59話 銀髪の少女


 自分が危険な場所にいると知る筈なのに、ルカキスに臆する気持ちはなかった。なぜなら、今から向かう場所には女子が待っているからだ。その姿は、欲望が世界を突き動かす原動力となる証を、身を持って証明しているように見えた。

 森の切れ目となる少し広い場所に出たルカキスは、前方に目的の相手を見つけた。

 それがてっきりレンピだと思っていたルカキスは、格好からして別人だとすぐに気がついた。

 神官の装いでこちらに駆けてくるその少女を、しかしルカキスはどこかで見たような気がしていた。


「ルカキスッ!」


 突然、自分の名を呼びかけられたことにルカキスは驚く。同時に、何者かに追われながら懸命に走ってくるその少女が、誰なのかを思い出していた。


「セ……レナ? セレナ!」


 なんとかルカキスのもとに辿り着き、胸に飛び込んだ少女。それは物語冒頭、女神の手によってカリ・ユガに追放されたセレナだった。

 セレナは、目に涙を浮かべながら溢れる思いを口にした。


「やっぱり、ルカキスだった! 私……私もう、あなたに会えないかと――」

「再会の喜びはあと回しだ。それより早く俺の後ろへ」


 意外にも冷静に言葉を遮ったルカキスは、すぐさまセレナを自分の背に匿う。そして、追っ手の方に鋭い視線を向けた。


 セレナを追ってきた者たちは、一見いっけん人のようにも見えたが、実際には人ではなかった。人魔ジンマと呼ばれる、人が魔物化する過渡期の存在に成り果てていたのだ。

 ここカリ・ユガでは、いきなり人が魔物に変わることもある(その場合は強力な魔物になる)が、たいていは蓄積した瘴気の影響で先ず人魔となる。それが許容量を超えた時、魔物に変わるのだ。

 人魔は人の外観を保ってはいるが、理性が大幅に失われている。そのせいで、ルカキスにある誤解を与えていた。


 裸っ……だと!? まさか、露出狂なのか?

 このカリ・ユガにまで、そんなくだらない、歪んだ欲に取りつかれて生きる輩がいるのか!?


 知識のないルカキスは、人魔という存在を知らない。だから、魔物がそこらじゅうに溢れるカリ・ユガにまで、変態的欲求(偏見)を満たそうと考える人間がいると思ったのだ。


「人の持つ業とは、なんとも深いものだな……」


 抱えきれないほどの業にまみれるルカキスは、まるで自分が全ての欲を捨て去った聖人であるかのように、達観した立場からそんなセリフを口にした。

 ルカキスごときに軽蔑され、露出狂の烙印を押された人魔たち(ルカキスの主観であり事実を反映しているわけではない)は、それがために決して強いとは認識されなかった。

 さらに数がたったの6人であること。加えて武器も持たない丸腰だったことが、人魔たちを単なる変態の露出狂集団と思わせ、組しやすい印象を与えた。

 対するルカキスは剣を所持していたし、セレナとの劇的な再会を果たした直後でもある。登場シーンの演出としては全てが完璧に整い過ぎていた。

 結果、ルカキスはモチベーションをヒーロー的な感覚にまで高めてしまう。

 瞬時に男前を取り繕ろってセレナに微笑んでみせると、人魔たちに向き直りながら腰から剣を抜いた。

 それを見た人魔たちが、警戒しながら半円状に広がって2人を包囲した。


 人の外観を保っているとはいえ、人魔たちは幾分野生化して見えた。

 伸び放題の頭髪やアゴ髭はもとより、体毛がかなり増えていた。腕やすねはもちろん、陰部を覆う毛の量は多く、少し猫背の姿勢は原始人を彷彿させた。

 それを一瞥したルカキスは、人魔のリーダーが誰なのかを直ぐに見極めた。その判断基準となったのは、追っ手たちの下半身にぶら下がる伸縮自在の棒である。最も大きい悟空の如意棒を持つ人魔を、リーダーに抜擢したのだ。

 その時ルカキスの中では、こんな思考が展開されていた。


 他の奴らが長い薮に隠れる中、あの飛び抜けた存在感。おそらく、奴がこの群れのボスで間違いないだろう。悔しいが、サイズに関しては俺も負けを認めざるを得ないからだ。


 だが、大きさだけがすべてじゃない!


