第9話 私が叶えてやろうと思って
半透明の扉は、一度閉ざされても消えずにそこに在った。
ハルトは恐る恐る、アルグは意気揚々と、それをくぐって白い石造りの廊下を行く。
これも魔法に似た太古の技術というものなのか。廊下を進むごとに、柱に備え付けられた明かりが、独りでに先へ先へと灯されていく。反対に、通った場所にある明かりは、音もなく消える。そんな不思議さもあって、来た後も行く先も暗闇に沈む一本道は、どことなく気味が悪かった。白いだけで飾り気のない様子が、空々しくもある。
それにこの廊下には、罠が仕掛けられていた。奥へ進むごとに、既に解除された——あるいは作動された罠が、次々と現れた。恐らく、先に入った魔法使いの二人がやったのだろう。そうした罠には、人形の残骸が残されていた。
ここは魔神の眠る地へと続く廊下。不届き者が簡単には侵入できないように、いくつもの試練で守られている。そんな風情だ。
それを予想していたらしい。ギイドたちは人形を先行させて、罠をかい潜ったのだろう。
それならば、まだ追いつく余地はある。
そう言ったのはアルグだ。またまた出し抜かれて遅れを取ってしまったものの、罠に足止めされる分、ギイドたちは時間が掛かっているはずだ、と。
とはいえ、まだ罠が残っていないともかぎらない。それについては、石の壁に隠された仕掛けだろうと、魔法的な何かの痕跡だろうと、余さず見破れるキィナが警戒して、慎重に——慎重に進めばどうにかなる、は、なるのだが……。
そのキィナが、ハルトの後ろに身を隠すようにして、服の裾まで控えめに握って歩いているのは、どうしてなのか。都合先頭を歩く羽目になったハルトは思う。いや分かる。
キィナはあの
(恐かった……)
そうして青ざめている様子は気の毒なくらいで、それでも先を急がなければとふらつきながら立ち上がったのには、ハルトは大いに感心させられた。
しかし、それでもう、持ち寄った勇気は使い果たしてしまったようだった。キィナは罠の有無はきちんと確認して、周囲にも目を配ってくれるものの、廊下の先へと視線を向けようとはしなかった。廊下の先、ずっと奥。そこには何より恐いモノがいる。
ハルトだって、そう思うと心臓がばくばくして、一歩が重くなる。それに——ちら、と白い廊下の隅に目をやった。そこには罠に掛かって無惨に引き裂かれた、人形がある。それがいやに生々しく見えて、ハルトの心胆を寒くさせる。
『それにしても。
思ったよりも危ない奴だったな』
そうして廊下を進んでいると、ハルトの肩に乗ったアルグが、思い出したように切り出した。鳥の鳴き声が、逃げ場の無い廊下に響き渡る。それはちょっとわざとらしく聞こえた。
『能力が高い分、質が悪い。
少年にはキツい相手だったか。
しかしあれに呑まれているようでは、この先身が保たないかもしれないぞ』
「…………」
そんなこと言われても、と思う。
あの人は----あの人の心にあったのは、ハルトがほとんど初めて感じた、深い闇。今、思い返しても身震いする。それは目を逸らすことを許さない、強固な意志、そのものでもあった。
ハルトは軽く頭を左右に振り払うと、強いて天井や周囲に目を向けた。
「——ここ、どこだろう」
さっきから気になっていた疑問を口にする。あの扉は何もない場所に現れたのだ。ならば果てがないように続いているこの長い廊下は、いったい何処にあるのか。そもそも、確かに実在している空間なのだろうか。そんな疑念が余計に不安を募らせる。
キィナも天井を見上げて言った。
「たぶん、島の中、かな。ずっと上の方に地面と森が見えるの。町はあっちにあるみたい。下はね……なんにもない」
言いながら下を向き、ほんの少し表情を曇らせる。広い大地で育った彼女には、足の下にある地面の先が空——というのか、空っぽの空間だというのが、それだけで居心地の悪いものらしい。
キィナは無理矢理に上を向いて、小首を傾げた。
(上で見たときは、島の中身にこんな変な場所、見えなかったけどな)
『別々の場所にある空間を、あの扉が繋いでいるんだろう。
自然にあった洞窟を利用しているのかどうかまでは分からないが。
魔神の一部は島の内部に封印されていたのだな』
