第8話 石造りの守護者

 「ハルトはたぶん、巫女様と似た力を持っているんだね」

 出掛けにハルトの両手を握って、キィナは言った。鶯色の前髪の下で、濃い黄色の瞳が真っ直ぐハルトを見ていた。

「巫女様は大地の声が聞けた。

 あのね、わたしにも天から授かった力があるの」

 ハルトは小首を傾げる。

 キィナはにこりと笑った。

「わたしはね、目が、すごく良いんだ」



 目の前にそびえる巨大な動く石像が、関節を繋ぐ白い光まで赤く変え、無機質な目玉で自分たちを見下ろしている。

「——っ!」

 その段になってようやく、ハルトは恐怖を感じた。

 たぶんこれは生き物ではない。だからハルトには、あるかどうかも分からない感情や、先の行動を読み取れない。けれども自分たちに狙いを定めたことくらいは分かった。

 体が凝り固まったみたいに動かなくて、目だけを動かして見れば、側に立つキィナまで呆然と見上げたまま動けずにいる。心から手足の先までを縛る恐れが、ハルトには目に見えるようだった。

 のろのろと、動きを確かめるように振り上げられる、巨像の拳。石が擦れて重い音を立てる。

 それを意識すれば、体は動いた。

『少年! キィナ嬢!』

 アルグの叫びが励みになる。

 ハルトは棒立ちになるキィナに体当たりするように跳ね起き、そのまま全力で駆けた。

 思ったよりずっと早く、背中で地響きが聞こえる。その衝撃が地面を揺らしてハルトの足をもつれさせ、キィナを抱えたまま転けた。

 げほっと息を吐く。

 ゾッとする。

 あんな拳で殴られたら——。

 想像したくない。

『大丈夫かっ、少年!』

「だ、大丈夫じゃないよ……」

 これが自分の声かと思う、弱々しい震え声だった。腕を支えに身を捻って後ろを確かめる。巨像は振り下ろした拳の下にハルトたちがいないと気付いて、頭を滑るように何度も回転させ、探していた。その様子はあんまり賢そうではない。

「……なにあれ」

『〈ゴーレム〉というやつだな。確かオルレインの資料に記述があった。動く石の人形だ』

 それは見れば分かる。

 そういうことではなくて——。いや、言っている場合ではなさそうだ。

 石人形ゴーレムがハルトたちの姿を捉えて、また赤い目玉を強く光らせる。草を踏みわけ、邪魔な木をへし折りながら、ずしんずしんとやって来る。

 ハルトは重い体をなんとか持ち上げて走ろうとした。そこで、キィナがぐったりしているのに気が付いた。震えている。

「キィナ、走って!」

 ハルトでは、もう一人を抱えて逃げることなんてできない。腕を引く。それでもキィナは動こうとしない。小さく頭を横に振る。

 だからもっと強く、腕を引いた。

「走って、お願いだから!」

「!」

 繋ぐ手から流れ込んでくる、痺れるようなキィナの恐怖。ハルトだって恐い。あたりまえだ。丸ごと振り払うように、叫んだ。

 キィナがはっとして顔を上げる。

 ハルトと目が合った次の一瞬、隙間からのぞく瞳を横に滑らせ、迫るゴーレムを見る。俊敏に立ち、今度は一拍遅れるハルトを振り回すように引いて走った。

 乱雑に横薙ぎする腕を、間一髪避ける。

「ごめん。ありがと」

 そのまま走っていくらか距離を稼いだところで、キィナは急停止して滑りながら振り返った。

 手を繋いだままで引きずられる格好になったハルトは、勢い数歩先へ行ってたたらを踏む。危うくまた転けるところだった。息をついて顔を上げる。

 そこには、巨大なゴーレムを見据えて刃を構えるキィナの背中があった。

 風が草木を撫でていく。キィナは内にある怯えをその風に合わせて、呼吸を整えることで落ち着かせる。刃を手の中で回して馴染ませる。

 力強く草地を踏みしめ、顎を上げて見上げた。

「…………」

 けれども、直ぐには踏み出せない。

 彼女を躊躇わせたのは、その手に持つ小刀。そして近付くゴーレムの、頑丈な石の体。

 ハルトから見れば、包丁よりもずっと長いキィナの得物は、それだけで充分に恐ろしい凶器だ。しかし普通の剣と比べれば短く、厚みも薄い。とてもではないが——文字通りの意味で、刃が立たない。

