第二章「ナイトミスト」
第四話「ナイトミスト①」
0/1 Night Mist
……暗い、夜だった。
月すら霞む、霧の夜だった。
泣きながら夜道を歩いたことを覚えている。
――霧は続く。どこまでも、どこまでも。まるで自分が逃げているみたい。永遠に続くかのような霧は、まるで怖いお化けのようで。
――そうだ。怖い。この気持ちは紛れもなく恐怖だ。……そう、恐怖。
だから自分は、
……それが鋼ではないと、知っているのに。
1/
唐突ではあるが。この世界には能力者が大勢いる。そんでもって私もその一人で、自分の能力はまあ、便宜上『吸血鬼』としておこう。何故便宜上なんて言い回しなのかというとそれは、
〝吸血した相手をゾンビ化、あるいは吸血鬼化する…………んじゃなくて、そいつに擬態できる、と。――うん。地味だな〟
「事実とはいえムカつくわ……!」
微妙に吸血鬼のステレオタイプから外れているからである。
……かといって、地味と言われる謂れなんてないとも思ってはいるのだが。
「――とにかく。今は早急にあの野郎のとこに向かわなくっちゃ」
昨夜はずっと月峰マートの立体駐車場で彼――神崎カイを待っていたのだが、一向に来る気配などなく、結局私一人で缶コーヒー片手に座り込んでいただけなのであった。今はお尻が非常に痛い。ずっとコンクリートの上で体育座りだったからだ。さらに二〇一五年の九月も終盤。それなりに肌寒くなってきたのだ。――それはもう、とても惨めなものだった。……だから、あの野郎――神崎某の元に向かっているのだ。ぶっ潰す……とまではいかないが、一言物申したいのだった。
「そうじゃん。あの紙には住所も大雑把にだけど書いてあったじゃない。あーもう、なんで最初からそっちのプランで行かなかったんだ私ーーーーー!」
などと叫んでも虚しいだけなのは分かっているのだが、それでも叫びたかったのだから仕方がない。実のところ昨夜の私はそれなりに乙女だったのだ。それを裏切られたのだから怒っても仕方ないのである。
「……でもこれも、結局自分がやらなきゃならないことなのよね」
吸血による殺人。私はその罪を恐れた。不可抗力で始まったとはいえ私はそれをやってしまった。ならば私は、その不可抗力で手に入れてしまったこの能力、その元凶を倒さなければならない。これ以上こんな事を起こさないように。私以外の誰も、こんな思いを抱かなくていいように。
「――――っ」
頭の中で
「……うるさいだまれ」
それに必死で抵抗して、私は彼のもとに向かった。
「ここが神崎くんの自宅ね」
大雑把な地図と、己の勘を頼りに神崎家に到着した。二階建てのコンクリート家屋。外壁の汚れ方から察するに、築十年ぐらいだろうか。……まあ掃除をしていないことが前提ではあるが。
……門に設置されていたインターホンを鳴らす。時刻は午後九時。さすがに家に帰ってきているだろう。
「…………」
三十秒経過。……出てこない。たてこんでいるのだろうか。
「………………」
三分経過。……出てこない。どうしたのだろう。もしかしてトイレだろうか。
「……………………」
十分経過。……出てこない。さすがに不安になってくる。囁きが鬱陶しい。頭が痛くなってくる。
「…………………………」
二十分経過。……やはり出てこない。よく見ると明かりがついていない。留守だと気づく。もしかして騙されたのではないか。そんな考えが頭を飛び交う。なんだか自分が惨めな気がしてくる。――アレ? おかしいな。涙が出てきた。
「なんで私こんなことしてるんだろ」
あの鎖の攻撃を受けてからずっとこの調子だ。トラウマになってしまっている。辛い。シャレになっていない。精神が不安定過ぎる。なんだか考え事をしているだけで苦しい。苦痛だ。やばい。
「……もう泣いていいかな」
今すぐ叫びたい。恥や外聞なんて知るものか。正直に言おう。……私は寂しいのだ。誰かに話を聞いてほしいのだ。吸血鬼化したことで家に帰れないこと、吸血によって人を殺してしまったこと、吸血鬼化のせいで学校にも通えないことを。
……だから。