 エコロジーを追及した俺のサイズは、衣服を身につけた時、必要以上に自己主張せずファッションとのベストマッチを可能にする。

 加えて、俺のは奴らのように剥き出しじゃない。使わない時はちゃんとケースに収納されている。それが世のマナー。男が果たすべきエチケットだからだ!

 デカさを好む女性も確かにいるだろうが、すべての女性がそれを望んでいる筈もない。大き過ぎたら入らないことだってあるし、痛みを与え傷つけてしまうからだ。

 俺くらいのサイズがシンプルイズベストであり、多くの女性を確かな満足へと導くことができる。

 フフッ、デカさが至上のものでないということを、この俺が証明してやる!


 そう意気込んだルカキスは、相手を威嚇するように手にした剣をゆっくりと回し始めた。

 それに合わせて、戦闘態勢をとった人魔たちの腕からは鋭利な刃が飛び出す。骨自体を変形させ腕に沿うように伸ばされた刃は、長さも鋭さも十分武器として通用するものに見えた。

 しかし、そんな変化を目にした途端、ルカキスは激しく動揺した。相手が単なる丸腰の変態オッサンではないと気づいたからである。


 あ、あるじゃないか!

 武器持ってるじゃないか!

 しかもこいつら人じゃない……人間辞めちゃってるっ!?

 

 相手がただの人間ではないと気づいたルカキスは、先ほどまでの余裕もどこへやら、途端に目をキョロつかせて冷や汗を流す。

 だが、そんなことはお構いなしに、すぐにも人魔の1人が距離を詰めてくる。

 それを見て焦ったルカキスは、咄嗟に声を張り上げた。


「まだだっ!」


 片手を突き出し、必死の形相でそう訴えかけるルカキス。

 その勢いに気圧され人魔は飛びかかるのを躊躇した。

 そこですかさず、ルカキスが続けた。


「お、お前たちも武人の端くれなら、準備の整ってない者にいきなり斬りかかるのが騎士道に反することくらい分かるだろう!? しかも、多勢に無勢。圧倒的に優位なお前たちが、俺の準備が整うのを待ったところで状況に変わりはない。にもかかわらず、その時間すら待てないほどお前たちは武の心を、戦士の誇りを失ってしまったというのか!?」


 相手を勝手に武人の土俵に引き上げて、騎士や戦士に仕立てあげ、自分に都合のいい主張を繰り広げるルカキス。しかし、意外にも人魔たちはこの言葉にざわついた。

 それを静めるように仲間を促したリーダーと思しき人魔(どうやら見立ては正しかったようである)は、ルカキスの言葉に応じるようにその場で腕組みをした。

 他の者たちもそれに倣って各々が待機の姿勢をとる。状況はルカキスの主張が受け入れられたかのように見えた。


 おお! ちゃんと言葉は理解できるのか! 

 やはり、人の外観を持つだけのことはある。イチかバチかで試した甲斐があったというものだ。

 このまま俺のペースに持ち込めれば、やりようはある。そうすればきっと……


 偉そうなことを言いながら、どうやらルカキスは何かをアテにしているようである。そのために、できるだけ事態を引き延ばしにかかった。


「俺は剣舞で気を高めてから戦うと決めている。即ち、剣舞の終了が戦闘開始の合図だ。いいか! くれぐれも、俺が剣舞を終えるまでは絶対に……絶対的に動いてはダメだぞっ! わかったかっ!?」


 主張を聞いてもらう立場にありながら、非常に高圧的な口調のルカキスである。

 だが、素直に頷きを返した人魔たちは、どうやらそれに応じてくれるらしい。

 ……実は、人魔たちはいい奴なのではないだろうか?

 そんな疑問さえ感じる中、ルカキスの剣舞が始まろうとしていた。


 軽くジャンプしながら首を回して肩の力を抜いたルカキスは、綿密にポジョショニングを調整してから下段の構えをとった。それからゆっくりと剣を回し始めた。

 先ほども相手を威嚇するように剣を回していたが、それとはうって変わって非常に緩やかに回された腕は、1周では止まらなかった。たっぷりと時間を使い、3周回ったところでようやく別の動きを見せた。


