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杉本U介
第1話 これが彼らの、使命と宿命
夜の公園を、走り抜ける2つの影があった。
どちらも若い男である。先を行く男が、後ろを気にしながら走るその様子から、彼らが追い、追われる関係であることが分かる。
だがこの二人はどこか奇妙であった。
逃げている方の男は、黒いパーカーを目深に被っていた。いかにも身元を隠そうという風貌をしている。男は逃げるように走りながらも時折、何か見えない力に引っ張られるような動きで跳躍して大きな池を飛び越え、高い木々の枝に飛び乗ったりと自由自在に逃げ回っているのだ。常人には出来ないような動きである。
そしてもう一方の追う男――
彼の外見にはおよそ特筆するような要素はない。いかにも町中に溢れていそうないたって普通の恰好である。だがしかし、安城翔馬はそれでも奇妙であった。
見た目にはただ走っているだけなので、その異常性には気付きにくい。
だが、
「速えんだよ、お前ぇ!」
逃亡者が叫ぶ。
そう、翔馬は速かった。その脚力は単なる速さだけではない。彼は自らの脚で池でさえ飛び越え、更には木々の上まででも跳び登って追いかけて来る。素人目に見ても明らかな程に異常な脚力で、彼は追跡しているのだ。
「もう止まれって。別に煮て食ったりしないから」
「信用できるか、くそっ!」
逃亡者こと
その右手の形状が変化を始める。
5本の指の先端が膨らみ、表面は肌色と黒を混ぜた班紋様が浮かぶ。その奇形と化した右手を、翔馬に向ける。
次の瞬間、右手から無数の糸のシャワーが発射された。
これが峰十介が先まで移動に使っていた力だったのだ。五指それぞれから生成し打ち出された糸が、翔馬に覆い被さる。
突然の攻撃を、彼は避けられなかった。速さが仇となった。
糸は空中で絡み合い、巨大な網となって翔馬の全身を包む。粘着性を持った糸に肩や脚を抑えられてしまい、翔馬はバランスを崩し、盛大に地面を転がってしまう。
「あまり人相手で使いたくなかったんだがな。悪く思うなよ」
攻撃の成功を確認すると、踵を返し再び走り出そうとする。
だが、それは叶わなかった。
「動くな」
声がした。振り向いた先に、別の誰かがいたのだ。
それだけではない。
鋭い切っ先。巨大な刃が、ちょうど振り向いた十介の鼻先に突きつけられていた。
「動かないでくれよ。私だって、これを人相手に使いたくないんだ」
刃を持っているのは小柄な人物だった。声も高く、幼さを感じさせるが、目つきだけは異様に鋭い。
「随分と物騒なやり方だな、真琴さん」
地面を伏したままで翔馬が声をかける。やはり仲間であった。
真琴と呼ばれた人物は、
「心配するな。これはあくまで威嚇に使っているだけだ。彼が逃げたり抵抗したりしない限り、腕を斬り落とすつもりはない」
視線も刃も動かすことなく答える。
「僕は
「抵抗したら、腕を斬り落とすつもりらしいぞ」
「君は黙っていろ」
刃物のような視線が、一瞬だが翔馬に向けられる。その眼力はすさまじく、それだけで背筋を正されるほどだ。
「この人は本気だから。ここいらでマジ、逃げるのやめない?」
翔馬が静かに十介に言う。
「君には話をする為に来ただけなんだ。刃物を突きつけておいて説得力は無いがな」
周囲が静寂に包まれる。
真琴の刃はその間も、微塵も狙いを外したりしない。
後ろでは倒れたままの翔馬が、固唾を飲んで見守っていることが十介には振り返らずとも分かった。
「……もう逃げないよ」
ゆっくりと両手を上げると、ため息混じりに言った。
「君は普通の人間では無くなってしまったんだ」
場所を移し、ブランコに腰掛けた十介に対して、真琴は言う。
真琴の背は高くない。むしろ低いとさえいえるその身長は、座っている者相手ならちょうど良いくらいだ。
「ああ、みたいですね」
目深に被っていたフードから顔を出しながら、右手に目を向ける。徐々にその甲に、先と同じ斑の紋様が浮かぶ。その甲に、真琴は静かに手を重ねた。
