ミラクル・マジック(下)

奇跡ゆめのゆくさき】


 暗い海の底のようだ。しかし、水はない。音はしない。足音も聞こえない。息はできる。

 マユミは腰ひもをたぐり、紅玉の杖をとる。重力も地上程度だったが、感覚が鈍いような気持ちがする。

 奇跡の呪文の詠唱が完成する前に、封印魔鏡の主、鏡の精霊エヴィル=ミラに引き込まれたのだろう。タイミングはともかくとして、鏡に取り込まれることも、想定していた。


 黙想の修行中、体験した世界と変わらなかった。ここでもう一度三人を見つけ、もう一度奇跡を成功させる。


「……あれは、」

 遠くに人影が見える。三人だと信じ走るが……それは幻影魔法だと焦って見落とした瞬間、揺らいで光るカッターのように飛んできた幻光のひとつが厚手の魔導師の法衣の袖を破る。

「……!」

 マユミは目を閉じなかった。腕に入ったするどい傷を、感覚はとても少ないけれど血が流れているということを、しっかり見ておかないといけない。

 そうやって目から見せておかなければ、気づかないうちに失血だってしかねない。



「まさかあのときの使は、人間だったなんてね」

 呆れに近い声が波打つ。やがてマユミの目の前に、金色の炎に包まれたような女性のかたちが出現した。エヴィル=ミラの深紅の瞳は、汚らわしいとでも言いたげにマユミをとらえる。


「たかだか人間があたしの世界なかで暴れるとか、無謀にもほどがあるわ。あなた死ぬわよ」


 しかしマユミは止まらなかった。

「三人に--みんなに--すごく、すごく大切な時間をもらえたから--このままだったら、」

 一度咳をしても、言葉を止めない、若き魔導師。

「このままだったら、何もしないまま、大人になってくと思ったから--」


「千年もいないってのに」


 一万年は生きてきた、八重の双眸そうぼうせばまる。

「そんなにもがいてる見たの、何年ぶりだったかしら--ああその時も、若い魔導師だったわぁ、」

 左腕とは思えない、サンゴの枝のような翼が、円を描く。

 生まれた結晶は銀色の炎となってマユミに向かった。


奇跡クイーンの呪文を唱える? 詠唱なんかさせるものか! はたき落としてくれる!」


「、きゃ、ああああっ!!」

 バリバリという光が音に巻きこまれる。


で--他人のたわごときくのは、もうたくさんだ」


 三人は黙想のときと同じく、空中に浮いたままであった。--辛そうに見上げて--マユミは口を開ける。

「あたし、あきらめないから--三人を助ける。助けて、魔神を倒すまで」






 ジンの最高傑作「紅玉の杖」は、魔界にその戦いの様を送る伝送するちからをも持っていた。小屋の中央に置かれた小さな円形の鏡から映し出されるものは、紅玉の杖にはめられた深紅の玉が見ているもの、そのままだった。

 それは、封印魔鏡の前で、かたずをのんで見守っているパンドラが見ている光のちらつきよりもずっと鮮明だった。



「あきらめない、か-- マユミ

 すでに相手ジンにも伝わっているが、ユシトはわざとらしくつぶやいた。自分で昔の傷に触れるかのような言い方だった。--ちょっと笑って、でも重く。しかし、ふうと息をついてジンが応えた言葉には、目を開いてしまった。


