第四章「フェイク・プロローグ」

第十一話「フェイク・プロローグ」

 

 ……始まりはいつだったか。どこだったか。傷つくべきなのは誰なのか。世界の正しさはどこにあるのか。

 与えられた力は何のために。支離滅裂に襲い来る、幾多の葛藤と衝動。それらによって壊れてしまいそうだった俺は、傍にいた彼女に救われていた。

 ……俺は、彼女のためなら何も惜しくない。そういうのを、人は何と言っただろうか。――残念ながらその時の俺には、その感情が何であるか理解できなかった。理解できるほど、俺はマトモじゃなかったのだ。





 ――目を覚ますと、そこは鋼鉄の密室だった。視界の隅々でいくつもの光の点滅があり、それとは対照的に、言葉を発さず唯この先の戦闘に備える屈強な男たちが静かに座り込んでいた。


 ――部屋の外からは何かが回転する音が聴こえてくる。……ヘリコプターのプロペラが回転しているのだ。――その状況を理解して、俺が何故この密室ヘリに乗り込んでいたのかを思い出した。


 ――ああ。今日も殺すのか。

 ただただ偶然に、能力を得てしまった存在を。戦うことを拒んだ、無辜の民を。


「準備はいいな?」


 男の一人部隊のリーダーが、俺に声をかける。――いくつものケーブルで頭部に接続されたゴーグルを付けている、奇妙な風貌の男だ――それに俺は頷きで返す。もっとも、無感情に、だが。


「ならばよし。――いいかお前たち。反抗するそぶりを見せたヤツは、ためらいなく殺せ。そして戦意を喪失して従順になったヤツを連れていくんだ。大事なのは質でも量でもない、俺たちに従順なヤツだからな」


 地面が近づきドアが開かれる。時間のようだ。


「分かっているな、チェイン? お前は情報を収集し、そしてそれを本部に送るだけでいいんだ」

「了解。攻撃はしませんよ。廃人になったら困るのはこちらですもんね」


 主に後処理で難儀する、という意味でだが。


「フン、生意気なガキだ。その能力がなければとっくに死んでいただろうにな」

「この能力がなければそもそもここにはいませんよ――では」


 言いつつ飛び降りる。地面はすぐそこ。俺は戦闘の混乱に乗じて、この作戦エリア内に残留したあらゆる情報を掠め取る役割を担っている。正直な話、そこに意義は感じない。だが、幼き日に権利をはく奪された俺には、これしか道はなかった。それが、二〇一五年を生きる俺に与えられた意味だった。


 ◇


 再びヘリに乗り込んだ時、人数に変化はなかった。こちら側に死者はいない――つまり。


「捕虜はいないんですね」

「いないな。全員抵抗したからな」


 その言い方には、どこか予定調和めいた不自然さを感じた。――すぐにあたりの風景と記録を思い出し、そして答えを導き出す。


「……ベラルさん。これじゃ殺戮だ。あなたは殺意に敏感すぎる」


 離陸するヘリコプター。空に近づくにつれて広がっていく俯瞰の視点から、重力に潰された地獄を見た。あちこちで圧殺された死体の光景は、まるですり鉢のようで見るに堪えない。


「長いこと戦場にいるとな、『死』という〝現実〟には慣れてしまうが、『死』という〝概念〟には敏感になるんだ。人の死を見ている内に、自分に対する死神の足音がはっきりと聞こえてくるようになってしまう――――要はなチェイン。この作戦は、初めから能力者捕獲など視野に入れていなかったんだ。上の奴らが言う危険分子の殲滅リスクヘッジに、俺たちは体よく使われたということだ」


 ――つまりは利用されたということ。別に、そのことを意外に思うこともない。まあそれでも、人によっては俺を憐れむのだろう――――殺戮に慣れてしまった、哀れな少年、と。