円月殺法えんげつさっぽう雅の舞みやびのまい!……其の壱の型、朧斬月おぼろざんげつ!」


 何とか頭からひねり出したのか、剣舞など知らないルカキスの口から、それらしいネーミングが飛び出した。

 同時に、袈裟斬りに剣を振り下ろしたルカキスは、相手に刃を突き出す構えをとってからピタリと止まった。

 それからどれくらいたっただろう。場の静寂はそれで剣舞が終わったと感じるくらい長いものだったが、ルカキスに構えを解く気配はない。痺れを切らした人魔が互いに顔を見合わせ動き出そうとしたところで、ようやくルカキスの唇が動いた。


「か~ら~の、弐の型、月光無斬げっこうむざん!」


 まだ、剣舞が終わっていなかったことに驚く人魔たち。言葉と共に剣を真横に凪いだルカキスは、それを胸元に引き寄せたところで、またしても止まった。

 相手の許容量ギリギリのをとりながら、ルカキスはなんとか剣舞を引き延ばそうとする。しかし、型自体はすぐにも終わってしまう。知識のないルカキスに動きのバリエーションなどなかったからである。

 ただ、表情は真剣そのもので、剣を胸に抱く最後の決めポーズは、何かを必死に祈っているようにも見えた。

 その成果を確認するため周囲に目を向けるが、目当てのモノはまだ見つからない。

 ルカキスの顔には落胆の色が浮かんだ。


 次こそは、間違いなく剣舞が終わったと思わせる長い沈黙のあと、人魔たちは、またしてもお預けを食らう。まるで人魔たちが動くのを待っていたかのように、剣舞が再開されたからだ。


「か~ら~の、参の型、今宵名月こよいめいげつ!」


 しかし、そろそろネタが尽きてきたのか、口にしたネーミングは技名にほど遠い。雑なポージングも相まって、人魔たちを引き止めるのが難しくなってきた。

 本人もそれを自覚しているのだろう。立て続けに次の型が披露された。


「か~ら~の、四の型、三日月綺麗みかづききれい!」


 どうやらルカキスの頭の中に、もうネタは無いようである。参と四の型は、どちらもただ月を見た感想になっているからだ。

 それに気づいた人魔たちが一斉にリーダーを仰ぎ見る。その頷きに合わせて、ついにはルカキスに襲いかかった。


「う、うわあああぁぁぁ――――――――――っっ!」


 叫び声を上げながら、ルカキスは人魔に向けてやみくもに剣を振る。

 だが、そんな攻撃が当たる筈もなく余裕で相手に躱される。そして、次の瞬間には人魔に圧しかかられ、ルカキスは仰向けに倒された。


「ひ、ひええぇぇ――――――っ!」

「ま、待て! 話せばわかる! わかり合える!」

「た、た~すけてぇぇぇ……た、た~すけてぇぇぇ……」


 人魔と格闘しながら、叫び続けること3分。肩を叩かれ体をビクつかせたルカキスは、視線の先に安否を気遣うカリューの姿を見つけた。

 途端に脱力したルカキスは、鼻から安堵の息を漏らしながら上体を起こす。見回した視線の先には、横たわる人魔たちの死体と、すべてを始末したのだろうロボの立つ姿があった。

 よく見ると、ルカキスに覆い被さっていた人魔も額を撃ち抜かれて絶命している。

 どうやらルカキスは、ウルトラマンの活動限界すべてを使い、死体と格闘していたようである。


「…………」


 無言で人魔を払いのけたルカキスは、ゆっくりとその場に立ち上がる。心のうちではロボに対する畏怖の念をあらたにしていた。

 だが、そこでセレナのことを思い出すと、落ち着いた感じで汚れを払い落とし、笑顔で背後を振り返った。


「怪我はないか、セレナ」


 二枚目気取りでそんなセリフを口にするが、一部始終を見ていたセレナを今さら取り繕うことに意味はない。案の定、怪訝な表情を浮かべながら、セレナは何かに困惑しているようだった。


