妹の友達をおもてなし
“芳乃は中学時代の後輩の女の子に会って、勉強を教えたり相談に乗ったりしていただけだった”
芳乃の口から聞いた“真相”を、昨晩のうちに一字一句違えずあやねに伝えてみたところ、
『嘘臭いですね。訊いてもいないのに相手が女の子だと強調しているあたりが、特に』
と、バッサリな返事が返ってきた。
あやねも俺同様、この“真相”には懐疑的なようだった。
――現在時刻、午前八時過ぎ。
今日は土曜で休日だというのに、芳乃は少し前に家を出た。例の後輩の子に朝からみっちり勉強を教えこむのだと、訊いてもいないのに芳乃は理由を教えてくれた。
今朝の芳乃は相変わらず化粧っ気こそ皆無だったものの、服装はどことなくよそ行きっぽく、おめかししているようにも見えた。
……と、そんな俺の主観も含め、芳乃が出かけた旨を朝っぱらからあやねにメールしてみたところ、
返信の代わりに、電話の着信があった。
『おはようございます、お兄さん』
「悪い、もしかして寝てたか?」
『いえ、ご心配なく。私、夜の九時には寝てしまうので朝は早いんです。それよりもお兄さん、今、そちらにご家族の方はいらっしゃいますか?』
「ん? いや、父親は仕事だし、今は俺だけだが……それが?」
『伺います』
「は?」
数十分後、俺は玄関の扉を開けた。
「おはようございます、お兄さん?」
あやねは微笑みながら、先ほどと同じ台詞を口にした。
「……あぁ、おはよう。とりあえずあがってくれ」
「はい、お邪魔します」
あやねは当然、私服姿だった。パステルピンクのパーカーにフリルのあしらわれた白のティアードスカートを合わせた、いかにも女の子な装いだ。
今まで制服姿しか見たことがなかったせいか、普段より遙かに幼い印象を受ける。
正直違和感がすごいが、似合っていないわけではないし、そのうち慣れるだろう。
――芳乃ちゃんのお部屋に、手がかりが残っている可能性があります。捜索するなら今がチャンスかと
芳乃の行き先や会っている相手に関するなんらかの情報が、芳乃の部屋から出てくるのではないかというあやねの推測に、俺は「わかった、調べてみる」と答えたのだが。
――いくら実のお兄さんとはいえ、男性に女の子の部屋を荒らさせるわけにはいきません。シスコンのお兄さんのことですから、妹の部屋に足を踏み入れただけで欲情してしまうおそれもありますし。ですので、私がそちらに伺います
と、そんなわけであやねは俺から住所を聞き出すと、たびたび道に迷いながらも(五分に一回のペースで電話がかかってきた)、なんとか無事ゴールまでたどり着くことができた。
「芳乃ちゃんのお部屋は二階ですか?」
家の中を軽く見回しながら、あやねが訊いた。
「そうだが、別にそう急ぐこともないだろ」
俺は二階に続く階段は上らず、リビングに向かった。
「せっかく来たんだから、まぁゆっくりしていけよ」
「いえ、あの……私、遊びに来たわけでは」
「そうは言っても、客は客だろ? 少しくらいはおもてなしさせてくれ」
「……では、お言葉に甘えて」
「あぁ。適当にくつろいでてくれ。コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「あの、私、どっちも苦手で……オレンジジュースとかありませんか?」
「申し訳ないがないな」
「では、りんごジュースなんかは……?」
「ココアなら飲めるか?」
「あ、はい」
俺は二人分のココアを用意し、リビングに戻った。
姿勢よくソファーに腰かけているあやねの対面に、俺も腰を下ろす。
「それにしても、こんなかたちで芳乃ちゃんのおうちに来ることになるなんて、思ってもみませんでした。芳乃ちゃんを訪ねてではなく、お兄さんを訪ねてだなんて……」
「別に俺に会いに来たわけじゃないだろ」
「そうですけど。芳乃ちゃんが不在なんですから似たようなものでしょう……あ、おいしい」
ココアのカップに口をつけたあやねが、ぽつりと感想を漏らす。
「芳乃いわく、“お兄ちゃんが作るココアは世界一おいしい”んだそうだ」
「……いいなぁ、芳乃ちゃん」
「なにがだ」
「え? ……あ」
口元を押さえるあやね。言葉にするつもりのなかった心の声が、思わず外に漏れていた……そんな雰囲気だ。
「なにが“いいなぁ”なんだ?」
「いえ……なにが、ということもないのですが。ただ、きょうだいって素敵だな、と思いまして」
「あやねは一人っ子だって昨日言ってたな」
「ええ。それで憧れがあるのかもしれません」
「憧れ、か。うちに限っていえば、憧れるような要素は微塵もないんだけどな」
「やはり、ないものねだりなんでしょうか?」
「と、いうか。俺と芳乃ってつい最近まで、これっぽっちも仲良くなかったんだよ」
「……とてもそうは見えませんが?」
「いや、マジで」
俺は、これまで俺たち兄妹がいかに不仲だったかを、具体的なエピソードを交えながら語って聞かせた。
過去の俺たちについて、芳乃はほとんど話していなかったようで、あやねは興味深そうに相槌を打っていた。
「――とは言いますが、今のお二人はすっかり仲良くなられたわけですから、今までの時間を取り戻すように一緒に遊んだりしているのでは?」
「今の状態を仲が良いと呼べるかはさておき……遊んではいないな。どっちかっていうと俺が一方的にお
「二人でゲームしたりとかもないんですか?」
「ゲームか……ないな。ゲーム機じたいはあるにはあるんだが、コントローラーは一つしかないし、ソフトも一人用のばっかりだ」
