56話 カリ・ユガ調査団(エルフ視点)
混成軍として共にカリ・ユガに向かったエルフたちには、王国軍より先に混乱が生じていた。仲間の一部が突如として魔物に姿を変えたからだ。
ウォー・フォックス、ワチャケチャ、コン・バッドなど、いずれも狐由来の魔物の出現に、何が起きたかを理解したアズールは、共に来たエルフたちに即座にこう呼び掛けた。
「手を出すな! 絶対に手を出してはならんっ! 防御に徹して退避するんだ!」
幻術と防御魔法を使い、巧みに魔物の攻撃を凌ぎながら、エルフたちはカリ・ユガの奥地へ向かって退避を始める。統率された動きは淀みなく、特に大きな被害を出すことなく部隊から離れていった。
王国軍の兵たちはそれを横目に笑い声を立てたが、俄かに辿ることになる自分たちの運命を知っていれば、そんな余裕が生まれることはおそらくなかっただろう。
その喧騒は、エルフたちが部隊を離れて僅かもしないうちに聞こえ始めた。
王国軍に被害が及ばないよう魔物を陽動しながら退避していたこともあり、初めはアズールも、なぜそこで騒ぎが起きたのか分からなかった。
ただ、今回のカリ・ユガ遠征が調査目的ではないと確信していたアズールは、様子を見に戻るのは危険と考えた。そこで、
王国軍と初めて顔合わせをした時、アズールは、部隊の中に幾人かの不穏な存在を確認していた。
それはロイヤル・ガードと呼ばれる国王直属護衛部隊の者たちであり、今やロイヤル・ガーディアンとして王に仕える、勇者ルカキスもその1人だった。
アズールはそれらの者の動きに注意しながら状況を探るよう、ソシオに
このダイレクト・コール・プラスは
ソシオがその魔法を習得していたおかげで、通常版しか使えないアズールも恩恵が受けられたのだ。
イーグル・スコープで見た現場の状況は、非情に分かりやすいものだった。攻撃している側が際立った強さを持っていたからだ。
短時間で部隊を壊滅に追い込んだエミリアの魔法は、圧倒的な強さを印象づけていたが、アズールはロイヤル・ガードの尋常でない速度にも気づいていた。
常時高速で動くわけではなかったが、時折見せるその速さは、
ソシオに危険が及ばないよう早々に退避を命じたアズールは、囮となって魔物を誘導していた仲間と合流すると、ゲートからさらに遠ざかるよう移動した。
カリ・ユガから帰る手段はゲートしかなく、奥地に進めば2度と元の世界に戻れなくなる可能性は高かったが、エルフの戦力では、到底ルカキスたちに太刀打ちできないと分かったからだ。
しかし、ここカリ・ユガには1つの希望が残されていた。
もし、女神の話が事実で、ここにアグアがいるとすれば状況は変わってくる。そして、アズールは、カリ・ユガに着いた時からアグアがこの地のどこかに居ると確信していた。早急にアグアと合流を果たすべく、アグアのもとへ向かったのだ。
エルフたちは、オーラによって個体差を見抜く術を持っている。それは気配や存在を察知する能力にも通じていて、その力に長じた者の導きでアグアを捜索していた。
そして、アグアもまた、アズールたちのもとへ向かっていた。
集団になったそれは長距離を伝播するため、アグアもまたこの地に多数送り込まれて来たエルフたちに気づいたのだ。
「アズール!」
「アグア! やはり居たか!」
互いを認識し、共に相手のもとに向かっていたアグアとアズールは、ついにそこで再会を果たした。
だが、喜びに浸るのも束の間、すぐさまアズールは事の顛末をアグアに話して聞かせた。
全てを理解したアグアは、怒りの形相を浮かべながら怒号を響かせた。
「あんの女神……いったい何考えてやがんだ! ってか、あいつ本当に女神か!?」
そう漏らすアグアに、アズールが応じた。
「そこに異論を差し挟む余地はないだろう。俺も直接見たが、あの独特の雰囲気と威圧感、それに4千もの大群を瞬時にカリ・ユガへ運んだ所業などは、神以外に考えられん」