「――笑えますね。まるで盤上の駒だ」


 こちらの意思など関係なく、殺戮という目的を遂行させられる。別に操られているわけでもなく、ただその状況盤面を作り出せる人員を集めただけ。だが結果はこの通り。まさに思惑通りというわけだ。この部隊は、元々反乱分子を殺戮するために結成されたチームだったのだ。




 施設に戻ると、白衣の男に呼び出された。……俺の能力が一定水準まで成長したからだろう。発現から十年と少し。どうやら新たな実験が始まるようだ。




2/


 ぺしっぺしっ、となんともいえない音をたてながら。俺は白い廊下を歩いている。入院生活六日目。まだ痛みは腹部に残っており、しばらく腹筋は動かしたくない。


「まさか盲腸になろうとはな……」


 もっと軽快に歩けたのなら、スリッパももっと素敵な音を響かせてくれたことだろう。あと正確には盲腸じゃなくて虫垂炎というらしい。勉強になるぜ。


「明日には退院か」


 思っていたより早い退院。三月も後半。春休みを微妙に無駄にしてしまうと危惧していた俺だったが、杞憂の部類に収まっていただけた。


「今週号買おっと」


 売店に向かう。そのためにロビーへ続く通路を歩く。……その道を往く途中、俺は今日も。


「今日もいる」


 ――『彼女』に出会った。


 二〇一五年、三月。それが俺と黒咲の最初の出会いだった。




 目線の先は中庭に面した通路。そこに、今日も銀髪の少女がいた。その長髪は、車いすに座っているため――背もたれと背中の間にすこしだけ挟まってしまっている。俺は二日前から院内徘徊を許可されたのだが、彼女は今のところ毎日同じ場所にいる。とはいえ、しばらくすると動き出すので休憩しているだけなのかもしれない。


 ……別に、関わる必要などないのだが、


「いつもここにいるんです?」

 なんとなく、声をかけた。すると、その少女は、


「はい」

 実にそっけない感じだったが、ことばを返してくれた。……うん、会話が成立するようで安心だ。


「中庭、気に入ってるんですか?」

 芝生に木が一本植わっているだけの、非常にシンプルな風景。俺は特に気にも留めなかったが、彼女の琴線には何か触れるものがあったのだろうか。


「別に、そういうわけじゃないです」

「ああ――ないんだ」

「はい」


 沈黙。うむ、実にそっけない。そっけなさすぎてことばが出ない。会話が続かない。


 仕方がないので彼女を観察してみることにした。右足にギプスが巻かれており、入院理由はなんとなく察せる。目線ははっきりとしていない。ただただぼんやりと中庭を眺めているといった感じだ。後は……腕をしきりに揉んでいる。車いすに慣れていないのだろうか。俺も乗ったことがあるが、慣れるまでは確実に筋肉痛コースである。車いすスポーツの選手には驚かされたものだ。


「よかったら部屋まで押していきますよ、車いす」

 というわけで、少しだけ話題が増えた。…………のだが。


「結構です」

「え、でも」「結構ですから」

「そうですか……わかりました」


 あえなく撃沈したのだった。




 撃沈したので、俺は売店にいた。週刊雑誌を購入し、さて自室に戻るか、なんて考えていると、目の前に見知った顔が立っていた。


「おう、元気そうじゃねえかカイ。病室にいねえから探したぜ」

「高杉……恥ずかしいから来なくていいって言っただろ」


 お見舞いというやつは、するのもされるのも俺は照れ臭いのであまりやりたくない。とはいえ友人の近況ぐらいは気になるので、照れ臭くてもするのだが。……まあそれでも逆にされるのはやはり恥ずかしい。


「なんでお前ってそういうどうでもいいことで恥ずかしがるんだろうな」

「いいだろ別に。……ていうか高杉、春休みって新聞部どうしてんの」


 修了式の時点では特に予定が決まっていなかったそうだ。うちの高校はあまり部活が強くないので、大会の記事を書く予定もなさそうだ。ちなみに何故伝聞形式なのかというと、そのとき既に俺は入院していたからである。