「…………」
突然、あやねが沈黙した。何事か考えこむように視線を落とす。
今の会話に引っかかる箇所なんてあっただろうか。
「……ちなみに、ハードはなにがあるんです?」
まだゲームの話を続けるみたいだ。
「初代プレステとか」
「では、やりましょう」
「……は?」
「私、プレステってやったことないので楽しみです。子どものころから任天堂派だったので」
「へぇ、おまえってゲームとかやるんだな」
「ゲーム全般好きですよ? 意外ですか?」
「あぁ、わりと……いや、そうじゃなくて。マジで今からやるのか?」
「お兄さんさえよければ、ぜひ」
「でも一人用しかないんだぞ?」
「代わりばんこでプレイすればいいじゃないですか?」
「……おまえ、遊びに来たのか?」
「あら、おもてなししてくださるんじゃなかったんですか?」
「……わかったよ」
俺が自分の部屋から初代プレステを担いで戻ってくると、あやねはすでにソファーから降りてテレビの前で待機していた。
どうしてこうなったのかイマイチわからないが、こうして俺たちは、肩を並べながらFF7をプレイすることになった。
あやねが俺の許可なしにクラウドに“コウくん”と命名したので、俺が仕返しにティファに“アヤネ”と命名する……そんな感じのノリで、楽しい時間はまったりと過ぎていった……。
「ん〜〜〜〜っっ! 思いのほか熱中してしまいましたね」
あやねが思いきり上体を反らし、伸びをする。思いのほか強調された膨らみが視界に飛びこんできて、俺は思わず視線を逸らした。
時計を見れば、時刻は午後一時十八分。四時間以上ぶっ通しでゲームをしていたことになる。
周囲には、途中俺がコンビニで調達してきたお菓子の袋や飲みかけのペットボトルが散乱、というほどではないにしろ、点々と放置されていた。
「また今度ぜったいにやりに来ますので、データは消さないでくださいね? それから、一人で進めるのもナシです」
「あぁ、わかった」
「最後は絶対に私とお兄さんとヨシノちゃんの三人パーティーでクリアしましょうね?」
……“ヨシノ”は……いや、なにも言うまい。
「あぁ……できるといいな?」
「はい」
屈託のない笑顔だった。
「さて、お兄さん。すっかり遊んでしまいましたが、なにも本来の目的を忘れていたわけではありません。英気を養ったところで、捜索に――」
「なぁあやね、腹減らないか?」
意気揚々と立ちあがったあやねに、俺は訊く。
「……え、ええ。……すきました」
「なんか適当に作るな?」
「いえ、ですが、捜索しないと……」
「後だ後。まずは腹ごしらえだ」
「……あ、あの、お兄さん」
「なんだよ、いらないのか?」
「いえ、いただきますが、そうではなく……その」
「……ん?」
なんだ?
あやねにしては、妙に歯切れが悪い。
「言いたいことがあるならいつもみたいにハッキリ言ってくれ」
「…………ええと、ですからそのっ」
あやねはなぜか、キョロキョロと周囲を見回した。
いつになくそわそわと落ち着きがない様子で、顔はほんのりと赤い。
あやねは俺に視線を定めると、
「…………お、お手」
「お手?」
「…………なにかお手伝いしましょうか?」
「なんだ、そんなことか。いいよ、客なんだからおとなしくしとけ」
「……はい」
できあがったエビチャーハン&わかめスープをテーブルまで運び、少し遅めの昼食が始まった。
「お兄さんって、料理お上手なんですね? とってもおいしいです」
「チャーハンくらいで大げさだな」
「いえ、こういったシンプルな料理こそダイレクトに実力が反映されるものですよ? 料理歴はどのくらいなんですか?」
どこまで話したものかと迷ったが、結局母さんがいなくなった件にも触れつつ、本格的に料理を始めた
他人からすれば深刻めいて聞こえそうで心配だったが、母さんに関するだいたいの事情は芳乃から聞いていたそうで、
「なんでしたら私がお母さん代わりになって、思う存分甘えさせてさしあげましょうか、コウくん?」
と、あやねなりに気遣ってくれたのか単にからかっただけなのか判断に困るような言葉を頂戴した。
「また今度来たとき、料理教えてくださいませんか?」
「機会があればな」
「作ります。習うためだけに通う価値があると思います、コウくんお料理教室」
「コウくんコウくんうるせぇ。芳乃か」
「ふふ、つい。ゲームのキャラで呼び慣れてしまって」
「別にいいけどな……」
――また今度、か。
俺にとってあやねは、“友達”というよりも“妹の友達”という認識が強かった。
にもかかわらず、ごく個人的な約束事や接点は急速に積み重なっていって……
気がつけば、認識も入れ替わりつつあった。
「さて――あやね、そろそろ始めるぞ」
食器を洗い終え、俺は宣言した。
「ええ……やるからには絶対に手がかりを掴みましょう」
「あぁ、そうだな」
俺は気合を入れ直し、先陣を切って階段を上っていく……が、
「あやね?」
あとをついて来る気配がなかったので、俺は階段の中ほどで立ち止まり、振り向いた。
あやねは階段の下で、またもそわそわと落ち着かない様子を見せている。
スカートの端を押さえ、しきりに足元を気にしているような、妙な仕草。
「どうかしたか?」
「い、いえ……なんでもありません。今、行きます」
そう言って、俺のあとに続くあやね。
なにか釈然としないものを感じながらも、俺は芳乃の部屋へと向かった――。
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