43話 王城の女神


 そんな危機的状況を、しかし救うものがそこにはいた。

 その者は口元に不敵な笑みを浮かべながら、トシちゃんばりに足を高々と上げて組み換えると、皆の注目が集まるのを待ってから言葉を切り出した。


「ロボ、鬼の首を取ったように勝ち誇るのはやめろ。別にカリ・ユガが如何なる場所かを知らなくても、それが即座にこのの話すべての否定には繋がらないだろう?」


 男前を気取りながら、そう口出ししてきたのはルカキスだった。

 このルカキスの介入に、ロボは不快感を露にした。


「なんだよ、ネオ・ルカキス。偉そうに横から口出してくんじゃねー!」

「別に偉そうにした覚えはないが、そう感じたのだとすれば、それは俺の内側から溢れ出たものだろう」

「ケッ、分をわきまえろと言ってんだよ! 今は大事な話をしてるんだ。余計なチャチャ入れはいらねーんだよ!」

「別にチャチャなんか入れていない。俺は真っ当な意見を述べただけだ」


 のらりくらいと言い返すルカキスの態度に、ロボは1つ大きく息を吐いた。


「は~。あのなー、ネオ・ルカキス。普通にカリ・ユガの情報を集めたら、ゲートの場所だけじゃなく、カリ・ユガについての情報も何かしら集まるだろうが? しかも、こいつはこいつにとって最も重要な、知らなきゃならねー事実を知らねーんだ。それは真剣にその情報を集めようとすれば耳に入らないわけがない、知ってて当然の情報だ。それを知らねーってことは、こいつがまともに情報集めなんかしてねーという立派な証明になるんだよ!」


 そう言い切るロボに、しかしルカキスは涼しい顔で反論した。


「いいや、全く証明にならない。それはこのがどこから情報を集めたかによるからだ。そこに偏りがあれば、必然手に入る情報が偏っていてもおかしくない。お前の考える重要な部分を知り得ない可能性も出てくるというわけだ。その努力をないとするのはお前の勝手な想像であり、事実を踏まえた見解とは言い難い。それに、ゲートの位置さえ知ってしまえば、それ以上情報を集めなくても行動することはできる。さっきまでの話を聞く限り、こいつにそれほど頭の切れる印象はないし、そのまま先走ってここまで来ていたのだとすれば、別段知識が不足してることに疑問を抱く点はどこにもない」


 ルカキスの言い分を聞きながら、ロボはイラつき歯噛みする。ルカキスが話したことなど、ロボにも当然分かっていたからだ。

 だが、レンピの話を深く信用しているカリューを正気に戻すには、先ほど見せたレンピの動揺を利用するのが効果的だった。ハナから話を信用していなかったロボにとって、相手の嘘を突き崩す絶好のチャンスだったのだ。

 にもかかわらず、本来なら味方としてロボに加勢しなくてはならない状況で、逆に裏切るような態度をとるルカキス。そこにロボは殺意にも似た怒りを抱いた。


「……おい、ネオ・ルカキス。お前がそんな偉そうな口を聞ける立場にあると思ってんのか? なんならここでお前がどういう人間なのかを、皆に見てもらいながら話を続けても構わねーんだぜ?」


 最悪のタイミングで、会話に割り込んできたルカキス。ロボはウィークポイントを持ち出して口を塞ごうとした。

 だが、ルカキスは引き下がらない。ロボの対応を予見していたように、ことさら冷静に挑発に応じた。


「そうしたければ、するがいい。だが、既にあの忌まわしき出来事を乗り越えた俺にとって、そんなものは何のダメージにもならない。それどころか、そんなことを本当に実行すれば、逆にお前の人格が疑われかねないぞ? それは被害者の傷口に塩を塗り込み、さらなるトラウマ増大を目論む非常にタチの悪い行為だ。そんな人の風上にもおけないことを……ああ、そういえばお前は人じゃなかったな。すまない、ロボ。お前に道徳を説いても仕方がなかった。心を持たないロボットが、理解できる話ではないんだから――」

