第39話 終幕・再出発

 騒動の夜が明けると早々に、ヴァイオレットはコルトコネの別邸から退散することにした。魔法院にアルグの居所が知られてしまったので、あまり長居すると追っ手が来てしまう。そうなると、ロジアムたちにも迷惑がかかってしまうからだった。

 早朝から屋敷は、昨夜の火事の正確な被害確認で大忙しだった。

 大火事に見舞われた屋敷自体は、ティー=リーの加護によってほとんど無傷と言ってよかった。しかしよくよく調べてみれば、絨毯の隅や遮幕の裾など、調度品の一部に焦げ痕が見付かった。高熱によって絵の具が溶けてしまった絵画もあったそうだ。

 あれだけ燃やしておいてその程度の被害で済んだのだから、敢えて取り上げるほどのことではないのかもしれないが、ティー=リーの守護も完璧ではないと証明された。それがもともとの性能なのか、長久の時を経た故の劣化なのか、はたまたティー=リーの力が弱まったせいなのかは知りようがない。

 ちなみに、昨夜の騒動の最中さなか、まるで姿を見せなかったレイクンがどこで何をしていたのかといえば、なんと、屋敷に火を放っていたのだそうだ。

 彼女とロジアムは、どこだかの古書市で意気投合して以来の、顔見知りらしい。屋敷を訪れたのは今回が初めてだったが、ちょうどいいので協力してもらったそうだ。つまりは共犯。魔法の炎だったから、火の回りも速かったのだろう。そして万が一の事態を回避するための対策でもあったという。

 玄関先まで見送りに出てくれたロジアムに、ヴァイオレットはそんなあれそれを教えてもらった。

「そう言えば、博物館の件はお受けすることにしたのですか」

 屋敷の進退を賭けた勝負は、受けてもらえなかったので無効のはずだ。

 聞いてみると、ロジアムは「いや」とあっさり首を横に振った。

「『ガラクタ』たちの整理は——あくまでも整えるだけだが、私もそろそろしなければならない頃合いだと思っていた。この機会にやってしまうのも悪くはないのだがね。

 そこを退く気はさらさらないよ。

 ノギアムはこれ以上仕事を空けられないそうだから、また一時休戦だ」

 昨夜の疲れ切ったノギアムの姿が目に浮かんだ。

「とはいえ次代を担うのはアレだから、どこかで互いに妥協点を見付けなければな」

 などと、物分かり良さそうに言うけれど、こちらの決着は当分つきそうにないな、と思うヴァイオレットだった。

『本当に病人なんだか……。

 あまり息子をいじめてやるなよ』

 手提げ籠の中から頭をのぞかせて、気の毒そうに呆れるトリを、ヴァイオレットは見下ろした。

「……ねえ、それを通訳するのはわたしなの。少しは気を遣ってよ」

「アマランジルのことだから、言いたい事の見当はつくなあ」

「じぇーー」

 ロジアムが口の端に笑みを乗せ、屈んでトリの頭をつつこうとする。アルグは嘴を立て、首をふりふり防いだ。

 それを傍で眺めながら、ヴァイオレットは思う。ロジアムの気持ちも分かるけれど、太古の遺跡を元にした建築で、ティー=リーの加護によって守られているのなら、むしろ博物館に相応しいのではないだろうか。オルレイン・ザラトールが興味を持って、絵を残した場所でもあるし——。

「あ……魚」

 頭の中にあるいくつかの事柄が繋がって、一つの結論を導き出す。ヴァイオレットは思わずそれを口にしていた。ロジアムとアルグに視線を注がれて気付き、両者を見比べる。

『どうした』

「ほら、魚。ザラトールの絵の裏側にたくさん書かれていたでしょう。

 あれってもしかして、ティー=リーのことではないかしら。

 ティー=リーの正体というか……真の姿が、魚なのではない?」

 ティー=リーの加護を宿す太古の遺跡。

 その中心にある鉢の中に現れた謎の魚。

 そしてザラトールが残した絵画。

 七色に染まる鳥の姿の神様を描いた絵の裏にも、「さかな」の文字はあった。泳ぐような鳥の絵。それが「ティー=リーは魚である」と示しているような気がしてならない。

 アルグはつぶらな眼を細めて、訝しげに首を傾ける。

『ん? どうだろう。

 ティー=リーの正体なんて、少なくとも現代においては、誰も知らなかった事実だぞ。それが真実となれば、確かにすごい発見だが。それだけでは根拠として薄くないか。それに、オルレインの研究にそんな記述があったかな』

