ソウル・フェイト

Bu-laugh(ブラフ)

第一章 物語に潜む影

プロローグ


※この小説は不定期更新です。予めご了承の上お読みください。


 

 舞台は我々が概念でしか知りえない亜人や獣人、果ては魔物や神までが人間と共に住まう異世界である。

 物語はそこに暮らすある青年の意識の中から始まる。だが、その始まりは、その世界に於いても例外的な場所だった。

 視覚的に広大な宇宙のように見えるその場所は、何者かが創り出した閉鎖的な異空間。他の侵入を許さない結界の中である。

 そんな状況を理解しないまま青年は意識を取り戻した。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 目覚めた俺の周りに広がっていたのは星空だった。

 寝起きの精神状態という奴だろうか? そんな場所で目を覚ましたというのに、俺はそれほど取り乱していなかった。

 しかし、なぜこうなっているのかが分からない。目覚めるまでのことを思い出そうにも、なんだか頭の中がふわふわしていたからだ。

 仕方なく周りに目を向けようとした俺は、自分が防具を身につけ、腰に剣まで差していることに気づいた。

 

 なんだ俺の格好は? まるで戦いに行くみたいじゃないか。いや、でも……


 ふと目を向けた俺の両サイドにも、同じように立つ者がいる。2人もまた戦支度に身を包んでいた。装備の汚れ具合などから判断すると、俺たち3人は今から戦いに向かうというより、それを終えたあとのようにも感じられた。

 視線を戻した俺は、今度は正面に立っている者に目を向ける。そこには、この不可思議な場所に似合いの存在が立っていた。

 その者を含めこの場には全部で4人いたが、俺たち3人が横並びで立っているのに対し、その者だけが迎え合わせの正面に立っていた。そして、俺たちと違いあきらかに異質で圧倒的な存在感を放っていた。


 女?……いや、人ではない。


 俺は女と判断したその者が人であることを即座に否定した。

 美しい容姿と佇まい。身から溢れ出る神々しいまでのオーラ。それらすべてが、その者が人とは隔絶された存在であることを物語っている。薄絹に身を包み、背から後光さえ差すその者はさながら神。いや、女神であるに違いなかった。


「よく戦いましたね」


 その言葉を皮切りに女神は俺たちを言葉で労い始める。柔らかな口調で紡がれる声の響きに耳を傾けながら、俺もようやくにして状況を理解した。どうやら俺たち3人は、魔王と戦い見事討ち果たしてこの場にいるようだった。

 それに最も貢献したのが何を隠そう俺だった。敢えて名を伏せ語られたその話の中で、大きな役割を果たした者は1人しかいない。そして、その活躍を語る女神の視線は俺をとらえて離さない。そこに答えは1つしかなかった。

 はっきりと覚えてはいないが、このメンツを見る限りそうなってしまうのも無理はない。いや、たとえどんなメンバーが集おうとも、俺以上に活躍できる者などいる筈もない。目を閉じれば今にも、その時の活躍が鮮明に脳裏に蘇ってくる……

 

 蘇って……くる?

 ……ん?


 いや、そうでもない。特に印象に残ってはいないようだ。

 ああ、そういえばはっきりと覚えていないんだったな。俺としたことがウッカリ屋さんだな、まったく。ハハ。

 ……ん?


 はっきりと覚えていない?

 ちょっと待て。はっきり覚えてないことはないだろう? 寝ぼけてた頭もそろそろ回転し始めていい頃だ。ちょっと本気で思い出してみろ。


 少しくらいは自分の活躍を覚えているだろう?     ……全く覚えがない。

 では、魔王の顔はどうだ? どんな悪そうな顔だった? ……全く覚えがない。

 

 なるほど。直近の記憶を思い出すのは難しいようだ。では、もう少し過去に遡ってイージーなことを思い出してみよう。

 

 俺の両親の名前は何だ? これなら簡単だろう?    ……全く覚えがない。

 まさか、自分の名前がわからないなんてことは……   ……全く覚えがない。

 

 マジか!? 戦いどころの話じゃない。俺はそれ以外のことについても何にも覚えてないじゃないか!?

 まずいぞ!? 変に落ち着いていたから気にしてなかったが、これは記憶喪失という奴ではないのか!? だが、頭はまだモヤがかかったようにふわふわしたままだ。しかも、立ったまま寝ていたという事実も気にかかる。もしかして、俺はまだ寝てるのか? 夢はまだ続いてるのか!?