白い石で造られていた廊下は、だんだんとむき出しの——色の黒っぽい荒削りの岩肌が見えるようになっていた。それにつれて、柱にあった明かりも少なくなって、薄暗くなる。それは確かに、天然の洞窟に人の手を加えたようにも見えた。
——ということは……。
キィナのために簡単に通訳してから、ハルトも天井を見上げた。
知らなかった、とはいえ。——たぶん知らなかったんだろうと想像するだけなのだが。コードリッカは魔神の上に町を造っていたということになる。それはなんだか、危なっかしい……気がする。ハルトにはただただ驚きだった。
『…………』
するとどういうわけか、不満を色濃く含んだ気配が、傍らから漂ってきた。ハルトの肩にのし掛かるように腰を落ち着ける、アルグだ。
「?」
ハルトは瞬きして、首を捻って鳥を窺う。そういえば、今の言い草もどこか投げ遣りだった。
『……父親の時と違って、あまり動じてないな』
ハルトはさらに瞬きして、前に向き直る。
——それはだって、父親じゃないから……。
さっきの魔法使いたちとのやり取りを言っているらしい。
正直、同じ反応を期待されても困る。どんなに接点が無くても、父親は父親だ。それに父の場合は話に聞いていた、想像していた人物像とかけ離れていた。一方、アルグの場合は——そう。言葉にするなら、これだ。
「納得、できたから」
アルグは初めて会った時から不可解で、怪しい、謎の鳥だ。悪いヒトではなさそうだけれども、かといって善いヒトかというとそうでもなさそう。ハルトをして腹の内で何を考えているのか見通せない、胡散臭さがずっとあった。
だから三大悪党だとか言われても、腑に落ちてしまうばかりで、父のような衝撃も動揺もなかった。
加えて言うなら、さっき驚いていたのはむしろ別の事で——。
「本当に、すごい魔法使いだったんだ、て」
『そこから!?』
アルグが翼を広げてばたつかせる。
ハルトはちょっとむせた。
もっと言うなら、そんな細かいあれこれでさえない。昨日からずっと——まだほんの半日ほどの間に、いろいろありすぎて、ハルトはもう何に驚いていいのか分からなくなっていたのだ。
それなのにぽんぽん話は進むし、どんどん状況が変化するものだから、そんな暇もなかったというか——。もうついて行くだけでやっとだったというか——。
そうして暴れる鳥を、キィナがむんずと捕まえる。足を止めた彼女に、ハルトは羽根を払って振り返った。
キィナは存外、恐い顔をしていた。
「トリさん、悪いヒト?
本当は何がしたいの?
悪巧みなら、もう協力できないよ」
暖簾の前髪の下から、顔を近づけて睨み据える。両脇から翼ごと捕まえられて身動きできないアルグは、その剣幕に言葉を詰まらせた。これまでのようなごまかしやだんまりは、許してもらえそうにない。
『…………』(そんなに恐い顔しなくても……)
アルグは群青のつぶらな瞳で控えめに向き合って、やがて「じぇーー」と嘴の端から声を漏らした。自分から話題にしただけあって、話すつもりはあったらしい。アルグはちらりと、ハルトに目配せする。
『まあ、故意に諸々隠し立てしたのは事実だし、少年を利用しているのも認めるところだ。実際、少年にはいてもらわないと困る』(もしものときの切り札になる……かもしれないからな)
「?」
「やっぱり悪い人なんだ」
きゅっと握る手に力が加わる、その寸前でアルグはけろりと言った。
『ただ私は、始めにきちんと名乗ったはずだ』
「…………」
確かにその通り。流れのまま通訳してから、ハルトは視線を逸らして口を閉ざす。世情に疎い自覚はあった。
さて、とアルグは気を取り直して言う。
『どう話したものか……。
わりに大事なことかもしれないな。
よし、順序よく行こう。
どうして魔神の封印に、〈鍵〉があるのだと思う?』「——て」
「? 〈鍵〉って、あの透明な石の飾りでしょう? ハルトのお母さんの形見」
キィナが不可解そうに首を傾げた。
ハルトも同じ心境だ。変な形の鍵だな、とは思った。しかしそれがどうしてあるのか、と聞かれても意味が分からない。
アルグが何を言いたいのか、話がどこへ向かおうとしているのか。そこに何か意図があるのは分かるので、ハルトは黙って通訳する。——通訳しながら、気付いたことがあったので、付け加えた。
「鍵、二つあった」
『む? 言ってなかったか?
