妹が百合に目覚めた


 土曜日の昼下がり。

 玄関の扉を開けると、大きなボストンバッグを両手で持ったあやねが立っていた。

 ……いったい何泊する気だ、とつっこみたくなるような大荷物だ。下手なことを言って機嫌を損ねられても困るので、口にはしないが。


「……あがってくれ」

「……はい。お邪魔します」


 バッグを預かり、家の中へ招き入れる。

 脱いだ靴を丁寧に揃えるあやねの視線が、それとなく左右に動いた。

「芳乃ならいるぞ」

「わ、わかってます」

「約束どおり、必要以上にいちゃついたりはしない」

 無論、俺自身はいちゃついているだなんて微塵も思ってないが。

「……当然です」


 そんな、どこかギクシャクとした会話をしながらリビングに向かう。

 ソファーに腰かけた芳乃が、笑顔で出迎えた。

「いらっしゃい、あやね!」

「……こんにちは、芳乃ちゃん。今日はお世話になります」

「そんなとこ立ってないで、こっちおいで?」

 ぽんぽん、と芳乃は自分の真横を叩いた。

「え、ええ……」

 昨日までの気まずい関係が嘘のような好意的な扱いに、若干の困惑を表情ににじませながらも、言われたとおり芳乃の隣に腰を下ろすあやね。かくいう俺も、芳乃のこの応対は予想外だ。もうしばらくは微妙な空気が続くものと覚悟していたが……


「それにしてもすごい荷物だね? なに入ってるの?」

 俺が部屋の隅まで運んだバッグをしげしげと眺め、芳乃が訊く。

「……別にたいしたものは入っていません。着替えとポーチと歯磨きセットと、それにお菓子とかジュースとか……あとはゲームソフト数本にレシピ本数冊、それからトランプにUNOにジェンガにオセロに黒ひげ――」