「ネオ・ルカキスッ!」


 ルカキスの言葉尻に咬みつくように放たれた、ロボの怒声。

 それに一瞬ビクついたルカキスだったが、それ以後ロボが何も言えずに沈黙したことに気づくと、俄かに余裕を取り戻した。


「フッ、こんなに近くにいるのに、大声で叫ばなくても聞こえるよ。なんだい、ロボくん? 反論があるなら聞いてあげようじゃないか?」


 そう言ってルカキスは、手を添えながら自分の耳をロボに突き出す。しかし、その手は話を聞き取り易くするのではなく、むしろ耳の穴を塞いで音を遮るように内側に添えられていた。まるで反論は受け付けませんとでも言わんばかりに。

 しかし、それを受けても、ロボはそのまま怒りを呑み込むより他なかった。ロボ自身少しからかいが過ぎたと自覚していたからだ。

 ロボが所持する映像は、ルカキスが言うように、見る人すべてがルカキスの擁護に回るような代物ではあり得ない。拘束されたルカキスが抗える状況になかったのは確かだったが、俄かにA感覚に目覚め、戸惑いながらも悦楽を享受していく様子が、そこにはバッチリ納められていたからだ。



『どう? 忘れられなくなる感覚でしょ?』

『ぐっ、ぐふっ……ま、待て、アントリッネ! そんなことされても、俺はちっとも……うぐっ……あふぅぅ』

『あら? 言葉とは裏腹に、なんだかこっちは元気になってるみたいだけど? さん。ウフフ』

『ばっ……そんなわけ……がはっ……くっ……ぬほぉっ! ヌヒョヒョヒョー!』



 この痴態を目の当たりにして、誰がルカキスを被害者と庇ってくれるだろう?

 だが、ロボはそんなことより、相手の弱味につけ込むような駆け引きをしてしまったことを悔いていた。

 念のため保存はしたものの、ロボ自身よほどのことでもない限り、この映像を世に出すつもりはなかった。しかし、ルカキスは人をイラ立たせる天才である。それを所持していたがために、ポロっと口からそんな脅し文句が出てしまったのだ。

 それが卑怯な手段だという自覚はロボにもあったし、引いては制作者である狭間の考えるロボットの在り方に自分が泥を塗った気がして、ロボは自責の念からルカキスに言い返さなかったのである。

 その態度にルカキスは勝利を確信しただけでなく、目的を達するための大きな足掛かりを得ていた。


 言葉でロボを撃破したルカキスは、俄かにレンピに流し目を送った。自分の活躍で救われたレンピが、さぞかし恩義を感じていると思ったからだ。

 だが、当のレンピはそれどころではない。大幅に段取りが狂った状況に、どう立て直したらいいか分からなくなっていたからだ。

 雰囲気からルカキスに助けられたことは理解していたので、一応愛想笑いは返したが、この先どうすべきかが分からない。動揺しながらカリューのことを見つめた。

 それを受けたカリューが、もう1度先ほどと同じ質問を繰り返した。


「お前、何も知らずにここまで来たのか?」

「…………」


 その質問に、レンピは逡巡しながら返事を躊躇ためらった。カリューの口調には咎めるようなニュアンスが含まれていたからだ。

 しかし、ロボが沈黙したことで最悪の事態は免れている。そして、カリューの目には優しさが感じられる。だとすれば、目の前のエルフに従っておけば、あとは何とかなるんじゃなかろうか?