魔神の鍵は全部で十個ある。それぞれ色が異なって、封印を解くには各場所ごとに二種類の鍵が必要なのだ。そうやって、簡単には解かれないようにしているわけだな。安全装置の役割なのだが——』
そこでアルグは首を捻って体を反転、キィナの手がやや緩んだ隙をついて、前に向き直った。嘴を揺らして先に進むように促す。
これ以上遅れるわけにはいかない。
ハルトとキィナは顔を見合わせて歩き出した。
『そんな細工さえ、考えてみれば不自然なのだ。神サマが封印したのなら、そもそも鍵なんて必要ないはずなのだから。
鍵は閉ざす物であると同時に開く物でもある。
つまり、鍵が存在するということは、いつか開く意図があったということになる』
「んーー……。封印したのは、ティー=リー神じゃないって言いたいの??」
逃げられそうになったので、キィナは胸と腕でがっちりと抱えるようにアルグを捕獲——というか抱っこしたまま問い返す。ハルトの肩よりむしろこの方が据わりが良いと、アルグはそもそも抵抗する気がない。すっかり落ち着いた顔でうなずいた。
『結論から言えば、そう。
その辺にも誤解というか、神話のからくりがあるのだよ』
きっかけはやはり、ハルトの父親オルレイン・ザラトールだった。
二十年ほど前のこと。
当時はまだ魔法院で大人しく教授をしていて、その博識さと技量から「賢者」と呼ばれ称えられていたアルグ——その頃は当然人間だった、のところに、オルレインがやって来て言った。
「太古の昔に使われていた魔法について知りたい」
初対面の若者の唐突な問い。しかし至極真面目な問いかけでもあった。
だからアルグも真面目に答えた。
「そんなものはない」
——と。仮に神話が事実で、魔神が存在するとしても、それを封印したのは神サマの御技だろう。そんな風に返答した。
今思うと浅はかな見解だ。しかし当時は、神話などにまるで興味がなく、そんなアルグにしてみれば精一杯の対応だった。
魔法とは、空において発明された技術。その始まりは明確に記録されていると言っていいもので、少なくとも太古——神話に語られる時代には存在しなかった。神話がまだお伽話と考えられていた時代。その辺りの云々は置いておくとしても、それだけはアルグには断言できた。
しかし、
「そんなはずない」
オルレインはアルグの意見を一蹴した。
何度も言うが——その頃は本当の本当に最高の権威で、名高い魔法使いだったアルグの言葉を、頭から否定してみせた。
「魔法が無かったのなら、それに似た何か別のものがあったはずなんだ」
不思議と確信に満ちた目をしてオルレインはそう言った。
『くやしいじゃないか。
あいつは「あんたでも知らないのか」とかぬかしたんだぞ。
で、私も調べてやった』
それは意地でもあったが、同時に、妙な若者の話に興味をそそられたからでもあった。
そして見付けた。
魔法院の管理する図書館の奥の奥、アルグでさえ閲覧を制限されるような禁書の棚の隅——というか裏側のような場所にひっそりと、無造作に、紛れ込むみたいにして置かれていた。隠されていたのか、それとも単にうっかり忘れ去られてしまったのか。どちらともとれる危うい書物だった。それをこっそり手に入れるだけで、多少の苦労を要した。
その書物の内容は、魔法院が設立される以前、空の歴史が始まるぎりぎりの時代、その当時の日々を記録した、日誌のようなものだった。それだけでも、アルグにとって新事実満載の貴重な資料だ。けれども知りたい事の核心には全く触れていない。触れていないなりに臭わせる、読み取ってほしい行間はあった。
誰が記したものなのか。恐らく事実を全て知った上で、書き残してはいけない何かを、なんとか訴えようとしている。後世に伝えなければいけない何かだ。そんな雰囲気を感じた。
その日誌と、その他の古い遺物や、オルレインの研究、地上に行って見た知識と、確かにある事実。そんなものをつなぎ合わせて導き出した——結論。