「……んなこたぁ、分かってるよ! 俺だって直接会って話したこともあるんだ! 俺が言いたいのは、あんな神がいるのかって話だよ!」
「確かに。あれは我々の知る神とは趣を違え過ぎている。ひょっとすると、世界に何らかの変革をもたらそうとしているのかもしれんが……だとしても、それが我らエルフにとって良い変革だとは到底考えられんがな」
「…………」
アズールの言葉にしばらく押し黙っていたアグアは、目を血走らせながらこう切り出した。
「アズール。お前たちがカリ・ユガに着いた場所まで俺を案内しろ」
「……行くのか? 相手は少数だが、手慣れ揃いだぞ」
その言葉に、怒気を含んだ口調でアグアが答えた。
「舐めてんのかアズール? 俺はエルフの長だぞ? その俺が負けるとでも思ってんのか!?」
「そうではないが、俺が見た限りルカキスたちの力量は、特にその動きは常軌を逸していた。おそらく制限のあるもので、限られた距離を瞬間的に移動できる程度だとは思うが、詳細も知らずにむやみに仕掛けるのはあまり得策とは思えん。それに向こうにはドルニアの娘もいる。あのエミリアという女はず抜けた魔法使いだ。いかにお前が強かろうと、無策で挑むのは――」
「まあ待て、アズール」
そう返したアグアの口調は、意外にも冷静なものだった。
感情的になって無茶をしようと考えているアグアを、諌めるつもりのアズールだったが、その態度に、先ほどのアグアの発言が怒りに任せてのものではなかったことに気づいた。
「お前のアドバイスは、いつにも増してありがたい。それに、俺だって自分の力にそこまで自惚れてるわけじゃねえ。突破口が見つかるまで待てるんなら、お前の知恵を借りて対策を捻り出してから事に当たりたいと思っているさ。だが、今は時間が無いんだ」
「……時間がない? アグア、それはいったいどういう意味だ?」
そう問いかけられたアグアは、寂しそうな表情を浮かべながら続けた。
「お前はカリ・ユガについて、どこまで知ってる?」
「どこまで……か」
その言葉を皮切りに、アズールは自分の知るカリ・ユガの知識をアグアに伝えた。
それが、アグアの見せる焦りと関係があると理解したからだった。
――カリ・ユガ――
そこは流刑の地とも地獄とも言われていたが、実在するという認識のある場所だった。なぜなら、今回女神の力で送り込まれるまでもなく、カリ・ユガに足を踏み入れたという話は世界にいくらも溢れていたからだ。
ここカリ・ユガに至る方法は、主に3つあった。
1つは死と共に誘われるという通説である。そこに不特定多数の証言以外の確証はなかったが、悪徳を積んだ者は、死を境にその地に送り込まれるという話が世間には広まっていた。それが地獄と呼称される所以であり、また、その地が苦痛にまみれた世界だとされているのも要因の1つだった。
因みに死んでからカリ・ユガに送られた者は、いくらか若返るとも言われている。
1つは天罰によってもたらされる。神と共にあるこの世界に於いて、神の怒りに触れる天罰は現実のものである。アグアが罪の処断としてカリ・ユガに追放されたように、神の裁量でそれが施行される事実は世間にも知られていた。
1つはゲートを介する方法である。カリ・ユガへ至るゲートを創り出すのは、神の御業によるものである。ゲートが世界に顕現する理由は様々あったが、それを介せば誰もがカリ・ユガとを行き来できる。
カリ・ユガの情報が教義や種族間の伝承で残されているのは、主にこのゲートから持ち帰った知識がもとになっていた。
おそらく神に創造されたと思われるカリ・ユガの地について、それが存在する明確な意図を把握する者はなかったが、その地に関する断片的な情報は一般的な知識として存在した。
カリ・ユガは瘴気と魔物の溢れる場所であり、それがために文明や人の営みが根づくことはない。そして、1度その地に囚われた者は、死を免れる代わりに2度とそこから出られなくなる。