 真面目に聞かれても困ってしまう。ヴァイオレットとしても、そんな気がしただけなのだ。それでも一度確信してしまうと、そうとしか思えなくなるものだった。

 全なる神ティー=リーは魚なのだ。

 なんにしろ、ヴァイオレットはがっかりした。

「それだけのことだったのね。

 正直、神様にはあまり興味がないの」

『お嬢さんは時折、身も蓋もなくひどいな……』

「だって、あんなにすごいことがいろいろ出来るのに、魔神とは直接戦ってくれなかったのでしょう。今は力もすごく弱まっているそうだし」

 神話にとっては重大な意味があるのかもしれないが、ギイドの目的にはまるで関係なさそうな事実だ。彼の脅威にならないのなら、魚でも鳥でも、なんでもいい。

「確かにそうだな」

 と、ロジアムも可笑しそうに口の端を歪めて、考え込みながら加わった。

「ティー=リーの力でも魔神には敵わなかったということかな。

 あらゆる姿を持つとされる神様の正体に、意味があるのかは難しいところだ」

 結局、ここに来て得た収穫らしいものは、それだけだった。壊してしまったけれど、魔神の鍵が本当にあったのだから充分なのかもしれない。それにヴァイオレットとしては、得るものがあったように思うのだ。

 ここに来られて良かった……。

 ヴァイオレットは姿勢を正してロジアムに向き直り、丁寧に頭を下げた。

「短い間でしたが、お世話になりました。

 この辺で失礼します」

「もっとゆっくり出来れば良かったな。

 ああ、そうだ。ちょっと待ちたまえ。餞別がある」

 厳しい眼差しを少し残念そうにして受け答えしたと思ったら、次の瞬間には人差し指を立てて、いま思い出したかのような声を出す。芝居がかったその口調に苦笑していると、ロジアムに手を取られた。掌で覆い隠しながら取り出した何かを、そこに乗せる。つるりとした冷たい感触。金属の触れ合う音。まさかとは思うが、以前見せてくれた宝石か何かなのだろうか。

 そんな高価な物は受け取れない。勿体つけたロジアムがやっと手を離すのを待って、ヴァイオレットは己の手の中に残された物を見た。

「へ……?」

 そして目を丸くした。

 そこにあったのは、透きとおる水色をした魔神の鍵。

 砕けたはずの、魔神の鍵だった。

「え? これは? あれ? どういうことですか??」

『本物か?』

 夢を見ているのだろうか?

 頭が正常に働かず、ヴァイオレットは急いでロジアムの顔をふり仰いだ。アルグまで身を乗り出してけたたましく鳴く。

 老紳士はなんでもない風に頬を緩めた。

「紛れもなく、これが本物だ。

 昨夜、君が東屋で見付けた物も、実はニセモノだったのだ」

「……」

 ヴァイオレットは仰天して、呆然とロジアムの渋い声を聞いた。

「あれはその前に発見された物よりも精巧に出来ていたし、暗かった上、君たちはきちんと触る前に壊れてしまったからな。気付けなかったとしても無理はない。

 本物はずっと私が持っていた。

 種明かしをしよう」

 と言って、ロジアムが語って聞かせてくれたところによると——。

 数年前にあの肖像画を見付けて、首飾りを探し、それが魔神の鍵だったのでアルグで遊ぼうと考えた経緯までは、大体事前に想像した通りだった。しかし、その手法というのか、規模が——違った。

