【押入れ】

 人の姿はやっぱり、ない。


 ほかと同じからっぽの六畳間だ。


 静かだ。僕は部屋の中に入るとそのまん中に立って、ゆっくり体を回転させるように室内を見回した。


 突然ガタッと僕の背後で音がした。


「うわっ」


 不意をつかれて僕は思わず飛び上がった。


 振り返ると押入れがある。

 それきりまた音がしなくなった。


 ここか。この中にいるんだ。


 誰かが隠れてる。押入れの中に。もうそれ以外に考えられない。

 隠れてるっていうことは、とうぜんこの屋敷の者じゃない。自分の身を隠そうとしている。

 誰から?

 僕からだ。

 僕を恐れて隠れてるんだ。


「……おい」僕は恐怖を押し殺すようにわざと声をかけた。「そこに誰かいるのか」


 襖の奥で息をひそめているような感じがする。

 やがて、押入れの襖がガタガタ震えはじめた。

 中にいる相手のほうがあきらかにおびえている。

 何というわかりやすいリアクションだ。


 この瞬間に、こっちのほうが上の立場に立った気がし、心に余裕が生まれてきた。


「おい。大丈夫だから出てこいよ。何もしないよ」


 まだ襖は小刻みに震えている。


「大丈夫だっていってるだろ。あやしいもんじゃないよ」


 本当は充分あやしいけれど、相手を少しでも安心させたいがために適当なことをいった。


「そこ狭いだろ。いつまでもいるつもり? 開けるよ」


 僕は襖に手をかけソッと開けようとした。


 固くて開かない。


 どうやら中のやつが開けさせまいと力をこめて襖を押さえつけているようなのだ。

 こうなるとますます気になる。またこちらが油断した途端、急に押入れから飛び出して襲ってこられるのも困る。だからこっちもあとには引けない。


「おい、出てこいよ」僕はなかば無理やり襖を開けようとした。


「うーん!」


 中で必死に開けさせまいとしている声が聞こえてきた。

 どうもその声の感じが女の子っぽい。

 なんだかこっちも意地になってきて、全身の力をこめると、ついに押入れをバッと全開に開いた。


「あっ」


 そこにいたのはやっぱり女の子だった。押入れの下の段に十三、四歳くらいの涙目の子が、おびえた顔で僕を見上げながらしゃがみ込んでいた。中学生くらいだろうか。


「きみは……」


 目が合うと、その女の子はさらに奥のほうに隠れようと体を引っ込めた。


「大丈夫だよ、襲ったりしないから」できるだけやさしい表情を作って言葉をかけた。


「……ゴメンなさい、悪気はなかったんです」女の子は消え入りそうな声でいった。


「とにかく出てこいよ。狭いだろ」


 しかしまだ警戒したまま身をこわばらせている。

 しかたがないので、僕は無理やりニコッと笑いかけてみせた。「困ってるなら力になるよ」


 すると、ようやく女の子はモソモソと押入れから出てきた。ご丁寧に襖を両手でピタンと閉め、正座した状態で僕と向き合った。


「……この家の、人ですか?」おそるおそる女の子が聞いてきた。


「違うよ」僕は答える。彼女もどこからかこの屋敷にまぎれ込んできたクチなんだろうか。


「ここは学校の同級生の家なんだ。膝栗毛紗織っていう名前なんだけど、ずっと欠席してるんで見舞いに来たら、いきなり家の中で迷子になってね。たぶんきみもそうだろ。きみもこの屋敷で迷子になったクチだろ」


「……はい、そうです」彼女は答えた。


 やっぱり。


「で」僕は女の子に合わせて畳の上に座り込んだ。「どこからこの屋敷に入ってきたの」


「あの、広い土間みたいなところからです」


 土間……?


「そこからどうやってここまで来たの」


「それが……よくおぼえてないんです」


 そらそうだ、迷子になったっていってんだから。


「なんで押入れに隠れてたんだ。だいたいきみはなんでここにいるんだ」


「あの、ゴメンなさい……」ちいさな声で彼女はうつむきながらあやまってきた。


「あ、いや、責めてるんじゃないよ。実は僕も無断でこの屋敷に入ってきたんだ。人のことをあれこれいう資格なんか僕にはないんだ。だから気にすんな」彼女をリラックスさせようと僕はまた無理な笑顔を作ってみせた。


「私、来たくてこの屋敷に入ったわけじゃないんです」


「え?」


「儀式なんだそうです」女の子はいった。


「え?」


「仲間に入るための」


 何だ? 何をいってるんだ。意味がよくわからないぞ。

 儀式……仲間に入るための……儀式? 何のことだ。


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