第3話 別邸の料理


「お食事は、どういたしましょう」


 領主別邸の執事長が扉をノックし、顔を覗かせる。朝早くから続いた慌ただしい雰囲気が漸く落ち着きを取り戻した頃には、もうすっかり昼の時間となっていた。


「久々にセリノの料理が食べたいのぉ」

「それでは、すぐに御準備いたします」


 さすが領主時代からファビラに仕えていた執事長である。その答えに即答すると、優雅に頭を下げる。しかし、そこへ、年嵩の治癒師が、さも迷惑そうな声で横から口を挟む。


「食べるなら、ここじゃなくて食堂に行っておくれよ」


 頭を上げようとした執事長が綺麗な前屈みの姿勢のまま、じろりと強い視線を送る。それを真っ向から治癒師が受け止めると、無言の睨み合いが始まる。何ともいえないその険悪な空気にファビラは苦笑を浮かべると、やれやれといった調子で間に割って入るのだった。


「これ、バルドメロ」

「はっ」

「ビビアナの言うとおりにせよ」

「……はっ」


 間に立つファビラを通り越すように治癒師へと鋭い視線を送り続けていたバルドメロであったが、渋々と引き下がると、悔しそうな表情を隠しもせず、軽く礼をして退室していく。微妙な笑みを浮かべてそれを見送ったファビラは、一つ溜息を吐くと、移されたベッドでまた泣き始めた赤児を覗き込む。


「困ったもんじゃのぉ」


 誰とでもなしにポツリと零し、好々爺然とした笑みを浮かべる。しばらくそうしていたファビラであったが、治癒師からの早く出て行けという無言の重圧に少しだけ肩を落とすと、名残惜しそうにアルトを伴って食堂へ向かうのだった。


「ところで、今日はいかがなされたので?」


 ファビラの後を追うように部屋を出たアルトは、扉を閉めると何気なく前を行く老人へと声を掛ける。


「なんじゃ、わしが祝いに来てはいかんかったかのぉ」


 あからさまに肩を落とし、トボトボと歩き始めた老人がわざとらしく鼻を啜るその様子に、肩を竦めたアルトは、素っ気無く言葉を返す。


「ファビラ様がお一人でいらしたことと、お着きが早かったので、お聞きしただけですが?」

「…ふむ」


 同情する素振りすら見せないアルトをちらっと振り返ると、つまらなそうな顔をしたファビラは、すぐに前方へ視線を戻す。わざとらしい演技を止めた老人は、顎に手をやり、考えるような素振りを見せると、ゆっくりと話し出した。


「何か疑っているようじゃが、お主の子供のことを楽しみにしとったのは、本当じゃよ」


 軽く後ろを振り返って様子を確認するファビラにアルトは、少しだけ頭を下げる。その様子に満足そうに頷くと、また視線を前へと戻したファビラが話を続ける。


「朝早くに産まれそうだと連絡を受けていたからのぉ。早めに食事を済ませての待っておったのじゃ。エミディオも来たいと言うとったが、公務の時間になってしもうたから、それに合わせてわしはこちらに向かった、というわけじゃ」


 その気恥ずかしさが混じった優しい声音に、アルトは少しだけ笑みを零す。義姉の実家とはいえ、そこまで親身になるほどのことでもない間柄にもかかわらず、そこまで想ってもらえていることに素直に嬉しく思うのだった。


「…そうでしたか、それは、ありがとうございます」


 アルトは、しっかりと謝意を伝えるため、一度立ち止まり、軽く頭を下げて礼をする。


「よいよい、こちらが勝手にしていることじゃ、気にするでない。それよりもじゃ…、そろそろその堅苦しい口調を戻さんかのぉ」


 足を止めて向き直ったファビラは、優しく微笑みかける。しかし、僅かに寂しさが乗っているその声に、少しだけ表情を曇らせたアルトが顔を上げる。


「……」

「すぐには難しいということも分かっておるんじゃがのぉ。しかしのぉ、やっと顔を見せたかと思えば、すっかりよそよそしくなりよってからに。エミディオも気にしとったぞ」


 気遣うようにそう言い残すと、もう目の前に迫っていた食堂へとファビラは入っていくのだった。




「これは、美味そうじゃのぉ」


 食堂へと足を運び入れたファビラは、先程までの表情を一変させ、食卓に並べられた料理に、目を輝かせる。


「これはこれは。今、御呼びにあがろうかと思っていましたところで―」


そんなファビラに気づいたバルドメロが慌てて駆け寄ってくるのだが、まるで気にしていないかのようにカラカラと笑うと、バルドメロが椅子まで案内しようとしているのを余所に、さっさと空いている席に座ってしまう。


「それは、ちょうどよかったのぉ」


 さっそく目の前に並んだ料理を、嬉しそうに見渡していたファビラは、この地方では珍しい料理に目を留める。


「ほぉ、米料理か」


 後から入ってきたアルトは、空いている席が上座であることに気づき少しだけ苦笑するが、バルドメロが申し訳なさそうに頭を下げるのが目に入ると、軽く笑みを返して上座に向かう。