 本能的にそう判断したレンピは、カリューの導きに全乗っかりすることを決めた。そして、コクリと頷いたのだ。

 それを見たカリューは、ひとつため息を漏らしたが、その顔にはすぐに笑みが浮かんだ。それを見たレンピは、自分の判断が間違ってなかったと確信した。


「フフッ。まったく危ないところだった。何も知らずにここまで来たのなら、ゲートに着くまでにお前に会えて本当に良かった」


 そう漏らした言葉の意味が分からず、ルカキスが問い返した。


「カリュー、それはいったいどういう意味だ?」

「ああ、ルカキス。お前にも言っていなかったが、カリ・ユガは魔物が跋扈ばっこする、魔窟のような場所と言われてるんだ」

「それは俺も知っている。だが、魔物がいるからといって、それがこの獣人とどんな関係が――」

「魔物は瘴気のある場所にしか存在しない。必然的に、カリ・ユガには瘴気が溢れていると考えられている」

「な……なるほど」

「しかも、その濃度は魔王がこの世界に現れた時と同等、若しくはそれ以上とも言われている。獣人が足を踏み入れて、正気を保てる場所ではないんだ……」


 そう告げ、憐れむように向けられたカリューの視線に、レンピは自分のターンが巡ってきたことを理解した。

 だが、ここで言葉を間違ってはすべてが水泡に帰す。緊張感を漂わせながら、ゆっくりと話し出した。


「そ、そ、そーだったんだー。ち、ちっとも知らなかったな~、ハハ。じ、じゃー、私が行っても仕方がないですね。せっかく抜け穴まで掘って準備したというのに…………!?」


 そこまで話したレンピは、しかし自分で口にした言葉に重大なことを閃いた。そして、俄かに光の灯った目でカリューを見つめると、先ほどとはうってかわって勢い込んだ。


「そ、そうだ! 実は私が堀った抜け穴があるのです! それを使えばゲートのすぐ近くまで、誰にも気づかれずに進むことができます! 私がカリ・ユガに行けないのは非常に、ひっじょ~に残念ですが、せっかくこしらえた穴を使わない手はありません! ぜひお使いください! !」


 カリューの間近まで迫り、そう訴えかけるレンピ。カリューはたじろぎながら頷くと、ロボにどうするかを相談しようとした。

 しかし、ロボは憮然としながら黙り込んだままである。仕方なく正面に座るルカキスに視線を向けた。


「ルカキス。今の弧人族からの提案なんだが――」

「お前はどうしたいんだ?」


 カリューが全てを言い終えるまでに、ルカキスはすぐさま切り返した。その瞳は慈愛に溢れ、カリューのためならすべてを受け入れる。そんな言葉さえ聞こえてきそうなものだった。

 その押しつけがましい視線に圧迫感と息苦しさを覚えながら、カリューが応じた。


「い、いや……俺はこの弧人族の意向を汲んでやりたいと思っている。自分がカリ・ユガへ行けない無念を押し殺しての提案だ。無下に断るのも――」

「だったら、そうしようじゃないか。カリュー、俺はいつだってお前の思いを……踏みにじったりしない!」

「……ルカキス」


 そのルカキスの同意に、カリューは胸にこみ上げるものを感じた。

 だが、強い信頼を演出するルカキスの表情の裏には、邪な本心が隠されていた。ルカキスはこれを機にイニシアチブを回復しようと企んでいたのである。

 ルカキスはずっとそのことだけを考えながら、成り行きを傍観していた。そして、さきほどロボが2人の会話に介入した瞬間、ルカキスのシナリオは完成した。その第一段階として、カリューの信頼を取り戻すことに成功したのである。


 敵方になったカリューの言動は、ルカキスを持ってしても防ぐのが難しく、肉体に生じるダメージより遥かに大きな脅威となる。そう考えたルカキスは、一刻も早いカリューとの和睦を望んでいた。

 それが果たされた今、ルカキスにもう恐れるものはなかった。目の前が一気に開けた気分になった。

 途端に上機嫌で鼻歌混じりにふんぞり返ると、レンピの肢体に目をやりながら『意外にいい身体してるじゃないか?』などと、心の中で感想を漏らすのだった。


 ただ1人、ロボはその決定に異論を持っていたが、2人の意見を覆すのは難しいと思っていたのか、何も口出しすることはなかった。

 こうして3人は、レンピの案内で抜け穴を通ってゲートに向かうことになったのだった。


◆◆◆


 時は少し遡る。


 パルナ王城内、謁見の間。

 そこに、ミラバ邸でロボと剣を交えたベレッタの姿があった。

 その正面に立つのは女神ノエル。王都を訪れたベレッタは、自分が入手した情報を女神に報告しているところだった。


 女神には手駒と呼べる何人かの存在がいる。勇者3人についてもそうだったが、国の組織には属さず、あまり顔を知られていないベレッタは、指示を受けて暗躍するには、その立場も力量に於いてもうってつけの存在だった。