「軽はずみに使うものじゃない。戻せ」
先程ではないが厳しい口調だ。
「さっきの糸といい、この人のシードはクモかな」
反して、翔馬は呑気な調子だ。だが十介は彼の発した聞き慣れない言葉に反応した。
「シードって?」
「ライフシード。その力を生み出しているもので、君が普通の人間ではなくなっている元凶だ」
「聞いたことないですね。病気とは違うんですか」
「病気ではない。もっと根深い変化だ。君の中には、クモという別の生命が目覚め始めているんだ」
十介は黙って続きを待つ。事態が自分の想像を上回る何かであると気付いたのだろう。
そんな相手の様子を察し、一呼吸置いてから真琴は語りだした。
「12年前の話だ。ある実験施設で事故が起きた。建物も、研究に関する一切が吹き飛ぶ程の爆発事故だったらしい。その時、残ったのものは一つ。その施設で研究開発されていたとされる——ライフシード」
ライフシード。
それは種の保存と再生を目的に、当時のバイオテクノロジーを結集して生み出されたとされる。現存する様々な動植物のデータが利用されたと言われているが、実際にいくつ、また、どの動植物のシードが完成していたのかを知る術はもうない。それら研究に関する一切が、今はもう何一つ残っていないのだ。
「当初はライフシードも焼失したものだと考えられていた。だが、実際は違った。爆風に乗り、ライフシードはばら撒かれてしまったんだ。恐らくは日本中に……」
大きさは顕微鏡でも使わなければ見れないほど小さいものだという。それらは事故によって生じた爆発に耐え、その内に宿した生命のデータをしっかり守ったのだ。そして今現在でも、ライフシードは存在している。
安全な隠れ家を、宿主を見つけてしまったからだ。
「ライフシードは、他の生物に寄生して今も生き残っている。雨に紛れ、土に染み込み、それを養分とした食物を口にでもしたのか。経路は無限に考えられるが、確かなことは一つ。ライフシードは何故か、人体を最良の宿主としているということ。そして12年の間眠っていたライフシードが今、あちこちで目覚め始めているんだ」
言い切った真琴の目が、十介の右腕に向けられる。
それが何を意味しているのか、分からないわけではない。
「……これが、クモのライフシードってことですか」
「そういうことになる。君にはもう説明不要だろうが、目覚めたライフシードは宿主である人間の意思に反応し、肉体を変化させる。個々に備えられた他の生物の能力を、使えるようになる」
十介の宿すシードは、クモ。彼は右手を変化させることで先の糸を自在に操る能力を発現させていたのだ。
「だが最初に言った通り、これは決して多用してはならない」
「どうしてですか」
「ライフシードの能力が発現する際、君はまだ腕が一時的に変化するところで済んでいる。だが多用すれば、やがて身体の一部では済まなくなる。戻すことすら出来なくなるかもしれない。いや、事実としていつかはそうなる。やがては人間と別の生物を混ぜ合わせた異形の存在となるだろう。だから君のその力は、多用してはいけないんだ」
実に淡々と、しかし驚くべき内容を口にした。
黙ってそれを聞いていた十介の顔が徐々に青ざめて行くのが分かった。真琴は言い方に容赦が無い。代わりに、嘘も無い。
更に言うなら、
(優しくもないんだよな、これが)
しばらく大人しくしていた翔馬だが、流石に耐えられなくなってきた。ゆっくり立ち上がると、十介に歩み寄る。
「最近この辺で、謎の覆面男が悪党を退治しているなんて噂を聞いてね。それがしかも、スパイダーマンみたいに自在に宙を舞う!ときたもんだ。ギャグみたいな噂だと思ったが、まさか本当にスパイダーマンだったとはね」
彼の肩に腕を回し、にかりと笑って見せた。
そんな様子に真琴はため息を漏らす。
「安城、今話しているのは彼の生命に関わるものだ。ふざけていい場面じゃない」
