25話 3年前-エルフside 王城①
パルナに向かっている間、アズールに聞かされた話を俺は何度も耳にした。
中には兄は幽閉されている、処刑されたというものもあったが、王都が近づくにつれ、その内容はアズールに聞かされていたものと概ね変わりないものになった。
合わせてエルフへの反感はどんどんエスカレートしてゆき、パルナ周辺に至っては、エルフと知られるだけで身の危険を感じるほどだった。
しかし、それは事前に分かっていたことだ。カサエルの森からパルナを目指していた俺は、大都市の1つモスク周辺ぐらいから幻術を使って人に姿を変えた。
ただ、本来なら幻術は使いたくなかった。俺の用いた幻術は人の属性を得るかわりに、その外観が醜悪なものへ変わってしまう。爬虫類に近いその容姿が俺はあまり好きでなかったのだ。
念のために変装も施していたし、気持ち的にはそれだけで済ませたかったが、王都付近の状況を考えると我儘は言っていられない。涙を呑んで俺は幻術を施したのだった。
姿を変えているとはいえ、王都でそれが絶対の隠れ蓑になることはなかった。魔法はこの世界の根幹を成す重要な位置を占めており、王都パルナはその教育が最も盛んな都市だったからだ。
兵士に関してはそのすべてに魔法教育が行き届いており、半分以上が初級程度の魔法を修得している。当然軍には魔法使いも大勢いたし、首都の警戒レベルは相当高いと言えた。
だが、それでも町はその広さも相まって、出入りを完全にチェックするのは不可能だった。俺は念のために一般的な出入口は経由せず、裏ルートから町へ潜入した。
街中を巡回する警備兵には高位の魔法使いも紛れていたが、俺の幻術とて素人レベルのものじゃない。日常的に守備力を強化する防御系の魔法を使用している者は多く、俺の幻術も一見するとその類の魔法にしか見えない。相当熟練した者でなければ、一目でその違いを判別するのは難しく、主要箇所でない限りそれほど厳しく監視されているわけでもなかった。
しかし、俺の目的は街中をうろつくことじゃない。どうにかして王城に潜入し、ルカキスに接見する必要があった。
だが、王城の警備が俺を素通りさせるザルなわけがない。王城全体にはその城壁部分に至るまで、攻撃魔法を無力化するトラップや強力な障壁魔法が張り巡らされている。更に、魔力検知も行われていて、常時発動の魔法でもそれを帯びたまま城内に侵入しようとすると、警報が鳴る仕組みになっている。
俺は警戒しながら、ようやく王城までたどり着いたものの、その中にどうやって入り込むかを考えあぐねていた。
策もなく様子を窺っていた俺は、城への出入りがやけに激しいことに気づいた。
そういえば、もう少し賑わっていると思われた町の様子も、それほど華やいだものじゃない。逆に何処かと戦でもしているような、魔王が討伐されたのが嘘のような、そんな緊張感が漂っている。
しかも、もしかすると……
ある事実に気づいた俺は、幻術で姿を消して城門へ近づいていった。幸い門兵に幻術を見抜く能力はなく、ある程度近づいても気づかれることはなかった。
俺はそのまま城門手前で息を潜めながら、直ぐにやってきた伝令とおぼしき兵が城門を通過するのを観察していた。
所属と要件を伝令が告げると、門兵が道を開ける。すると、伝令は馬に跨ったまま城門を通過し、そのまま城内に姿を消した。
それを見た俺は確信した。城門部分の障壁や魔力検知が解除されていることを。
伝令には
その魔法を帯びた伝令が通過したにもかかわらず、警報が鳴らなかったことから、城門部分に関してそれが解除されているのは確実だった。
戦時下では味方の出入りが激しく、城門を通過するたびにいちいち魔法を解除していられないことから、障壁魔法、魔力検知などが部分的に解除される場合が多い。
だからと言って城内の要所まで魔法が解除されるわけではなかったが、外部からの報告を受ける上官がいる場所までは恐らく進んでいくことができる。上手くすればその指揮にルカキスが加わっている可能性もあった。
