【敵】
通路を抜けた制御ドームはだだっ広い空間だった。おびただしいダクト類や制御機器が森のように乱立し、その中のひとつ、ひときわおおきな機器の上に、その触手の主が立っていた。
そいつの全身からは、放射状にたくさんの長い長い触手が太陽のコロナのように、あるいはまがまがしい後光のようにそれぞれ一本いっぽんが独立した生き物となって空中に波を打っている。
その中の一本の触手によって一気にこの場所に引きずり連れ込まれた僕は、ポローニャやルベティカ、ベクスバラ、ブラモンジェ、ミルフィーナが僕と同じようにそれぞれ触手に捕らえられ宙にゆらゆら浮いているのをすぐに目にした。道理で彼女たち、いつまで待っても戻って来なかったわけだ。結局全員が捕まってたってたのだから。
いや、彼女らだけじゃない。同じ黒ずくめの格好をした二、三人の知らない美女が僕たちの中に混じっている。
ひょっとして彼女らは、紗織さんに同行した侍従警団のメンバーなんじゃないだろうか。おそらくそうだろう。
紗織さんの姿は……ない。彼女だけ見当たらない。どこだ。どこにいるんだ。この広い制御ドームのどこか片隅にでもいるんだろうか。信号の反応は確かにこの制御室から出ていたんじゃなかったのか。
それにしても僕たちを蹂躙している触手の主、おそらく屋敷を浸水させた張本人、はヒプノティではなかった。それどころか今まで出会ってきたような怪物の姿とはまったく一線を画していた。どちらかといえば人間に近い形状だったのだ。
あえて形容するなら半人半獣の、見た目は魔女そのものの……そう、そいつは女だった……かつては女だったということがかろうじてわかるような外見をしていた。
体は半分溶けかかっており半透明、顔面には長い触覚、目はかろうじてふたつだが、裂けた口には鱗のような歯が並んでいる。それが服なのか何なのか、全身を繊毛か絨毛なのか細かな毛状のものが覆っている。何より全身から無数に生えている触手。
僕には一目でわかった。この女こそヒプノティの屍肉を食らい、ヒプノティの姿になりかけている人間の女だということが。
でも女は膝栗毛紗織でも、ましてや鶯谷めぐみでも麻崎未弥でもない。彼女たちの誰かがヒプノティの肉を食ってこうなったわけじゃない。顔はぜんぜん似ていないし、見た感じもっと歳を食っている。だからより一層魔女っぽく見える。魔女は屍肉を食らうことでヒプノティの能力を手に入れ、ここに巣くっていたのだ。
「ニコゴリ!」
僕を見たルベティカが叫んだ。さだめし僕はあらたな獲物の仲間入りだ。
「ルベティカ!」僕もあらん限りの大声で叫んだ。「紗織さんはどこにいるの!」
「われわれにもわからない!」
「ルベティカ!」
「何だ!」
「縛りを解いてよ!」
「アハハハ、この期に及んでおもしろいことを抜かすツル」かわりにポローニャが笑い飛ばした。
捕まっているくせに笑うだけの余裕がまだ残ってるのか。いや手も足も出ないだけに、もはや自嘲的に笑うしかないのだろう。
「卓也はどこ?」
魔女が口を開いた。胃に直接響いてくるようなまがまがしい声だ。僕に聞いてるのか。
「だからさっきからいってるツル」かわりにポローニャが答えた。「おまえがこんなことをしても旦那さまはここには来ないツル」
「ぐおおおおっ」
おおきな声で魔女がうなり、僕たちを捕らえている触手をいっせいにぶんぶんと振り回した。
まるで絶叫マシンに乗っているように、僕たちは地上数十メートルの空中をものすごいスピードであっちこっちに揺すられた。
「あーっ!」
「ツルーッ!」
僕たちはてんでに叫んだ。目が回るなんてもんじゃない。心臓が飛び出してきそうなのをあわてて飲み込まなきゃいけないような、そんな感じの恐怖体験だった。
「少年、卓也はどこ?」
触手の動きをピタリ止めると、今度はご指名で魔女のやつが直接僕に聞いてきた。
「こ、答えは侍従警団のやつらと同じだっ」僕は声を振り絞って答えた。
そうか、ポローニャたちを捕まえたままずっと殺さないでいたのは人質の意味合いがあったのか。
「お、おまえが貯水槽を破壊したのか」僕は魔女に聞く。
「破壊? ちょっと穴を開けただけよ。それもこれもここに卓也をおびき出すためにしたこと」
「こんなおおげさなことまでして、旦那さまになんの用があったツル! 何か旦那さまに恨みでもあるツルか?」ポローニャが怒鳴る。
「恨み……?」不思議そうな声で魔女はいった「卓也に目をさましてもらうためよ」
その時僕は見た。魔女の顔面に残り六つの目が芽吹くように浮かんできたのを。少しずつ少しずつ人間から離れ、ヒプノティ化していっているようだ。
「私はもう何年もこの屋敷の中をさまよいながら、いつか卓也を覚醒させようとその機会を狙ってたのよ」魔女はいった。「屋敷の中で何度も行き倒れになりかけたけど、化け物の肉を食いながら私は長らえた。おそらくそのせいで私はこんな姿になってしまった。それもこれもすべて、膝栗毛卓也に私の究極の愛を捧げるためよ。そのためだけに私は生き続けてきたのよ。卓也はもともとスターになるべき人間じゃなかったのよ。彼の孤独な魂を救ってあげられるのは私だけ。私には卓也のすべてがわかる。なのに、なのによりにもよって卓也は別の外国の女と結婚するなどという間違った選択をしてしまった。これじゃ彼の魂は永遠に救われない。私たちふたりはこの世に生きてちゃダメな存在なの。誰にもわずらわされないあの世で一緒になるべきなの。そのためには、一度卓也にはこの世でイニシエーションを受けなきゃいけないの。さあ、どこにいるの膝栗毛卓也。隠れてないで出てきなさい! さもないとこいつらを皆殺しにするよ!」
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