 ロジアムはその為だけに東屋を建て替え、内装にも手を加えたという。そして首飾りのニセモノを、一つではなく幾つも作らせたのだ。

 それら複数のニセモノと本物の鍵とを、屋敷のあちらこちらに隠し、そこに繋がる仕掛けを万端用意して、アルグを待ち構えていたそうだ。

 ところが、連絡したのにアルグがなかなかやって来ない。そのうちにノギアムが博物館を造ると言い出して、外部の人間まで連れ込み始めた。やむなくロジアムは隠した鍵を撤去せざるを得なかった。

「東屋の鍵は回収するのを忘れてしまったようだ。あれはあれで役に立ったな」

「はあ……」

 そんな折悪しく、ヴァイオレットが訪ねて来た。

 期待したアルグではなかったものの、ロジアムは同じ話を持ち掛けることにした。

「気を悪くしないでほしいが、試させてもらった。

 言うまでもなく、その鍵は重大な品だ。アマランジルの代理とはいえ、渡すのに相応しい人物か確かめる必要があったのでね」

 鳶色の眼光鋭く、ロジアムは言った。

 ヴァイオレットも息を詰めて、重々しくうなずく。

「オルレイン・ザラトールの絵に目を付けたところまでは良かったが、夜の絵ではなく鳥の絵の方が正解だ。私はにおわせておいたはずだが、惜しかったな」

 そう言うロジアムはうきうきと楽しそうだった。遊んでいるときも真面目なときも、この人はいつも真剣なのかもしれない。その雰囲気の落差に、そんなことを思う。

 本物の鍵の在処はというと、玄関広間にある飾り照明だったそうだ。その美しい玉飾りの一つ。そしてそこに辿り着くには、ロジアムがいたずらのように飾っておいた宝石の指し示す先を、追って行けばよかったらしい。その起点となるのが、ザラトールの絵の鳥を象った、銅像だった。

 終着点となるのは、真っ先に人目に付く場所だ。盲点ではあるのかもしれないが、大胆過ぎはしないだろうか。ヴァイオレットは驚き呆れて、何も言えなかった。さすがに魔法院の人間がうろうろしている中では放置できないので、順を追って辿り着けていれば、正解としてくれたのだそうだ。——つまるところ、ずっと見張られていたらしい。今更なのでそれは置いておいて。

「そんな簡単なことだったのですね」

「頭でっかちなコレは、それくらい単純な仕掛けの方が見過ごしやすい」

『本人を前にして……』

 朗らかなロジアムに対して、不服な鳴き声を漏らすアルグ。

「あれらの絵が、ザラトールのものだとご存じだったのですね」

「恥ずかしながら後で気が付いた。

 彼のことは、悪名が囁かれ始めてから知ったのでね。

 再び訪れることはなかったが、知っていれば、話したい事も見せたい物も、たくさんあった」

 遠くを見遣る眼差しは、昔を懐かしみ暖かい。噂を知った後でも、彼に悪い印象は抱いていないのだと分かる。

 ヴァイオレットは手の中にあるガラスの玉に目を落とした。

 魔神の封印を解く鍵。

 金の細やかな縁飾りも、晴れた空のような色のガラスの質感も、確かに本物だ。上手いことそのどちらをも傷つけないように金の鎖が通されて、首飾りになっていた。

「……わたしは、合格なのでしょうか」

 思わず聞いてしまう。

 ヴァイオレットはただ屋敷の中を見て回っただけ。その上、別のことで頭も心もいっぱいで、上の空だった。目には入っていたのに、辿り着けもしなかった。

 この鍵を、受け取る資格はあるのだろうか。

「もちろんだ。

 ヴァイオレット君の知識や目は確かなものだった。もう少し時間を掛けられていたら、正解を見付けていたはずだ。それに君だけが、私の謎掛けに答えを出してくれた。そのご褒美でもある。