俺は次に伝令が来るのを待って、その伝令が通過するのに合わせて門兵の間を駆け抜けた。そして、何とか城内に潜入することに成功したのだった。
城内には思ったほど兵がいなかった。状況から見て出払っていると考えられたが、それは予測と違わぬものだったし、主要箇所に続く場所以外、警備が厳重な印象もなかった。
やはり、何かが起きている。
最悪、ルカキスに会うことができなくても、そのあたりも含めて可能な限りの情報は入手したい。俺はそう思っていた。
姿を消したまま気づかれないよう少し距離をあけて、俺は伝令に続いた。馬を降りた伝令は急ぎ足で城内を進んでいた。
俄かに出た中庭には低い塀で囲まれた緑生い茂る庭園があり、その周りは回廊になっていた。その廊下を進み、先にあった大きな扉の前で立ち止まった伝令は、扉の前の警備兵に所属と用件を述べる。すると警備兵は小窓を開いて中の者とやり取りし、ややあってから、その大きな扉がゆっくりと外開きに開かれた。
伝令は開いた入り口からそのまま中へ入ってゆく。続いて俺も入ろうと2、3歩踏み出したところで、しかし俺はその場に姿をさらしていた。
扉のすぐ内側には
扉が閉まるまでに通過しなければならないと焦った俺は、無警戒にそこを通過しようとして、まともにディスクローズを食らっていた。
俺の纏う
「誰かいるぞ!」
「侵入者だ!」
入ってきた扉から即座に外へ転げ出た俺は、塀を乗り越え広い中庭へ逃げこむ。そこへ、同じく追いかけてきた魔法使い2人から、
間一髪でそれを逃れた俺は、素早く茂みに身を隠した。
「侵入者だ! 誰かが城内に入り込んでいるぞ!」
「爬虫類みたいに気持ち悪い顔をした奴だ!」
「中庭に隠れているぞ! 探せ、探せ!」
兵たちの声が飛び交う中、中庭は既にかなりの数の警備兵や魔法使いで取り囲まれていた。だが、そいつらに俺が発見されることはない。なぜなら俺は中庭になどいないからだ。
魔法を解除され姿を暴かれた俺は、扉から出た途端インビジブルを使ってまた姿を消した。それと同時に精度の高い分身を1体作り出せる、
魔法使いと兵たちは幻影を追って中庭へ向かったが、それを横目にやり過ごしながら、俺はどさくさに紛れて部屋の中に舞い戻ったのだ。
中庭では兵たちが懸命に俺を捜索していたが、短時間で消えてしまう幻影はもうどこにもいないだろう。
そんなことを考えているうちに、部屋の扉は閉じられ中は静寂に包まれた。俺は意識を内側に向け、伝令が上官への報告を始めるまでに辺りを見渡していた。
らくらく500人は収容できる広い内部には、屈強な兵がまだ十数名控えていた。中には重装備の兵や高位の魔法使いも混じっていたが、部屋の広さも相まって入り口付近にいる俺に注意が向くことはなかった。
但し、奥の中央に腰かける上官の周囲には、魔法による鉄壁の防御態勢が敷かれている。不用意に近づくことはできそうになかった。
すべての人間をひと通り確認したが、その中にルカキスの姿を見つけることはできなかった。上官の後ろには大きな幕が下ろされており、そこにもスペースがあって誰かがいるようだったが、近づくのは無理がある。仕方なく俺は、伝令の報告を受けるべく座している上官へ目を向けた。
そこには団長クラスの人間か将軍が座していると思われたが、意外にも軍とは直接関わりのない者が座っていた。
ロイヤルガーディアン……
全身を白銀の鎧兜で身を包んでいるせいで、それが誰なのかは分からない。もっとも軍の上層部に俺が明るいわけではなかったが。
しかし、ロイヤルガーディアン並びにロイヤルガードは国王直属の配下で、軍とは別個の指令系統が組まれている。そして、ロイヤルガーディアンは独自に部隊を持っていたが、6人いるそれぞれにロイヤルガードが一個小隊割り当てられているに過ぎない。
客観的に見る今回の動きは、規模からも軍全体のものに間違いなかったし、だとすれば、その指揮をロイヤルガーディアンがとっているのは不自然なんだが……
「リュシオン隊よりご報告申し上げます! ケープスフェローで目撃情報のあった
伝令の報告を聞いた俺は眉をしかめる。
偽ルカキスとはいったい何の話だ?
