【二番目の部屋】


 どれだけの距離逃げていたのか、何度道の分岐を経てきたのか、ひたすら走りに走り、永久に終わりそうにない迷宮の廊下を、僕は今やすっかり疲れた状態で歩いていた。


 どうも怪物が追ってくる気配は背後に感じられなかった。それより何より自分じしんの疲労感がハンパじゃなかったので、どこかで横になってしばらく眠りたいと思った。

 眠気という自分の中の体内時計を信じると、きっと外界はとっくに夜になっているのに違いない。窓がないから時間の感覚が麻痺している。


 いったい今何時なんだろう。僕は携帯をポケットから取り出した。


「何だこりゃ、電池切れじゃないか!」


 ウソみたい。信じられない。タイミングよすぎ。こんな時に限ってこれか。ふざけんなクソ。

 僕は思わず携帯を廊下に叩きつけたくなった。


(疲れた。ふて寝だふて寝。布団敷け布団)


 クソ、廊下が延々続くばっかりでちっとも「駅」にたどり着かないじゃないか。


 隠し階段を降りてきてからというもの、まだいっぺんも廊下を電車が通っていない。「駅」のないルートばかり選択してここまでやって来たのかもしれない。分かれ道のどちらを選択したかによって自分の運命が決められ狭まっていくようなイヤなイメージが頭に浮かぶ。僕は自分からどんどんバッドエンディングへのルートを選んでいってるんじゃないか?


 ようやく前方に「駅」が見えてきたのは、さらに十五分ほど……たぶんだいたい十五分ほど歩いたころだった。

 例によって障子戸が四枚並んでいる。閉まっている。どうせ部屋の中には誰もいないだろう。いたらいたでもうどうでもいい。怪物よりマシだ。人間にならむしろ捕獲されたい気分だった。


 ようやく部屋の前までやって来た僕は、まず障子戸の横のちいさな木の札を確認した。


『荻風』


 尻のポケットから路線図を出し、広げると位置関係を確認しようとする。


(荻風駅……荻風……オギカゼ……これが正しい読み方なのか?)


 ……ない。

 荻風駅が載ってない。

 路線図のどこにも載ってない。

 なぜだ。どうして路線図に載ってないんだ。


 そこで僕ははたと気がついた。

 さっき隠し階段を降りてきたのだから、ここはまた別のエリアになってるんじゃないのだろうかと。

 つまり、ここはここでまたまったく別の路線なのではないかと。


 頭がくらくらしてきた。


 エリアごとに個別の複雑な路線図があるってことなんだろうか。

 いったいどこまでややこしいんだこの屋敷。


 しかたない。

 気を取り直してとにかく部屋に入ってみよう。そう思い、路線図を尻ポケットに押し込むと、僕は障子戸をそろりと開けた。

 おっかなびっくり覗き込み、ゆっくりと部屋に入ってまわりを見回す。


 ここも一番最初に入った「駅」と似たような部屋だった。


 六畳の和室。


 窓はもちろんなく、今度は卓袱台のかわりに火鉢がぽつんと置かれてあった。冷えきった白い灰に火箸が突き刺さっている。

 それ以外は文字通りからっぽの部屋だ。

 しかしさっきの「駅」とはもっとおおきく異なるところがあった。

 押入れの襖以外に、あきらかにとなりの部屋に続いていると思われる壁一面の四枚の襖があったからだ。


 なぜだか僕の心臓が急激に高鳴ってきた。アドレナリンのせいで、一気に疲れが消えたくらいだった。

 この部屋はさっきみたいな単なる「駅」じゃなく、奥に居住エリア、あるいは宿泊エリアがあるように思えた。


 もちろんのこと、どうしてもこの四枚の襖のほうを開けてみないことには、もう僕の気がすまない。

 これは開けるしかない。


「あの……ちょっとすいません。そちらに誰かいますか」


 僕はひかえめに、襖に口を寄せるようにして声をかけてみた。「ここ、開けてもいいですか」


 返事はなかった。


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