「さっそく、いただくかのぉ」


 アルトが席に着くまで待っていたファビラであったが、もう待てないといった様子で、さっそく米を使った料理に手を付け始める。


「そんなに珍しいものです?」

「ここら辺では、南部のパエリアくらいなんです」


 アルトの疑問に答えたのは、二人が食堂に来たことを知り、厨房から顔を出したこの邸宅の料理長を任されている若い青年であった。

引き締まった体躯に、くすみのない綺麗な銀色の髪、整った顔と貴公子然としたその容姿は、調理服にさえ身を包んでいなければ、料理なんかしたことがないどこかの国の王子だと言われても信じてしまいそうになる。


「これは美味いのぉ」


 まだ何も手をつけていないアルトを余所に、一心不乱に料理を食べていたファビラが顔をあげる。驚きの混じったその顔に、ホッと安堵の息を零した料理長は軽く頭を下げた。


「突然の御来訪でしたので、こちらでいつも作らせていただいているものを御用意させていただいたのですが、お口に合ったようでよかったです」


 料理長の言葉にうんうんと嬉しそうに頷いたファビラは、改めて感想を口にする。


「久々じゃが、セリノの料理は、美味―」

―ぐぅぅぅ


 しかし、ここで、ファビラの言葉を遮るように、朝からのドタバタで何も口にしていなかったアルトの腹が抗議した。


「アルトも遠慮せずに召し上がってください」

「…いただきます」


 照れ隠しをするように髪をくしゃくしゃと握ったアルトは、伏し目がちに料理に礼をしてから手をつけ始める。

その様子を、ファビラが何かを懐かしむように目を細めて眺めていた。




「ところで、この料理は何という名前なんじゃ?」


 すぐに食事を再開したファビラが、一つの米料理を食べながら、セリノへと問い掛ける。


「こちらは、パエリアと同じように米を使っているのですが、バターで炒めた後に、スープで炊き上げたピラフと呼ばれているそうです」


 食事を楽しむ二人の様子を笑顔で眺めていたセリノは、ファビラの問いにも嬉しそうに答えるのだった。


「ほぉ…いつもの料理と言っておったが、セリノはいつの間にパエリアも作れるようになっておったのじゃ?」


 背筋を伸ばし、堂々と立っていた先程までの凛々しい姿はすっかりと鳴りを潜め、職務質問をされた挙動不審者のようになってしまったセリノは、キョロキョロと視線を彷徨わせる。


「それは…、あのっ、その……」


怪訝そうにその様子を伺っているファビラの茶色い瞳が放つ好奇心を含んだ視線を、セリノの蒼い瞳が避ける。そうして、助けを求めるように彷徨っていたその視線が、二人の様子を伺う気遣わしげな黒い瞳を捉える。苦笑を浮かべて軽く頷くアルトへ申し訳なさそうにセリノは、少しだけ頭を下げると、ファビラへと向き直るのだった。


「実は、カエデ様に教えていただいたのです」

「ほぉ……」


 感心したように頷くととともに、横目でチラリとアルトを見たファビラであったが、すぐに視線を戻すと、子供のようにキラキラと瞳を輝かせて先を促した。


「そちらの料理も教えていただいたものの一つでポトフと呼ばれるものだそうです」


 並んだ料理の一つをセリノが掌で指し示す。促すように向けられた笑みに少し戸惑いつつも、ファビラは煮込まれた野菜を口に入れる。


「っんまいのぉ」


 珍しく驚きの表情を浮かべたファビラが味わうのをゆっくり待ってから、セリノは料理の説明を続けた。


「先程のピラフに使用したスープを使って、こちらは野菜を煮込んだものです。事前に作っていただいたスープがまだありましたので、野菜を柔らかく食べることができるこの料理であれば、出産直後のカエデ様も食べることができるかと思い、本日の献立に入れさせてもらいました」


 その言葉を聞いて、反応を示したのはアルトのほうであった。料理長の心憎い気遣いに、胸が温かくなるのを感じた彼は、目を合わせて軽く頭を下げる。セリノがニコリと笑顔で返す横では、そんな二人に気づいていない様子で舌鼓を打っていたファビラがうっとりとした表情で言葉を零す。


「これは美味いのぉ」


 普段は見ることがないそんな無邪気な姿に、込み上げてきたものを我慢できなかった二人が笑いを零すと、眉を寄せて見るからに不機嫌そうなファビラが順番に睨みつける。しかし、その子供が不貞腐れたような仕草に、声を上げないようひぃひぃと二人が笑っていると、ついにファビラまでもが笑い出し、食堂には三人の楽しそうな笑い声が響き渡った。