「真琴さんが怖がらせ過ぎるんだよ。まぁ、俺の時よりは幾分マシだけど」
翔馬も先の話を、真琴から聞かされている。
「あれは僕のミスだった」
「潔い返事ですね」
「事実だからな。それに、その件に関してはもう謝罪済みだ。終わった話題だ」
「ああ、そういう感じ」
物分りがいいといえなくもないが、本当に反省してくれたのだろうか怪しくはある。
だが今はもうその話をしているのではない。
「真琴さん。彼はさ、マジでスパイダーマンなんだよ。自分が手に入れたわけわかんない力をさ、ちゃんと善いことに使おうとしたんだ。誉められてもいいとさえ思う。それをさも、悪いことした人を説教するみたいな言い方するから」
「シードを使うことに、良し悪しを問う気は無い。説教したつもりもない」
「頭固いな、ほんと。まぁいいや。とにかくさ、そういうことだから。取り敢えず一旦スパイダーマン活動は辞めにしようぜ。お互い、化物になりたくはないだろ?」
「……お互い?」
「ああ、そうか言ってなかった。俺もそこにいる真琴さんも、アンタと同じなんだよ。ライフシードを身体の中に持ってる——プラスって奴なんだ。だからこいつがどれだけヤバい代物か、自分の身体で分かった上で話しているんだ。だから信じてくれ」
翔馬は静かに言う。ほんの数日前まで、翔馬は彼と同じだった。自らの身に不思議な力が宿るなんて、考えてもいなかったから。彼がどれほど驚き戸惑っているのか、真琴よりはきっと分かってあげられる。
だが十介の表情は暗いままだ。むしろ、一層陰ったように見える。
「じゃあ……ヤバいかも」
やがて振り絞るように、十介の震える口から出たのはそんな言葉だった。
「えっと、嫌な予感しかしないんだけど。何がヤバい?」
恐る恐る聞くが、返ってきたのは、
「バットマンなんです」
意外な名前だった。
一瞬何を言っているのだと思ったが、十介にふざけている様子はない。
「え、なんで今そんなことを」
「噂になった宙を舞う覆面の男って、俺じゃないんです」
震える声で、彼は続ける。
「俺も噂を聞いたことがあって、バカみたいな話だって思ったけど。もしかしたら俺みたいな力を持った人がいるのかもしれないって、それで……」
かつて十介は一人夜の公園に来た。その時、出会ったのだ。噂通り翼を生やし、女性を暴漢から救う為に戦う男の姿を。
「いたのは、バットマン」
「成る程。もう一人いるんだな。シードを持つ者が」
アメコミヒーローの名前など一切知らなかったので話についていけなかった真琴も、ようやく理解できた。
「バットマンとやらは何処にいる?」
「せ、先輩……盛崎先輩が、昨日から調子が悪いって言ってて。ずっと布団に包まってたんです。でも、ちょっとだけ見えたんです。腕が、腕がもう……」
その光景を思い出し、それが何を意味していたのか理解したのだろう。
もう声だけではなかった。全身を恐怖に震わせている十介の姿は、事態が切迫していることを理解するには充分だった。見るのは初めてではない。かつては翔馬も同じ反応を、経験をしているから分かってしまう。
翔馬と真琴は、顔を見合わせ頷いた。
「盛崎先輩とやらのいる場所に、案内してくれ」
盛崎という男は天涯孤独の身であり、公園近くの廃屋に勝手に住み込んでいるのだという。
3人は急いで廃屋へ向かっていたがその途中、真琴が不意に足を止めた。
上空を見上げ、しかしどこか遠くを見るような目を向ける。そして舌打ちした。
「……安城。もう手遅れのようだぞ。だが念の為に、このまま向かってくれ」
いきなりそう言うと、来た道をそのまま引き返し始めた。
「お、おい」
「急げ!」
振り返らずに真琴が怒鳴る。
翔馬はその時、真琴にはその身に宿したシードの特性によって、他のシードの気配や侵蝕度合いを感知する能力があることを思い出した。
何より、こういう事態の経験は真琴の方が多い。指示には従うべきだろう。
止まりかけるが、そのまま翔馬と十介は走る。
「あそこが先輩の隠れ家です!」