「ルカキス……あなた、本当にルカキス?」

「えっ?」


 せっかくキメて語りかけたのに、ルカキス本人であることすら疑われる始末。ルカキスは動揺しながらカリューに助けを求めた。

 仕方なく、カリューが経緯を説明することになった。


「久しぶりだな、セレナ。といっても会話も交わしていないから、覚えてないかもしれないが――」

「あなた、アグアの弟でしょう? 見た瞬間にアグアじゃないと気づいたわ」

「そうか。俺と兄は似ているから間違われることも多いんだが――」

「どれだけ似てたって、普通の世界で暮らすあなたとカリ・ユガで暮らすアグアとでは、おのずと違いが出るわ」


 そう話すセレナに、カリューが思わず問いかけた。


「もしかして、兄とはここで会ったことがあるのか? 実は、俺たちは兄を探してここまで来たんだ。もし、居場所を知ってるのなら――」

「知らないわ!」


 思いのほか激しい口調で言葉を遮るセレナ。

 それに驚くカリューには構わず、セレナが続けた。


「それどころか探したって無駄よ。今さらノコノコ現れても、あなたのお兄さんはもう元の世界には戻れないんだから!」


 強くそう言い切られ、悲しげな顔を浮かべるカリュー。

 暗めのトーンで言葉を返した。


「……知っている。おそらくそうだろうと覚悟して来たからな。だが、実際に聞かされるとショックはあるな。もしかしたらと、期待していた部分もないわけではなかったから……」


 それを聞いたセレナは、その後に続けるつもりだった言葉を飲み込んだ。それ以上を口にしなくても、ハナからカリューがそこに期待していないのが分かったからだ。

 しかし、その会話を聞いていたルカキスは疑問を覚えた。そこにはルカキスの知らないカリ・ユガのルールが含まれていたからだ。


 アグアがここから帰れないとは、どういうことだ?

 俺たちはアグアを救いにここへ来たんじゃないのか?


 そんな疑念を感じるルカキスは、今回の目的がアグアからアールヴの緑石を譲り受けるためだとは知っていた。しかし、どうせなら、アグアとセレナの2人を連れ帰ってやろうとも考えていた。

 だが、セレナはそれが不可能と言い、カリューもそれを理解している。そこに自分の知らないカリ・ユガの秘密があると気づいたのだ。

 

「ちょっと待て。アグアが帰れないとは、いったいどういうことなんだ?」


 このルカキスの介入に焦ったのはカリューである。カリ・ユガの詳細を伝えずここまで来たことが、ついにバレてしまったからだ。


「え!?……いや、それは……つまり……」


 言い淀むカリューの態度に益々疑念を深めたルカキスは、怒りの込もった眼差しでカリューを睨みつける。そこにロボが口を挟んできた。


「お前には伝える必要のないことだから、黙ってただけの話だ」


 言いながら歩み寄ってきたロボにルカキスの視線が向けられる。しかし、そこに気後れや怖れの感情はなかった。事の重要性に後押しされ、怒りがそれを上回ったからだ。

 ルカキスは普段の調子でロボを責め立てた。


「バカを言うな! 俺だって一緒に来てるんだ! 俺だけ知らない事実があっていいわけないだろう!」

「だとしても、さっきの状況を1人で対処できねーお前にいったい何ができる?」

「――!?」

「カリ・ユガが危険だという最低限の知識さえありゃー大きな問題はねー。どうせ、お前ら2人の面倒はオレが見るつもりなんだからな」

「…………」

「それに事前に聞かされてたオレだって、ここに来るまで半信半疑の部分もあった。実際それを目にした今となっては、信じないわけにはいかねーがな」


 そう言って笑みを浮かべるロボに、ルカキスは怪訝な表情を返す。

 状況の変化にまだ気づかないルカキスを見て、ロボが煽るように続けた。


「なんでー、ネオ・ルカキス。お前まだ気づいてねーのか? 自分の足元をよく見てみろよ? さっきまでと何が違っているのか、いかにニブチンのお前でも分からねー筈はねーと思うがな?」


 真相を濁したまま、ロボはまだなお笑っている。

 その態度に苛立ちながら、ルカキスは渋々足元を確認した。


 ロボめ! 俺が下手に出ていたのをいいことに偉そうな態度をとりやがって!

 足元を見ろだと? 足元に何があるというんだ?

 俺の足元に変化などあるわけ…………!?


