いざ、カリ・ユガ

41話 決意あらたに


「ったく、どこが手薄な警備なんだよ、カリュー! 結構な大人数だぜ?」


 カリ・ユガへのゲートを目指し数日間馬車に揺られた一行は、目的地から1キロほど手前にある小高い丘の上にいた。

 そこから見るゲート周辺には、王国軍が兵を布陣しているのが見えた。付近には仮設兵舎なども建てられ、500人近い兵士が常駐しているようだった。

 実際目にした現場の様子は、以前カリューが口にした状況とはかなり食い違ったものになっていた。そこをロボはカリューに指摘したのである。

 ロボの隣で同じく肉眼で状況を見ていたカリューにも、当然それは分かっていた。その規模はそれくらい大きなものだったからだ。

 しかし、それでもカリューは別段自分が以前話した内容との齟齬そごを気にすることなく、素直に目に入った印象を語り始めた。


「確かにそうだな。だが、ゲートは双方向からの通行が可能だし、行った人数を考えれば無警戒に放置しておける場所じゃない。これくらい厳重に警備されている方が、逆に不自然じゃないといえる」

「……って、いや他人事? 警備が手薄だと言ってたのはお前なんだぜ?」

「それはもちろん覚えている。だが、今見ているような状況を口走れば、お前たちの説得に支障をきたす可能性があった。あの時は俺も実状を知らなかったし、話に希望的観測が含まれていたとしても致し方なかっただろう」


 さらりとそう言いのけるカリューの強かさに、ロボは思わず面食らう。それを尻目にカリューはなおも言葉を続けた。


「それに大人数とはいえ、この数を相手にできないようでは、もとよりカリ・ユガへ向かうのは不可能だ。俺の見立てでは、お前ならこんな障害ものともしない。そう考えていたんだが?」


 煽るようにそう告げるカリューの視線が、ロボをとらえる。真顔でそれを受け止めたロボは、直ぐ様吹き出した。


「ガハッ……ガーハッハッハ! 分かってんじゃねーか、カリュー! このレベルなら全くもって問題ねー。別に恐れをなしてオレが聞いたんじゃねーのを、お前が分かってくれてるんならそれでいい。たかだか500や1000の雑兵、正面突破で行くと聞いてもわけなく道を切り開いてやんよ! ガーハッハッハ!」


 短期間ですっかりロボの操縦を掌握したカリューだったが、言葉のやり取りにやましさを抱いていないわけではなかった。だが、目的を達するためには仕方がない。そう割り切っていたのだ。

 カリューがそう考えるようになったのは、先日のミラバ邸での一件があったからである。

 あの時ミラバ・ゲッソに何も言い返せなかったカリューは、ここまでの道中馬車に揺られながら、その原因をとことんまで追求した。自分の弱さと向き合った。そして、1つの答えに行き着いたのだ。

 それは真面目過ぎるがゆえに、カリューが正しさを捨てきれないところにあった。


 カリューは正義が大好きだった。世の中が良くなるよう尽力したい。常にそう考えていた。そんなカリューの抱く正しさは、独善的なものでなく、社会性や倫理観に基づいた、人が規範とすべき真っ当な正しさだった。

 それを自負していたからこそ、カリューはそこにある全ての正しさを受けとめて、何の犠牲も出さない包括的な解を見出そうとした。

 しかし、世の中はそれほど単純ではない。たとえそれが正しいことだったとしても、全てがまかり通るわけもなかったのだ。


 自分が正しいと感じるすべてを汲み取ろうとしたカリューは、結果として挫折と後悔を味わうことになった。

 だが、その時のカリューに本気でそれを成し遂げるつもりがあったかと問われれば、そこは疑わしい。本気の想いとはそんなものではないからだ。

 この世には、他のすべてを犠牲にしなければ手に入らないものがある。それは正しさだけで語られるものではなく、或いは悪と断じられ、そこに手を染め、身を沈めることで掴めるものである。

 あらゆるものを省みず、ただ目的のためだけに突き進む。それこそが本気の想いなのだ。


 そう考えると、カリューの想いは本気でなかったといえる。

 正しさを基準に生きるカリューには、捨てきれない幾つもの正しさがあった。それは状況によっては同時に成立させるのが難しく、必然的にその基盤となるものは簡単に揺さぶられる。想いはブレてしまうのだ。

