異世界の三人

 朝が来たようだ。朝日らしい光が、ゆっくりと乾いた大地に立つ少年の姿を照らし、影が伸びてゆく。

 少し汚れた麻地のシャツに、大きめのズボン。手首や膝下に巻きつけた皮紐の擦切れ方が、少年の運動量を物語っている。

 少年は広大な大地の果てにある朝陽に杖をかざす。杖は木製で、持つ所に布が巻いてあるが、上には磨かれた碧い珠がはめ込まれている。

 その珠が輝いた瞬間、深紅の炎が大地を走る。少年は杖を地面に刺し、大きく息を吸った。

「ハヤテ」

 その時、少年の後方に建つ小さな丸太小屋の戸が開いて、老けた男が身を半分出して少年の名を呼んだ。

「来い」

 ハヤテ少年が小屋へ戻ると、男は戸を後ろ手に閉めて、中にあるテーブルを指差した。

「そこに支度がしてある。服を着替えて、すぐに天王神殿てんのうしんでんに行け」

 テーブルにはきれいにたたまれた緑系色の服と、何か物を詰めた革袋が置いてあった。

「て、天王神殿?! どうして?」

 ハヤテは男を見た。男は頭を掻きながら、

魔天王まてんおうが、お前を呼んでいる」

と言った。

「ま、魔天王……魔界空天王まかいくうてんおう様が?!」

「そうだ。おまえがここに来てから三年、できる限りのことをおまえに教えたのは、この日の為、だった」

 男は側にあった椅子にどしりと座る。少し埃がたつ。少年は、いままでの厳しい修行の日々を思い返す。しかし、それより前のことは、なぜかぼんやりとしていた。

「ハヤテ聞いてるか」

「ジン……本当なの?」

 我に返ったハヤテが顔を上げても、

魔導師まどうしが嘘をつくと思うか?―― 真実を三年間、隠してはいたが」

 ジンはまた立ち上がり、

「早く行くんだ」

 と言い捨て、小屋を出ていった。

「……」


 ハヤテ少年が砂の風にまぎれて消えてゆくまで、魔導師ジンは彼の背中をじっと見ていた。

「魔天王ギルファーよ……わしに見えるは、三年前と何も変わっておらん。……あなたはだと言ったが、今もは曇っているぞ……」



 早朝、街のはずれにある石畳の広場では、金属のかち合う音が大きくなってきた。

 ここは、戦士をめざす少年たちの試練場。少しはねた音がして、鉄の剣が石畳を滑る。

「まいった!」

 皮の軽装をした少年が、その剣を拾い上げる。

「前にもまして力をつけたね、ダイチ」

「ありがとう、でもまだフレッドほど戦術を考えながら、ではないですよ」

 ダイチと言う名の少年は、大型の鉄剣(グレート・ソード)を片手で軽く振り回しながら、返事をする。

 少年達の喧噪が、突然とだえた。間合いを詰めていた若い剣士たちが、広場に進み入る人――この場には似合わない、細身の女性を見つめる。

 ダイチは背後に気配を感じ、素速く剣をかまえて振り返った。ガチリ、と鉄の音だけが響く。

「ダイチ……ですね」

「――あなたは?」

「魔界空天王ギルファー・レビンが第二使、サリシュ=ナーシャです」

 ダイチはすぐ剣を直し、片膝を地に付ける。

「失礼しました、御無礼をお許し下さい」

 しかし彼女の方は、礼はいらないと合図して、ダイチと目の高さをあわせた。

「正装を施し、すぐに天王神殿に来城して下さい。魔天王様が、あなたを呼んでおります」

「え……」

 ダイチは頭を上げた。相手の顔はローブで覆われているうえに、まぶしい陽の逆光で見えない。

「それでは、頼みましたよ。……急いでおりますので、失礼します」

 彼がその伝言を守らないような少年ではないことが、すでにわかっているかのように、魔天王の使いはふつふつと呪文を唱えた。

「風と時を渡る精霊ウィ・オークよ、この身を南へ!