 注意深く周りを観察しても確証は得られない。やむを得ず、俺は腰に下がった剣を使って現実と虚構の区別をつけようと考えた。鞘から少しだけずらして、刃の上で親指を滑らせる。


「ぐぬぉっ!」


 予想以上の切れ味。一瞬、血しぶきが上がったあと、ボタボタと音を立てながら俺の指から血が滴り落ちる。

 さりげなく確認する予定だったが、こうなっては隠し通すのも難しい。

 というか、6つの視線が痛いほど俺に突き刺さっていた。


「どうかしたのですか?」


 突然奇声を発した俺に、女神の質問が飛んでくる。


「い、いえ、なんでもありません……」


 咄嗟にそう切り返したが言葉での誤魔化しは無意味だ。なぜなら、流れ出る血はとどまることを知らず、俺の左手は既に血まみれだったからだ。


「見せて」


 その時、俺の隣に立っていた女が声をかけてきた。いや、女というより、まだあどけない女の子だ。女神のインパクトが強すぎて両サイドに立つ2人にはあまり注目していなかったが、この子も戦いに参加していたのだろうか?

 俺の手を取り傷口を確認すると、もう片方の手に持った杖をかざす。すると優しい光が全身に広がってゆき体内の活性が急速に高まる感覚があった。

 ふと見ると傷口から流れていた血は止まっていた。治療系の魔法の使い手。おそらく後方支援担当だったのだろう。


「剣で切っちゃったの? あなたでもこんなミスするんだね、ウフフ。だけど、あなたの役に立てて良かった」


 言いながら女の子は、愛くるしい笑みを俺に向けてくる。

 なんだか親しげな態度と口ぶりだが、俺には当然この子に関する記憶など無い。

 これほどかわいらしい女の子を忘れている自分に苛立ちを覚えつつ、しかし、それでも1つわかったことがあった。

 それは指に走った痛みが紛れもないリアルだったということ。リアルガチだったということ。

 即ち、ここがまごうことなき現実で、更には記憶を失っているという事実……


 おいおい、もう少しシンプルな展開はできなかったか?


 女神とのご対面と記憶喪失というそれぞれにボリュームのある出来事を、まさか同時に体験することになるとは。できれば別々に起こって欲しかったと思うが、今更どうしようもない。それよりも、これからどうすべきかを考えねばならなかった。

 記憶が無いことはショックだったが、そのことに対する強い焦りはなかった。状況は魔王を倒したあとのようだし、緊迫した場面でもない。称賛を受けた流れで追加のご褒美まで貰えそうな、そんな雰囲気だったからだ。

 逆に動揺して記憶喪失をカミングアウトしようものなら、その原因を厳しく追究されるおそれがある。そして、もし他愛ない愚にもつかない理由で俺が記憶を失くしたのだとしたら? 先ほど褒めちぎられていた俺の評価が下がるだけでなく、女神のご褒美したい気持ちが失せるかもしれなかった。


 ……そうだな。とりあえず、そうした方がいいと思えない限り、記憶喪失のことは伏せておこう。ひょっこり全部思い出すかもしれないし、たいがいの場面は愛想笑いと『だよねぇ』で乗り切る自信はある。


 俺の中でそう結論が出た時、左腕が誰かに強く掴まれるのを感じた。

 ふと見ると、先ほど手当てをしてくれた女の子が、未だ俺のそばを離れず横に立っていた。

 俺も男だ。かわいい女の子に腕を組まれて悪い気はしない。頬筋がだらしなく緩んでしまうに任せ、俺はその子に微笑んでみせる。さわやかな笑顔が作れていた自信はなかったが……

 だが、その子はというと、俺の予想とは全く異なる表情で俺の笑顔を受け止めた。

 それは恐怖。一言で表すなら、そうとしか言えない表情の中に何か訴えかけるような感情も混じっている。


 え!? どういうこと?


 戸惑いながらも、俺はすぐにある事実に気づいた。目に見えない強烈な何かがその女の子に突き刺ささっていることに。

 それはおそらく誰かの視線。俺はそれが向かってくる先、女神の方に顔を向けた。

 しかし、俺の視線が女神をとらえた時には、その表情に別段変わったところは見受けられなかった。一瞬、何か禍々しいものが見えた気がしないでもなかったが……


 そんなことを考えているうちに、いつの間にか俺に回されていた女の子の手は力なく離れ、立ち位置もわずかに俺と距離を置いたものになった。俯いたままたたずむ女の子はもう俺を見ることもない。

 

 いったい何だったんだ?