それは魂が別の肉体を持って生まれ変わる、リーンカーネーションと呼ばれる仕組みからの切り離しを意味しており、その現象はシフトするなどと表現された。
単純にカリ・ユガを訪れただけでシフトは起きないが、そこに居ながらにしてシフトを回避するのは難しい。もっとも簡単にシフトを起こす方法はカリ・ユガで命を落とすことだったが、カリ・ユガでは、その命を守りきるのが難しかったからだ。
それら自分の知る知識を語ったアズールに、アグアが頷きを返した。
それはアズールの知る知識に誤りがないことを意味していたが、それでは足りないとアグアは言葉をつけ加えた。
「――足りない? 足りないとはどういうことだ?」
「お前の話じゃあ、ゲートを通れば生きて戻れるような印象を受けるが、そんな生ぬるい場所じゃねえってことだよ」
「……まさか、お前はこの地で既に命を落としたのか?」
その問いに、アグアは苦笑を浮かべるしかなかった。
「フフッ。言いたかねえが、落としたどころか俺は毎日のように死んでる。もう何度死んだか、覚えてねえぐらいだよ」
「――!?」
「その秘密はここカリ・ユガの夜にある。お前もここに来てすぐに気づいたろう? 瘴気の割に、たいして魔物を見かけないことに」
「確かに。ここまでの道中も、それほど多くの魔物と遭遇することはなかった。お前を見つけることさえできれば、案外凌げるかもしれないと考えていたくらいだ」
「そこが、甘ぇんだよ。今はまだ昼を回ったばかりだし、瘴気もさして濃くはない」
「これでか!?」
辺りに立ち込める瘴気を意識しながら、アズールは驚きの表情を浮かべた。瘴気は既に魔王が現れた時と同じくらい、そこらじゅうを満たしていたからだ。
「だが、日が沈めば瘴気の量は今の比じゃなくなる。そして、現れる魔物の数は膨大かつ途切れることがない。そんなカリ・ユガの夜を生きて凌げる奴なんているわけがない。そして、死んでシフトが起こっちまったら、生き返っても2度とゲートは通れなくなる。だからこそ、今のうちにゲートに向かわなくちゃならないんだ。お前たちをあっちの世界へ帰らせるためにな」
「アグア……」
「こうなると分かってりゃあ、事前に長も引き継ぐべきだったんだが、今さらどうにもならねえ。ただ、何とか俺の持つ緑石だけは託したい。カリューに渡してもらいたいんだ」
「…………」
「アズール、俺が突破口を開くから、お前を含めた10人ぐらいの選抜チームを組んでくれ。最低でもそれだけの者は、俺のプライドにかけて意地でもこの地から生かして返す!」
「…………分かった」
そう応じると、アズールはエルフから精鋭10名を選び出した。
それは単に武勇に優れた者が選ばれたのではなく、アズールがどうしても元の世界に帰してやりたいと思う、エタリナのエルフ存続には欠かせない、将来を託せる見込みある者たちだった。
アグアとアズールを含む12名は、
エルフの持つ瘴気を跳ね除ける力は、集団で使えば結界として作用する。ある程度までの魔物を退ける効果しかなかったが、辺りの瘴気はまだ十分にそれが機能するレベルだったし、無駄に戦闘を行えば瘴気レベルが上がるからでもあった。
ゲートに向かうアグアたちの前には時折魔物が現れた。だが、先頭に立つアグアは最速で移動するために、回避は考えずに即座に魔物を斬り伏せた。
かなり広範囲に伸縮可能なアグアの水の魔法剣は、魔物を一切近づかせることなく次々に葬り去ってゆく。その姿を、アズールは感心しながら見つめていた。
「お前の剣技を見るのは久しぶりだが、腕は落ちてないようだな」
「落ちてねぇどころか右肩上がりよ! 毎日なまる暇がねえぐらい戦闘を繰り返してんだからな。夜中を過ぎるくらいまでは魔物に触れさせもしねぇ……まあ、そのあとはボコボコにされるがな」