「……こんなところでなにしてんの――って、ええ!?」
突如現れた謎の女性に、思わず寄りかかってしまった。
2/
「いやー、参ったよ。私てっきり不審者に襲われたのかと思っちゃった」
「……進堂さん。久しぶりに会って最初の会話がそれですか」
午後十時、神崎邸。九時三十分にようやくバイトから帰ってきたキザ野郎に鍵を開けてもらい、私と謎の女性もとい進堂さんは部屋に入ることができた。
部屋には作り置きの夕食があった。……これから食べるのだろうか。
「進堂さん……って、随分と他人行儀じゃないのさ」
「違うんですか」
「違わないです……じゃねーや、違うんです。一年前からアンタ一人じゃん。だからこうして様子見に来たわけじゃん。お隣だし?」
どうやらこの女性、キザ野郎のご近所さんらしい。妙に親し気な感じなので、それなりに長い付き合いなのだろう。
「別にいいって言ってるじゃないですか。俺バイトで家にいないことが多いんですから」
「だからー。それがよくないって言ってんの。事件に巻き込まれたらどうするのさ。例えばホラ、最近この町の人が何人か行方不明になってるでしょ? アレの犯人と鉢合わせしたらどうするつもりよー!」
……今はその話題には触れないでほしかった。いやなんというか、それ、私です。もう鉢合わせしました。なんというか既に倒されました。……なんて言っても向かいの席に座っている進堂さんは、私の複雑な表情に気付いてはくれない。いやまあ、気づかれると、それはそれでまずい気もしますが。
――と、進堂さんの後ろで食事の準備をしているキザ野郎こと神崎カイが私の方を見てきた。……不本意で仕方がなかったが、目線で救難信号を送る。
「……ほら、進堂さん。風宮さん困ってるから。ここらへんでいいでしょ」
「うー、納得いかねー。あとすっきりしねー」
「ほぼ一緒の意味じゃないですかそれ」
言いながら、神崎カイは食器を机に並べ始める。……数はそれぞれ三つずつ。……ん?
「え、ご馳走してくれるの!? ありがとうカイ君!」
「いいんですよ。サラダに使った野菜、ほとんどマモルさんからの差し入れですから」
「うひゃー、父さんったらカイ君のこと心配してたんだー!」
「進堂さんが言えた口なんですか、それ。……いや、もちろんありがたいんですけどね。マモルさんからのお心遣い」
「……ところで、なんで父さんがマモルさんなのに、私のことは進堂さんなの」
……それもそうだ。話に出てくるのが両方進堂さんなら、どちらも下の名前で呼んだ方が自然な気がする。別に愛称というわけでもなさそうだし、なんでまたそんな呼び分けをしているんだろう。
「それ、言わなきゃダメですか?」
「言ってよー。なんでそんなに距離おくのさー」
その問いかけに「うーん」と、唸ってから神崎カイは話し始めた。
「意識しちゃうからです」
「――――ぶッ!?」
思わずお茶を吹き出しそうになってなんとかこらえる。……惚れっぽいんだ!?
……いやしかし、今の進堂さんはどう思うんだろう。これ実質告白ですよね?
というわけで、やたらと気になってしまったので。私は進堂さんの顔をそっと覗いてみた。さっきまでの反応からして、割と衝撃かもしれないし――
「あー、それはごめん。私はカイ君のこと弟ぐらいの感覚なのよ」
「…………」
思いのほかあっさりしていた。――なんつーか、すげーあっさりしていた。
――しかし。これには神崎カイもさすがにショックなのではなかろうか。失敗に終わってしまった『神崎カイを狼狽させる大作戦』が成功しそうで予想外の収穫である。しめしめ。どんな顔してやがるのだろう――
「だから距離とってるんですよ」
「あー、自己防衛ってことなのねー」
「そういうことです」
「…………」
……なんでやねん。
なんでやねん。
なん
「はい、風宮さん」
「……あ。……その、わざわざありがとう」
「どういたしまして」
私が心の底で突っ込みを入れていたことに気付いているかのような絶妙なタイミングで神崎カイが夕食を運んできてくれた。
――うーむ。なんだか私、懐柔されてません?