 キィナはぐっと口を引き結んで顎を引く。どこからか取り出した髪留めで、さっと前髪をよける。小さな背中が力を溜める。

 それから、駆けた。

 ゴーレムに向かって一直線。

 その大きな腕の間合いに入った途端、石壁のように突き出される巨大な拳。振り上げるよりも振り下ろす方が遥かに速い。

 地響きと砂煙。ハルトは身をすくませる。

 キィナは宙に身を踊らせていた。

「はっ!」

 巨大な拳を上方に跳び上がってかわし、腕を振るう。

 さらにゴーレムの巨体を足場にして跳躍。

 反対側の肩口にも刃を走らせる。

 狙いは光の関節。腕や肩、石と石とを繋いでいる隙間。僅かなその隙間を、過たず銀の閃きが走り、真っ赤に染まる光の帯を断ち切る。

 キィナが軽やかに着地するのと同時に、

 切られた腕が、重量に任せて地面に落ちた。

「やった」

『すばらしい!』

 のし、とハルトの肩に鳥がのし掛かって、歓声を上げる。二人が危ない間、空に舞い上がって難を逃れていたアルグだ。

 しかし——。

 キィナが振り返り、様子を確認する。

 その目の前で、落ちたはずの石がふわりと浮き上がった。元あった場所にくっついて、ぐるりぐるるり回ったかと思うと、何事もなかったように、石人形の一部としてまた動き出す。

 キィナが愕然とするのが目に入った。

 その隙に、ゴーレムが後ろを向いたまま、ぎこちない動きで背後に向かって腕を振るう。関節の向きというものはないらしい。その上、赤く光る関節の長さも、ある程度調節できるようだ。さっきよりも少し離れて立っているキィナに向かって、腕が発射されるみたいに伸びる。

「!」

 キィナの反応がちょっと遅れた。

 それでも遠い分だけ余裕があって、横に跳ねて避ける。そのまま足捌き一つでゴーレムの懐に突進。通り過ぎる。ハルトには見えなかったけれども、その際にも攻撃を加えていたらしい。ゴーレムの足が、頭が、ごろりと落ちた——ものの、また直ぐにくっついてしまう。

 キィナは苦い顔をすると、ゴーレムと向き合ったまま後ろ向きに二度跳ね、ハルトの横に戻ってきた。そしてくるり反転。素通りして、茂みに飛び込む。

 ——えーっと……。

 ハルトも慌てて追いかけて、その横に並んでしゃがんだ。

「無理ムリ無理ムリ。

 なんで? なんで? どうしろっていうの??」

 膝を抱えて、ふわりとした豊かな髪を広げ、首を小刻みに横に振る。

 そんなキィナの代わりに、ハルトは二人の間に飛来して、腰を落ち着けるアルグを見た。

「魔法?」

『とは違うものだ。

 あれは太古の失われた技術。何かの術のようなものに違いはないのだろうが。現在ある魔法とは、根本となる力や原理からして異なっている。何がどうなって、ただの石に見えたモノがあんな風に動いているのか。私にもさっぱりだな』

「史上最高の魔法使いのアルグにも?」

『この世で最も偉大な魔術師の私でも、分からないものは分からない!』(というか少年は、父親とおんなじようなコトを言ってくれるなあ)

 内心はともかく、こんな時でも自信満々、胸を張って言い切る。『何千年単位で昔のものが、現在いま動くだけで驚異だな』と、むしろ楽しそうだ。

 それをハルトが手短に伝えると、

「ダメじゃん」

 キィナは膝に顔を埋めてしまった。

『まあ、あれだ』と、アルグが少々居心地悪そうに翼でなだめる。

『想像することくらいはできるさ。

 恐らく、昨夜の人形とあまり変わらないものではないかな』

 魔女が影の中から呼び出した、怪物のことを言っているらしい。あの怪物たちは、キィナに倒されるとするするしぼんで、後に人形だけを残した。人形と呼ぶのも気が引けるような、荒い布をはぎ合わせて、人の形に雑に縫い合わせただけの代物だ。三体ともそれぞれ、キィナに刺された箇所に破れ目があった。