 任務の中には当然ルカキス捜索も含まれていたが、それに関してベレッタが過去何かを報告したことはなかった。これまでもルカキスと思しき存在の発見はあったが、何れも人違いだったからだ。

 そして、ベレッタが判断を迷ったり、対象を見間違えることもなかった。ベレッタは、女神から直接イメージを含んだ思念情報を受け取っていたからだ。


 今回の報告についても、ベレッタはルカキスに関するものだとは思っていない。

 確かに報告内容にある登場人物には、趣も名前についても疑いを抱く紛らわしい存在はいたが、それが女神の探すルカキスだとベレッタが1ミリも思っていなかったからだった。

 ただ、その他の要素については、決して自分の胸にだけ留め、済ませられる問題ではないと分かっていた。ベレッタは3つの懸念を、順を追って女神に説明した。


 最初にベレッタが告げたのは、占い師ドナについてだった。 

 自身も転位魔法を使うベレッタだったが、それは神器を使ってのものである。大規模な魔術回路を使ったゲートを除けば、そんな高度な魔法が使える存在を、ベレッタは神以外に知らなかった。

 ドナが転位魔法を使ったのは予測でしかなかったが、ワリトイから忽然と姿を消した事実など、複合的な要素から判断してその可能性は極めて高く、そのような存在が明らかとなったのは見過ごせない事実だった。


 次に話したナゾールと名乗るエルフについては、それほど危険な存在だとは思っていなかった。人質として簡単に捕えられた事実からも、警戒の必要はないと感じていた。

 しかし、ハーネスと接していた様子から、単なる下っ端のエルフではないとも考えていた。エタリナのエルフを統べていた族長アグアに近しい者か、或いはアルフヘイムにいるアビス本人ではないにしても、その取り巻きである可能性は疑っていた。


 エルフの王アビスは、エルフの始祖と呼ばれる存在である。

 その起源は数千年前に遡るため、本人が今でも生き続けているわけもなかったが、魂は同一だと言われていた。現在アルフヘイムにいるアビスは、始祖の生まれ変わりと言われているのだ。

 魂の同一性をオーラから判別できるエルフにとって、それは公然の事実と呼べるものだったが、神にも匹敵すると言われる力量を目にした者はいくらもあり、それが信憑性の高い話だという認識は他国にも広まっていた。

 そのアビスがエタリナでエルフが被った事態を知り動き出したのだとすれば、ルカキス発見と同等か、もしかするとそれ以上の重要案件となるかもしれない。ベレッタはそう考えていた。


 しかし、最も厄介だと判断したのはロボットだった。

 女神に神器を授かって以来、一度も敗北したことのなかったベレッタが、たとえ相手が勇者クラスの力量を持っていたとしても、臆することなく渡り合えると自負していたベレッタが、それを嘲笑い、赤子の手をひねるように造作なく組み伏せられたのである。

 確かに、見方によっては互角に渡り合ったように見えたかもしれない。だが、ロボットはベレッタに傷ひとつ付けることなく、神から与えられた神器を破壊するという驚異的なことをやってのけた。その事実がベレッタとの力の差を物語っていた。

 そして、そこにベレッタが怒りを感じなかったことも、歴然な力の開きを示していた。


 それら気にかかった全ての内容をベレッタは包み隠さず報告した。

 その中で女神が真っ先に興味を持ったのが、占い師ドナのことだった。


「その占い師が転位魔法を使えるというのは、事実なのですか?」


 そう問いかける女神に、臆することなくベレッタが答えた。


「転移石を所持していた可能性も考えましたが、そもそも世界に転移石など出回っていない。他の要素も勘案して転移魔法を使えると考えるのが妥当。私はそう判断しました」


 よほど肝が据わっているのか、女神を前にしながら、ベレッタには気後れや緊張感がまるでなかった。敬語こそ使っていたが、畏まるという雰囲気も、神に恐れを抱いているようにも見えなかった。