『ムーブ』!」

 そして、使いの姿が完全に消えた後、広場のざわめきが戻ってきた。

「ダイチが、魔天王様の使いから……」

「直々の御命を……」

 まわりの剣士達が彼の名を口にするなか、ダイチ自身はやっと、さっき手合いをしていたフレッドにかつがれて立ち上がった。

「魔天王様が、僕を、お呼びになっている……?」



『南へ移動する』呪又を唱えた魔天王の使い、サリシュ=ナーシャは、南の町外れに現れ、すぐ目的の地へと歩きだした。朝市の活気ある声が、背中に届く。一つ裏の路地に入ると、うってかわって静かになる。ナーシャは知り尽くした道を進む。

 灰色の石を積み上げた、みるからに陰湿な建物が見えてくる。入り口には鉄の扉がぴたりとはめ込まれていて、重強な錠がかかり、それと同じくらいの鉄の装備をした兵士が、誰とて入れぬような様相で見張っている。彼女が兵士に近づき、二言ほど何かを話すと、兵士はすぐに扉を開け、手厚く中に案内した。

 中は涼しい。ナーシャはマントを揺らして、小さな階段を降りた。踊り場に、木の槍が転がっていた。……様子がおかしいと即座に感じた。いるはずの番兵が、姿を消している。

 予感は当たった。

「来たな、魔天王の使い! これでもくらえ!

『妖術閃光弾』!」

 少年の叫びが終らないうちに、奥から強烈な光が轟音とともにせまってくる。外からの光が、糸になって編まれ、奥に連なっていた。

(光の妖術を、こんな場所で?! ……でも、)

 ナーシャはすぐに、両手を前に出して広げた。

「むんっ!」

 光が手のひらに吸い込まれてゆく!


 風が通り抜けた後、ナーシャは冷や汗をぬぐわずに叫んだ。

「おとなしく出てきなさい! なぜここにあなたを閉じこめたか、よくわかっているでしょう? この地下では、まともに妖術は使えないわ!」

 使いは黒く光る石を握っていた。

「魔王石かっ……くそっ……汚ねえやつらだ」

 少年は石床をけとばした。ぼろぼろの麻の服をまとっているが、左手にはめた黒い手袋と七種の石の環、肩にかけた淡いピンクの帯のようなものには手入れをしているようだ。

「光の力だけじゃないぜ。わずかな風でも、この壁の石からでも、お師匠さんに教えられた妖術をひねり出して、いくらでもあんたにぶつけてやる。……魔天王の使い、”ナーシャ”」

 少年は、まだ名乗っていないナーシャの名を当てた。

「そこまでは、しないでしょう?」

「何だって?! バカにするな!」

「ヤマネ・ショウ、あなたはのですから」

「……くっ……」


 ショウという名の少年は、しぶしぶ七種の石の環を手袋に折り込み隠した。それを確認してから、ナーシャは背を向ける。

「天王神殿の場所を教えます。魔天王が、あなたを……を呼んでいます」

 壁にひびが入る音で彼女が振り返ると、ショウが、右手を叩きつけていた。がれきが落ちる。

「ハヤテと……ダイチだろ?」

「……ええ、そうよ」

「オレに、妖術を覚えさせたのが誤算だったな。自然に対する感覚が鋭くなって、ついでに自分に対しても敏感になって――。

 三年前にオレたちをさらって、記憶を抜き取り、『戦法』を教える。オレだって記憶を思い出して、がたがたできないようにこの『牢獄』にぶち込まれることがなかったら、今ごろはいそうですかとついて行ってるとこだったぜ。

 言えよ。

 オレたちを、何に使うつもりなんだっ?!」


「『地球』にかえすつもりです。ただし、魔天王様の御命令を持って」

 ナーシャは先に階段を上った。



「魔法使いハヤテ、戦士ダイチ、そして、あなた――妖術使いのショウ。……あなたたちは、魔天王様からの御命令をうけてから、『地球』に征く……いや、帰すつもりです」

 ショウの足音が聞こえてきたのを耳で確認してから、ナーシャは話を続けようとした。

「元の生活には戻れないんだな。地球でいうなら、オレたちは確か十五才で、中学三年。……その使命を終えたら、どうするんだよ」

 しかし話の調子はショウがつかんでいた。かなり興奮している。

「皮肉な能力ちからだよ。妖術を得ていくと、だんだん、気の流れでおまえたちの考えがわかるんだ……オレたちを利用しなければって気持ちが!