「--もうおまえは、--あきらめたのか」

「--?!」



「戦いの予感がする。

 あの大戦よりも、厳しい戦いが見えるんだ--

 今はその前置き、といっていい。今くらいしか、顔をつきあわせて、おまえの話を聞いてやることができないからな」

「ジン……」

 時たまジンは、はるか先の嵐を言い当てる。未来予知能力ならもちろんジンの方が上だ。



「魔天王を……」

「言わないでくれ」



 鏡の像から光がほとばしる。マユミが放った、ドラゴニット=サンダーの呪文がエヴィル=ミラの左足を打った。

「これだけは本当ほんとだ--マユミは、代替かわりで育てたんじゃないよ--あのこはでぶつかった相手だ」


「信じている。

 でないと、俺もおまえを護る意味がない」



 ユシトはゆっくりと目をふせる--こんなにも、誇りをかけて護ってくれる者がいるのに--想いがついえないことに、のどがあつくなった。


「もうひとつ。

 今まで黙っていることがあった。

 これを手放して言ってしまえば、おまえはそれこそ飛び出してしまい--のではと思って、言えなかった。卑屈だと思うだろうが」


「--とんでもない」



「俺は、過去を探ることができない。未来の予言のみだ」

 あらためて、顔を、まなざしをユシトに向ける。

「魔天王の未来が、見えないのだ。

 さっぱり……」

「どういうことだ?」

「それが、本当に、わからんのだ。

 何かの魂がつくような、割れるような。

 そういう絵(影)しか見えんのだ」


「あまり良い方には転ばない、ということ--か」

「たぶん」


 中央の鏡(から浮かび上がる像)がうなった。




「ミラ様!」

 黙想の修行のときに出会った、隠者ハーミットが、エヴィル=ミラのそばにあらわれる。

「ここは退きましょう! たかだか人間の子供四人、ミラ様にはもっとふさわしい玩具コレクションがさまざまにありましょう」

 久しぶりの獲物だったのか、起こされたことを怒っているのか、それとも不意の訪問者が人間だったからか、エヴィル=ミラの感情は安定しない。

「ねじきってやる!」


 マユミが胸を引いたところに、上方から火の粉が注がれる。

『ゴオオオッ!』


「ウイン=ウォル!」

 わずかに杖を揺らすだけで産み出した風の壁がそれを散らす。

シルフにつけ入る娘が」


『バフォッ!』

 鏡のなかが真っ赤になったことは、パンドラからもゆうにわかった。

「マユミ……無事でいて……!」






「あたしの夢は終わってんだ。それを悔やむことはたまに、あるけども」

「そうか」

「ただ……マユミ、ハヤテ……あの子供たちには、未来がある。あのこたちの夢を守ってやれなくて何が先達おとなだ?」


 紅玉の杖からの画像が揺らいだ。


「手放したか」






 魔導師マユミはさきの杖を持っていた時よりも短いモーションで、それ以上の強い風を呼び、ミラの髪を何本かちぎる。ミラの目が見開き、怒りのまなざしにかわる。

「とっとと出ていきなさいよ!」

 ミラの銀の炎が目前に迫っても、マユミは目を閉じない。

「嫌です! あきらめません!」

「----っ、」

 澄んだ瞳に赤褐色の女性がしっかりとらえられている--が、マユミは次の呪文に集中していて、引くことを忘れていた。息のかかる距離につめたミラは、マユミを張り倒す。

「!」

 ドスリと床に叩きつけられても、マユミは耐えた。


季節風ミストラル!』

「!?」

 そしてマユミはまた風の呪文を起こした。これに驚いたのはハーミットである。かなり昔の記憶をたどれば、季節風などという呪文はたしか風の二格ではあるものの、辞典の端に載っていたそれを実際に使う者など存在しなかったのではないだろうか、と。


「ミラ様、」

 もちろん精霊ミラのほうが只の隠者ハーミットよりも強く、心配をかけることすらおこがましいものであるが、ほぼ完全に自分の領域での戦いにおいて、不意をつかれることは、脅威である。


「ここは魔界でも冥界でもない! の文言は外に出てから好きなだけ謳いなさいよ! 目障りだわ!」

 本来の季節風の効果は、いわゆる外で、外界の気温、湿度、天候……に応じた風を吹かせる。つまりミラの精神世界では意味をなさない。ミラは右腕を銀の刃に変えて起き上がりかけるマユミの首を狙う。マユミは……謳っていた、ただし、『リグ古代語』で……!


『とぅ、とぅ、とぅ……、

 こんどは あかいかぜが ふいてきた

 とぅ、とぅ、とぅ……、』


(なんてことだ!)