……まあ、それはそれとして。
「――お」
神崎カイの作った料理は、なかなかどうして美味なのだった。
◇
「じゃあ、私はこれで」
「じゃあ、私もおいとましようかなー」
私に被せるように、進堂さんは席を立った。
「風宮さん、送っていきましょうか」
……神崎カイに提案される。どの口が言うか。
「いいえ、家まではすぐだから」
全速力で時速八十キロだ。ぬかりない。いやそこまでスピード出さないけど。
「そうですか。じゃあ玄関までで」
というわけで玄関まで向かう。つーか何これ。なんでこやつ敬語なのだろうか。
「ねー、カイ君。そういえばなんでアケミちゃんに対しても敬語なのー?」
まさに、というタイミングで進堂さんが質問した。なんと気の利く方だ。
「そりゃ意識しちゃうからですよ」
「あははー、なるほどね!」
一瞬で納得する進堂さん。……ウソだ。こいつに限ってそれはない。少なくとも私に対してそれはない。断言できる。今だってすげーやる気のない目をしている。あいつホントムカつくな!
「……ほら。二人とも早く帰らないと家の人に心配されますよ」
だからどの口が言うか!!
「……ええ、じゃあ急いで帰りますね」
一応いい笑顔で手を振る。心の中はヴォルケイノ。耐えろ、耐えるのよ私!
「じゃあ私もここで失礼~~」
「いやだから、進堂さんは隣ですよね」
「いいでしょ別に~~」
……後ろで繰り広げられる絶妙ににうざい会話をなんとかスルーして、私は帰路につく。彼ら以外の声が聞こえないほど静かな満月の晩なので、なんとなくしんみりとした気分になりたくなったのだ。なにせ遠くで泣いている犬の声が聞こえるほどなのだ。そういう気分になってもいいと思う。
「あー、でも寝冷えだけは気をつけなきゃね」
などと、微妙に締まらないのは許してほしい。
とにかく、私は一人、住処へと帰るのだった。
/
家に着く。父さんはまだ帰ってきていないようだ。……なんなら誰もいない。部屋は真っ暗だ。
「……そういや泊まり込みって言ってたっけ」
今更それを思い出して、自分のうっかりぶりに頭痛がする。もう少し真面目に人の話は聞くべきかもしれない。
……それにしても。さっきのは痛快だった。なんというか、無理しすぎである。
「今度会ったらちゃんと言ってあげなきゃね。――カイ君、嘘吐くの下手すぎ」
いつもの調子で話した方が幾分かマシだと、彼が気付くのはいつになるのか。気付いた時の顔が楽しみである。
「なんか笑えてきた。飲もうかなぁ」
……と言ったものの、大事な仕事を思い出したので踏みとどまる。
「そうだった。――今日は動ける日だった」
月に一回ぐらいの大チャンス。ヒーローになる夜がやってきたのだ。
「さぁて、誰か来てよね。――正義の味方には、倒すべき悪が必要なんだから」
言いながら夜の街に繰り出す。なんなら狼男ぐらい出てきてほしいぐらいだ。
「って、こんなんじゃどっちが狼かわかんないわ」
自分で言っておいて、自分で可笑しくなって笑う。いまいち締まらない。
「――ま、いいや。さっさといこ~~っと」
だがそんなことは些末な問題。足かせにもならない思念など追いつけないほどの速さで私は夜の街を駆けだした。
――さて。今日はどんな悪に出会えるのだろう?
