澄んだ瞳の少女
青い光が消えた感覚がして、三人は魔界とは違う風を頬に受けながら目を開いた。
膝より少し低めの雑草が揺れていた。右手には、川が流れていた。さらさらという音の先を目で追うと、灰色がかった空と合わさっているのが見えた。
「この河原……さらわれた場所だ」
「ここで?」
「僕の呪文、ちゃんと利いたみたいだね」
『ちゃんと?』
「実際に使うのは、初めてだったから」
三人は黙り込んだ。厳しい修行を積まされたことには自信があるが、三人とも実際に誰かと戦ったことはなかったからだ。
ダイチが鞘からレイピアを一度抜いて空を斬り、素速く戻した。
「今魔神が来たとしたら、刃を向けることができるだろうか……」
「ああ、そういえば、使いのパンドラさんを探さないと」
不安を和らげようとハヤテが言った。
「そ、そうだな。どこにいるんだろう、……!」
ショウは邪悪な気を一番に察知して目を見開いた。
「何かが、こっちを見てる!」
『その通り』
三人が見回すと、七歩ほど後ろに人……黄土色の細い身体に金の腕輪と足輪が光り、切れ上がった眼、尖った耳、水に浸したように広がる銀の髪、深紅の羽衣からどう見ても人とは言い難いが人型として……が低く浮かんでいた。
「私は魔天空神(魔神)様が使い、幻術士ガストマン。君達がお探しの魔天王使なら、ここにいますよ」
犬の鳴き声がけたたましく響いた。後手からガストマンは逆さ吊りの犬を三人に差し出して見せた。犬はもがき苦しんでいる。
「このあたりでよく見る、犬の姿に変えさせてもらいましたがね」
『ルー=パンドラ!』
犬は耳を立てて反応した。
「つまりあなた達はこいつがいなければ、魔神様への道しるべすら知らずして、ここで死ぬということ、ふふふ」
パンドラを助けなければ、という思いが三人の頭の中で同時にうかんだ。
「うるさい!」
最初に動いたのはショウだった。叫びながら左腕を振り上げる。草木が波打ち、そこからわき上がった緑の光が、丸まっていって――
「緑の草々よ、力をこの手に!
『妖術緑爆弾!』」
大きな氣球が炸裂する。
『ドガウゥ!』
爆音が響き、両腕で受け止めたガストマンが煙の中から現われる。
「これぐらいで私が倒れるとでも?」
「思ってないですよ!―― 隙だらけですね!」
「!」
ショウの攻撃の間にダイチが駆け出していたのだ。ガストマンの二言目はレイピアで身体ごと切り裂かれた。
「ぐわあっ!」
「ハヤテ、頼むぞ!」
「わかった!――炎の精霊ファバーン、」
ショウの声で、一番後ろにいたハヤテが杖をガストマンに向けて呪文を唱え始める。
「神聖なる蒼き炎で、悪の手先を焼き払え!
『ブルー・ファイア』!!」
真青な炎が一直線に伸びる。
「く、くそう、ままま『魔幻術』!」
ガストマンが必死で繰り出した氷の壁の幻影が、間一髪で出来上がり、青い炎はそこで破裂し、
『バアアン!!』
全員を跳ね飛ばした。
「くっ、」
『うわあっ、』
「キャイン!」
いや、正確に言えばもう一人、通りすがりの人が巻き込まれた。
赤い自転車に乗っていた少女は、いきなり衝撃を受けて堤防の上からハヤテたちのいる草の茂る河原へ転がり落ちた。
『きゃああ!』
幸い柔らかい緑の地面が強打から彼女を救ってくれたが、
「派手にやりやがってえ……」
「もう一回できるか、ハヤテ!?」
「うん、……天を漂う雷精ティライトよ! 悪の手先に
『サンダー』!」
まばゆい光が、そして何かの轟音と断末魔の叫びが、彼女の五感を刺激し、
『ドオオン!』
『ギャアアア!!』
さらに呪文を唱え終えてふとこちらを向いた少年の瞳とゆっくり開いた瞳が合ってしまった。
『!』
ハヤテは動けなかった。見知らぬ人間に今の戦いを見られたことと、彼女の瞳があまりにも澄んでいたことから。
澄んだ瞳の少女は、一度瞬きをしてもまだ今起こった事が埋解できないからか、ハヤテから視線をそらさなかった。
焦げくさい臭いが風に紛れて消えようとしている。
『見られた』
三人が同時に少女を視界に捕えた。とくにハヤテは見つめられているので、どう対応すればいいのか戸惑い続けていた。
「ごめんごめん、ちょっと爆竹を使い過ぎちゃって。ケガはない?」
ショウが張り詰めた空気を破った。少女はハヤテから目をそらし、まとわりついた草をはらってからショウを見て、
「ええ、大丈夫よ。何をしてたの?」
と聞き返してきた。
「オレ達、『創作劇』やってるんだ。その練習さ」
「そうなの。……あ、あの犬は君達の?」
犬は尻尾をふって少女にかけ寄って来る。
「あああパンドラっていうんだ。そうだ、ちょっとそいつ、あずかっててくれない? オレ達、着替えて来るから」
「うん、いいよ。……パンドラ、よろしくね」
「ワン、ワン」
「ハヤテ、ダイチ、行こう」
とんとんと話が進み、きょとんとしている二人をショウは草かげまで引き連れていった。少女が犬と遊んでいることを確認して、