 その時、詳細に足元を確認するまでもなく、ルカキスはそこにある異変に気づいた。ロボに命を絶たれ、横たわっていた人魔の死体が無くなっていたのだ。

 周囲にいた他の人魔についても、どこにも痕跡すら見つからない。ルカキスは動揺しながら疑問の声を上げた。


「あ……あの、裸族たちは何処にいったんだ? まさか、消えて無くなったとでもいうのか?」


 そう問いかけるルカキスに、横にいたカリューが返事をした。


「そこからは俺が引き取ろう。ルカキス、すまなかった。事後報告になってしまったが、ここカリ・ユガには特殊なルールが存在する。先ほどあった死体が無くなったのは、その効果で奴らが再生したからなんだ」

「再生……だと?」

「そうだ。ここカリ・ユガで死んだ者は、この地で何度でも再生される。おそらく死の直前とほとんど変わらない状態で再生されるらしいんだが……」


 そこでカリューはセレナに視線を向けた。

 その意図を理解すると、セレナが話を引き継いでくれた。


「死の直前というよりも、カリ・ユガを訪れた時の状態がもとになってるみたいね。だけど、再生されるまでの記憶は残ってるし、瘴気の浸食だけは食い止められない。だから瘴気が一定量を上回れば彼らのように人魔化してしまう。そうなれば、もう人には戻れない。魔物と化すのも時間の問題よ……」


 カリューが確証を持てなかった点を、既にここカリ・ユガで3年ほどを過ごし、特殊性を深く理解しているセレナがフォローした。

 すると、それを聞いたルカキスが声を荒げた。


「待て! 瘴気に浸食されるだと!? カリ・ユガにいれば、それだけで瘴気に浸食されるのか!? だったらヤバいじゃないか! 急いでここから出なければ、俺たちも奴らのように――」

「そんな短時間で瘴気の影響を受けることはないわ。人間とエルフは、もともと強い耐性を持ってるから」

「だが、現に奴らは人魔になったんじゃないのか!?」

「それは彼らがここで過ごすうちに、カリ・ユガという世界に絶望したからよ。心の弱さは瘴気の浸食を許す1つのきっかけになる。そして、一度開いた傷口は、カリ・ユガに立ちこめる大量の瘴気に瞬く間にこじ開けられる。だから、ここで何年も人であり続けることなんてできない。こんな場所でずっと希望を持ち続けて生きるなんて、人にできることじゃないから……」


 その言葉を聞いた途端、カリューが顔色を変えた。


「待ってくれ、セレナ! では、まさか兄さんも既に――」

「アグアは大丈夫よ。というより、その兆候すら見えないわ。何度死んでも、今の状況に気づいてないんじゃないかと思えるくらい、生きる希望を捨ててない。……私もあんな単純な性格になりたかったわ」


 アグアをバカにしたようにも取れるセレナの発言を聞いて、しかしカリューは怒りを抱くどころか、むしろほっと胸を撫で下ろした。

 そこにルカキスが疑問を差し挟んだ。


「アグアはここで何度も死んでるのか? にもかかわらず、人魔化してないのか?」

「その兆候すらないって、今説明したでしょう? 生きる希みを失わなければ瘴気で人が魔物化することはない。そして、得られる再生は、ほぼ元通りといえるくらい完璧なもの。アグアは昔とほとんど変わってないわ」


 その答えに、ルカキスは驚きに目を見開いた。


「希望をなくさなければいいのか? たったそれだけのことで、ここでは無限の命が得られるのか? そんなの……そんなの天国と一緒じゃないか!?」

「逆だ、ルカキス」

「天国どころか終わらない地獄よ」


 ほぼ同時にそう指摘したカリューとセレナに、ルカキスが反論した。


「なぜだ? 見る限りここはそれほど酷い場所とは思えない。確かに魔物は元いた世界に比べて多いのかもしれないが、人も亜人もたくさんいるんだろう? だったら皆で協力して支え合っていけば、元の世界と遜色ない……いや、寧ろ死が無いという事実を考えれば、それを上回る素晴らしい世界が作れるんじゃないのか!?」


 このルカキスの発言に、セレナは冷静に、事務的ともいえる口調で言葉を返した。


「たった1日。それだけあれば、あなたの考えは簡単に覆る。カリ・ユガの夜を経験すればね」


 ルカキスの意見を一蹴したセレナの発言は、実体験から来る、非常に重みを持つものだった。


「セレナ、そのあたりのことを詳しく聞かせてくれないか?」


 カリューにとっても、カリ・ユガは未知の部分も多い。

 促されたセレナは、自分の知るカリ・ユガについて語り始めた。


「ここカリ・ユガに、文明や文化が根づくことはない。それを担っているのが、この世界に訪れる夜にある。平時でも立ち込める濃い瘴気は、夜になれば今とは比べものにならない量と密度で吹き荒れる――」