そんなことを口にしながら笑みを浮かべるアグア。
それを見たアズールは、アグアほどの力を持ってしても凌ぐことが叶わないカリ・ユガの夜を想像して、背筋を寒くしていた。
「止まれ!」
その時、周りに呼び掛けたアグアの声で、皆がその場に止まった。
直後に聞こえたドシンッという地鳴りと共に、目の前に巨漢が姿を現す。それは身の丈10メーターを越えるサイクロプスという魔物だった。
サイクロプスは元の世界でも見かけることのある、巨人族が魔物化した存在である。だが、ここカリ・ユガのサイクロプスは、それ以上の体躯を誇るだけでなく、屈強な筋力に磨きがかかっていた。
見た目以上に動きも素早く、アグアが皆に呼び掛け魔物に向き直った時には、力任せに振りかぶったサイクロプスの右腕が、既にアグアに迫っていた。
それをアグアは、顔色ひとつ変えずにウォーターシールドで防いでみせる。
シールドに弾かれ腕を押し戻されたサイクロプスは、すかさず今度は強烈な蹴りを放ってきた。
それを察知した途端、アグアはウォーターシールドを多重展開した。
しかし、サイクロプスの攻撃は僅かにそれを上回った。シールドを貫通した足が、アグアの目の前まで迫っていた。
だが、アグアはそれにも動じない。蹴りを防ぐように顔の前に右手を軽く突き出すと、そこから伸びた人差し指だけで攻撃を食い止めようとした。
バカな!?
そんな驚きを顔に浮かべるアズールの心配をよそに、指に触れたサイクロプスの足は、パズルのようにバラバラに砕け散った。
膝から下を失ったサイクロプスは、バランスを崩してその場に倒れる。その衝撃は、辺りに激しい地響きを鳴り渡らせた。
アグアの人差し指に、相手の身体を粉々にする特殊能力があったわけではない。
サイクロプスの足は、ウォーターシールドを通過する時既に、鋭い水の刃に切り刻まれていたのだ。
相手の攻撃を防ぎながら、それを突破してきたものには刃となって襲い掛かる。
アグアのウォーターシールドは、攻守を兼ねた優れた防壁になっていた。
だが、倒れたサイクロプスは、すぐにその場から起き上がろうとした。腕で体を持ち上げると、立ち上がるために足に力を入れて踏ん張った。
その時、そこには驚くべき光景があった。サイクロプスは、ウォーターシールドで失った足で立ち上がろうとしていたのだ。
自己再生能力。巨人族が備えるこの特殊能力は、たとえ魔物化しても瞬時に回復させるほど高性能ではなかったが、実際にはそうなっていた。
それを可能にしたのは、ここカリ・ユガに立ち込める特別な瘴気だった。魔界から直接この地に供給される瘴気は、魔物に強力な付加効果を与えていたのである。
筋繊維や骨格剥き出しの再生途中だった足は、サイクロプスが立ち上がった時には、表皮までほぼ元通りに戻っていた。
それを見たアグアは、思わず苦笑を浮かべた。
「凄まじい再生速度だな。魔王なみじゃねえか」
そう言葉を漏らしながらも、アグアに心底驚いている様子はなかった。
そして、その手が背中に担いでいた弓に伸ばされた。
「アグア、あの再生速度では拉致が開かない。今から俺も加勢する。何とか2人で隙を作って――」
「アズール。俺を舐めるなと言っただろう? 拉致が開かねーなら、開ければいい。簡単な話だ」
言いながらアグアは、既に手にした弓に矢をつがえ終えていた。
勇者に選ばれたアグアは神器を所持している。その弓『アブソリュート』は神に賜りし神器だった。
その能力は必中。ズバ抜けたホーミング性能で対象を追随する、避けられない矢を放つ弓である。
視認範囲全てが射程内であり、対象を認識してロックオンしてしまえば、間に障害物や装甲があっても確実に本体を貫く仕様になっている。相手が被矢するまで矢が幽体化するからである。※従って、対象以外にダメージはない
但し、使い手が認識した対象にしか効果がないので、幻惑されている時などに、自動的に敵本体を狙ってくれる親切機能はついていなかった。