「なんとかごまかせた……」
ショウはへたりと座り込んだ。
「いいか、ハヤテ、ダイチ、今は劇の練習であの子を信じさせてるから、」
「劇って?」
ダイチが口を挟む。
「自分らで色んな話の役とか演じるのを見てもらう、ってやつ。それで、地球の服の幻影を見せて、さよならだ。ハヤテ、呪文で」
「……多分、あの人にはいつかばれるよ」
「んなこと言ってる間に、早く!」
「あれほど、澄んだ瞳をした人は、……初めてだ……」
「どっちにしても、この場をやり過ごすならば、この装備やらを隠さないといけないのでは……」
ダイチの声に渋々、とハヤテは呪文を唱えた。
「風の精霊シルフよ、ひとときの幻を少女に与えよ……
『ウインド・メイクス』」
三人の身体が淡い光で包まれた。これで少女からは、少女が普段見ている姿の幻を見せることができる。
「ありがとう、自転車も大丈夫みたいでよかった」
ショウが先に走って、少女の自転車を起こした。
「パンドラって、かわいいね」
少女は犬を抱き上げていた。後から来たハヤテに犬を渡し、自転車を押しかけて、
「劇の練習って、またやるの? よかったら、またパンドラを連れて来てほしいなぁ、あたしこの先のアパートに住んでるから、ほら見えるでしょ」
と一気に喋りかけてきた。
「え、ああ……。次はいつにするか、決めてないけど」
「それじゃ、またね!」
少女は自転車に乗り、走り去った。河原から上がり、向こうに見えるアパートの陰に入ったようだ。三人はようやく安心できるようになった。
「これから……僕達、どうするの?」
しかしハヤテの悩みはまだ尽きない。毎回人に会う度に、幻を見せる呪文を唱えなければならないのかと思っていた。
「そうだな……こいつも、犬になっちゃったし」
楽観的なショウもこれだけは、といった感じだ。ところが。
「先ほどは……助けて頂いて、ありがとうございました」
『しゃべった!』
なんとパンドラがしゃべりだした!
思わずハヤテはかれを放り投げてしまった。犬(ルー=パンドラ)は二回転して見事に着地した。
「な、投げ飛ばさないで下さい! ……ガストマンがかけた術が、半分解けたんですよ。姿はこのままですが……なんとか使命は果たせそうです。
あらためて、私が魔界空天王、ギルファー・レビン様が第一使、また魔界に数少ない清明なるルー族の末裔でもある、ルー=パンドラです。……魔天王様の御命を叶えるために、尽力したいと思います」
「ということは、さっきは犬の真似をしていたんですね」
「はい、あの少女に感づかれないように」
パンドラはダイチに答えて続ける。
「魔神は地球のどこかにいます。まず邪悪な気を捜さなければなりません。その為の、滞在地も用意しているんですが、……」
パンドラは前足で頭をかいてその先を濁した。
「君達だったの? 今度一か月くらい住むって言ってた、菅理人さんの親戚って」
三人が滞在するアパートの隣の部屋は、少女……
「山根 昇です、よろしく。あ、こっちは、滝川 隼風と、東田 大地」
パンドラが予め準備していたので、三人はひとまず落ち着くことができた。ただし、いきなりガストマンが現われて倒した事と、マユミに出会った事、二つの予想外の出来事が終ったうえで。
特にマユミは、タ方にも三人(と一匹)に食事を用意してくれた。三人は色々な話をしながら、彼女の周りを知ることができた。
「私、お母さんが小さいときに病気で死んでから、お父さんとここでいるんだけど……お父さんは私のためにいつも遅くまで働いてるから、」
そんな少し寂しい一面も知った。
しかし、彼女はそれをものともせず誰にでも優しかった。先刻ハヤテが『澄んだ瞳をしている』と言ったように、マユミはこれまでに出会ってきたものの中でもあまり見られないほどのまなざしを持っていた。
「じゃあ、また明日ね!」
彼女が帰って、三人と一匹は居間に集まった。
「邪悪な気は、ハヤテ、あなたが持って来た水晶球で見つけられると思います。三人の力を合わせて捜して下さい。その間、くれぐれも自分の能力を下げることのないように鍛錬を欠かさず、また一般の地球人に正体を知られないようにして下さい。地球の服装一式は、この部屋に用意してあるので」
パンドラの説明を聞いた後、ショウが口を開いた。
「今は、何月何日だ?」
「えー……地球の
「夏休み中、か……それと、ここは住所で言うと日本のどの辺なんだ?」
「それは……」
パンドラはわからないといった感じで頭をふった。
「みなさん、今日はもうお疲れのようですし、お休みになられては」
「そうだな。ゆっくり寝て、明日からしっかり動けるようにしよう」
ダイチが先に立ち上がり、奥にある寝室へ入って行った。ハヤテも続いたが、ショウは何かを考え込んでいるようだった。
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