 造形は残念でも、それ以外は材料を含めてなんの変哲もない人形。

 アルグによると、それは従者を作り出す類の、よくある魔法の一種とのことだった。やり方はいろいろあるが、あれは人形の中に魔力を帯びた影を入れて仮初めの命を与え、それを使役していたのではないか、と。

 大抵の場合、それらの従者は簡単な判断力しか持たないので、複雑な作業には向かない。しかし術者は命令するだけでいいので、手が足りない時などには重宝する、のだそうだ。

 言われてみれば、と思う。似ているかもしれない。ハルトは茂みの葉っぱをかき分けて、動く石像をのぞき見る。

 あれも元はただの石だった。それに加えて、わりと目の前で茂みに隠れたのに、ハルトたちの姿が見えなくなると直ぐに見失って、端から探しているところなんて、いかにもだ。あれ自身に状況を見て判断できる複雑な思考力は無い。というより思考が無い。それがハルトには分かる。さっきの攻防にしても、キィナの位置に対する反射の行動のようだった。

『大昔の命令——というより、手順か。それを忠実に実行している、というところなのだろう』

 アルグが言うと、キィナがそろそろと膝の上に片目をのぞかせた。露わになった黄色の眼差しが、不安いっぱい揺れている。

「つまり?」

『つまり……』

 ここははっきりと道を示してあげたいところだ。——が、アルグはその意気込みとは裏腹に、珍しく言葉に詰まった。つぶらな眼を細くして、首を縮める。嘴から漏れる声も、押し潰したように濁った。

(一番簡単なのは、本体を砕くこと。だがあの石の体を粉々に壊すのは難しい。そもそも、あの形を成した際の復元力を見ると、それでなんとかなるか、怪しいところだな。

 それなら操っている術者をどうにかするか、命令を取り消しにすればいいが——。とっくの昔にいなくなっている者を、どうにかできるはずがなし。命令の方に至っては、なにがなにやら分からん……)

 アルグは唸る。やがて何かが爆発したように、翼を大仰にばたつかせた。

『ええい! もう面倒だ!

 あんなモノ、なにがしかの力で動いているのには違いない。それを断てば勝手に止まる! 相場でそうと決まっている!』

「——て。あんまり自信なさそうだけど」

『それは余計だ』

「あれを動かしている力? それを切るの?

 よく分かんないけど……」

 キィナは顔を上げると、膝を地面に下ろして茂みの向こうに視線を注ぐ。目を凝らすというよりは皿のようにして。大きくまん丸に見開かれる瞳は、中心にいくほど黄色みを濃くして、不思議な光を内に秘めているみたいだった。

 キィナもまた、天恵の持ち主だ。

 その才能はハルトのそれとは違って、〈天眼〉と呼ばれるものだった。

 普通の人よりも、ずっと遠くまで見える。建物や樹木、その他障害となる物をなんでも透かして、その奥にある物が見える。そればかりか、ふつう目には見えないような物も見える。光や風の流れ、音、魔力、人の内にある魂、よく分からない何かの力などなど。確かにそこに存在しているならば、それらもまた、キィナの目は映し出した。

 その視界は、慣れない常人なら一刻と保たずに頭痛に襲われるような煩雑さで、ほんの少し垣間見ただけのハルトが、一瞬で目眩を起こしたくらいのものだ。それをキィナはきちんと処理しているのだから驚きだった。——そう思うハルトの知覚している世界だって充分に、常人を一日で狂わせるようなシロモノなのだが……。