 だが、自分の中に至上とする価値を決め、それをもとに物事を判断すれば想いはブレない。それは正義よりも悪よりも、何より優先されるものになるからだ。

 そこに気づいたカリューは、過去の自分のトラウマを捨て去ることを決意した。罪の意識と向き合うことが正しいと思っている限り、何度でも自分はそこで立ち止まってしまう。そう思ったからだ。

 それで無責任と人に罵られようとも構わない。その汚名を背負いながらも自分は確実に前に進む。同じ過ちを二度と繰り返さないために。先の未来で絶対に果たすと決めた想いを貫くために。

 

 そして、カリューは今一度考えた。自分が今向かっている目的に対して、果たしてそれほど強い想いを抱けているかどうかを。

 そう考えた時、自分の動機はエルフ族がこの国で被ったものに対する恨みではないかと思った。

 汚名を着せられたアグアがカリ・ユガへ追放となり、アズール、アンダンテ、カシオス、その他大勢のエルフもまた犠牲になった。エルフの名は地に落ち、暮らしまで奪われた現状は、決してそのまま済ませられるものではなく、尽きることのない怒りを感じるものだった。

 だが、そんな事情はロボとルカキスの知ったことではない。そこに同情はあったとしても、2人にとっては命まで賭して挑む事柄ではなかったからだ。

 もし今自分のしようとしていることが私怨に端を発するのなら、そこにエルフ以外を巻き込むべきではない。カリューはそう思った。そこにそれだけの正当性は無いと感じたからだ。


 たとえ至上とする価値を決め、目的を達するのに手段を選ばなかったとしても、目的自体に正しさを、突き進む後押しとなる動機づけが得られなければ強い想いは抱けない。だから、カリューは恨みの念を捨て去った。そして、それでもなお自分が動くかどうかを自問した。

 答えはすぐにも出た。それでもやはり自分は動く。カリューはそう思った。

 それは既にエルフという枠を離れ、自分を1人の人ととらえた観点から生じた想いだった。

 女神の企みの犠牲になるかもしれないエタリナに暮らす全ての者を、カリューは見過ごすことができないと思った。

 それを大いなる神の意志と割り切ることはできなかったし、エルフとして傍観もできなかった。そして、近い将来エタリナにもたらされると確信する災厄に対して、それに気づき動けるのは自分しかいないと思った。

 そのことで自分の命が失われる覚悟は簡単にできた。しかし、事態はそれで収束するとは思えない、途方もなく巨大なものに感じられた。

 そこに立ち向かうには、自分のみならずロボやルカキスを含めた多くの人を巻き込む必要があり、もしかするとそれでも叶えられないかもしれない。そう感じる困難と犠牲を強いられるものだった。

 だが、そこを至上の到達点とし、そこへ向かうために動くと考えた時、カリューは自分の心に何ら咎を感じなかった。たとえそのために失われる幾つもの命があったとしても、その恨みを自分が一身に背負うことになったとしても、それらすべてを受け止めてでもそれを成す必要がある。そんな、揺るぎない想いを抱けたのだ。

 その時初めて、正義も悪も乗り越えた覚悟ある想いを、カリューは目的の先に見据えたのである。


 それはカリューの心に変革をもたらし、ロボに強かな印象を与えたが、だからといって、そのためにすべてを嘘で塗り固めようとは考えていなかった。

 実際ロボを動かしたのはカリューの持つ実直な思いだったし、あまりに不当なやり方を講じれば目的自体が嘘になってしまう。だから、自分の知る情報を嘘で誤魔化したり、事実を捻じ曲げた見解を述べるつもりはなかった。

 だが、ロボの義侠心にすがり、単純な性格を言葉で煽ることへの戸惑いは捨てた。

 真面目な性格が簡単に変わる筈もなく、そこにカリューは自分の心を騙すにも似た苦しみを感じたが、それを回避し配慮していては、目的を達することはできない。カリューがそう考えたからだ。

 ミラバ邸での出来事は、カリューにそんな心の成長をもたらしたのだった。


 一方、ロボはともかく、人として同じように成長を見せねばならないルカキスはというと、馬車に乗り込み固く戸を閉ざして以降、心も閉ざしたままだった。誰とも口を利くことなく、ここまできていたのだ。