前を行く十介が、眼前に見えた廃屋を指差す。翔馬にもその建物が見えてきた。
その時だった。
廃屋の扉を突き破り、中から巨大な影が飛び出してきた。
3mを越すであろう巨大な何かは、思わず身を屈めた翔馬達の頭上を通り過ぎていく。
そして見た。盛崎の姿を。
盛崎には首から上が無かった。まるで頭から巨大なコウモリを咲かせてしまったかのように、巨大な異形の身体の下に、彼はぶら下がっていたのだ。
「……手遅れってか、本当に」
巨大なコウモリの異形が、夜空を旋回している。
ライフシードをその身に宿した者——プラスとなった人間が、その肉体をライフシードに秘めた別の生物と混ざり合わせってしまった姿。それはもはや人間ではない。コウモリでさえない。
この地球上で唯一の個体——バット・ザ・ワンという怪物が誕生してしまったのだった。
背後から眩しい光が差す。同時に聞こえてきたエンジン音。先程引き返した真琴が、常用している大型バイクに跨って戻って来たのだ。
フェイスガードを開け、上空を確認する。
翔馬から報告を聞くまでもなかった。残念ではあるが、自身の能力が感知した通りだったようだ。
「頼むよ! 盛崎先輩を助けてくれ」
「無理だ。あれは最早、盛崎という人間ではない。コウモリと人間の先に行ってしまった新生物、ザ・ワン。存在してはいけない生物だ。排除しなければならない」
一切の迷いもなく、真琴はそう告げるとバイクを発進させた。
十介にはそれを止める暇さえなかった。
そのまま膝を折り、泣き崩れた。分かっていないわけではないのだ。もしかしたらもう手遅れなのだということ。
あんな状態になった盛崎を、戻す術などないであろうことくらい、十介でも容易に想像できた。先に真琴から聞いたばかりなのだから。
しかしそれでも、
「助けたいと思うのが、普通だよな」
側で立ち尽くしていた翔馬が、静かに口を開いた。
「俺の学校でもザ・ ワンが生まれて、それで真琴さんと知り合った。だから今こうしている」
それはつい先日のことだ。思い出すのは難しくない、そして忘れることなど決して叶わない。
壮絶な記憶が、思い出される。
平凡だと思っていた自分の日常が代わってしまった、決定的な出来事。
安城翔馬が、この世に人間ではなくなったものが存在することを知った。自らが普通の人間ではないことを知った日々のことが思い出される。
「ザ・ワンは、本当に倒すしかないんだ。俺の時の奴は、人を傷つけた。だけど分かる。一番傷ついたのは、犠牲になったのは、アイツ自身だって」
異形になりたいと望んだわけでもない。知らずに行使したライフシードの力に飲まれ、人ですらない怪物になりたかったわけではなかっただろうに。
だって翔馬も、いや世界のほとんどの人が知らないのだから。
ライフシードなんて存在も。それが原因で、人間ではなくなった少年少女が居るなんてことを、知らなかった。
彼らの境遇はあまりにも理不尽なのだ。
だからこそ、翔馬は助けたいと思った。助けたかった。
だから。
「——その時のザ・ワンは、俺が殺した」
同じ力を持つ自分にしか、この怪物を止めることはできない。それが分かったからこその、決断だった。
「お前の先輩は、まだ犠牲者を出してない。それだけが、せめてもの救いだ。だから今のうちに、俺が止める」
あの時と同じ想いが、翔馬の胸に溢れる。
そう、戦うしかない。
倒すほかないのだ。
ただ、知らなかっただけ。それだけのことで、人の為に自らの力を使い続けた盛崎の想いを、こんな形で踏み躙らせない為に。
十介の憧れる先輩の姿が、これ以上歪んでしまわないように。
翔馬はゆっくりと右手を目の前へと伸ばす。開いていた掌を、力強く握り締めた。
それが、彼のイメージする"スイッチ"の入れ方。
厳密には必要な動作ではない。だがまだプラスとして能力の行使に不慣れな翔馬には必要なシークエンスなのだ。
発動は一瞬。
黒いグローブで隠された翔馬の右手甲が、光を発する。それだけで全ては完了する。