「あー、そのことなんだけどよ。お前部長になった」

「は?」

「先輩卒業しちゃったしよ、このまま部長不在ってワケにもいかねえからなガハハ」


 楽しそうに笑う高杉くん。ふざけるな。どうせ俺とお前だけじゃないか。それってつまり、


「決定したのはお前ってことか」

「そのとーり――――ぐふっ? 腹パン!? こわい! なんで!?」

「なんでもクソもあるか。……ったく、勝手に決めやがって」


 うずくまる高杉をげしげし蹴りながら、来年度はどんな記事を書いていくか考える。……なんというか、面倒ではあるが部長になることはやぶさかでも無いのだった。


「それより、カイ」

「ん? どうしたんだ急に」


 突然高杉がうずくまったまま神妙な顔つきをしたので、困惑する。コイツがそういう表情をする時というのは、なんであれ重要なことなのだ。


「…………さっきの可愛い娘、ありゃ誰だ」

「…………」


 高杉にとっては、重要なことなのだ。




「なるほどなー。そりゃ気がないんだな」


 先刻のことを説明すると、高杉はそう断言した。微妙に嬉しそうなのが癪に障る。


「あのさ高杉。もう一回腹に一発欲しいか?」

「や め て」

「じゃあこれ以上余計なことを言うな。そして俺は病室に戻る。お見舞いありがとう」


 言い捨てて俺は病室に帰ろうとする。……それを高杉は引き留めるわけでもなく、ただただ溜息を吐くだけ。


「ホントそーゆーとこは変わんねえよなぁカイ」

「不愛想なのは直しようがないと思ってる」

「開き直ってるもんなぁお前」


 そう言われても仕方があるまい。俺にできることなどたかだか限られている。彼女のことをどう考えても、彼女からこちらに歩み寄ってこない限り、――違和感――どうしようもないのだ。


「おい、どーしたカイ」

 高杉が慌てた様子で俺に問いかけた。――何か今、現状に関係のない何かが――


「……なんでもない、少し頭痛がしただけだから」

「そーか、ならいいんだけどよ」

「ああ。だから病室まではひとりで行ける。今日はありがとうな、高杉」

 それだけ言って、俺は病室へと戻った。





 ――――目を覚ますと、既に日は高く昇っていた。見渡すとそこは自分の部屋。実験は知らないうちに終わっていて、俺は朝になるまで眠り続けていたらしい。デジタルカレンダーを確認したが、日付を偽装した形跡もないので眠りすぎたということはなさそうだ。


「――そうだ」

 いつまでも寝ぼけていられないことを思い出した。俺の実験に彼女も関わっているようなのだ。俺は何も異常はないが、彼女の方に何か異常が出ていたとしたらそれは大変だ。


「行かないと――」

 ただ一言呟いて俺は部屋を出る。くつろぐつもりなどない。床も壁も天井も、全てが白で構成された部屋だ。俺には面白みが感じられないのだ。




 彼女の部屋の前に来たが、鍵がかかっていた。……まだ寝ているのだろうか。


「起きてる?」

 部屋の前に取り付けられたインターホンのボタンを押し、彼女を呼び出してみる。――返事はない。やはり寝ているのだろうか。


「仕方ないか……また来るよ」

 それだけ言って部屋を後にする。かといって元来た道を戻るわけではない。このまま真っ白な通路を歩いていくのだ。この施設にいる時点で能力者である俺にできることは少ない。リスキーなことはしたくないのだ。

 とはいえ、この監獄にも等しい箱の中で立ち止まるという行為は、そのまま精神の停滞死につながる。このまま意味さえ失うことだけは避けたいのだ。――それだけが、チェインと呼称される俺に許された自由意志なのだった。




 変わり映えのしない通路を歩くこと数分。目的地である支部長室に辿り着いた。

 二回のノック。それからすぐに入室を許可する声が返ってきた。


「失礼します」


 入室するや否や、支部長の視線が刺さる。肩までかかった長い白髪のオッサンなのだが、サングラス越しに覗かせる鋭い双眸は、ただそれだけで視られた者を震え上がらせる。さすがにもう何年も見ているので俺は慣れたが、今日は少しだけ寒気がした。これは非常に機嫌が悪そうだ。