/
3/
「あ。アイツに何も言えてない」
神崎家からの帰り道。私はうっかりミスを思い出した。……馬鹿か私は。いったい何のためにアイツの家に行ったというのか。
「……戻るかぁ」
仕方がないので来た道を引き返すことにした。晩ごはんをごちそうになっただけでは流石に締まらなさすぎるだろう。
……というわけで戻ってきたのだが。何故か家に明かりがついていない。
そんな馬鹿な、と思いながら玄関まで進む。何故か庭をゆっくりと抜き足差し足で進んでしまい、泥棒のようだと思ってしまった。自分のことなのにおかしな話である。
そして玄関のドアノブに手をかけたのだが、案の定鍵がかかっていた。
「そんな気はしたけどさ。……まさか」
今日も探索? 私みたいな輩が他にもいるのならそれも有り得るのだが、しかし何故にそんなことをしているのだろう。
「って、アイツ新聞部だったか」
なるほど。そういえば何度か名前を見た気がする。ようやくヤツの行動理由がはっきりした。……まあ、だからといってわざわざ死地らしきところに赴く必要はないだろうし、その点は未だに謎と言えば謎なのだが。
「仕方ない、帰ろっと」
まだもやもやしたところはあるが、今考えていても仕方がないので帰ることにする。
――なんとなくだが、そのあたりのこともそのうちはっきりする気がしたし、その勘のようなものを否定する気も起きなかったからだ。
結局、時速八十キロで走ることはおろかそもそも走ることすらせずに、私は夜の二崎市をふらふらと歩いていた。……断わっておくが、別に吸血をしようというわけではない。ただ、あまりにも幻想的な夜だったので出歩きたくなっただけなのだ。どっちみち夜型にならざるを得ないわけだし。相変わらず囁きは消えてくれないが、それは極力思考の隅に追いやるよう努める。
……などと物思いに耽りながらあてもなく歩いていたわけだが。どうやらそれは私だけではないようだ。
「……ほら。用があるのなら早く言いなさいよ」
顔だけ後ろを向けて私は問う。――問われたそいつは、
「――――今日を、待っていた。渇望していた」
籠ったはっきりしない声で、それでいて明確に喜びを口にした。
見ればその姿は濃い霧で覆われていてよく見えない。ただただその双眸が赤く光っているのが確認できるだけだ。……こんな奴がいようとは。知らなかった。
――もっとも。恐れているのではない。少しだけであるが――私は喜んでいるのだ。
「やる気ってんなら相手になるわよ?」
実際ストレスが溜まりに溜まっているのもまた事実。ぶっ潰してもいいのなら喜んでぶっ潰したい心境なのだった。
先に動きを見せたのは相手の方だった。
「――やはり、お前も〝同類〟か」
言いつつ身を震わせるそれは、まるでかつての私のようで――いや、今も変わらない。つまり、目の前のそいつが言う通り、私とそいつは同類なのだ。今そいつがやっているのと同じで、抑えきれない衝動をぶつけられる対象の出現に対する悦楽を隠しきれないのだ。私は私で体の震えが止まらない。――これが武者震いか。神崎カイに感じた得体の知れないプレッシャーとは別物の、まごうことなきストレートな威圧感。私はそういうはっきりした奴の方が好きだ。隠す気のない裸の感情をこそ私は好む。……ならば、こいつならばこの力をぶつけてもいいのではないだろうか。これが誘惑であることはわかっている。……だがこれを拒めば私は目の前の何者かによって殺されるだろう。それでは贖罪にならない。私は生きて、何か解決策を見つけたり私に続く者を生み出さないように努めなければならない。――だから。
「そうよ、あなたと同じ〝バケモノ〟よ」
全力でこいつを倒すことにした。
「バケモノ……誰が? 私が? バカな、バカな、バカな」
「そうよ。あなたはバケモノ。そして当然私もよ」
……まさかそんな姿をしておいてバケモノである自覚がなかったというのか。微かに感じた侮蔑の念を込めて、私は力強く返した。……だというのに。
「――ハ。失望した、失望した、失望した。出会って早々だが、私は君に失望した。心底、心底だ……どうやら君は、私とは違うようだ。私は断じてバケモノではない。私は、そう、私は気高き〝ハンター〟だ」
逆に限りない侮蔑の念を浴びせかけられる結果となった。
「その見た目でどの口がバケモノじゃないなんて言うのよ」
「ならば私の気高き一撃を受けて、その考えを改めるがいい」
「――はぁ? どこまでポエミーなのよアン――」
私がアンタと言い切るより速く、
その霧に包まれながらも理解できるほどの強靭な脚から、