「なんだって!?」


 現状ここカリ・ユガの大地は、魔王が地上に現れた時と同じくらい濃い瘴気で覆われている。それを感知できるカリューは、セレナの言葉に動揺したのだ。

 当然、ルカキスは瘴気があることに気づいていない。

 ロボはハナから瘴気の有無など気にしていない。


「昼間は偽りの休息がもたらされているだけ。カリ・ユガの真の姿は夜にある。瘴気と共にやって来るのは無数の魔物たちの群れ。大地を一面埋め尽くす魔物に対して、逃げ場なんてあるわけがない。必然、夜が明けるまで、ただひたすら魔物と戦い続けることになる。でも、どれだけ倒しても数が減ったと感じることはない。魔物は不死じゃないけど、積み重なった魔物たちの死体は、新たな魔物を生み出す強力な呼び水になるから。まるで魔物を殺せば殺すだけ自分の首をしめるような、そんな不毛な戦いが続けられるの……」


 やるせない思いを顔に浮かべながら、セレナが続けた。


「ただ延々と殺し殺される狂気の世界で、気づいた時には共に戦っていた仲間も人魔と化している。魔物に変わっている。絶望するより先に気が狂っても、そんなのは逃げ道にもならない。だって、死ねば否応なく意識は正常に戻されてしまうから。そんな世界で、誰かが形あるものを築くことなんてできない。そして、日が昇ることで与えられる休息なんて気休めにもならない。それでは割に合わないくらい、夜は長くて過酷だから。ここカリ・ユガは、そんな地獄のような場所なのよ」


 セレナが話し終えた途端、カリューからは深いため息が漏れた。カリ・ユガの実情が想像以上のものと理解できたからだ。

 しかし、同じように話を聞いていたルカキスには、まだ疑問が残るようだった。


「だったらなぜ、みんなここから出ないんだ? 向こうには元の世界に繋がるゲートがあるんだぞ? あれを通ればアッという間に元の世界に戻れる。もしかして、あそこにゲートがあるのをみんな知らないのか?」


 このルカキスの発言に、周囲には白けた空気が漂った。


「ルカキス、あなた……」


 セレナは可哀想な子供を見るような目つきで、かける言葉も飲み込んでしまう。

 そして『本当に何も知らないの? 知らずにここへ来たの?』という顔を浮かべたあと、視線で答えをカリューに促した。

 それに頷き返すと、カリューがルカキスの質問に答えた。


「ルカキス。ゲートの存在を知る者は、おそらくある程度いると思う。だが、ゲートは誰もが通れるものではないんだ」

「なぜだ? 俺は簡単に通ることができたぞ?」

「それはそうだろう。だから俺たちはここにいる」

「そうか、わかった! 類稀なるポテンシャルを秘めた者だけが――」

「ルカキス、少し聞いてくれ」


 何となく沈みかけていた空気を、明るくしようと考えてのルカキスの発言だったが、早々に釘を刺されてしまう。そのことにショックを受け、寂しげな表情を浮かべるも、それすら無視してカリューは続けた。


「ここカリ・ユガは特殊な仕組みに支配されていて、条件を満たすとそこに組み込まれてしまう。それをシフトと呼ぶんだが、シフトが起きれば先ほど消えた者たちのように永遠にここで再生されるようになり、ゲートも通れなくなってしまう。そして、ここカリ・ユガで長期間シフトせずにいることは、ほぼ不可能に近い。誰もゲートから出ようとしないのはそういうことなんだ」

「な……んだと?」


 カリューの説明に驚いたルカキスは、口元に手を当て何かを考える素振りを見せる。そして、ややあってから、おそらく自分の中で答えが出たのだろう、険しい顔つきでカリューに視線を向けると、こう切り出した。


「つまり、アグアにはそのシフトが起きたということか? だからアグアはもうここから出られない。そういうことなんだな?」

「あ、ああ。そうだ……」


 カリューは、ことのほか厳しい口調のルカキスに戸惑いつつも、そう応じる。

 それを聞いたルカキスは、さげすむような笑みを顔に浮かべた。


「フッ、なるほどな。それですべて理解できた。セレナにそう告げられても、お前がさほどショックを受けなかったことが疑問だったんだが、お前は最初から知ってたということか。アグアにはシフトが起きていて、ここからもう帰れないという事実を」

