第17話 三人称の「主人公」とはどんな人物か?

 まずリストアップしてみます。


 ・厳密な三人称(感情が読めない)

 ・三人称単視点(背後霊型)

 ・三人称多視点(ザッピング型)

 ・三人称神視点(なんでもあり、強いて言うなら戦記型)

 ・三人称神視点(ナレーター型)


 一人称の「僕」の次は、三人称の「主人公」です。

 これは、一見すると分かりやすく見えます。なぜなら最初に描写された男(あるいは女)が主人公だと分かるからです。第三者視点で語るので、主人公の描写も、ヒロインの描写も、非常に簡単です。作者が書きたいだけ詳しく書けばいいのです。赤毛であろうと、ターバンを巻いていようと、マントを羽織っていようと、青い髪であろうと、暗視ゴーグルを頭の上に被っていようと、まったく問題はありません。



 しかし、問題は心理描写です。厳密な三人称では、基本的に主人公の心理も、ヒロインの心理も、外見からしか語れません。たとえば「頭痛を抱えていた。」と断定するのは、本来NGです。「頭痛を抱えているようだった。」ならOKです。なお本当に厳密な三人称を目指すのであれば、「彼は~と思った。」のような表現は使えません。心の中が読み取れないのが三人称なのです。「彼は~と思ったように見えた。」はかろうじてセーフ。


 とはいえ、「思った。」等の表現が使えないのはかなり辛いので、特定の人物にだけ許す、という方針もあります。これは背後霊として憑依したような書き方で、一人称モドキです。「三人称単視点」などと呼ばれたりします。これは比較的使うのが簡単で、三人称小説の大部分はこれに含まれます。

 一人称での「私」を「主人公」に置き換えると、だいたいこのような形になります。ということは、これもまた難しい問題ですが、一人称の制約(主人公の見ていないもの、感じていないものは書けない)もそのまま引き継いでいるといえます。

 次話「アルシャマとカリュカ(三人称単視点)」も参考にしてください。



 もっとゆるく、全員の心が読めるような、ザッピングのような書き方はどうでしょうか? これを、「三人称多視点」といったりしますが、これはかなりの確率でNGです。なぜなら、視点が統一されていない、まるきりずぶの素人が書いた文章と判断されることが多いためです。

 とはいえ、主人公がいないシーンの描写には三人称を使わざるを得ません。この問題を解決するにはどうすればよいでしょうか? 小説を書く者としては、もっともな疑問です。


 カクヨムでは、この問題を避けるために「side使い」が現れています。なるほど、文章と文章の間に明白な章分けがあれば、「三人称多視点」もある程度許容されることがあります。その話だけ主人公(背後霊としての憑依先)が変わる、という形です。

 しかし同じシーンを何度も繰り返すところまでいくと、さすがにやりすぎで、読者は混乱してしまいます。重要なのは、いかに読者に混乱を与えずに視点を切り替えるかです。「三人称多視点」で、視点がうまく繋がった時には、まるで映画を見たかのような良い読後感を与えることがあります。



「その日その時、誰にも見つからずにステルス戦闘機が飛んでいた。」「後世の歴史家によれば、それはまさに奇跡的な偶然であった。」みたいなのは「三人称神視点|(なんでもあり)」などと呼ばれます。視点や時空を超越した記述で、ジャンルとしては戦記物などでおなじみです。

 神視点というだけあって、非常に広い範囲を精密に描写できるため、軍事的事実などを淡々と語る際に活躍します。また、その際に


 彼はついに自分の飛行機の前に立った。その心臓は早鐘を打ち、全身の毛穴は開き、心は歓喜に打ち震えていた。これは僕の飛行機だ。これは僕だけの飛行機なのだ。僕だけの! 彼の思考は明らかに独占の愉悦を味わっていた。


 などと登場人物の心境をも完全に見透かして語れるのが、この形式の強みです。


 ですが、感情移入という点では、一人称>>>三人称単視点>>>厳密な三人称>>>三人称神視点です。兵器などの描写がしやすいというだけで、三人称神視点が別段に優れているわけではありません。