非情に強力な効果を持つが、連続使用が難しく複数を相手には使いづらい武器でもあった。
この弓につがえる矢は3種類あり、今回アグアが放った矢は、威力ではなく特殊効果に重点を置いたものだった。
サイクロプスに向かった矢は、それを払い落とそうとした腕に突き刺さった。
だが、さほどダメージはなかったようで、サイクロプスはそれをまるで意に介さず、先ほどと同じように殴りかかってきた。
今度はアグアもそれを受け止めようとはせず、攻撃を躱してから剣を振った。
上段から振り下ろされたアグアの剣は、真っ直ぐに伸びたあとサイクロプスの腕に絡みついた。そして、訳なくそれを切断してしまった。
サイクロプスの腕は直径が2メートルもあり、強靭な筋繊維に覆われていたが、加圧され鋭い刃と化した水の魔法剣の前では、固さは無いに等しかった。
続けてアグアは、サイクロプスの右足も切り離した。
体勢を崩したサイクロプスは、またしても地響きを起こしながら転倒したが、先ほどと同じようにすぐ様起き上がろうとした。
しかし、残った腕で何とか胸まで体を起こしたものの、今度は切り落とされた腕がなかなか再生を始めない。その切り口を見つめながら、少しの間サイクロプスは固まっていた。
同じく切れた足にも1度視線を移し、また腕を見る。
ようやくそこから視線を外し、アグアを見ながらニヤリと笑ったかと思いきや、即座に視線を戻して、驚愕の眼差しで食い入るように傷口を見つめていた。
「何度見返しても同じだよ。お前の再生能力は俺の矢の効果で失われたんだ」
告げると同時に、アグアはサイクロプスの顔前まで跳躍していた。
そして、頭上から足元に向け一直線に剣を振り抜く。それで両断されたサイクロプスは、2度と再生されることなくそのまま命を絶たれた。
その最後を見届けることなく、アグアが振り返って皆に呼びかけた。
「よっしゃあ! じゃあ、とっとと進むぜ!」
そう言って駆け出したアグアに続きながら、アズールは『これほどの力があれば、或いは……』そんな思いを胸中に抱いていた。
その後は脅威となる敵が現れることもなく、アグアたちはゲート近くの森に辿り着いた。
「ここを抜ければゲートが見える位置に出る。王国軍はおそらく全滅しているだろうが、その後どんな警戒網が敷かれているか分からない。注意しながら進もう」
念のためにと連れて来たエルフを途中で待機させ、アグアとアズールは2人だけで速度を落として森の中を進んだ。
そして、ゲートが見える場所まで来た時、その前に陣取るロイヤル・ガードの姿を見つけた。
それを見たアグアが、こんな言葉を漏らした。
「……ん? なんだ、たったの5人かよ」
「侮るなアグア。5人といえど――」
「どうやら、ルカキスはいないみたいだな。あいつの名を騙ってるのがどんな奴か、見てみたかったんだがな」
「……どういうことだ、アグア?」
アグアの言葉に、アズールがそう問いかける。
得意げにアグアがそれに答えた。
「逆なんだよ。お前の話にあった
「なんだと?」
「俺の知るルカキスは確かに女神と仲が良かった。だけど、それは従属するような関係じゃねえ。むしろ、あいつが女神をアゴで使ってるような印象さえあった。そんな器の知れないあいつが女神の配下になって、ましてやロイヤル・ガーディアンだのに任じられて甘んじてるわけがない。だから俺は、偽ルカキスの話を聞いた時にピンときた。女神は取り逃がしたんだ。ルカキスをな。その方が無理なく話を理解できる」
「…………」
「ルカキスが女神の手から逃れたと聞いても、俺は何の不思議も感じない。あいつは、そんな底知れない何かを秘めた奴だったからな。ただ、だとすれば、ここカリ・ユガにルカキスはいないということだ。必死になって探し回ってたのに、巡り会えなかったわけがお前の話を聞いて理解できたということさ。だが、セレナともまだ再会できてねえ。死んだと伝えられてるんなら、間違いなくセレナもここにいると思うんだが……」