 先ほどロボとカリューが話をしていた時も、すぐ近くにルカキスはいたのだが、身じろぐ素振りすら見せず、会話に割って入ろうとはしなかった。

 ミラバ邸での出来事は、あれほど憎々しかったルカキスから、生きる気力を奪い去ってしまったのだ…………などということはない。


 確かに丸1日くらいはふさぎ込んでいたが、ルカキスがいつまでもそんなところに突っ立っているわけがなかった。

 羞恥に頬を染め生き恥をさらす経験はしたものの、ルカキスは男であり開き直ってしまえる面の皮の厚さを持っている。自分を見つめ直さねばならないミラバ邸での出来事から、何も学ぶことのないまま、とっくの昔に立ち直っていたのだ。

 だが、人として重要な何かが損なわれた事実は疑いようがなく、イニシアチブの喪失は自覚していた。

 だから、ルカキスは待っていたのだ。

 過去の栄光?……を取り戻せるチャンスを。

 輝かしいあの時?……に戻れるきっかけを。

 それを虎視眈々と狙っていたのだ。

 そして、その時が訪れるまでルカキスは寡黙である。人見知りの子供のように無口である。ただ、その中身は牙を研いでいる。目は血走っている。

 ルカキスは全身全霊をかけて、機会が巡ってくるのを心の中でただ念じ続けていた。


 王国軍によって敷かれた警備の奥は、急勾配こうばいの坂になっていた。そこを上りきった先に、カリ・ユガへと続くゲートがあった。

 その更に先は海に面していて、高さ100メートルを超える崖になっている。海から上陸してゲートに至るのは難しかった。

 ただ、ゲートを完全に包囲するよう兵が布陣されていたわけではなく、警備は正面の伐採整備された一区画に限られていた。

 得意の簡易地図で示すと、下図のようになる。


 ※PCでないと正常に見れない可能性があります


<ゲート周辺 図>


←北                海

崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖崖

木木木木木木木木木木木木木木木木 ゲート 木木木木木木木木木木木木木木木木

木木木木木木木木木木木木木木木木  傾  木木木木木木木木木木木木木木木木

木木木木木木木木木木木木木木木木  斜  木木木木木木木木木木木木木木木木

木木木木木木木木木木木木             木木木木木木木木木木木木

木木木木木木木木木木木木  兵舎  王  兵舎  木木木木木木木木木木木木

木木木木木木木木木木木木  兵舎  国  兵舎  木木木木木木木木木木木木

湖湖湖湖              軍

湖湖湖湖湖湖湖湖湖       

湖湖 レイク湖 湖湖      普通の地形



 ロボはそこを警護する兵たちを、わけなく殲滅できると豪語していたが、それは最後の手段だとカリューは考えていた。

 行くだけで済むなら強引な手法に出てもよかったが、この行程には戻りがある。ここで騒ぎを大きくすれば、戻った際に支障をきたすからだ。

 ゲート襲撃という観点からも、それが女神の耳に入る可能性は高く、そうなれば対処に女神が出てくることも十分考えられた。

 今の段階で女神から妨害を受ければ、せっかく緑石を入手できても、ロボがいかに優れた戦闘力を備えていたとしても、全てが無駄になる可能性がある。

 それを踏まえた何か妙案がないものかと、カリューがロボに相談した。


「――気づかれずにってのは地味な策だな。ひと暴れしてやろうと思ってただけに、フラストレーションが溜まりそうだが……まあ、女神が出てくると言われりゃー、それもやむなしか。あの女が持ってた神器ひとつとっても脅威と呼べる代物だった。女神なんかに直接出て来られた日にゃー、さすがのオレでも手も足も出ない可能性があるからな」


 ロボの言葉に、カリューが深く頷きを返した。


「俺たちがやっていることはまだ途上だ。万全の策が整うまで女神に見つかるわけにはいかない。だからここはうまく波風立てずに、穏便に事を済ませねばならないんだが……」


 その時、2人の会話に耳をそば立てていたルカキスが、わずかに反応を見せた。

 しかし、ここではまだ動かない。2人から少し離れた場所で、体育座りの膝頭に顔を伏せていた。

 ただ、その目は大きく見開かれていた。神経は研ぎ澄まされていた。

 そして、今か今かと自分の出番が来るのに備えていたのだ。


「でも、穏便にっつってもどうするよ? まさか兵士に化けて紛れ込むわけにもいかねーだろう?」


 ロボの肢体をつぶさに観察したカリューは、眉根を寄せながら返事を返した。


「いくらなんでも、お前はごまかしきれないだろうからな。それに、簡単に兵士に化けると言っても、変装にはそれなりに高い技量が要求される。俺のように完璧な変装技術は一朝一夕で身に着くものではないし、ルカキスにそれを求めるのは酷だろう」