『神話の時代、〈魔法〉はあった。
現在とはまるで違う、魔法のような力だ。それが「太古に失われた技術」と言われるものだった』
結論というより、推測に近いものらしい。
遺跡を守るゴーレムや、半透明なあの扉。魔神の封印と鍵。あれらは全てその技術で出来ていて、ずっと神話の研究をしていたオルレインにしてみれば、明白なことだったのかもしれない。そう、アルグは付け加えた。
『失われたという表現も語弊がある。
人間の数が著しく減って、さらに空に大移住したせいで自然と廃れたのではなく、敢えて伝えなかった。それも、陰謀ではなく総意だったようだ』
長々と語るアルグに、キィナは難しい顔で唸った。
「まわりくどい……」
ハルトもこくこくうなずく。実のところ、長過ぎて半分も通訳できていなかったりする。
『む、そうだな。……面倒だし、時間もない。過程は省くとしよう』
ハルトにちらと視線を向けてから、アルグは鷹揚にうなずいた。
『太古の〈魔法〉は神官が使うものだった。
神官とは、神様——つまりティー=リーを崇め、祭事を行う人たちであり、またその全てが天恵を持つ人たちだった』
「——て。そうなの?」
ハルトは思わず聞き返していた。
天恵を持つ人は、ものすごく数が少ない。自分がそうだから実感はわかないものの、島に一人いるだけでとても珍しいそうだ。だからこうして天恵を持つ二人が出会うという状況は、奇跡と言えるくらい滅多にないことだった。それは地上でも変わらない。キィナも横できょとんとしている。
『天恵は、ティー=リーが持つ能力の一部を借り受けている、という説がある。
大地にあって現在よりもずっとティー=リーの加護が強かった大昔は、その分、天恵を持つ人も多く、力もより強力だったらしい』
諸々の詳細は、後でオルレインの論文でも参考にしなさい、とアルグは丸投げする。
「じゃあ魔法って、天恵のこと?」
小首を傾げて聞いたのはキィナ。
アルグは少し考えてから、言った。
『それもある。しかしそれだけではない。
彼らはティー=リーに祈りを捧げることで、常にはない事象を起こしたらしい。〈祝詞〉と言うそうだな。どういう仕組みか、それは現代の魔法を凌駕する、卓越した技術の源だったようだ。
そして、そんな神官が大勢集まり、祈って、ティー=リーに直接働きかけることで、もっと大きな奇跡を起こしたのだ』
「どうゆうこと?」
また、話の行方が分からなくなる。
キィナの疑問を受けて、アルグは先を続ける。
『神話に話を戻そう。
太古の昔、大地で何が起こったのか。
神話にも実際とは違う部分があるのは知っているだろう? ここから先は、オルレインが見付けた事柄を踏まえて説明するぞ』
まず、人間やたくさんの生き物が暮らしていた大地に、魔神が出現した。
そして、世界が破壊された。
破滅の危機に陥った世界で、それを阻止するため人間が立ち上がった。人間だけではない。その他の文明を持った有力な種族も立ち上がった。現在では絶滅してしまったとされる小人や妖精、それから竜のような生き物だ。
それらの種族は互いに協力し、技術の粋を結集して、魔神に対抗する強力な武器を作り出した。それが神器。
神器を携えた様々な種族の戦士たちが力を合わせ、戦い、そして魔神を討ち取った。
ところが、魔神は死ななかった。
さらに溢れる毒で大地は汚染され、手が付けられなくなってしまった。
そこでやっと人間は——人間の神官たちは、ティー=リーに助けを求めた。
「神器が神様の授けたものじゃないっていうのは、聞いたことあるよ」
ふむふむと話に耳を傾けながら、キィナが呟く。ハルトは徐々に重々しくなるアルグの声に、表情を曇らせた。なんだか、嫌な感じだ。