アグアの言葉に、アズールは意外そうな顔を浮かべた。
「セレナはお前の罠に嵌められて、命を落としたんじゃないのか?」
「アホか! それは女神の作りは話に決まってんだろうが! セレナと一緒に行動してたのは事実だが、正確に言うと俺たちは、ルカキスに追いてかれたと言った方が正しい。そして、俺たちが魔巣に辿り着いた時には、生きてる魔物は既にいなかったんだ。先に着いてたルカキスが、たった1人で全滅させてたからな」
「なんと!? 300体もの魔物を1人で倒したのか? それは凄いな」
「……俺だって、活躍の場を与えられてりゃあ、それに近いこともやって見せたさ」
「確かに。それが終わった今となっては、何とでも言えるからな。近さは主観的な概念だ。たった1体を相手にしても、近いと言い張ればそれを押し通すことはできなくもない」
「……おい、アズール。お前――」
「アグア。怒りを向ける相手は俺ではない。お前の闘争心を駆り立てた俺の努力を無駄にするな」
「…………」
「あのロイヤル・ガードとて並の相手ではない。舐めてかかると痛い目を見るぞ?」
「……だったら、策の1つでも考えたらどうだ?」
「確かに。だが、先ほど見たお前の力量を考えれば、慎重に事を運びさえすれば、案外イケる可能性はある。話にあったルカキスには遠く及ばないが、お前とてエルフを束ねる長だ。エミリアもいない今の状況なら、ひょっとすると……」
アズールの言葉を無言で受け止めたアグアは、わざとらしくアズールを肘で突っつきながら弓を構えると、怒りの視線をゲート前にたむろする者たちに向けた。
「じゃあ、舐めてない証拠にこっから先制攻撃ぶちかまして、お前に俺の強さを思い知らせてやるよ!」
「期待している」
煽っているのか、バカにしているのか分からないアズールの言葉に「フンッ」と鼻で返事を返したアグアは、弓に矢をつがえ狙いを定めた。
その矢は、先ほどサイクロプスに使用したのと同じものだった。
対象の能力を奪い去る『封印の矢』が、先ほどサイクロプスから奪ったのは再生能力である。それは魔法使いに使用すれば、魔法を封じることもできる強力な効果を持つ矢だった。
ロイヤル・ガードの1人に照準を合わせたアグアが狙うのは、アズールから聞いていた尋常でない速度である。
森からロイヤル・ガードまでの距離は200m以上開いていたが、矢は問題なく到達する。相手が攻撃に気づき間合いを詰めてくるまでに、少なくとも3人の能力は封じておきたい。そう考えながらアグアは矢を放った。
だが、矢が相手に届くよりも早く、ロイヤル・ガードたちは攻撃に気づいた。
そして、矢の的になっていたロイヤル・ガードは、矢が当たる寸前、信じられない速度でそれを躱すと、そのまま間合いを詰めて来ようとした。
しかし、次の瞬間には倒れた。必中性能を持つ神器アブソリュートから放たれた矢を躱すことはできない。軌道を変えた矢に両耳を貫通するように貫かれ、そのまま絶命した。
アグアは主導権を握ったまま畳みかけるつもりだったが、相手の速さがどれほどのものかを理解していなかった。話に聞いただけの情報は常識の範疇で補完され、実際のそれに遠く及んでいなかったのだ。
そして、アズールから聞いた話もまた、アグアを油断させた。その速度が常軌を逸していたとしても、それは局所的なものである。そんなアズールの見解は、実際と大きく異なっていたのだ。
アグアが1本目の矢を放ち終え、2本目を弓につがえようとした正にその瞬間、既にアグアたちは4人のロイヤル・ガードに囲まれていた。それはアグアが矢を放ってから、2秒にも満たない間に起きたことだった。
それにアグアが気づいた時には、横に立つアズールの胸が斜めに大きく斬り裂かれていた。