 ハルトは目を閉じて、行儀が悪いとは思いつつ、その視界を覗き見る。彼女が今、何を見ているのか知りたかった。

 いつも見ているのより、遥かに色彩豊かで精細な景色。目の前にあるはずの茂みは跡形もなく、その先にある木立や草葉は輪郭線だけを残して透明になる。そうして見るのは地を揺るがしながら動き回るゴーレム。今はキィナがそこに意識を集中しているから、ハルトでもなんとか見ていられた。

 ハルトたちを探して、手近にある隠れられそうな物陰を粉砕するゴーレムの、石でできた体。その内側。伸び縮みする関節部の赤い光とは異なる、細かい——砂粒よりも細かい光の流れが見て取れた。本来ならば目に見えないその光は、いく筋もの流れを作って複雑に全身を巡っている。

 これが動力というものなのだろうか。ハルトは少し感心して見た。まるで血液の流れのようだ。キィナはその流れを丁寧に追っていく。

(動物みたいに心臓や頭にたくさん集まるわけじゃない。均等に巡ってる。でも、これを辿っていけば……)

「見えた」

 呟いて、キィナは立ち上がった。

(大丈夫。できる。できる。

 問題は、石の硬さとこの方法でいいかだけ。やり方は、難しくない、よね?)

 手の中にずっと握っていた刃を持ち直す。そうやって、直ぐに動き出さなければ動けなくなってしまう自分を、キィナはよく自覚していた。

 ゴーレムの赤い目が、姿を現したキィナに気付いて顔を向ける。

(行く!)

 茂みを揺らして、キィナは駆けた。

 狙いは、一点。

 ハルトはぱちっと目を開けて、思わず茂みから頭を出していた。走るキィナの背中に、息を詰めて強く拳を握る。

 キィナはすばやくゴーレムの懐まで潜り込んだ。ノロマで巨体な分、そこまで入り込まれると、振り上げた拳に意味がなくなってしまう。

 まずは片足。さっきまでとは違って片手に一振りだけ持った刃で、踏ん張る足の関節を斬り、体勢を崩す。

 よろけて地響きと共に手を付いたところを駆け上がるついでに、反対の腕も落としてしまう。そうして時間を作って、キィナはゴーレムの背後に取り付いた。

 ゴーレムが頭をぐるり反転させて、自分の背中にしがみつく少女を見た。振り払おうと腕を伸ばしても、長さが足りない。もう片方の手は自重を支えるので忙しそうだ。

 キィナは腰の後ろからクナイという名称らしい、投擲用の黒い短剣を抜き放つ。

 狙うのは、そこ。

 ゴーレムの背中。

 祭壇だと思っていた石の一点に、全身を巡る光の粒の流れが一度集まっている。出発点みたいに。もつれた糸の結び目みたいに。

 そこが、急所。

 キィナはその一点に、短剣の切っ先を突き立てた。

 がつっ! と音がして、浅く刺さるだけ。

 その間にも、ゴーレムの落ちた腕は戻ろうとしている。

 刹那も置かず、キィナは刺さったクナイの尻を足の裏で踏みつけると、両腕を支えにその足を振り上げた。

 天を突く、しなやかな足の——高さ。

 その勢いと体重、身の捻り、全ての力を乗せて、蹴り込む。

 反動で後ろ向きに跳び離れると、空中で一回転、草地に着地する。

 石像全体からすれば、それはあまりに小さな傷——その、はずだった。

 背中の石を割って突き刺さる刃。その瞬間、ゴーレムの全身が、強ばったように動きを止めた。頭から、赤い目玉がふつりと消える。糸が切れたみたいに、重たい石の固まりが、ぶつかり合いながら地面に転がった。

 それを目の前で見ながら、キィナは直ぐに構えを解かなかった。視線が瓦礫の上を忙しなく動く。入念に、入念に、確かめる。

(もう、動かないよね?)

 石は沈黙したまま。ハルトが見ても、キィナが見ても、光の気配はどこにもない。

 さらに一呼吸置いてからやっと、キィナは腕の力を抜いて、背を伸ばした。息をつくのと同時に、髪留めも取ってしまう。

 頬を緩めてハルトたちを振り返る頃には、黄色の瞳は前髪の下だった。

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