「そんなに私と会話するのは嫌ですか、神崎支部長?」

「フン、立場の割に好き勝手動いているお前は、いつになっても好かんわ」

「でしょうね」


 それはそうだろう。この施設に縛り付けているはずの俺を完全には御しきれていないのだから機嫌が悪くても仕方がない。ここ数年ずっとなので、そろそろ神崎支部長も憤死してくれるのでは……と思うのだが、中々そう上手くはいかないようだ。


 ああ確かに、俺はこの施設から抜け出すことはできない。何しろ反逆者を始末する人員が余りにも多すぎる。能力的な質で俺がここの誰より優れていても、物量で押されてしまってはどうしようもない。故に反逆はできない。

 ――が、支部長一人を今ここで殺すことぐらいなら造作もない。それは支部長もよく理解している。故に支部長は俺の施設内での単独行動を止められないのだ。わざわざそのためだけに制圧部隊を出すのはバカらしいと思っているのだろう。ならまだ好き勝手ほっつき歩かせていた方がマシという判断だと思われる。


「それで、今日は何用だ」

 ようやく本題に入れそうだ。


「そうですね。うん、単刀直入に言いますね――昨日から始まった実験、ありゃいったい何です?」


 いきなり機械に接続されたヘッドギアを装着させられたかと思えば、映し出された映像に向かって能力を使え……などと。正直言って理解できない。


「明らかに情報を映像で誤魔化しているようにしか見えなかったんですけど」


 俺の問いに、支部長はタバコを吸いながら答える。


「お前がそう思っているのなら好きにしろ。別に誰かが死ぬわけではない。それはお前のパートナーである彼女とて例外ではない」


 その目を見透かす――――確かに、その言に偽りはない。


「そうですか。じゃあとりあえずはこれで良しとします」

「ああ、お互いのためにもな」

「では、失礼します」


 そして支部長を一瞥し、俺は退室した。

 部屋を出てすぐ、スマートフォンを確認する――――おっと。つい、いつも任務中の癖でバイブレーション機能を切ってしまっていた。危うく通知を見逃すところだった。


「……今日もあるんだな、実験」


 死者は出ない。どうも『死』というものの近くにいすぎたようで、俺はこの言葉から放たれる違和感に気が付かないでいた。




4//


 結局、彼女と仲良くなることができないまま俺は退院してしまった。なんとなく残念ではあるのだが、仕方がない。


「まあ、生きてりゃ会うことだってあるだろう」


 可能性がゼロというワケではない。今はそのあたりに期待を膨らませることにしよう。

 などと、楽観的に構えながら駅前のアーケード街を歩いていると、見知った顔を見つけた。今日は高杉ではない。そいつは、右目を覆う程長く前髪を伸ばした、ベージュのパーカーを着た男だ。俺の同級生で名前は崎下トオルという。トオルは今、同年代ほどの女子を数人引き連れてアーケード街を練り歩いていた。割とシャッター街だというのに、よく遊べるものだ。遊びのプロなのだろうか。――よし、声をかけてみよう。


「久しぶり、崎下」

 俺の声に気が付いたようで、崎下は俺に手を振ってくる。


「おお、神崎じゃないか! 無事だったのか!?」

 えらく大げさな言い回しをする崎下。心配してくれるのはありがたいのだがオーバーだ。


「無事だけど……それより崎下。ここで何してんの」

 せっかくなので聞いてみることにした。


「何って……見ての通り遊んでいるんだよ」

 などと、嫌みのない語調で崎下は話す。実際、嫌みなヤツではなく、人柄によってモテているタイプなのでこちらは何も言えない。……が、今聞きたいのはそこじゃない。


「そうじゃない。ここってそんなに遊ぶところある?」

 そもそも店のほとんどが居酒屋なのに、一体何をして遊ぶというのか。まだ昼過ぎだぞ? 全く以って謎である。――が。


「ははは、知らなかったのか神崎。こういうことを知らないなんて、君にしては珍しいじゃないか」

「はぁ?」

「はぁ? ……って、君らしくないね。いつもなら誰よりも早く都市伝説新聞部のネタに食いつくってのに」


 ……そうだ、俺は新聞部新部長。都市伝説や、超能力がらみの出来事を新聞の記事にするべくアンテナを張っているのだった。しばらく入院していたからか、感覚が鈍っていたようだ。