「この世界に転位魔法を使える者など数えるほどしかいません。いずれも名のある者たちで、この国に関与する可能性は事前に排除してあります」

「…………」

「占い師と言いましたね?」

「ええ」

「転位魔法を操る者の中に、占い師などいなかった筈です。おそらく転位魔法ではなく、他の手段を用いて雲隠れしたのでしょう」


 そう話す女神の言葉に、ベレッタは不満気な表情を浮かべた。

 女神に報告するための調査に手抜かりなどない。内容には確信に近いものを持っていたからだ。

 その様子をつぶさに感じとった女神は、もう1度だけ再考することにした。


「その者の名は何と言いましたか?」

「……偽名かもしれませんが、ドナと名乗っているようです」

「ドナ? やはり、その名に覚えはありませんね。それほど高度な魔法を操る者の名を、私が知らない筈がありません。そして、私の感知を妨げ認識を欺ける者など、人間の中にはいません。たとえ人ではなかったとしても、私の力の及ばぬ存在がいるなど、とても考えられないのですが……」


 そう漏らしながらも、女神はその名に少しだけ引っ掛かりを感じていた。


 ドナ……


 頭の中で何度か反芻してみても、やはりそこに導かれるべき答えはい。女神は気にせず次の案件に話題を切り替えるつもりだった。

 しかし、その刹那、突如強烈なインスピレーションが女神ノエルを襲った。

 思わずは目を見開いた。

 

 天界、精霊界、魔界。それらの世界は、精神世界とも称される異界である。

 異界と人間界との物質的側面から見た関係性は希薄なものであり、目に見える形での関わりはほとんど無いといえた。なぜなら精神世界は、物質を伴わぬ高振動域の世界だったからである。

 ところが天界に暮らす1人の神がその仕組みに介入した。精神世界に物質的側面を持ち込んだのである。

 その意図はともかくとして、物質世界は既に精密なことわりのもと形成されていた。そこに新たに何かを組み入れれば、世界のパワーバランスが崩れてしまう。そこにはことわりもまた新たなものが必要になった。

 一部を具現化するだけでは仕組みは成り立たず、神を筆頭に、魔法、瘴気、魔物、亜人、獣人、そして魔王。それら様々な力が複雑に対を成し、現実のものへと成り変わっていった。

 それを根付かせ真のことわりへと昇華させるために、それらはもともとあった物質世界と有機的に絡み合い、強い関わりを持つことになった。

 こうして精神世界を内包しながらなお成立する、今ある世界が誕生したのである。


 それはまさに神と称されるに相応しい偉業ではあったが、そこまでの新たな仕組みを世界に構築した事実は、他の神々からも称賛を受けた。

 至高の中の至高として名を轟かせ、朽ちることなく今なお天界に語り継がれるその神の名は――


「エルドナ!?」


 ドナという名から得られたそのインスピレーションは、ノエルに疑うことのできない事実として圧しかかった。

 しかし、その名にノエルが驚愕し、或いは恐怖を抱いたのもそれほど長い時間ではなかった。なぜなら女神エルドナは、もはや天界の存在ではなかったからだ。

 彼女は既に神を辞めていた。世界に新たな仕組みを創り上げた直後、エルドナは天界から姿を消した。万物の頂点に君臨する神という立場を捨て、限りある生を繰り返すリーンカーネーションに組み込まれ、人間として生きる道を選んだのだ。


 その事実が何を意味するかをノエルは知らない。

 数多あまたの存在の頂点に君臨する神という立場は、それら数多あまたの存在が目指す先にある。燦然と輝きを放つその場所は、限られた存在のみが辿り着くことを許された至高の頂きである。それを手放す理由がノエルには理解できなかったのだ。

 ノエルにとってエルドナは、狂気に憑りつかれた敗北者として、切り捨て蔑むべき存在になっていた。しかし、そうだとしても、エルドナがいく手に姿を現したという事実は、決して無視できるものではなかった。


 ノエルの中で結論が得られると同時に、身に纏うまばゆいばかりの後光が急速に闇の色へと転じた。その変化に気づいたベレッタが、思わず身震いした。


 フフ……エルドナとは。

 ここに来てそのような名を聞くとは思わなかったが、エルドナならば話は分かる。私が存在を感知できないのも頷ける……

 しかし、エルドナが私の計画を知る筈はない。それを知る者は私以外にはいないのだから。

 ただ、私が関与している時点で、この計画自体の内包するエネルギーが世界に影響を与えているのは間違いない。

 その対となる反勢力として、余計な力が引き寄せられて来るのも頷ける。実現間近となった今、顕在化が進んで来たと考えれば、そこに疑問の余地はない。

 だが……


 もはや、ここまで来ては間に合わない。

 エルドナといえど、今ではただの人。力で私に及ぶべくもない。

 それに目的の1つは既に成っている。この先、万が一計画の妨害があるとしても、そこに干渉することは誰にもできないのだから。フフフ…… 


「――えっ!?」


 は突然声を上げて思考を中断した。


 とは、いったいどういうこと!?