私の腹部めがけて――――
尋常ならざる一撃が繰り出されていた――――。
「がっ――――!?」
吹き飛ばされる。吐血する。その痛みで消えかけた意識が何とか維持される。さらに同時に追撃が飛んでくる可能性を察知して瞬時に体勢を立て直す。そこでようやく、今の一撃が蹴りであったと気が付き、再び飛んできた一撃を蹴りと見極めそして
「二度目はないから……!」
間隙を突いて鋭い一撃を放つ。
「ガァァ――――!?」
今の一撃が槍めいた鋭さを以って放たれた拳であると気付くのに、目の前のバケモノはいったいどれほどの時間がかかるだろうか。
ちなみに答えは『気づけない』である。――何故ならそいつは、
「続いて二発目!」
今この瞬間にこの世からグッバイするからだ。
加えて言うなら二発目というのは厳密に言うと誤りだ。何故なら二発目というひとくくりにするには攻撃数が多すぎる。二発目とほぼ同時に三発目、四発目、五発目――と。私の拳は襲撃者を襲うわけで、それはもう二発目なんてレベルではなくなっているからだ。神崎カイとの戦いでは全く披露できなかったこの速攻戦法こそが、私の力を最大限に生かしたものなのである。――え? 爪? あれはあんまり優雅じゃないから怒っていないときは使いません。キャットファイトは好きじゃないのだ。ちなみに、殴り合いもキャットファイトなのでは? といった旨の指摘も受け付けませんのであしからず。
「……ふぅ、まあこんなもんか」
殴るのを止める。……気づけば私は、馬乗り状態で襲撃者を殴っていた。――よくないよくない。はしたないわ、私。
「……つーか、マジに死んじゃった?」
あれだけ息巻いておいてなんだが、正直なところ実戦なんて初めてだったので速攻戦法が得意かどうかも分からないし、これでホントに食らったヤツがあの世行きかどうかさえも怪しい。だが実際ハイになって攻撃してしまったので、本当に殺してしまったかもしれない。……と、それなりに不安になっていたのだが。
「――グ、ガ、貴様」
相手もバケモノなだけあって、しっかりと意識も残っていた。
「あら、存外しぶといのね、あなた」
内心を気取られないよう言葉を繕う。
「侮るなよ女。私はお前などとは踏んできた場数が違うのだ。実に、実に、残酷な事実ではあるが、圧倒的に、だ」
そう言い始めた時点で、私は思わず襲撃者から離れる。――甘かった。このまま殴り続けるべきだった。だというのに私は、あろうことか己の勝利を過信し攻撃の手を止めてしまった。その上に、私は目の前の襲撃者から放たれたプレッシャーに気圧され、距離を取ってしまったのだ。――負けたのだ、この時点で。私は、精神的に敗北したのだ。
閃光。そう見紛う程の鋭利な刃。いや、爪か。はたまたそれ以外の何かか。分からなかった。それが腕の部位から放たれたということしか分からなかった。
「――――っ!」
間一髪で回避する。だがそれは、あくまで致命傷を負うことからの回避でしかない。
「――――う、ぁ」
次の瞬間、私の視界で宙を舞う、誰かの左腕。――誰の? 違う、それは私の左腕だ。
「今の一撃を避けたか。――それは見事だ。評価しよう。だが、しかし、残念だが。そのことを誇りに思う時間は少ない。――次は取る」
霧が微妙に赤く染まる。私の血なのだろう。――ああ、甘かった。なんて、浅はかなのだろう。誇りに思う? 違う。そんなわけないでしょう。私は、このまま後悔したまま死ぬのだ。悔しさしかない。――いやだ。贖罪も理由の一つだ。だが、それ以上に私は生きたい――――
「諦めるのはまだ早い」
「――――え?」
振り返る。そんな私の体を、いくつかの黒いナイフが掠める。――いや、明らかに刺さる、刺さるのだが透けて越えていく。昨日の明朝に戦った時とは明らかに状況が異なっている。今透けていったナイフは、恐らく私が受けたもの――残留思念の具現化したナイフと同種のものだろう。……だがそれは私を越えていった。そしてそれは私にとどめを刺そうと迫っていた霧の襲撃者に到達し――――
「ガァァァァアアァァ――――ッ!?」
その動きを止めた。
「俺の攻撃は、投擲した残留思念に対応した対象者にしか通用しないということだ。今の戦闘感情からいくつか繕わせてもらった。――というワケでさっさと逃げますよ、風宮さん」
普段の話し方と、先ほど私に対して行っていた丁寧な口調を交えながら。
神崎カイは私に手を差し出していた。
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