『神話にある〈大祈祷〉というのがこれだな。ほぼ全ての神官が祈った。ティー=リーはそれを聞き届けて、飛翔石を生み出し大地を浮かせるという、神様にしかできない奇跡を起こした。
けれどもそれは、神官たちの命と引き替えだった』「……」
ハルトは躊躇いがちにそれを言葉にした。
キィナが小さく息を呑む。アルグは嘴を振ると、強いて平静な声音で続ける。
『神官の技というのは、どうやらそういうものだったようだ。大なり小なり、自らの命を奇跡の対価としていた。
犠牲というなら、魔神と戦った戦士たちだってそうだ。それでなくても、ほとんどの生き物が絶滅の危機に瀕していた。
それに、それだけの大規模な御技を示してみせたティー=リーも、無事では済まなかった』
ティー=リーは、全なる神。
生命が行き着く先であり、生命の源である〈大河〉を住処として、現世とを自在に行き来する。全ての生命と繋がり、慈しみ、戒め、見守る神様。
神様として崇められているけれども、不死で絶大な力を持っていただけで、恐らくその本質は、地上で部族ごとに祀られている精霊に近いものなのだろう、とアルグは説明した。
『ティー=リーもまた力を使い果たし、神様として力を振るえないほど弱ってしまった。もう本来の居場所である〈大河〉に、帰るしかなかった。
だから現代にあるティー=リーの加護は、ほんの僅かなんだな』
「それもなんか、知ってる気がする」
「え、でも……」
ハルトは思わず振り返って、キィナとアルグの顔を交互に見た。
まだ一仕事残っている。
そんなハルトに、アルグはうなずいた。
『ティー=リーには、もう魔神を封印する力なんて残っていなかった。——否、その辺りの仕組みはよく分からないのだが。もしかしたら、それも神サマの恵みの内なのかもしれない。
ともかく、封印をしたのは別の者だ。
それはたった一人残された神官だった』
その人は、最後に魔神を封印するために残されたのだろう、とアルグは言った。神官の中でも優秀な、それはそれは優秀な人物だったに違いない。
彼は、世界が空へと無事に逃れたのを見届けると、持てる力の全てを使って、己の命を燃やして、魔神を封印した。大地と、ほんの少しだけ空に。
『そうして、神官は一人もいなくなった。
それは、神官の技を後世に伝えないためでもあった。自分たちではどうすることもできなかった魔神を、間違っても復活させないように』
——それは、どんな気持ちだったのだろう。ハルトは想像する。自分を慕ってくれる人たちの危機。大勢に頼られて、必死に手を尽くして、それでも救えない。肝心な時に助けられない。
それは、とても悲しい。
どれだけ無念だったろう。
『だが、彼は願ったんだ。
だから鍵を作った』
ハルトは、はっと顔を上げた。
『封印はとても強固なものだ。力ずくではどうやっても破れない。そして思惑通り、原理の違う現代の魔法では、解けない。
でもいつか——遥か遠い未来でもかまわない。新しい技術が生まれて、魔神を完全に消しされるようになったら。その時は封印を解いてしまえるように、鍵を作っておいた。
彼らの悲願を果たしてもらう、そのために』
「…………」
ハルトはアルグの声に、ただ耳を傾けていた。すると、二つ分の眼差しがくるりこちらを向いた。
『——と、そういうわけだから、少年。キィナ嬢にも教えてやってくれないか』
「えっ? あ、うん」
そしてつい、通訳を忘れた。
ハルトが手短に説明すると、キィナは少し首を傾げて聞いて、それからしみじみとうなずいた。
「……そっか。じゃああの鍵は、その最後の神官さんの苦しさと、願いが形になったものなんだね」
それからキィナは、腕の中の鳥を抱え直して、改めてのぞき見た。
「——で?」
『で? とは?』
「トリさんが何をしたいか、て話だったでしょ」
ハルトが通訳するまでもなく、きょとんとするアルグの反応から察して、キィナは言った。
すっかり終わった気でいたアルグは首を捻ると、こっくり嘴を上下させる。