王都ではそんな話が持ち上がっていて、軍を上げてそれを捜索しているとでもいうのか?
そんな疑問を抱く中、伝令が話した最後の言葉に俺は思わず耳を疑った。
「ルカキス様、報告は以上になります!」
ルカキス……だと!?
伝令の前に座しているロイヤルガーディアン。あの白銀の鎧兜の中身が、ルカキスだというのか!?
魔王討伐の恩賞としてロイヤルガーディアンに任じられることは、過去の例からもあり得ないことじゃない。そして、偽ルカキスという呼称が示す通り、自身に関わる内容なら、異例とはいえロイヤルガーディアンがその指示を出すポジションの一角を担っていても不思議ではなかった。
だが、あのロイヤルガーディアンが、ルカキス!?
そんなことはあり得ない!
俺は心の中で、即座にその考えを否定した。
俺たちエルフはその個体に宿るエネルギーの一端と呼べるものが見える。オーラとも呼ばれるそれは肉体を覆うように溢れ出ていて、個体ごとに漏れ出す色や形が違っている。
体調や歳を経ることで変化する部分もあるが、絶対に変わらないポイントがあり、そこが外観に依らず対象を認識する1つの手段になっていた。
また、エルフは臭覚などの器官が人より数倍優れていて、それを含めた複合的な判断から顔を見なくても個体のほぼ完全な特定が可能だった。従って、鎧兜を着こんだくらいでエルフがその判別を違えることはあり得ない。だから俺は、この部屋にルカキスはいないと思っていたのだ。
しかし、あの伝令がその名を口にした以上、ロイヤルガーディアンという立場を考えても、そこにいるのは俺の知るルカキスでなければおかしかった。
だが、あのルカキスと呼ばれたロイヤルガーディアンからは、俺の知るルカキスの臭いがしない。俺の位置からはかなり距離があったし、他の兵たちの臭いも混じっているせいで、それだけで判断はできなかったが、あのロイヤルガーディアンがルカキスでないと断言できる理由はその纏うオーラにもあった。
最初見た時、不気味にも感じたロイヤルガーディアンのオーラは、非常に分かり易いものだった。稀にオーラがあまり出ていない者を見ることもあったが、ロイヤルガーディアンのオーラは皆無と言っていいレベルだったからだ。
兄とセレナに何かあったと思われるように、ルカキスにも何かの異常が生じているのか?