「……そ、そうだな。その通りだ」


 その的確な指摘を聞いて、カリューはルカキスが事態を把握したことに気づいた。

 狼狽えるカリューを尻目に、澄ました顔でルカキスが続けた。


「だとすればだ。ここカリ・ユガには誰にでも、そして容易にシフトが起こる仕組みがあると推測できる」

「…………」

「だが、カリュー。お前はその対処法を知っている。……当然だよな? それが俺たちだけを例外扱いしてくれるわけもなく、お前がそんなことも知らずにカリ・ユガに行こうと言い出すわけがないからだ」

「…………」

「そして、先ほどの口ぶりからロボも真相を聞かされていたと考えると、知らずにここまでやってきたバカは1人しかいない。友情という名の全幅の信頼だけを頼りに、疑うことなくついて来たピュアな俺だけが何も知らなかったんだ」


 ルカキスは知り得た知識を淡々と語る。だが、そこに激しい怒りの発露は見られなかった。

 カリュー相手に激昂したところで、真面目なカリューがロボのように言い返してくることはない。逆に、深刻に受け止め涙ながらに謝罪されれば、責める側のルカキスが罪悪感を抱かされてしまう。

 そう考えたルカキスは、悲壮感を装い相手の同情を引く『かまってちゃん作戦』の方が効果的だと考えた。

 もちろん、知らされてなかったことへの怒りはあったが、現状何かが起きたわけではない。それは許すことができたし逆にチャンスと感じていた。なぜなら、ルカキスはこの機に乗じて、またもやイニシアティブを取り戻そうと画策していたからである。

 カリューさえ手なずけてしまえば、ロボを脅威と感じる必要もなくなる。そこにはこと更哀愁を漂わせながら、執拗にアピールを続けるルカキスがいた。


「ロボのように目立って役に立つこともなく、カリューのように豊富な知識があるわけでもない。俺がのけ者扱いされるのも当然だな……」

「違うんだ、ルカキス――」

「大丈夫だ、カリュー。俺はまったく気にしていない。昔から孤独な生き方を貫いてきた俺だ。仲間外れにされるのは慣れっこなんだよ」

「…………」

「でも、それで俺が傷つかないといえば嘘になる。嘘になってしまう。何度傷を負っても、心だけはどうしても鍛えられない。俺の心はいつでも無防備でむき出しの、ラビットハート。だけど、寂しくて死んでしまうくらいなら、たとえ信じて裏切られても、誰かのそばに寄り添っていたい。そんな俺の思いが性懲りもなくまた蹂躙を受けた。そんな事実がただあるだけなんだ……」


 言い終え、悲しげに微笑むルカキスに、堪え切れなくなったカリューが感情を爆発させた。


「もういい! もういいんだ、ルカキス!」

「…………」

「謝って済むことじゃないし、それでお前の思いを裏切った事実が消えることはない! だが、だからこそ俺は生涯をかけてそれを反省する。そして、お前に報いるために最大限の努力をする!」

「カリュー……」

「だから許してくれ、ルカキス。これからは、お前の人格が災いした身から出た錆だろ? とは考えずに、全部をお前に打ち明ける!」

「……信じていいのか、カリュー?」

「当然だ! 俺たちは仲間じゃないか!」


 そう言って差し出されたカリューの手を、ルカキスが握り返す。互いを見つめ笑顔で意思を通わせる2人は、揺らぐことのない固い友情をそこで誓うのだった。


「では、カリュー。さっそくシフトが生じる要因と対処法を聞かせてくれ」


 途端にルカキスは、今しがた交わした友情の名残も感じぬくらい、狡猾な顔で指示を下す。

 カリューはそんな態度の変化も気にせず、快く応じた。


「ああ、もちろんそのつもりだ! 俺の知る限り、カリ・ユガには確実にシフトを起こす2つの要因がある。1つがカリ・ユガで命を落とすことで、もう1つが――」

「ちょっと待って!」


 しかしそこで、セレナから待ったがかかった。

 先ほどの2人のやり取りをロボは呆れて見ていたが、セレナはそうではなかった。

 未だ説明のないルカキスの振る舞いが、セレナの許容範囲を超えてしまったのだ。

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