 遠慮せずに受け取りたまえ」

『もらっとけもらっとけ。

 いろいろ言っているが、こいつは単に、お嬢さんのことが気に入ったのさ。

 一番の功労賞は、間違いなくヴァイオレットだしな!』

 二人を控えめに見て、その表情を確かめ、ヴァイオレットはぎこちなくうなずいた。

「あの、ありがとうございます」

「それはもう君の物だ。

 何を為そうが、どうしようが、君の自由だ」

「はい……」

 両手に鍵を握り込み、胸に押し当てる。手の中にある重みを、実感する。あんなに欲しかったもの。失ってしまったかと思ったもの。

 ヴァイオレットは……やり遂げた。

「……良かったあ……」

 安心したら、膝から力が抜けた。

 その場にしゃがみ込む。おやおやとロジアムが苦笑するのが、頭上に聞こえた。石の床に置いた籠の中で身軽に反転して、アルグが面白がってのぞき込む。

『もういらないのではなかったか。

 私がもらってやってもいいのだぞ』

「ダメ。あげない」

 ヴァイオレットは至極真面目に見つめ返した。

 手柄なんて無くても、ギイドを見付けて会いに行くと決めた。怒られるのを承知で行こうと思っていた。けれど。

「——ギイド様、ほんとうに恐いんだもの……」

 魔神の鍵を壊したと報告したら、どうなるか。ちらと想像しただけで、総身が震える。ヴァイオレットは己の両腕を抱えた。無いよりは有る方が良いに決まっている。

「そうなのかい?」

『常に不機嫌そうではあるが、あやつが怒っている印象は、あまりないな……』

「そうだけど……」

 実際滅多に怒らない。ヴァイオレットもギイドが激怒したのを見たのは、一回きりだ。チャボあたりがしょっちゅう叱られているのが、不思議なくらいだった。

 そもそも、他人に興味がなく信用もしないギイドは、少し失敗したくらいでは多少苛立つくらいでわざわざ怒らない。それで気が済まないときにだけ、次に顔を見せれば八つ裂きにするという勢いで、文字通り放り捨てるのだ。

 そしてギイドが本気で怒るのは、それでも見過ごせないような重篤な過失をしたときだけだった。その時の恐ろしさは普段の比ではなく、例えるなら、

「ぐらぐら煮えたぎるお鍋に放り込まれて、耐久戦を強いられるような……」

 情け容赦ない罰が待ち受けている。

「ははは。それはそれは。

 なにやら面白そうな御仁ではないか。是非とも会ってみたいものだな。

 次に来る時は、あの賑やかな三人組と一緒に、その人も連れておいで」

 腕を組んでにこやかに言うロジアム。

 ヴァイオレットはアルグと顔を見合わせてしまった。

「え、と……」

『ギイドとロジーか。ぞっとしない組み合わせだなあ……』

 実に的確な表現だった。

 躊躇い口ごもる態度だけで、ロジアムには雄弁に察せられたようだ。

「アマランジルは抜きでもかまわないから。

 出来れば私が生きているうちにしておくれ」

 などと、ますます興味を募らせて言うのだった。



 ロジアムに礼を言って別れて、屋敷を出たヴァイオレットは、正面の門の脇で待っていたヌーチャボハッカと合流した。

 彼らと連れ立ってフォーヤーンの港へ向かいながら、本物の魔神の鍵が無事だった事を教えてやる。実物を取り出して見せたら、

「「「マジで!」」」

 三人ともが声を上げて喜んだ。

「ヒヤヒヤしたあ」「死ぬまでいびられるかと思ったぞ、オレは」「これで安心して行方を探せる」

『ギイドの人望については、再考の余地がありそうだが……おかしいな。これでは私は、敵に協力しただけではないか? 結局、己の首を絞めただけか??』

 籠から頭を出して、歩調に冠羽を上下させるアルグが、今更な事を言い出し悩ましげに呻いた。呪いは四つまで解けたのだから、それでいいと思う。三人組の反応は予想できていたので、ヴァイオレットは鍵を服のうちにさっさと仕舞った。