だが、とまどう俺が深く考える余裕はなかった。仕切られた幕の奥から、声がかかったからだ。
「報告ご苦労でした。オークリーク周辺は、それで全ての町や村の捜索を終えたことになりますね。では、リュシオン隊はそのままマテリアルへ赴き、今後はその周辺の捜索に当たってください。それと、途中ナトミーナ周辺の捜索に当たっているジャングリート隊に伝言を――」
「はっ!」
「既に捜索したあとかもしれませんが、ソウルキャリバンという小さな町に暮らすチョピンという者について、何か情報がないかを詳細に探るようにと」
「チ、チ、チョピンでありますか?……かしこまりました。では、これにて失礼致します!」
そのやり取りを聞きながら、俺は声の主に思い当たっていた。
その声をそれほど多く耳にしたわけではなかったが、その響きと共に伝わってきたものが、幕の裏にいる存在が誰なのかを俺に教えてくれた。
報告を終えた伝令が退室したのを合図に、その存在が幕の裏側から姿を現す。
フロアを滑るように歩き、ルカキスと呼ばれたロイヤルガーディアンの脇に立ったその存在は、その背に纏う後光もまばゆい明らかに人と隔絶された姿をしていた。
女神ノエル……
魔王討伐を助力するため天界より降臨し、兄の命を救ってくれた存在。
魔王無き今、この地にいる筈もない女神が目の前に現れたことに、しかし俺はそれほど驚かなかった。違和感を覚える様々な出来事。もし、それに女神も絡んでいるとしたら不思議はない。そんな予感がしていたからだ。
「あの者が実際この国にいるとすれば、もっと容易に見つかる筈です。あなたのように、そんな希薄なオーラを纏ってはいなかったのですから」
「…………」
女神が語りかけても、ルカキスは正面を向いたまま言葉を返すこともない。だが、女神は構わず言葉を続けた。
「あれが陽動だったとは思えないですが、逆に良い口実になったのかもしれません。懸念していた動きも見られないようですし、無視して次の段階に進んでも良いのかもしれませんね……」
そんな、意味の分からない言葉を口にする女神と、沈黙を保つ不気味なルカキス。
俺の考えていた、すべての疑問を解き明かす絶好の機会が訪れたにもかかわらず、しかし俺はそれを実行に移す勇気を持てなかった。実際目にした状況が、想定していたものとあまりに食い違っていたからだ。
ルカキスはもとより、兄の命を救ってくれた感謝してもしきれない女神を目の前にしながらも、なぜか俺の胸には言い知れぬ不安が渦を巻く。
これは俺1人が動いたところで、単純に解決できるような問題ではないのかもしれない……
自分の想定にない、異常事態が起きていることに気づいた俺は、ルカキスを問いただすのを諦め1度出直すことを決めた。
一歩、そしてまた一歩と、扉に向かって進んでゆく。
しかし、その時、向かう先にあった出入口の扉が大きく開かれた。入って来たのは元々室内の扉脇に控えていた魔法使いだった。
見つかる筈もない俺の捜索はついに打ち切られたのだろう。叱責を受ける覚悟で入室してきた魔法使い2人の表情は暗く、うつむき加減だった。
だが、2人の入室は俺にとって非常にまずいタイミングだった。幻術で姿を隠していたとはいえ、2人は俺のすぐ目の前を通過することになるからだ。
先に立つ魔法使いの1人は、俺に気づかずそのまま行き過ぎてしまった。おそらくどう言い訳するかを迷っていたのだろう。周りに注意を払う余裕が一切感じられなかったからだ。
しかし、後ろに続くもう1人は同じく消沈を装っていたが、報告をもう1人に任せているせいか、少し気楽な感じに見えた。
出入り口が閉まると同時になぜか俺の方を向いたその魔法使いと、俺の視線が重なった。
いや、俺の姿は見えていないのだから、それでも相手は気づいていない筈だった。だが、あまりに近くにいた俺の気配は誤魔化せなかったし、魔法使いならディスクローズを使わなくても、間近の魔力反応に違和感くらい覚えて当然だった。
「そ、そこに誰かいるぞ!」
魔法使いはそう叫ぶや否や、マジックイレイスを放ってきた。それは俺のインビジブルが確実にキャンセルされることを意味していた。