「そうだな崎下。ありがとう……で、その都市伝説っていうのは?」

「早! 切り替え早!」

「崎下もそれを調べているんだろう?」

「まあ、そうだけどさ。この子たちが見たいらしくて」

「惚気はいい」

「すまん。――『正解おじさん』だよ」

「はぁ?」


 謎のおじさんが現れた。誰なんだ、そいつ。


「えっとね、正解おじさんっていうのは……日が暮れる頃に現れる謎の影で、見た人に対して『正解に至れ……』とか訳の分からないことをいうヤツなんだ」

「訳わからんな」


 まあ、都市伝説ってやつはそういう意味がわからないところがおもしろいのだが。


「だろ? その謎さと声だけで勝手に男だと認定された不遇さから、僕たちで正体を探ってみようって話になったんだよ」

「そういうことか」


 集まって、一体何の話をしているんだ……とは言えない。俺もこういう話が好きなので全く以って問題ないのだ。


「それで神崎。君はどうするんだ?」

「俺か? 当然探すけど」

「協力する?」

「半分同意」

「半分?」

「ああ、半分だ――お互い、後で収穫を教え合おう」


 そこまで言うと、崎下の顔が得心のそれになる。


「そこまでは勝負ってことだね――どっちが先に見つけられるか」

「ご名答」 


 というわけで、『正解おじさん』を探す戦いが始まったのだった。





 結論から言うと、実験は毎日続いていた。毎回毎回、俺の能力を――映し出された映像に向かって発動させる。――それのトリックは理解できた。あれはただの的である。俺に何かを隠して能力だけを上手く利用しようというのだ。実際、その実験部屋には設備を準備した痕跡が見られるだけだ。そして俺は、事実としては壁に向かって能力を発動していることになる。


 ――正確には、壁の、

 全く以って謎である。俺に一体何をさせようというのか。……いや、その答えは明確か。その壁の向こうにある何かを隠したうえで対象にできるかどうか、それを確かめるための実験なのだ。


「……そうか。つまり、アイツはこれに協力させられているってことか」


 だとしたら許せない。今すぐにでも潰す。俺だけならともかく、彼女まで酷使する必要などないだろう。俺の能力を連日受け続ければ、精神的にはかなりの負担となる。今すぐ何とかしなければ。


 ――下手に動けばこちらが不利だ。だがしかし、ある程度の情報アドバンテージを得た上での行動ならば、一気に動けば道が開けるかもしれない。……今日の実験で、研究員にでも聞いてみよう。――なに、聞きようはいくらでもある。そこに不安はなかった。

 ――実験は日が暮れてからなので、まだかかりそうだ。それまでに、彼女のところに行ってみよう。




 というワケで、俺は今日も彼女のところに来た。ちなみに実験が始まってからここ数日、この時間はまだ彼女は寝ているので望み薄なのではあるが。まあそれでもいいか、と。俺は足しげく通っている。

 インターホンに声をかける。


「おはよう。……って言っても、まだ寝てるか」


 当然返事はない。……残念、今日も会話ができなさそうだ。この後は捕獲した能力者への尋問任務がある。俺の能力を利用した一方的なものなので、やはりあまりいい気分ではない。こちらも連日。実験が始まってからは、能力者との戦闘任務には就かされなくなった。この実験は、それぐらい重要なものなのだろう。俺と彼女の能力、その二つを使った能力とは、一体なんだというのか。――能力者を駒としか見ていないここならば、きっと碌な事じゃないのだろう。