 たじろぐベレッタを無視して、女神は今浮かんだ疑念に思いを巡らそうとした。

 しかし、考えるそばからそれは失われてゆき、そのことに女神自身も気づかない。

 俄かにそんな疑念があったことすら脳裏から忘れ去られ、後光が正常な色彩に戻ると共に、その顔には笑みが浮かんだ。

 そこには普段と何ら変わらぬ、泰然と佇む女神の姿があった。


「……大丈夫ですか? 先ほど少し様子がおかしかったようですが?」


 女神の急激な変化にそう尋ねたベレッタに、しかし女神は落ち着き払った口調で応じた。


「気にするほどのことではありません」

「…………」

「その占い師については、あなたでは手に余るかもしれません。何か不都合が起きた時は私が直々に対処します。今後あなたが関与する必要はありません」

「……そうですか」


 先ほどのリアクションから、女神がドナに関することで何かに思い当たったのはベレッタにも分かっていたが、詳細を話してくれるつもりは無いらしい。

 女神の態度をそう受け止めたベレッタは、話題を次に進めることにした。


「では、エルフはどうしますか?」

「それについても、案ずる必要はありません。おおかたその者はカリューで間違いないでしょう」


 即座にそう返した女神の返事に、ベレッタは屋敷でその名を耳にしたのを思い出した。


「ああ……そういえば、あのロボットにそんな名で呼ばれていました。知っている者なのですか?」


 その問いに、女神は頷きと共に返事を返した。


「ええ。ですが、カリューには何もできません。たとえその動きがアビスに繋がるものだったとしても、そこには既に手を打ってあります。アビスがアルフヘイムを出ることは、絶対に叶いません」


 確信を持ってそう答えながら、女神は笑みを浮かべる。しかし、その脳裏にエルドナの存在が過った。


「……ただ、複数の思惑が絡めば、不測の事態が起きないとは言い切れませんね。その芽は、事前に摘んでおくべきかもしれません」


 ベレッタは女神の言葉に同意すると、今日ここを訪れた最も大きな要因に触れた。


「それに、共に連れているロボットの戦闘力が侮れません」

「ロボット?……サイボーグではないのですか?」

「いえ、あの形状は間違いなくロボットです。アバネが扱うサイボーグとも、現在この国に普及しているアンドロイドとも趣を違えます。ほとんど流通のなかった旧式の外観を持ちながら、異様に高い戦闘能力を備えているのです」

「……旧式の。では、処刑された狭間が所持していたものでしょうか。あの男も戦闘用ロボットを持っていたということですね。それは少し興味深い。1度直に私が会って確かめてみましょう。その者たちを捕えて、王都まで連れて来なさい」

「…………」

「どうしたのですか?」


 返事を返すことなく、ベレッタはその場で服をはだけた。


「ベレッタ? いったい何の――!?」


 女神は『そんな趣味私にはありません!』と強く抗議するより早く、ベレッタの意図を理解した。そして、音もなくベレッタに近づくと、自分が与えた神器を受け取り間近でそれを眺めた。


「今回、報告に上がった最大の理由がそれです。さすがに神器に傷をつけることはできなかったようですが、中にある転移石が壊されたせいで効果を失っています」


 女神がベレッタに与えた神器の中心には、転移石がおさめられている。転移石は力を放った瞬間に神器の作用で自己再生し、半永久的に使える仕様になっていた。

 しかし、神器からは今その機能が失われていた。その原因となる光が明滅する様子が、中央部の色を持たない特殊な鉱石を通して確認できた。

 それを認めた女神は、微笑みながらそこに手で触れ、魔法を発動させる。途端に魔法弾が女神の顔目がけて神器から飛び出した。

 だが、女神は絶対不可侵の防御フィールドを纏っている。それに弾かれ反射した魔法弾は、正面に立つベレッタに向かった。

 間一髪のところでベレッタはそれを躱したが、僅かでも反応が遅れていれば致命傷は免れなかった。それほどの速度でベレッタの右頬を掠めるように飛んでいった魔法弾は、そのまま背後にあった壁を貫通して消えた。