まだ峰十介には話していないことがあった。
このシードにまつわる事件を収拾すべく活動する、鍵山真琴も所属している組織が存在すること。
組織が開発し、翔馬がこの右手に埋め込んでいる装置のことを。
翔馬に宿ったライフシードは、馬。ホースプラス。
脚の筋肉が急激に発達し、巨大化する。足の先に五指は無くなり黒光りする蹄が宿る。全身もまた姿形を変えていくが、人の形をなんとか留めている。顔や全身を覆う白の装甲。頭部から生えたブルーの尾。
右手に埋め込まれたこの装置が、翔馬が一気に発現させたプラスとしての肉体変化を制御する。すでに全身の皮膚下に張り巡らされたナノマシンメタルが、彼の身体を内外からぎりぎりで"人間"の形に繋ぎ止めるよう作用しているのだ。
異形への肉体変化を、鋼鉄の拘束具で制御した安城翔馬。
アームド・ホースプラスの変身は、一瞬の内に完了していた。
そして変わったのは、外見だけではない。
ひと呼吸置くと、翔馬は地を蹴った。
駆ける。
彼のプラスとしての特性はこの脚力。それは先程の十介を追っていた時のものよりも、遥かに速い。
数秒とかからず、翔馬の姿は十介の視界から消えていた。
バット・ザ・ワンを上空に捉えたまま、真琴のバイクは追跡を続けている。
相手との距離はなんとか離されてはいない。だが空を飛ぶ相手を、進路に制限のあるバイクで追い続けることは困難だ。やがてはこちらの方が先に限界にぶつかるだろう。
状況はやや不利に傾いている。
唯一の救いは、バットが都心部に背を向けて飛んでいること。流石に夜の繁華街、衆人環視の元での戦闘は避けたかった。
(とはいえ、このままでは手も出せない……)
策を巡らせながら、巧みにバイクを操って追跡を続ける。
そんな真琴の視界、バックミラーに人影が飛び込んできた。信じられないことだが、影は走ってバイクに追いついて来たのだ。
だが、そんな芸当が出来る相手には心当たりがあった。
(また能力を使ったのか。軽率な)
事情を知っていながら、このシチュエーションは実は2回目となっている。
ぐんぐんと距離を詰めてきた影が、やがて並走する形となった。
白い装甲で身を固めたそいつは、
「ザ・ワンは何処だ!」
やはり聞こえてきたのは安城翔馬の声。
「2時の方向。目的地があるかは知らないが、真っ直ぐに飛行中だ」
メット越し、怒鳴るように真琴が応える。
白いマスクを付けた翔馬こと、ホースプラスアームドが 顔を上げてビル群よりも上を見る。
夜空に、翼を広げた異形はいた。
「……見つけた」
「待て。君が戦闘する必要はないんだ。大体、そう安易に使ってはいけない能力だと、まだ分かっていないのか」
翔馬が右手につけた装置の機能は、単にこの姿への変身能力ではない。そもそも翔馬の変身はライフシードに由来する能力。十介がやっていたように腕などの部分的な肉体変化ではなく、それを全身で行っているに過ぎない。全身まで変化させれば、その分使える能力も大きく変わる。だがそれはすなわち、翔馬らが追っているバット・ザ・ワンと同じ状況を引き起こしかねない。ライフシードの人体侵蝕をできるだけ抑制すること。ライフシードによって人間でなくなることを抑えるのが主であり、変身も厳密に言えば過剰な肉体変化に対しての拘束具でしかないのだ。
完全な制御装置では、ない。
あくまでライフシードの侵蝕を抑え、遅らせるに過ぎない。ライフシードが消えてなくなるわけではないのだ。いくら抑えようと、拘束しようと、ライフシード保有者の結末は変わらない。
装置の装着は、あくまで延命措置。
安城翔馬も。峰十介も。そして鍵山真琴も。いつかはザ・ワンという異形へと姿を変える。例外は無いのだ。
12年前。とある研究施設の爆発により飛散したライフシードを、望まずしてその身に宿した彼らの、プラスの、これは避けられない運命。
「能力を使わずにいれば侵蝕を長く抑えられる。前にも説明したはずだ」