激しく血を吹き出した傷口は、一目でそれと分かる完全な致命傷だった。
「ア……グア……」
「アズール!」
そう叫びながらも、アグアは即座にウォーターシールドを展開した。そこに激しく複数回に渡って衝撃が走る。
ロイヤル・ガードの斬撃は、すべてウォーターシールドに受け止められたが、そのあまりの回数にアグアは驚愕に凍りついた。
「うぐっ!」
「ぐわぁーっ!」
その直後、耳に届いた叫び声。アグアはそれが、共に連れて来た仲間たちのものだと即座に理解した。だが、その事実は、仲間をここへ連れて来たことの後悔以外、何も生むことはなかった。
少し離れた場所に待機させていた筈の若いエルフたちは、ここまで見せたアグアの活躍に感銘を受け、指示を無視して勝手に近くまで見に来ていた。
誰にも手を出させずアグア1人が道を切り開いてきたことが、逆に仇となってしまったのだ。
そして、すべての状況はアグアの過信をも生んだ。
道中の魔物を苦もなく1人で殲滅し、対するロイヤル・ガードたちとは十分に距離もある。その手には遠距離攻撃可能な神器があり、最も手強いと思われた勇者2人の姿も見えない。状況は限りなく有利に感じられた。
アズールや共に来たエルフたちの期待が、言葉にせずともアグアには伝わっていたし、それに応えるだけの自負もあった。もともと先に手が出るタイプのアグアが、そこで慎重になれる筈がなかったのだ。
なんで……なんで俺はもっと考えてから事を進めなかったんだ?
そんな後悔に襲われ自分の甘さに気づいた時には、すべてが手遅れだった。
アグアはウォーターシールド越しに、すぐ傍らで血の海に沈むアズールと、少し離れた場所で同じように倒れている仲間のエルフの姿を認めた。
その心は、今にも贖罪の念に押し潰されそうになっていた。
「くそがぁー!」
だが、それを言葉で振り払い、すべての感情を怒りに転化させると、自分を取り囲む4人のロイヤル・ガードたちに血走った目を向けた。
「全部俺のせいだってのは分かってるよ……だが、お前らにはその捌け口になってもらうっ!」
言葉と共に、アグアが身に付けるアールヴの緑石がまばゆい輝きを放った。そこから水の大精霊『アプサ・ラディーナ』が飛び出した。
全身が水で構成されたアプサ・ラディーナは、その性質のため極端にダメージを受けない。限られた手段でしか有効打を与えられないアプサ・ラディーナは、この場ではほぼ無敵の存在だった。
その援護を受けながらロイヤル・ガードに対することで、アグアは勝機を見出だせると考えた。
自らも水の魔法剣を手に、ウォーターシールドを半身を覆うように変化させてから、ロイヤル・ガードの1人に斬り掛かかるべく、一歩を踏み出した。
……いや。その時アグアはその一歩を踏み出せなかった。その前に、なぜかアグアは転んでしまったのだ。
敵に囲まれてるこんな状況で、何やってんだ俺は? バカかよっ!
激しく己を罵りながら、すぐにも起き上がろうとしたアグアは、目の前に誰かの足の爪先を認め、ふと疑問を抱いた。
あれ……これって……?
アグアの目の前にあったのは、まごうことなきアグアの足だった。
アグア自身、変な転び方をしたのは自覚していたが、だとしても自分の足の爪先が目の前に見えるのはおかしい。
瞬巡は僅かであり、アグアは血の気の引く思いでゆっくり視線を上げた。
果たしてそこにあったのは、切り離された自分の下半身が、まるで趣味の悪い置物のように腰から下だけで立っている姿だった。
う……そ……だろう?
それを境に、急速にアグアの意識は薄れてゆく。
しかし、何度思い返してみても、アグアの中に自分が斬られた映像はなかった。
ロイヤル・ガードは、それほどの速さで動きアグアを両断していたのだ。
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