マジックイレイスは特殊な魔法で、単独では存在しない魔法でもある。
インビジブルを覚えれば、マジックイレイスでそれを消せるようになるという風に、対として身につく魔法なのだ。
但し、魔法陣に作用するため、具現化したあとのアクティブ系の魔法には効果がない。主にその標的となるのは、身に纏うのが主となるパッシブ系の魔法に対してだ。
インビジブルなどの常時発動魔法は、展開している魔法陣から魔力供給を受けながら効果を保っている。マジックイレイスはその供給を停止させる魔法なのだ。
そして、限定的な効果しかないかわりに、絶対に回避できないという特性を備えている。その直撃を浴びた俺は、またもや姿をさらしていた。
「侵入者がいるぞ!」
「少し、目の離れた奴だぞ!」
「取り押さえろ!」
発見された俺は出入り口へは向かわず、女神の立つ場所に向かって駆け出した。
周りに控えていた兵士たちも一斉に俺へと詰め寄り、そこに魔法使いの魔法弾が飛んでくる。
そんな光景を息を潜めながら見送った俺は、素早く無人になった出入り口まで移動する。部屋の奥で囮になっているのは、もちろん俺が作った幻影だった。
またもや姿を消してやり過ごした俺は、部屋の奥で上がる喧騒を無視して扉のノブを掴んだ。そして、扉を開こうと力を込めたその時、しかし俺の右手は何者かに掴まれていた。
身の危険を感じた俺は、即座にその手を振りほどくと(実際には振りほどいてはいないのだが)後方へ飛び退いた。いつの間にかそこには何者かが立っていたのだ。
「なるほど、巧みな幻術の使い方をしますね。でも、私の前でそれが本当に通用しているとでも?」
言いながら微笑を浮かべるその存在を見間違える筈もない。俺の前に立っていたのは、その後光の輝きもまばゆい、女神ノエルに他ならなかった。
部屋の奥にいた女神が突如目の前に現れたことには、動揺こそあったが驚きはなかった。おそらく転移してきたのだと思われたが、俺は実際に女神が転移魔法を使うのを見たこともあったからだ。
それより俺が驚いたのは、俺の身に付ける装備品の効果だった。あらゆる物理攻撃を防ぐと言われるミラージュベルト。攻撃というより、相手は俺を掴もうとしただけだったが、それを完全に防いだ事実は、この性能が神にも通用するという驚異的な事実を裏づけていた。
――ミラージュベルト大好き――
俺は自らが抱き、増大しそうになった思いを素早く掻き消した。こんな場面で、その性能の凄さにテンションを上げている場合じゃなかったからだ。
ミラージュベルトの効力に驚いたのは事実だが、そもそも俺が『好き』に『大』を付けることなんてあり得ない。従って、その思いを掻き消すという心の葛藤も、まったく必要ないことだったのだが……
このくだりは、本当に俺の回想の一部なのか?
そんな疑問を抱きつつ、しかし欲を言えばもう少し有効なタイミングで、ベルトが効力を発揮してくれればとは思っていた。
あらゆる物理攻撃を無力化できるミラージュベルトは、1度その効力を発揮すると一定時間効果を失い、ただ趣味の悪いベルトに早変わりする。
ベルトの効果を知らない狼人族に「よく、そんな趣味の悪いベルトをつけますね」と指摘されたこともあったが、それには俺も確かに同意する。もう少しバックルがその主張を控えてくれればと、残念に思ったこともないわけじゃなかったからだ。
……それはともかくとして、女神の捕縛から逃れることはできたが、その特殊フィールドの影響は避けられなかった。
女神の周りに広がるフィールドが及ぼす影響を、俺は以前目にしている。その時のサウザンド・ビーストウルフは、体内に取り込んだ瘴気を剥奪され、野生の狼に戻っていた。
おそらくそのフィールドの影響は、あらゆる付加効果を取り除くものだと思われた。そのせいで、俺にかかっていた幻術はそのすべてが解除された。
再度姿を消して抗うこともできたが、女神相手に小細工が通用するとは思えない。覚悟を決めた俺は、そのまま相手の出方を待つことにした。
「どうやらあなたは人間ではないようですね。獣人でしょうか? それとも……」