 さらりとそう話すカリューに、ロボは思わず目を見開いてカリューをガン見した。ミラバ邸でカリューがエルフだと気づかれたのは、拙い変装技術にあったと確信していたからだ。

 にもかかわらず、未だそれが絶対の隠れ蓑だと言わんばかりのカリューの口ぶりに、ロボの言葉にも動揺が表れていた。


「そ……そだな。……そだな」


 力なくそう言うにとどめたロボ。本来なら強いツッコミが入る場面だが、ロボはそうすべきでないと思っていた。

 これがルカキス相手なら何の躊躇もなかったが、カリューは真面目で天然である。発言は本気だと思えたし、ここで無碍にそれを否定すれば、カリューが激しいショックを受ける。そんな気がしたからだ。

 そして、そんなロボの配慮をカリューは察しない。そこには何だか微妙な空気が生まれていた。


 この2人の会話は、ルカキスの心を激しく揺さ振った。そこに生まれた空気の淀みは、自分の不在が原因と思われたからだ。

 もしそこに自分が加われば、きっと何かが生まれる!

 そんな確信に近い思いを、ルカキスは胸に抱いていた。

 思わず肩が持ち上がり、反応した体が立ち上がろうとする。しかし、ルカキスはすかさずそれを押さえつけた。


 まだだ……まだ、機は熟していない!


 復帰のタイミングとしてはまだインパクトが弱いと感じたのか、満を持するために、最高の復活を演出するために、とにかくルカキスはこのタイミングで動くのを見送ったのだった。


「それよりも、周りに広がる林を抜けて、一気にゲートに迫るというのはどうだ? なにも警備されている真正面からゲートに向かう必要はない。北と南に広がる側面の林からなら、警備を出し抜けるんじゃないか?」


 そう提案するカリューに、ロボが地形を確認しながら応じた。


「これだけの警備を敷いて、あの森が手つかずで放置されてるとは思えねー。おそらく山のようにトラップが仕掛けられてるだろう。……そう予測はできるが、それでもオレがいりゃー問題はねー。警備に気づかれずにゲートに向かうには、その方法しかなさそうだな」


 カリューに笑みを向けながら、ロボもその考えに同意した。しかし、それを受けたカリューは、その時なぜか少し不満げな表情を浮かべていた。


「……そうか。ではどうする? 北と南、どちらのを抜けて行くべきだと思う?」


 一部言葉をやけに強調しながら、そう話すカリュー。ロボもすぐにそれに応じた。


「距離的にはすぐ目の前にある南からのルートが手っ取り早い。北から行くならレイク湖を回り込まなきゃなんねーし、北の森なら安全という保証はねーからな」

「……そうだな。どちらのも変わりないなら、時間効率を考えても正面のを選択すべきか」


 そう切り返したカリューを見つめながら、ロボは会話の中にある違和感にようやく気づいた。


「いや、カリュー。あそこに見える森なんだが――」

「ん? どうした、ロボ? あのがどうかしたのか?」


 しれっとそう答えるカリューに、ロボは会話の中にあった違和感を確信した。


「いやだろう? ありゃー、オレにはどー見ても森に見えるんだがな?」


 そう疑問を呈するロボに、カリューが思わず苦笑を漏らした。


「ハハッ。何を言ってるんだロボ? あれは林だよ。よく見ろ、ロボ? 木と木の間が隙間だらけじゃないか? あんなスカスカな森を俺は見たことが――」

「って、どこがスカスカだよ! ギッチギチに生えまくってんじゃねーか!? ありゃ、どー見ても林じゃねー。森だよ、森。完全なる森だ!」


 そう主張するロボに、カリューは肩をすくめて見せた。


「ロボ。この国に森は3つしかない。俺たちエルフの統治するズレハとカサエル、そしてシンラの森だ。森はエルフの聖域でもあるし、エルフのいないところに森はない。そこに見えているのは単なる林だよ。それに森はこうモリッとしている。モリモリッとしている。あの林にはそのモリモリ感が欠落している。森とは呼べないな」