 手に入れたらお終いではない。

 今度はこれを守らなくてはいけない。

 知らず身に付け続けた少年のように、気軽な心境にはなれそうにないものの、しかしヴァイオレットは無闇に不安がってもいなかった。

 服の上から、優しく握る。

 たまたま手に入ったのではない。

 力ずくで奪い取ったのでもない。

 これはヴァイオレットが自ら勝ち取ったもの。

 大丈夫。ギイド様に手渡すまでは、わたしが責任を持って守り抜く。

「愛だなあ」

 チャボが間延びした声で言うのを聞いて、ヴァイオレットは顔を上げ、振り返った。

「愛の力が成就させたんだなあ」

「うん。愛だ」

『愛か……。それなら悪くはないか』

 アルグまでが三人組と一緒になって、したり顔で何事か言っているものだから、ヴァイオレットは不可解極まりなく足を止めた。

「愛? 何の話?」

「とぼけるなとぼけるな」「みんな分かってるから」

『好いているのだろう、ギイドを』

 ——納得した。

 ヴァイオレットは表情を失くして、脇を追い抜いていった三人の背中を睨んだ。

 いい年をした大人の男共が、——アルグに至ってはかなり年嵩なくせに、世迷い言を言っている。

 後ろをついて歩きながら、ヴァイオレットは精一杯呆れた声を出してみせた。

「バカを言わないで。直ぐそういう話に結びつけるの、よくないと思うわ。

 わたしは確かにギイド様をお慕いしているけれど、それは恋心ではないの」

「またまたあ」

「そこまでして旦那に尽くす理由が、他にあるかよ?」

 聞く耳持たない。ハッカまでが無言で頻りにうなずいている。

 ため息が出た。

「逆に聞くけれど。あなたたちはどうなの? 愛なの? 違うでしょう。わたしだってそれと同じよ」

 ここにいるのが楽しいから。落ち着くから。

 あの方の横を一緒に歩きたいから。

 突き詰めればそういうことだとヴァイオレットは思う。

 しかし三人はそれぞれに不満な声を上げて、食い下がった。

「ええーー」「オレたちと同じではないんじゃないか」「男だし、うちら」

「…………」

 ヴァイオレットだって、年頃の乙女として、全く考えなかったわけではない。初めの頃は、これが恋というものなのかと思った。しかし、己の胸に手を当て問い掛けてみて、直ぐに違いそうだと結論付けてある。

 手近にいたチャボの服を引いて、ヴァイオレットは顔をのぞかせた。

「あのね。まず年の差を考えてよ。父親くらいの年齢の男性を、そんな風には思えないわ。

 それに——」

 口ごもる。先程からギイドの悪口を言っているようで気が引けるけれど、妙な誤解は早めに解いてしまわなければならない。きっぱりと言った。

「ギイド様は恋人としてはナシだと思う」

 理屈としてもそうだけれど、感覚としてもナシだ。

 もちろんヴァイオレットはギイドを尊敬している。「何を」と言われると困るけれど、それは間違いない。しかしギイドの言動を考えたときに、「すごい」と思うことはあっても、「ステキ」と思ったことはないのだった。

 つまりはそういうことなのだと、ヴァイオレットは思う。

 そもそも、だ。ギイドの見た目は好みではない……。

「ああ……」「確かに」「それはそうかも」

『憐れだな……』

 一同、納得。

 それもどうなのだろう……。

 ヴァイオレットはやれやれと首を横に振って、歩の緩んだ彼らを追い越し、先に行った。

 空は筆を払ったような雲を残すだけで、よく晴れていた。清々しい風が吹き渡る。

 ギイドを捜すと決めた。しかしその手立てはなく、先行きは定まらないまま。鍵を手にできただけで、根城を出発した時と状況はあまり変わっていないのかもしれない。

 そんな現状に——やはりギイドにも、不安や恐れが無いとはとても言えない。

 でも、気持ちはずっと軽かった。

 視界を暗くする迷いは、晴れた。

 前を向く左頬には、青い雫の印がある。背中に聞こえるにぎやかな声にその頬を緩め、長い髪を風にそよがせて、ヴァイオレットは一歩ずつ進むのだった。



 了

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その翼にのる いわし @iwashi

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