 ハーミットは何年かぶりに全身を震わせる。

 マユミは、本当に唱えたい呪文の詠唱のために、ほかの呪文を唱えたのだ。


 魔界に生きるものが何度も聞いた風の詩。リグ古代語入門のフレーズとしても用いられる。やがて音や言葉は、リグ古代語を深く知るものしか理解できないレベルに進む。断片がハーミットにこぼれ聞こえる。



 --ゆめをゆめと みとめたときから はじまる--

 --そらをそらと みとめたときから はばたく--



 マユミの周りには、一度目と同じように、粒子スピリチュアルズがとりまきはじめる。ミラの世界のなかにもある、ミラに完全に支配されていないちからが集結しようとしていた。





映像が戻った!」

「--何だこれは!?」

 魔導師ふたりでも一瞬では状況が把握できなかった。封印魔鏡の中、ミラの世界で、マユミがまんべんなく祝福された光に包まれていた。

「朝日か!」

「収れんしているぞ!?」



 少しずつ明るくなる『鏡の間』で、パンドラは一筋の青い光をみとめる。朝日が、二つの扉の外にあった盛り土に置かれた魔法石にあたり……奇しくも鏡に向かっていた。






 --きせきをきせきと みとめたときから うまれるもの--






「『クイーン』、もし、私の声が届くのならば!」


 マユミのしなやかな声が響く。


「私の夢を、叶えて下さい!




 --『ミラクル!』」















『ビシイッ』


 パンドラは鏡の中央が破裂音を伴って開く瞬間を見た。

 ユシトとジンは、縦に開いた光の筋がふくらみ、四人を引き寄せる様を見た。

「……やりおった!」

 ユシトはしぼるように感嘆の声をもらすが、ジンは渋い表情を崩さない。着実に、紅玉の杖自体も光のほうへ……鏡の外に向かっている、けれど。







「……!」


 三人のうち一番先に目覚めたのはダイチだ。状況がつかめないながらも、目の前にいたショウをとりあえず抱えた。重力の向きさきがはっきりしないものの--光のほうへ向かうままに身体をまかせる。

「ダイチ! ショウ!」

 聞き覚えのある声……すらりとした青年はふたりに、ありったけの魔法石を使って命の灯火ディライフを行使する。


「……ありがとう……あなたは……」

「パンドラです」

「パンドラ……?」

「間違いないよ……」

 意識を戻したショウが、パンドラの気配を読み取っている。

「パンドラ、ありがとう……」

「さあ、あとはハヤテと……を」

「?!」

 ショウは一気に起き上がろうとする。

「いま、マユミ……ちゃんって、言った……?!」

「そうです」

 パンドラは割れかけた鏡に見えるふたりの方を向いた。ハヤテを支え立つ人は、それこそ、マユミだった。


「マユミは……あなたたちを救うために、魔導師になったのです」




 あと少し、外の景色が見える。パンドラと、先に出たふたりが見える。朝日と青い光が見える。マユミは光に向かって進んだが……地の底から揺れる感覚に足を取られた。

「飲み込んだモノをなど、ありえるものか!!」

 鏡の精霊は、なりふり構わず、ハヤテの足首をつかんでいた。

「お願い、お願いします! エヴィル=ミラ、放して!」

「ミラ様!」

 ハーミットが2度目の退却を提案するが、ミラは怒り狂っている。

「黙れ!」

 重い波のような衝撃には、全員が倒れた。

 ミラはもう一撃を、意識を戻していないハヤテにぶつけようとした。それは、外からの青い光が蒼玉の杖にはねてミラの瞳を打ち、

「?!」

 そこねた力はハヤテのそばで炸裂し、結果二人ともを鏡の世界から押し出してしまう。


「覚えておきなさい、若き人間! あたしとまみえるために、そのものが烙印らくいんとなり苦しみとなることを!」


 ミラの叫びは、鏡の裂け目が戻ると共に消え……鏡自体も消えた……。








 現実に戻ってきた。マユミはゆっくりとハヤテをたしかめる。地球でいえば数日だが、鏡の中ではマユミがの時間が経過している。ぼろぼろの魔法使いの法衣をまとったかれは、まだ視点が定まらない。