 おまえたちにとっちゃあ、作業だか仕事だかの三年だっただろうが。

 オレたち三人の人生を返せよ! 幸せな、平和な日々を返せよ!」

 しばらく沈黙が二人の間を通りすぎた。返事がないので、ショウが怒りの限界に達して、再び湧き上がった感情を壁に叩きつけようとしたとき、地上からのわずかな風が使いの気をショウのもとへ届けた。

 ショウは敏感に違いを感じ、顔を上げた。

(こいつ……)

 顔を覆ったローブが少し翻り、使いの瞳が見えた。哀しい色をしていた。気の流れと同じ感情だった。

 ショウはそれ以上、何も話さず、再び歩きだしたナーシャを追った。



 魔天王の神殿、魔界空天王神殿(天王神殿)は、まさに全戦士の拠点に相応しい容貌と機能を備えていた。高い城壁の上からは、衛兵が絶えず顔を出し、周囲に注意をはらっている。

 その衛兵の目が、見慣れない姿をとらえた。ぼろぼろの麻の服を着た少年だ。

 ショウが、天王神殿にたどり着いた。彼が番兵に名前を名乗ると、番兵はすでに聞いていたらしく、すぐ他の番兵と合図して、門を開いた。

 石畳の道は城の入口で赤い絨毯に変わる。一階は大広間となっていて、日常の来客も多く訪れている。ショウは身なりの良い何人かと擦れ違いながら、奥にある大理石の階段を目指した。

 幅の広い階段を登りきると、細い通路に出る。ここには来賓や大臣のくつろぐ部屋などがあるようだ。つきあたりには金縁の壮麗な彫り込みをした扉がある。ここが魔天王の広間の入口になる。またショウはそこに立っている衛兵に話をした。衛兵は扉の片方を押し開けた。

 二階から五階のこの広間は、吹抜けになっていて、さらに暗く、夜ならば空との区別がつかないほど天井が高い。今は昼間なので上方の壁にはめ込まれたステンド・グラスが光を多色に分解して磨かれた石床に淡く落としている。

 二、三歩進むと、緑色の炎をともした聖杯が左右に置いてあり、その後ろに天井から大きなカーテンのような物が吊されている。この後ろに魔界を支配する魔界空天王(魔天王)がいるという。魔天王はその姿を、よほどの位を持つ者や使いにしか、見せることがないと言われている。

 そのカーテンと聖杯の前には、すでに一人座っていた。足音に気付いて、人――深い青色の絹のマントを纏った、肩幅の広い大柄の少年――は、一度振向いたが、

「……」

 ショウを一瞥いちべつして前に向き直った。

 彼の左わきには、グレート・ソードと、細身の剣、レイピアが置かれていた。

「ダ……大地だろ?」

 なつかしい背中を見て、ショウは顔を確認しないまま問いかけた。大柄の少年は不思議そうな顔をしてもう一度振り返る。

「たしかに、僕はダイチと言います。ですが、」

 初対面の人に語る口調でダイチは返事した。

「オレだよ、昇だよ! ちっとも、覚えていないか」

「……」

 沈黙が肯定を証明するには十分だった。ショウはどうすれば彼の真実ほんとうの記憶を呼び戻せるか必死で考えようとした。

 閉じていた広間の扉が再び開いた。光が差し込む方を、ショウとダイチは見た。少年の影が伸びてくる。砂じんが舞うのが見えた。最後に来た少年は肩で息をしながら、二人のいる中央へ歩いてくる。マントを右手で掴み、一気にはぎ取った。