 一瞬、そんな思いに駆られたが、女神が話を再開したのを皮切りに俺は気持ちを切り替えることにした。このまま記憶を失っている事実を悟られずにやり過ごすつもりだったからだ。

 そして、そのためにはより多くの情報を得る必要がある。俺は女神の話す言葉に全力で耳を傾けた。


「あなたたち勇者の活躍で、魔王は滅び世界に平和が戻りました。しかし、ゆっくりとその余韻に浸っている暇はありません。なぜなら魔王が滅んだことで、既に別の問題が生じているからです」

 

 おや?


 話は突然、エッジをきかせて別方向に舵をきった。俺はその展開に、先ほど感じたご褒美のイメージがフルカラーからモノクロに変化するのを感じた。


「その問題とは、あなたたちの持つ力のことです。魔王無き今、魔王を倒すほどの力を得たあなたたちは、存在意義を問われることになります。この先その力をどのように役立てて行くのか。そこに明確なビジョンを持たない限り、それはあなたたちにとって過ぎる力となります。そして、それは使い方を誤ると新たな悲劇をも生みかねない、非常に危険なものなのです」


 俺は女神の言葉をあっけに取られながら聞いていた。


 いや、問題ってそこ……なの?


 確かに問題と言えなくもないが、それほど性急に答えを出さねばならないことじゃない。今はまだ魔王を倒した余韻に浸り、先ずはそれに対するご褒美を。その流れを経て落ち着いてから切り出してもいい話じゃないのか?

 それが証拠に俺の右サイドに立つ男も、話を聞いた途端わずかに反応を示していた。水色の長髪をした、戦士風の華奢だが俊敏な動きをしそうな男。

 俺はその時初めてその男をじっくりと眺めた。そして、すぐにその男が普通の人間でないことに気づいた。

 俺より少し防御面積の多い、重厚とまではいかない鎧に身を包んだ男は、背格好や雰囲気も一見、人と見分けがつかない。だが、男にはあきらかに人ではないとわかる身体的特徴があった。


 この耳の形状……おそらくエルフ。


 エルフとは人より優れた身体能力や特殊能力を持つ亜人だ。長い耳以外、外見はそれほど人間と変わりないが、長寿であるせいか実年齢より若く見える者が多い。

 鼻持ちならない特徴に美形というのもあるが、この男に関しては見たところ整ってはいるが、特筆すべきことはないと感じられた。……まあ、主観ではあったが。

 そのエルフは、猜疑と怒りの混じった視線を女神に向けていた。


「セレナ、あなたはどうするつもりですか?」


 女神が名指しで語りかけた視線の先、俺を挟んでエルフの反対側に立っているのは、先ほど傷を癒してくれた女の子だ。名はセレナ。

 小柄な身体に神官の装束を纏うセレナは、肩まで伸ばした銀色の髪に特徴的な碧の大きな瞳を持っている。年のころは、まだ15~16歳といったところだろう。


 セレナ……


 頭の中で何度か反芻してみるも、しかし、その名に聞き覚えはなかった。


「わたし、今まで魔王を倒すことだけを考えてここまで来たから。もちろん私1人じゃない。アグアも、そしてルカキスも、3人同じ目的でここまで辿り着いて……」


 セレナがそう答えた瞬間、俺は思わず自分の耳を疑った。今話に出た『アグア』と『ルカキス』のどちらかが、俺の名である可能性が高かったからだ。

 さすがに自分の名がわからないのは苦しいと感じていた俺は、そこで思わずテンションを上げた。心の中でガッツポーズを決めていた。

 だが、それにしてはどちらの名に対しても、特にシンパシーやインスピレーションといったものを感じない。

 本当にどっちかが俺の名前なのか? そんな思いが頭を過ったが、記憶を失くした宙ぶらりんの状態から一刻も早く脱却したかった俺は、拠り所となる名を手に入れることを即座に決定した。


 答えは2つに1つ。だが、俺には類稀なる状況察知能力がある……


 感覚を研ぎ澄まし場に流れる空気を見極めた俺は、そのうちの1つを選択する。アグアという名を選択する。

 その名を受け入れ自分のものとした時、二択だったのがまるで嘘のようにアグアという名は俺にジャストフィットしていた。


 フフッ、俺は何を迷っていたんだ? 考えるまでもない。初めから俺はアグアだった……疾風はやてのアグアだったんだっ!


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ついにその者は名を手に入れた。いや、取り戻したと言うべきだろう。

 それは1つの進歩ではあったが、失われた記憶は多く道のりはまだ遠い。そのせいでふりかかるアグア(仮)への試練は、これから徐々に本格化してゆくのだった。

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