 楽しむ気満々だった。

「ねね、さっそくなんかして遊ぼ?」

「ええ、そうしましょうか……ふぁ」

 思いのほか弛緩した空気に、緊張の糸が切れたのかもしれない。あやねが小さくあくびをした。

「なぁにあやね、もしかして楽しみすぎて眠れなかったとか?」

「そ、そんなことありませ……ふぁぁ」

 かすかに頬を赤らめながらそっぽを向くあやねは、明らかに眠そうだった。

「でも眠そうだよ?」

「……あまり眠れなかったのは確かですが、別に遠足の前日のような気分になっていたとか、けっしてそんなことはなくて――」

 照れ隠しで苦しまぎれな否定をするあやねに、

「だったら、」

 ひどく悲しげな顔をして、芳乃は言った。


「――憂鬱で、眠れなかった?」


思いがけない言葉だったのだろう、虚を突かれたように数瞬固まるあやねだったが、

「…………ません」

「……えっ?」


「そんなわけありません! 楽しみだったんです! 楽しみすぎて眠れなかったんです!」


 まっすぐに芳乃の目を見返して、ハッキリとそう言った。

「たしかに、不安もありましたが……それ以上に。芳乃ちゃんとお兄さんと三人で一緒に遊べるということが、た、楽しみで仕方なかったんです……」

 恥ずかしそうに告白するあやねを見て、芳乃が破顔した。

「よかったっ、わたしもあやねと遊ぶの楽しみにしてたよっ!」


 ぎゅっ、と。


 芳乃はあやねに抱きついた。

「よ、芳乃ちゃんっ……?」

「んんっ……あやねの身体、柔らかくて気持ちいい……」


 珍しいこともあるもんだ、と俺は思った。

 親愛の裏返しではあると思うが、普段の芳乃はあやねに対して、もっと淡白な接し方をしている。

 こんなふうに肌と肌が触れあうようなスキンシップをしているところは、今までに見たことがなかった。


「あやねっ、あやねっ……」

「ちょっと芳乃ちゃんっ、やめてくださっ……きゃっ!」

 芳乃があやねを、ソファーの上に押し倒す。

「はぁぁぁ……あやねぇっ……」

 そのまま豊かな胸元に頬ずりを始めた。

「もう、なんなんですかいきなりっ……ひゃんっ! 芳乃ちゃんダメ、そこはっ!」

「あやね、好き。わたしあやねのこと好きだよ……」

「…………」

「ちょっと、お兄さん! なんで黙って見てるんですかっ! 助けてくださいっ!」


 芳乃が同性愛ユリに目覚めた――一瞬本気でそう思ったが、違う。

 これは。

 この光景は、どこか……既視感があった。

 いつか聞いた芳乃の言葉が、脳裏に蘇る。


 ――甘えられるひとがいれば、彼氏なんかいなくても、わたしは満足なんだなって


 その言葉の意味するところは、つまり。

 甘える対象が“俺”でなくとも構わない、とも取れるわけで。


「ねぇ、わたしは言ったよ? あやねは?」

「えっ……」

「あやねはわたしのこと、どう思ってる?」


 俺に甘えることは禁止されている。

 だから、禁止した張本人に対して甘えることにした。

 ……そういうことなんだろう、きっと。


「……私も、芳乃ちゃんのこと、好きです」

「……ほんと?」

「はい。大好きです、芳乃ちゃん……」

 あやねが芳乃の身体を抱きしめ返している。

「うれしいっ……あやねっ……」

 芳乃があやねの胸で、目を細めている。


「…………」


 今回のお泊り会が、三人の関係修復のきっかけになればと考えていたが。

 少なくとも目の前の二人に関しては、もはやなにひとつ心配はいらないだろう。



 あやねが持ってきてくれたお菓子を広げながら、俺たちは三人でゲームFF7に興じることにした。

 あやねがコントローラーを握り、俺は芳乃に前回までの内容を解説しつつあやねのプレイを見守る。

 開始早々、ゲームの中のヨシノが悲しいことになってしまったが……どうにか乗り越え、旅を続けた。

 現実の芳乃はゲームをしているあいだじゅう、飽きもせずベッタリとあやねにまとわりついていた。

 あやねは鬱陶しがってはいたが、昨日まで冷たく突き放していた負い目もあるのか、強引に引き剥がすようなことはしなかった。

 そうして、楽しい時間はあっという間に過ぎていき……

 誰かのお腹の音が聞こえたところで、みんなで夕飯の支度に取りかかることにした。


 本日のメニューはあやねのために考案した、特製お子様ディナーだ。

 その内訳はチキンライスにハンバーグにエビフライ、オムレツにナポリタンにポテトサラダにコーンスープ、そして食後のデザートにカスタードプリンと、お子様とあやねが喜びそうなものばかり。もちろん国旗も用意してある。

 料理の最中も変わらず、芳乃はあやねにベッタリだった。

 あやねは俺に料理を習いたがっているのだが、どうも芳乃の相手で手一杯という感じだ。

 そしてそのことを残念がっている自分がいることに、俺は気づいていた。

 芳乃に抱きつかれながら、あやねが視線を送ってくる。

 呆れと諦めの入り交じった、けれどどこか楽しげな笑みだ。

 俺は苦笑を返した。

 そんな何気ないやり取りにさえ、俺は胸の高鳴りを感じるのだった。



「これであがりです!」

「……またあやねの勝ちか」

「あやねつよ〜い! そんなあやねもだぁいしゅきっ♡」

 父さんが帰宅したタイミングで芳乃の部屋に移動して、かれこれ二時間。

 トランプ大会も一段落ついたところで、俺は切り出した。


「風呂の順番だが……どうする?」


 いつもであれば二人で入るため順番もなにもないのだが、さすがに今日はそういうわけにもいかないだろう。

「じゃんけんで決めよ? あやね、手出して。お兄ちゃんも。じゃあいくよ、最初はグー、」

「あの、芳乃ちゃんは?」

「わたしはいいの。はい、せーのっ、じゃんけん……」

 促されるままに手を出す。勝ったのはあやねだった。

「はい決まり。あやねとわたしが一番で、お兄ちゃんが二番ね」

 さらりと、芳乃は言った。

「えっ!? ちょ、ちょっと、待ってください……芳乃ちゃん?」

「うん? なぁに?」

「私と芳乃ちゃんが一番って……それって、まさかとは思うんですが、その……一緒に入る、という意味ですか?」

「そだよ? だめだった?」

「だめですっ! ……だめですっ!」

 二回言った。かなりの動揺が窺える。

「えーっ、なんで? いっしょに入ろ? ねぇいいでしょ、いいでしょっ?」

 あやねの腕にぎゅっとしがみつき、上目遣いに懇願する芳乃。

「よくありません。だめなものはだめです」

「……わたしと一緒に入るの、そんなに嫌なの……?」

「い、嫌とかではなくて……その、本当に私、そういうの無理なんです!」

「そういうのって?」

「だから、その…………裸の付きあい、的な!」

「えーっ、女同士なのに?」

「女同士だとしても、です!」

「なんで?」

「な、なんでって、それはっ……」

「…………」

「…………」

「そんなに、裸見られるのが恥ずかしい?」

「〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!」

 あやねの顔が一瞬で真っ赤に染まった。まるで実際に裸を見られたかのようなリアクションだ。


「う〜ん、そこまで抵抗があるんなら、しょうがないよね……」

「芳乃ちゃん……」

 ほっと安堵の表情を浮かべるあやねを見つめたまま、芳乃は言った。

「じゃあ、先にお兄ちゃん入ってきて。そのあいだにあやねの説得済ませちゃうから」

「芳乃ちゃんっ!!」


 ――風呂からあがり、芳乃の部屋に戻ってきた。

「おかえり、お兄ちゃん。それじゃあやね、着替え持って先にお風呂場に行ってて。場所はわかるよね?」

「はい……」

 あやねはうなずくと、素直に部屋を出た。その両の瞳からはどこか光が失われているように感じられた。

「……どんな説得をしたんだ?」

「たいしたことはしてないよ? 裸を見られることよりも恥ずかしいことをして、羞恥心を一時的に麻痺させただけ」

「…………」

 深入りするのはよそう。

「って、そんなことはどうでもよくて。わたしが言いたいのはね、お兄ちゃん。待っててね、ってこと」

「は? 待つって、なにを?」

「んふふ〜」

 芳乃はいたずらっぽい笑みを浮かべ、言った。



「……」

 それだけ言い残し、芳乃は部屋をあとにした。

 その一言を言うために、あやねを先に行かせたのだろう。

 少しして、階下から声が聞こえてきた。


 ――きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ

 ――やっぱり無理ぃぃぃぃぃ〜〜〜っ


 浴室に反響し大音量で響きわたる心の叫びは、一向に収まる気配がなかった。

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