないのだった。


 道のりは長く、そして険しい。そんなことは言われなくても分かっていた。それでも、彼女――黒咲と一緒なら。きっと上手くやっていける。そう思えるのだ。

 もしかして、と。俺はふと思った。他愛のないこと。けれど、きっととても大切なこと。

 少し恥ずかしいのだが。もしかすると、これが恋というものなのだろうか――と。俺は思ったのだ。




1/


 ――目を覚ますと、臨時寝室――リビングルーム――でお気に入りの曲が鳴り響いていた。ちょうど二番のサビに入ったところだ。眠気に耐えながら考える。


「んー…………」


 音源を探ると、目線の先のテーブルにスマートフォンがあった。つまり、これはスマートフォンのアラーム機能なのだった。

 などと客観的に述べつつ起き上がる。ちなみにソファがベッド代わりだ。想像以上に寝心地がいい。


「いい加減に止めよう」

 三つ目のサビに移行した辺りでアラームを止める。時刻は午前九時。本来なら学校に遅刻している時間だ。――だが、現在はそうでもなかったりする。


「どうしたものかな、ホント」

 勢いに身を任せてしまったのがまずかったのか――いや、そうじゃない。そもそも俺の能力では、半年と少し程の容量分しか具現化できなかったのだ。キリカさんと戦った時点で、能力の精度が格段に落ちていた。それはつまり、具現化のリソースをそちらに回さねばならないほど容量メモリが足らなくなってしまったからだ。


「風宮さんも、気づいているだろうな」

 この異変には当然気が付いているのだが、それの原因が俺にあることも、もしかしたら気が付いているかもしれない。

 スマートフォンのカレンダーを覗く。――二〇一五年、十一月十八日。それが、今日の日付らしい。


「いいや。もう、一日たりとも進んじゃいない」


 この世界盤面法則ルールは、容量不足で崩壊し始めた。あらゆるイベントは翌日に持ち越されなくなり始め、天気は毎日変わらない。――じき、人の記憶もどこかの日付で固定されてしまうだろう。


 視線を外に向ける。


「ごめんな黒咲。でももう、戻さないと」

 


 この世界は、この偽りの楽園フェイク・ユートピアは終わりをむかえようとしていた。

 ――本来は、二〇一五年、十二月三十日なのだ。



                         第四章、了。第五章に続く↓

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