『ああ、そうだった。
その悲願、私が叶えてやろうと思って』
「は?」
事も無げに言う。
少年少女の反応の悪さに、アルグは言葉を重ねる。
『私が魔神をやっつけてやろうと思って』
「えぇーーーー」
キィナの胡散臭そうな声。
また突拍子もないこと言い出したなぁ、とハルトはアルグの崩れない自身と本気さに、呆れと感心、どちらも半分くらいずつの息を抜く。
『だって、千年もの長い間打ち捨てられていた悲願だぞ。知ったからには晴らしてやりたいと思うじゃないか。——というのは建前で』
「たてまえなんだ」
『まあ、それもゼロとは言わないが。
なんて言うのか、火が点いてしまって。居ても立ってもいられなかった、というのが一番近い表現なのかな……』
さっきまで「ジェージェー」途切れることなくしゃべり続けていたのが嘘のように、アルグは言葉少なに話を切って、群青の小さな
ハルトはその鳥の横顔を、見る。
アルグは——これまで、魔法を極めることだけを考えて生きてきた。森羅万象に精通し、己の魔法を磨き続けること。それがあまりに漠然とした、人生の目標だった。それは限りない称賛や名声を得てなお飽き足らない、果てなく続く
そんな折——。太古の神話の真実と、彼らの悲願を知った。アルグにとって、それは太古から残された課題——否、挑戦状のように受け取れた。
ならば、やってやろうじゃないか。そう思った。
それで終わりではないが、それが出来たなら、魔法を極めていく上での一つの成果——証となる。
アルグの眼前に、明確な目標ができた。
『魔神を完全に滅することができれば、それは現在だけではない、過去においても、未来においても、並ぶ者のない偉業となる』
不意に、アルグがハルトを見た。目が合った。ハルトは二三瞬きして視線を逸らす。気付かれてしまった。
(やれやれ……)と思うのは、自身に対する迂闊さにか。前に向き直って気にせず続けるアルグの声に、ハルトは慌てて言葉を重ねる。
『ただ、魔神を倒すには、一度完全な形で復活させなければならない。さっきギイドが言っていたのは、そういうことだな。
それにはまだ早い。
私はまだ、方法を見付けていない。なんの準備も出来ていない。
だから、いま魔神の封印を解かれてしまっては、困るのだよ。よって、奴らをくい止めたいという意志に、偽りはない!』
「えーっと……ホント?」
キィナが髪を揺らしてハルトを見る。
「ほんとう」
「そっか」
ハルトがうなずくのを確かめてから、キィナは少しうつむいた。そうすると、抱えた鳥の頭の羽が鼻先を掠めて、くすぐったそうだ。彼女は気にせず前髪の下に隠れた眉を難しく寄せて、頭の中で話を整理している。
その横で、ハルトも行く手に透明な眼差しを投げかけて、考えてみた。
アルグは、眠っている魔神をわざわざ蘇らせて、葬ろうとしているのだ。それも言ってみれば、自分の勝手な都合のために。
もし上手く行かず、倒せなかったら?
倒すまでにいろんな場所や、人や、世界そのものに被害が出たら?
そんなこと、考えないのだろうか?
違う。そんなこともきちんと考えた上で、それでもやり遂げようとしている。自分になら出来る。むしろ、自分にしか出来ない、と。
——すごい、自信。
いろいろと思うところはあった。けれどもその自信を前には何も言えない。ハルトはただ小さく苦笑する。
唸るキィナが、首を傾げた。
「……なんか、良い事じゃないっぽいような、でも悪いとも言い切れないような。
とりあえず、今回は目的が一緒だから、協力する——で、いいのかなぁ……」
よく分かんないや。と、キィナは首を振ってそう結論づけた。というより、半ば思考を投げ出した。
返事をするように、アルグが「ジャー」と鳴いた。
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