「一旦、戻りましょう」

 パンドラはそう言いながらスタッフを出しかけるが、マユミは制止した。

「ちょっとだけ待って」

 そして、あの細い青い光のもととなった、魔法石を置いた小さな盛り土に……祈りを捧げた。

「ありがとう、あなたか救ってくれた」


「あれは、」

「ハヤテがネズミを……なあハヤテ?」

「……」

 ショウとダイチがささやくが、まだハヤテは完全に意識を戻せていないようだ。

 マユミはあらためて皆をひとりひとり見た。

「みんな、帰ろう」


 緩やかにほほえんで、マユミは時の精霊ウィ・オークを呼ぶ……自然に、『杖なし』で、両手を広げて。

 その姿を見たショウは、かつて初めて、サリシュ=ナーシャが魔法を使った日のことを思い出した。


『ムーブ!』


 全員のからだが宙に浮く。

 ダイチはさきのパンドラの言葉を思い出す。マユミの所作はかつてハヤテからきいた魔導師の特徴、杖を使わずとも魔法を使う、その通りだった。

「ぼくたちのために……」



 皆は静かに、マユミのアパート、その部屋へ戻ってきた。

「みんなの着替え、すぐ出すね」

 マユミは傷んだ法衣をのことも気にしない。

「待って待って、マユミちゃんだって戦ってたのに」

 ショウは慌ててダイチとハヤテを呼ぶ。

「とりあえず顔洗おうぜ」

「そうですね。さあ、ハヤテも」

「……」

 ダイチはハヤテを見るが、ハヤテは返事をしない。

「ああ! まだハヤテには、回復をかけていませんてしたから……」

「まかせて」

 パンドラが再びスタッフを取り出そうとするが、マユミは少し上機嫌で……三人がここにいることが嬉しくて……、


「ハヤテずるい!」

「ふふ、ショウ。私の呪文ではご満足いただけませんでしたか?」

「いやいや、パンドラがだめだとは言って無いですよ」

 そんなみんなのやりとりを久しぶりに聞けるのも嬉しくて……、手のひらをハヤテに向ける。




「ハヤテ君に、命の灯火を! ……ディライフ、」



『バシッ』



 瞬間、マユミは発行した呪文が明後日の方向で破裂するのを見た。ビリビリと空気が揺れる。


『?!』


 ダイチ、ショウ、パンドラがハヤテを見た。ハヤテは、マユミの手を払いのけ……真っ青になって震えていた。

「ハヤテ君……ごめん、驚かせたよね」

「……だ……よ……」


 ショウはハヤテの表情や、とりまく気が、違っていると気づいた。いや、ハヤテの気には違いないが、違和感がある、その恐れを口に出した。

「ハヤテ、おまえもしかして……」


「ここは……どこだよ!?」


『!?』


「ショウ、どういうこと?」


 ダイチが強く問いかける。ハヤテはやがて泣き出した。体力がほとんどなくて、そういうしかできなかった。


「ハヤテはーー」










「『鏡面の畏怖ミラ・フラッシュ』……ギリギリで効いてたなんて!」


 ユシトは嘆いてジンの険しい眉間みけんを見た。

「……すべて鏡に照らすがごとく、耐えてきたほど、努力したほど、無為に帰させる……こんな術、子供にすることじゃない……」






「あいつ……紅蓮の精霊? の呪文か何かで、ハヤテの『魔界の記憶』を奪ったんだ……俺、わかるんだ、……ここにいるのは、魔界に行く前の、ハヤテだって……」










 ーーあたしとまみえるために、そのものが烙印らくいんとなり苦しみとなることを!ーー





 マユミは、自分がそうしたように、エヴィル=ミラもまた、おどしの文句を述べている中に、呪文を編み込んでいたのだと理解した。


 マユミはくちびるをかみ、大粒の涙をこぼした。










(第二部 完)

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