 身振りを交えてそう解説するカリュー。

 しかし、ロボは納得できなかった。


「エルフがいるかいないかなんて、関係ねー! そんな森、世界中にいくらもあんだろーが!? それに、見た目なんて単なる主観じゃねーか? オレには十分モリモリして見えるぜ。だいたい、森と林の違いは人の手が入ってるかどうかで決まるんだ。目の前の森は明らかに野放しで育ってる森と称されて然るべきもんだ。逆にエルフの手が加えられているお前たちの森の方が、林と呼ばれてもおかしくねーぜ!」


 ロボの反論を心外そうに受け止めたカリューは、不愉快そうに応じた。


「俺たちエルフは人間のように自然に手を加えたりしない。ロボ、その観点は間違っているぞ。それに、野放しで育ったからといって、誰しもが森の名を冠する資格を与えられるわけじゃない。天然林や原始林、原生林なんかは、人の手が加えられていなくても『林』であり、決して『森』にはなれない。目の前の林はその類に該当する。それに、人の手が入っているという観点から考えるなら、王国軍が駐留するため伐採された現状は、もはや自然とは言えない。いいとこ雑木林が関の山だろう」

「…………」


 何やら森については独自の持論を持つようで、カリューは一歩も譲る様子がなかった。

 その発言にイラつきながら、結局はロボが折れることになった。

 そんな2人の会話の収束に合わせ、ルカキスの口元に笑みが浮かんだ。


――時は満ちた――


 そんな面つきで立ち上がったルカキスは、背後から2人に近づき言葉をかけた。


「さっきから、どうも会話がスムーズに進んでないな。圧倒的な求心力と、道なき道を切り開く実行力&行動力。はたから見てると、お前たちに不足してるのは、そんなカリスマの不在のように感じられるが――」


 ルカキスの声に即座に振り返ったロボは、そこにフラストレーションを解消する格好の獲物を見つけていた。


「おお、誰が偉そうなこと吐かしてやがるのかと思いきや、アナさらし……いや、アナ○さらし(正確にはア○スさらし)じゃねーか。もうショックからは立ち直ったのかよ?」


 この厳しいロボの合いの手に、ルカキスは即座に顔色を変える。

 しかし、そこにカリューから助け船が入った。


「ロボ、やめておけ。男とはいえ人前で菊座をさらすなど、人としての尊厳が著しく損なわれる行為だ。あの変態プレイがルカキスの嗜好に沿っていたかはともかくとして、隠れてコソコソやっていた秘め事が衆目にさらされたショックは計り知れない。ルカキスの心情を慮り、せめて俺たちだけでもあの無様以外にたとえようのない、今でも鮮明に記憶に残る反吐が出るほど見苦しい光景を、胸の内にそっとしまっておこうと、そう決めた筈じゃないか?」

 

 グサッ、グサッ、グサッ!

 

 カリューの言葉を聞きながら、ルカキスの心はそんな音を立て続けていた。

 このフォローは、青ざめるだけだったルカキスの表情を、引きつり歪ませる結果を生んだ。助け船どころか、とんだ海賊船だったようである。

 このように折に触れつけ加えられるカリューの言葉は、本人の意図に反して内臓をえぐる鋭い切れ味を見せる。自分の気持ちを正直に言葉に乗せるため、言葉のチョイスがとても無慈悲なものになってしまうのだ。

 ただ、カリューが親切心から口出ししたのは事実であり、本来そこに悪意はないのだが、論じられる対象にとってそれが助けにならないのも事実だった。

 なぜなら、そこには子供が持つ、飾らない純粋で剥き出しの残酷さが秘められていたからだ。

 その正直な物言いはルカキスを打ちのめす。嫌味を意図したロボの数倍強烈なダメージがルカキスに蓄積されることになった。

 しかし、ここで取り繕えば論点がずれてしまう。好機を逸してしまう。ルカキスは天邪鬼パワーを最大限発揮して、この状況をスルーしようと試みた。


「……お、お前たちの会話には、ま、迷いが感じられる。だが、お前たちは頼りにすべき存在がすぐ近くにいるのを、わ、忘れてるんじゃないのか?」


 言い方を少し改めて、会話を戻そうとするルカキス。だが、そんな見え透いた誘いに2人が乗ってくる筈もなく、案の定ロボに絡まれてしまった。


「お、なに無視して話を進めようとしてんだ、ネオ・ルカキス? そんな言葉でオレの中にプロテクトをかけて保存してある、お前の忌まわしき過去を消せると思ってんじゃねーだろーな?」


 なっ……なんだと!?