女神は目を凝らしながら、俺の素性を当てるのを楽しんでいる。本気を出せば容易に看破できる筈なのに、敢えてそうせず、少ない情報量からの推論推察だけで答えを導き出そうとしていた。
その姿はまるで猫が獲物を弄ぶようであり、それを裏づける愉し気な表情がそこには浮かんでいた。
逃げられないことを悟った俺は、自ら変装を取り払って素顔をさらす。途端に周りからは「エルフだ!」という声が上がり、続いて激しい罵声が浴びせられた。
現在パルナから排斥されているエルフが無断で王都内、それも王城にまで立ち入っている事実。更には自分たちの上位者、女神の傍にあって、危害を及ぼす可能性がある状況。
それに気づいていきり立った兵たちは、一気に俺の方へ押し寄せてきた。
囮になっていた俺の幻影は、魔法使いの攻撃で既に霧散していた。そして、真っ先に駆け寄った兵が俺に斬りかかろうと剣を抜いた瞬間、女神から声がかかった。
「止まりなさい」
その声は静かでありながら、決して聞き逃すことなく耳に届いてくる。そして、身体に染み渡るその言葉の響きは、聞く者にその言葉がまるで自分の内側から湧き出たような錯覚を抱かせ、抗うことを許さない。
剣を抜き斬りかかろうとしていた兵は即座に敬礼の姿勢を取って、直立不動で動きを止めた。残りの兵たちも同様に気をつけの姿勢で立ち止まり、ピクリとも動こうとしない。その言葉は対象でない俺ですら、その場から後退しそうになるほどの強制力を持っていた。
さすがは女神の力といったところか。ルカキスの言葉にも似たような印象を抱いたが、女神の言葉は更に強力だ。いや、強力というかむしろ強制、或いは洗脳に近いものに感じられた。
兵たちを静まらせた女神は俺にその美しい顔を向け、そこにいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「あと少しで答えを口にするところだったのに、自ら姿を証してしまうなんて。あなたはつまらない性格をしていますね」
「どのみち、あなたの前で隠し通すことなどできはしない。それに女神、あなたにはお聞きしたいことがある。俺のことを覚えてくれていれば話は早いのですが……」
こうなれば知りたい情報を女神から聞き出すしかない。そう腹を括った俺だったが、話しながら強いプレッシャーも感じていた。
それは女神が相手を威圧するために放っているものじゃない。女神自身は意図せずとも、その身から自然に漏れ出る下位種族とその遥か上位に君臨する神とを隔てる大きな壁。その本質の差が本能的に畏怖の念を抱かせる。
「あなたは確かズレハの森に住まうエルフでしたね。魔王となった狼人族ゾーンバイエの生まれ育った森のエルフ。そして、人やあなたたち一族を裏切り、魔王の側に立った反逆者アグアの血族――」
「ち、ちょっと待ってくれ!……いや、申し訳ありません。言葉が過ぎました。ですが、その真偽を確認するために俺はここまでやってきたんです。噂にあり、そして今あなたの口から語られた話。女神よ、それは事実なのですか!?」
俺の問いに対し、女神はその涼しい表情を崩そうともしなかった。
「私が嘘をついているとでも?」
「め、滅相もありません! あなたが天に住まう神々の1人であることも、そしてその言葉に疑いを挟む余地など微塵もないことも、十分に理解しています。ですが、我が兄アグアがエルフを裏切り敵方に寝返ったなどという話も、私には俄かに受け入れられないのです! 我が兄のこと、おそらくそうせざるを得ない事情があったことだけは私にも理解できますが、その詳しい経緯が想像もつきません。女神よ、エルフ風情のたわいもない存在である私に、もし叶うなら一片の情をお掛けいただき、そうなった経緯を何卒教えてはくださらないでしょうか?」
俺は言葉を選びながら、思いの丈の一端を綴った。そんな俺の願いに対し、女神は慈愛に満ちた笑顔で快く応じてくれた。
そして、女神は語る。その真相を。
だが、それは俺の求めたものとは、全く違う観点から語られた話だった。
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