 その軌道を見送り女神を振り返ったベレッタは、睨みつけるような視線を女神に向ける。だが、女神はそれを意に介した様子もなく、その顔にいたずらっぽい笑みを浮かべていた。


『シンラでのお返しです』


 女神の顔からそんな言葉を読み取ったベレッタは、それを非難することなく、ため息をつきながら神器『ユビキタス』を受け取った。明滅していた光の消えた内部には転移石がおさまっている。神器は転位石と共に力を取り戻していた。

 それをベレッタが身に付け着衣の乱れを直すのを待って、女神がベレッタに問いかけた。


「神器の内部目がけ、転位石だけを壊す目的で魔法弾を放ったというわけですね」

「……その通りです」


 その返答を受け、女神は妖しい笑みを浮かべた。


「面白い。そういえば、狭間は異世界からの来訪者でしたね。独自に持ち込んだ転送技術を応用し、兵器としてロボットに持たせるとは。その仕組みが魔法で無いという点も侮れません。ですが、その因子をこの世界に残していたのは問題です。別世界の存在は、狭間のように消えてなくならなくてはなりません」

「…………」

「ただ、狭間にもう少し強い欲があれば、アバネの代わりに使っても良かったかもしれません。そうすれば1年は計画が早まったでしょう」


 狭間とアバネの能力差は女神の知るところだった。この世界に科学技術を持ち込んだのは狭間であり、アバネはその知識を享受したに過ぎなかったからだ。

 ただ、狭間にはこの世界で生き続けるだけの運命がなかった。それもまた、女神が狭間を選ばなかった理由でもあった。


「それで、その者たちは何処へ向かったのですか?」

「探りを入れた感じでは、どうやらカリ・ユガへ繋がるゲートを目指しているようでした」

「ゲートに?……なるほど、それは名案ですね。それほどの戦闘力を備えたロボットを連れているのであれば、無事帰還できるかもしれません。そして、目的もおおよその察しはつきますが……フフ、構いません。うまく誘導して、通してやりなさい」


 女神の言葉に意外そうな表情を浮かべたベレッタは、しかし俄かにその意図を理解した。女神の表情には獲物を弄ぶような、そんな笑みが浮かんでいたからだ。


「では、私はさっそく手配にかかります」


 そう言って場を辞そうとしたベレッタの背に向けて、女神が呟くように言葉を漏らした。


「……それにしても、ここまでの人材が組み合わさりながら、そこに無関係の人間が紛れているというのも解せない話ですね。そのネオ・ルカキスという者は、本当にただの人間だったのですか?」


 女神の言葉を受けたベレッタは、確信を持ってそれに答えた。


「その点についてはご安心を。いただいた情報から私もルカキスのことは熟知しています。しかし、間近で確認したあの男は、声音、雰囲気、表情を含め、全てに於いてルカキスとは似ても似つかぬ者でした。好色で欲深く利己的な性格も去ることながら、縛り上げる時に見せた往生際の悪さたるや、人間の中でも底辺に据えられる、下中の下の人間と言って過言ではありません。この見立てに関しては、違えようの無い確固たる自信が私にはあります。なぜ、あの中にあのような者が混じっているのか。その点については、確かに私も疑問に感じますが、あれがルカキスでないという事実が揺らぐことはありません」


 女神にとってベレッタは、かなり信用の置ける人間だった。そのベレッタがそこまで言うのならそこに疑念を差し挟む余地はない。女神はそう考えていた。

 ただ、たとえそうだとしても、なぜそのような者が共に居るのかという疑問が消えることはない。そして、ベレッタの語るという存在に思いを馳せた時、なぜか女神はそんなルカキスを知っている気がしたのだった。

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