 ロボの発した『保存』という言葉から、ルカキスはロボが何らかの方法で、あの屈辱の映像を保持しているのを直感的に理解した。


「なんならその辺の空間に、立体映像で再現してやってもいいんだぜ?」


 つけ加えられた言葉にルカキスは激しい殺意を抱く。だが、おかげで動揺は消え冷静さが戻った。

 保存データについては対処が必要と感じたものの、ここで取り乱すわけにはいかない。ロボを無視して言葉を続けるつもりだった。


 しかし!……だが、しかし!


 その時、ロボの言葉を受けて、話し出そうとする悪魔の初動が目に入った。それだけを警戒していたルカキスは、カリューが口を開いた途端、光速でそれに反応した。


「ロボ、保存とはまさか――」

「カリュー!」


 ルカキスの放った言葉は半ば叫びといっていい、非常に切羽詰まったものだった。

 ここでカリューからの追い討ちを受ければ、さすがに耐えきれない。そして、ショックから立ち直るまで、またしても寡黙な時間を過ごさねばならない。ルカキスからはそんな悲壮と焦燥が感じられた。


「カ、カリュー、それ以上言葉を口にするな! お前の言葉はお前が考える以上に凶悪、凶暴だ! たとえお前が意図しなくても、それで傷つけられる者がいるんだ! だから頼む、カリュー! それ以上、それ以上何も言わないでくれっ!」


 ルカキスの言葉を受け止めるカリューの眼差しは、曇り無く非常に澄んだ色をしていた。

 だが、その美しい瞳にルカキスは恐怖を覚える。その中に真逆の危険が潜んでいるのを感じて恐怖を覚える。

 その時、ルカキスの視線の先にいたカリューが笑った。

 しかし、それを見たルカキスは途端に戦慄した。なぜならカリューの顔に浮かんだのは、訴えた意図がまるで伝わってないと告げる、そんな笑みだったからだ。

 ルカキスは、カリューの唇が動くより先に駆け出していた。


「カリュー、すまないっ!」


 そう叫びながら、口封じのために右ストレートを繰り出すルカキス。だが、それはカリューに軽やかな動きで躱されてしまう。

 そして、ルカキスの足元には、なぜかロボの足が伸びている。それに引っかかったルカキスは勢い余って飛んだ。丘の傾斜を利用して軽く10メートルはふっ飛んだ。

 ルカキスは、そのままその先にあった茂みに突撃したが、直後に聞こえた叫び声には、おかしな響きが含まれていた。そこに隠れていた何者かが、空から降ってきたルカキスをクッション代わりに受け止めたからだ。


「ヒギャア――ッ!」


 その声に驚いたカリューが、ロボの顔を見ながら問いかけた。


「気づいていたのか?」

「当然よ。オレが周囲30メートル圏内で何かを見落とすことはありえねー。たとえ相手が獣のように気配を消せる獣人だとしてもな」

「獣人なのか?」

「ああ。そこの茂みからずっとオレたちの様子を窺ってやがった。ただ、別段敵意を持ってるようには見えなかったし、どうしようかと考えてるところに、うまい具合にネオ・ルカキスの野郎が突っ込んできた。だから、けしかけてみたってわけよ」


 それを聞いて確認に向かったカリューは、ルカキスの下敷きになって気を失っている獣人を見た。そして、遅れて歩いて来たロボに、こう切り出した。


「弧人族のようだな。だが、知らない顔だ。狐人族はシンラの森を縄張りにしているから、俺の知らない者も多い。あまり良い印象を持っていない種族でもあるしな」

「……ゾーンバイエの件か。そういや、首謀者だった狐人族がまだ捕まってねーんだったな? あれからどうなったか知ってんのか? もしかして、こいつが――」

「こいつではない。今どうしているかは知らないが、俺はその狐人族の顔を知っている。もし、生きているならそいつを捕えるのも俺の目的の1つだが、今はそれよりも先にすべきことがある」


 ロボはカリューの言葉に頷いて同意すると、のびている狐人族の上で、同じく気を失っているルカキスを見て嘆息した。


「にしても、こいつもよく気を失う野郎だな」


 そう漏らし、ルカキスに手を伸ばしたロボは、下敷きになっている弧人族に目を向けた。

 獣人らしからぬどんくささに警戒は薄れていたが、こちらの様子を窺っていた事実は疑いようもない。少し事情を聞いておくかとルカキスと共に担ぎ上げると、一旦馬車に引き上げたのだった。

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