 あるいは、話の終わりに、ドラマで言うナレーターを登場させるような使い方もできます。拙作『白の魔王ウォレスの憂鬱』からですが、「ウォレスのこの予言は、後にある意味で当たり、ある意味で外れることになる。」これも「三人称神視点(ナレーター型)」の一つです。



 厳密な三人称。これは難しいです。

 もし、厳密な三人称を目指すのであれば、主人公は、何らかの事件に巻き込まれる必要があります。ハードボイルドモノだと、無言でも無愛想でも何でもいいから、無茶な依頼を引き受けるところから始まります。ミステリだと、死体の第一発見者だったり、探偵の助手だったりします。

 そういう風にして事件に巻き込まれて初めて、主人公が積極的に行動を起こせます。そしてその行動の描写を通じて、読者は主人公の人格を推測し、それに共感していくというのが厳密な三人称の構図です。

 以下がその例文ですが、作者もいまいち自信がありません。


 彼はトレンチコートを着て、薄暗い酒場のカウンターで一人バーボン・ウイスキーを飲んでいた。季節は冬であったので、コートを脱がない彼を不審に思う客はいなかった。いかつい顔に無精髭。彼は電子タバコを取り出してまずそうに吸った。それで彼が禁煙をしていることが、決して本物のハードボイルドなタフガイではないということが見て取れた。彼は氷と水で限りなく薄めたバーボンをほんの少しだけ飲んだ。まるで依頼の前に酔うわけにはいかない、とでもいうふうに。あるいは探偵屋として、彼がこれまでに得た教訓はたったそれだけであったのかもしれない。

 人生の真理に匹敵するだろう教訓をもう一度繰り返そう。依頼の前に酔うわけにはいかない。だから彼は酒場に来ておきながら、いつもいつも酔いはぐれていた。彼はおそらく一度も本当に酔ったことがなかったし、それでもいいと諦めてもいたようだった。私が知る限り、彼は格好をつけるための酒と煙草よりも、なによりビジネスを優先した。彼はそういう律儀な男であったから、探偵屋などという胡散臭い看板を掲げていても、なんとか食っていけるだけの依頼が舞いこんできているようだった。

「あなたが、ミステリーボイルド社の、探偵の方ですかな」彼に声を掛ける初老の男がいた。

「そうだ」彼は短く低く答えた。

 彼は名乗るということをしなかった。ただ一言で、全ての身分証明が済んだのだから、あとは煮るなり焼くなり好きにしろ、とでもいわんばかりの横柄な態度だった。初老の男は何か言いかけて、それを止めた。自己紹介は不要だった。初老の男は、彼がもう、依頼の話しか、ただそれだけしか受け付けないのだということを悟ったようだった。初老の男はゆっくりと、言葉を選ぶように、依頼の内容を話し始めた。

 無口な彼のかわりに、私が読者に彼の名を明かそう。彼の名はヴァン・ハード。その名から、彼が祖先にオランダの血を持つことが、あのベートーヴェンやゴッホと同じvanの姓を持っていることが分かる。彼にはきっと、芸術家になるという手もあったはずだ。十分にその才能があったはずだ。だが彼は栄光でも勝利でもなく、ただ純粋に小さな人助けを好んだ。神殿の一番上の石になるのではなく、一番下の石になることを選んだ。探偵というまるきり儲かる見込みの無い仕事を、彼はたった一人で黙々とこなしていた。ただ黙々と。そう、それが、それこそがヴァン・ハードという男の全てだった。


 そういう意味では、一人称と厳密な三人称は完全に別モノです。昨日まで一人称を書いていた人が、明日から三人称を書けるようになる方法は存在しません。その逆もしかり。

 自分がいまどちらを書いていて、どちらのほうが書きやすいか……そこから、一人称使いと三人称使いの道が見えてきます。

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