 結局、実験の時間になっても彼女と会うことはできなかった。……明日は、彼女の部屋に行く機会がもう少しあるといいのだが。




6//

 というワケで探し始めたのだが、これがまた、中々見つからない。普通にやっていても見つからないのか、あるいは――そもそも前提を間違えている――違和感――忘れている――何かを忘れている――


「く…………」


 ノイズが響く。一体、何を忘れているというのか。俺は、一体何を……。

 ああ、確かに何かムズムズするのも確かだ。俺は何かを忘れている――そういう直感がある。……だが、それが何であるかがわからない。思い出せないのだ。


「……モヤモヤしててもしょうがない。今はとにかく、例のおっさんを探すのが大切だな」


 実際そう思ったので、そちらに思考を切り替えた。


 崎下曰く、正解おじさんはこのアーケード街と学校で見つかるそうだ。崎下達は、アーケード街を調べると言っていた。故に、俺はアーケード街での探索を切りあげて学校に向かうとしよう。




 流石に、夕方の学校は恐怖のケタが違っていた。夕暮れ特有の薄暗さによって曖昧な輪郭となった校舎は、個人的には夜よりも恐怖の質が高いように感じる。黄昏時とはよく言ったものだ。誰そ彼――たれそかれ――から転じて黄昏。つまり、道行く人の顔すらはっきりとしない時間帯が、黄昏時なのだ。逢魔が時と呼ばれることもあるので、やはり昔からこの時間は恐怖を増幅させる何かがあったのだろう。


 それは例えば――この薄暗さであり、それに伴う万物の正体不明化であり、そして、


「……ねえ、そこで何してるの」


 普通に正体の分かる恐怖であったりと様々だ。今回は三つめにカテゴライズされるもので、女子生徒であった。


「ああいや、別に」

「別に、じゃない。体育館裏なんかで何してんのかって聞いてるの」


 その女子生徒は黒絹のような美しい黒髪を背中まで伸ばした少女であった。確か名前は――風宮アケミ。クラスは違うが同じ学年のはずだ。


 ……しかし、これは困った。崎下曰く、ここでも何か妙な痕跡があると聞いていたのだがこれでは調べられない。ていうか俺、いつもどうやって調べていたっけ?


「むむ……」

 思い出せない。――接続不完全。それしか考えられない。それしか――また謎のノイズ。おかしい、何よりもこれがおかしい。――これは自己の内より生じたモノ。ならば思い出せるはずだ――なんだ? さっきから何が混ざっている?


「むむ……じゃない! 何してるのかって聞いてるでしょうが! さっさと答えろ!」


 まずい。正解おじさんの件もそうだが、俺の状態が何かおかしい。俺は、俺は、俺は何かを忘れている――思い出せ、己が武器を――それは、武器……それは……それは……――黒き残留物。それは、それは、それは――――鎖。鎖であり、〝眼〟。


「――――ぁ」


 思い出した。思い至った。そうだ、俺には思念を読み取る能力があった。それこそ俺が幼い時からの能力だ。よくもまあ、こんな大事な能力を忘れていられたものだ。

 安心してしまう、そういう時、どうしても心は緩む。緩んだことで、能力へかかっていたブレーキさえも緩む。――それで。


「――――――!?」

「ねえ! なんか言ったらどうなのよ!」

「風宮さん、きみ――――吸血鬼なのか……?」


 目の前の少女の、秘密を視てしまった。

 一瞬の沈黙の後、舌打ちと共にこちらに駆け寄る少女。


 刹那。血飛沫、それはもう、鮮血。

 ――俺は、神崎カイは、見るも無残に切り裂かれてしまった。


「……どこで知ったかは知らないけど、生かしてはおけないわね。――ま、いいか。アンタには、今日の晩御飯になってもらうからそのつもりでよろしく」


 もはや言っていることすら聞き取れない。今わかるのは、自分の意識が混濁していくことと、正解おじさんの探索が継続することはないということだけだった――――。




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