「ひさびさにこんなに笑ったのぉ」


 そうして、しばらく笑いあった後、食事を再開した二人が粗方食べ終わる頃に、ファビラが思い出したかのようにセリノに尋ねる。


「そうじゃ、これだけ聞かせてもらってもええかのぉ?」


 セリノが向けた視線に釣られるようにファビラからも視線を向けられたアルトは、気にせず話して欲しいと笑みを浮かべて頷くと、改めてファビラがセリノに問い掛ける。


「その、ピラフやポトフと呼ばれる料理に使われているスープとやらは、もしかしてパエリアにも使うことができたりするんじゃろうか」


 許可をもらってはいても、やはり気になるセリノはチラッとアルトを見る。当然のように笑顔で頷いたアルトであったが、なんだか面倒になった彼はセリノが何かを言う前に口を開いた。


「ファビラ様になら、カエデも話してもいいというだろうから、いちいちこっちを見なくていい」

「ん、ごめん、ありがとう」


 アルトは、視界の端で面白くなさそうな顔を浮かべる老人を捉える。しかし、セリノが嬉しそうに話し始めたため、すぐにその表情を戻した老人が、目を輝かせて話を聞く姿を横目で確認すると、気づかれないようそっと溜息を零す。


「パエリアはですね、具材からして違うので、スープを使わないんです。ピラフは、先程もお話したとおり、先にバターを使ってお米を炒めてからスープで炊く料理なのですが、パエリアは具材を先に炒めてから米を水やサフランといったもので炊き上げたものです」


 この時、ファビラは、セリノには砕けた口調で話すアルトに嫌味の一つでもぶつけてやろうと思っていたのだが、領主時代に数回しか食べたことがないパエリアがすぐにでも作れるという話に驚きを隠せずにいた。


「…なるほどのぉ」


当初の目的である嫌味を考えるのも忘れて、関心するファビラであったが、二人にそんな心情を悟られれば、また笑いのネタにされかねないと平静を装うのに必死なのだった。


「ところがですね。実は、こちらで作るパエリアは、同じスープを使って作っているんです。南部のパエリアの作り方も教えていただいたのですが、スープを使って炊き上げる作り方も一緒に教えていただきまして、そのほうが評判も良くてですね、スープがあるときは使うようにしているんですよ」


 半島南部でこそパエリアは、魚介をふんだんに使った有名な家庭料理ではあったが、北部ではまだどんな料理かですらほとんど知られていない。そんな料理を、普通に作れるというこの料理長と、その作り方を教えたというカエデに、ファビラは驚くことしかできなかった。


「ど、どのようにして作るのか、教えてくれんか」


 その言葉にやはりアルトへと一度、顔を向けてから頷くのを確認するセリノであった。


「牛や鶏と一緒に野菜と香草で煮込んだだけのものなので、スープというよりも出汁のようなものなので、いろいろな料理に使えるんです。いつもは普通に鶏がらを材料にするのですが、本日のスープはなんとっ!昨晩チキノンを使ってカエデ様が作ったものなのです」

「…魔獣を使っておるのか」


 次から次へと止め処もなく溢れてくる驚きに、笑顔を張り付かせて必死に平静を装っていたファビラであったが、会話の中に魔獣と呼ばれる魔力を多く持った野生の獣の名前が出てきたところで、ついにその笑顔が剥がれ落ち、驚きの表情を浮かべると、小さな声を零すのだった。


「…はい」


その姿を見て、誇らしげに胸を張っていたセリノは調子に乗って喋り過ぎたことに気づき、慌ててアルトへと目を向ける。しかし、ファビラの表情に苦笑しているだけのアルトの様子に、ホッと安堵の息を零すと、それはそれは嬉しそうに話を続けた。


「なんでも魔獣を使ったほうがコクが出るとカエデ様が仰ってました。昨日手に入ったものを、たまたま見かけたようで、身重であるにもかかわらず『私が作る』と言って、嬉しそうでした。まさか次の日にご出産になるとは思いませんでしたがー」


 ファビラを正気に戻してしまうと、おそらく面倒な質問を飛ばしてくるだろうということが容易に想像できるアルトとしては、今のうちにさっさと終わらせてしまうのが一番であるため、楽しそうに頷いてどんどん話を進めさせる。


「―本日御用意させていただきましたようなピラフや紹介しましたパエリアといったものの他にも、精米したものをそのまま炊き上げてパンの代わりに主食として御用意したりと、こちらではお米を使ったものをお食事の際に御一緒に御用意しております。よろしければ、また足を運んでいた、だけ、れ…」


 邪魔する者がいないため、調子に乗って気持ちよく話をしていたセリノであったが、急に寒気を感じて顔を青褪めさせる。そんな彼の表情に合わせて、弾むような声もたちまち萎むように小さくなっていき、ついには口を閉じるのだった。


「そういうことなら、たまに顔を出すことにするかのぉ」


殺気を放ち始めた青年に、漸く普段の冷静さを取り戻し始めたファビラが眉をしかめる。しかし、視線を向けられた当の青年はというと、そっと視線を逸らし、何も知らないといった顔で残っている料理をつつくのだった。


「「…」」


 素知らぬ顔をする青年から視線を外すことなく、ファビラが厭らしい笑みを浮かべている。口を開くことなくダラダラと汗を流し始めた料理長は、青白い顔をして、二人の食事が早く終わることを願うのみであった。


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