「……隼風!」


「君は、」

 驚いた顔で少年はショウを見る。

「やっぱり! ハヤテ、ダイチ、二人とも、無事だった……」

 ハヤテもダイチと同じ反応を顔に示していた。

「僕はハヤテ。今まで、大魔導師ジンとユシトのもとで魔法を学んでいた。……でも、君を見たことがない、はずなんだけど」

 ショウはハヤテの言葉がついえかけた時、立つ力を失い、床に崩れた。一度両腕を叩き付けて、つっぷしていた。三年の時を経て再び集った三人は、架空の親友として同じ空間に立っていた。


 ショウの震えが止まった。自分よりはるかに強い気の流れを感じて、怖れに近い注意をはらった。聖杯の炎が知らないうちに消えていて、カーテンの向こう側が輝いている。

「よく来た、三人の選ばれし戦士たちよ」

 重く低く、力のある声が三人を包む。

「まず初めに、この事を伝えねばならぬ。お前たちは、魔界の人間ではない」

『!』

 ハヤテとダイチは息をのんだ。ショウは魔天王のの大きさに圧倒されている。

「お前達は、『地球』という世界で十二年生きていた。我が使いに、素質ある人間を探せと命じ、」

「オレ達を、さらった、訳ですね」

 ショウのぎこちない敬語が挟まれる。

「そうだ。そして地球での記憶を封印し、魔界人だと暗示をかけて、それぞれの能力を育てさせた。

 ハヤテは、魔導師ジンとユシトの下で魔法を。

 ショウは、古語導師(アンシェント・ワードマスター)リラ=レイの下で妖術を。

 ダイチは、聖騎士(パラディン)キト=カル=ファン道場で、戦士の術を……


 全ては、『魔神』を倒す為に。」


「魔神……」

 ショウが小さくつぶやく。あの使いの言っていた御命が今下されようとしている。

「魔神はその昔、ある世界を私欲のためだけに我が物とし、散々利用したあげくに破壊してしまった。そして次には地球世界に目を付けているという。魔神は地球奥深くで、息をひそめていた……地球も今、同じ運命にさらされようとしている。

 三年……短い間ではあるが、お前たちは十分力を付けたはずだ。地球を、救う為に、も。

……魔神を倒して欲しい」


 三人はほぼ同時にうなずいた。使命の重さに、逃げ出したくもあったが、自分たちが選ばれたのなら、受け入れるしかないだろうと感じた。

「ハヤテ、」

「はい、」

「移動呪文『ムーブ』で、二人を連れて地球へ行くのだ。先刻、我が第一使、ルー=パンドラを向かわせた。到着すればすぐに連絡がとれるだろう。

 また、魔界と地球間の伝達役として、我が第二使、サリシュ=ナーシャを遣わす。彼女と既に一度は会っているだろう」

 三人はその女性の声を思い出す。

「魔界空天王の願い、今三人の戦士に伝えた。邪悪なる全てに、打ち勝たん事を祈る……」

 声とともに光は消え、元の暗さに戻った。三人はしばらく無言で時を潰した。

「地球……十二年、生きていた場所……?」

 ハヤテが最初に口を開き、

「何が何だか、……混乱しているけど……魔天王様の御命令のこと、行かなければならないんだね」

 ダイチの言葉にうなずく。

「結局、地球を覚えているのは、オレだけか。

……ハヤテ、ダイチ、行こう。今はを救う、そんな気分で構わない。封印された記憶も、きっとこじ開けてやるから」

『……』

 ハヤテは丁寧にたたんであったマントを掛け直し、左わきのベルトに刺してあった磨かれた碧い珠のはめ込まれた杖を引き抜き、それで空に円を描きながら、呪文を唱えた。

「風と時を渡る精霊ウィ・オークよ、魔導師ジンが作りしこの『蒼玉の杖』に現れん! そして、僕らを地球ヘ!――

『ムーブ』!」

 珠が輝き、円をなぞり、三人を包んだ。ほんの一瞬足が浮いたと思った時には、もう三人は青い光となって、魔界を飛び抜けた。


 今、勇者たちは、地球へと旅立ったのである。

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