「だけどこの能力でないと、同じ能力を持った相手を止められない。これも、前に説明受けたんですけど?」
ライフシード、そしてプラスの存在を世間は知らない。知られてもならない。その為に真琴の所属する組織は、プラスに対してプラスで対処している。通常の重火器では対処法として弱く、そもそも秘匿性から見ても携帯さえ困難となる為だ。だから真琴のような戦闘員が存在している。
そして当然、彼らとて能力を行使すれば、
「次にザ・ワンになるのは君かもしれないというのに」
「それはお互い様だろ? どっちにしろ、もう変身してるんだ。だから無駄にさせないでよ」
並の覚悟では、戦うどころか変身することすら躊躇うのが普通なのだ。
だが安城翔馬は変身した。しかも、これが2回目になる。
「…‥緊急時だから止むを得ない。癪だが今回も、その脚を頼るとしよう」
「脚だけかよ。俺自身を、頼れっての」
翔馬のぼやきにはあえて応えず、真琴はわずかに視界を上へーーバット・ザ・ワンへ向ける。
「届く距離か?」
「……追いつけはする。だが、高さだな。あそこまで届くか、正直自信無い」
恐らくホースプラスの脚力なら、言葉通り相手には追いつける。だが、更に空を飛ぶ相手への跳躍となると難しい。相手が降下してくるとも限らない。
しばしの沈黙。
翔馬の視界が、道の先にあるものを捉える。
「ちょこっとビルの壁壊すけど、セーフかな?」
「程度によるな」
「じゃあ、善処するということで」
翔馬が鋼鉄の仮面の下で笑った。見た目には分からないが、真琴にはそれが分かった。そして、翔馬が何をしようとしているのかも。
「機動力を奪ってくれればそれでいい。翼を狙え。翼そのものじゃない。狙うのは、翼を動かしている付け根の筋だ」
「了解、先輩」
翔馬は加速した。一気にバイクを抜き去り、ザ・ワンに迫る。そして跳躍した。当然、夜空を飛ぶザ・ワンには届かない。
まだ、届かない。
だから彼は、道路に面して建てられているビルの壁を蹴って走った。
ビルの壁面を走り、ビルの上方へ向かう。更に隣、また隣のビルへと走り、飛び移って行く。バット・ザ・ワンに迫りながら少しずつ、高さという距離も詰めて行く。
そして彼の狙いはその先、この町でもひと際高い建造物である電波塔がそびえ立っているビルだ。その頂点の高さは、バット・ザ・ワンの飛行高度よりも上。
ビルからビルへと走り幅跳びのように飛び移っていく。そして遂に、跳躍した翔馬の腕が電波塔の先端を掴んだ。
「よし、上手くやれよ」
その下、バイクを駆る真琴はそれを確認すると、シート後方に手を伸ばす。取り出したのは銀色に光るアタッシュケース。
一呼吸置くと、ケースをぐるりと一回転。そのまま遠心力と、瞬時に腕に発動させたプラスの強力な腕力で、それを投げ放った。
ケースは猛スピードで一直線に飛ぶ。
そしてケースは、最早弾丸と呼べるような速度でバット・ザ・ワンの後頭部に命中した。
流石の衝撃にザ・ワンはわずかにバランスを崩すが、その程度の効果しかなかった。だが、わずかに飛行速度を鈍らせる、その程度の攻撃を真琴は狙った。
一瞬で充分なのだ。
翔馬が完全に、バット・ザ・ワンの上を取るには。
そしてもう一つ。真琴の狙いは、ケースそのものを上空へと届けること。
電波塔から飛び込んだ翔馬は、宙を舞うアタッシュケースに右脚を差し込んだ。このケースは偽装されたアームドプラス用の戦闘ツールなのだ。
プラスに対して、プラスで対処する。だが人体の限界を越えて暴走し強力な力を持つ獣と化したザ・ワンを倒す為には、限界ギリギリで抑えられているアームドプラスでもわずかに劣る。
その差を、埋める為。
彼らは
サイドのスリットから、ケースが真っ二つに割れる。すでに装備は完了していた。それは、巨大な杭と射出ユニット。
パイルバンカー。
巨大な杭を、拳銃の弾丸同様にユニット内で炸裂させた圧力で撃ち出し、対象を貫くというものだ。
ほぼ密着状態でなければ、当てることは出来ない。そして杭を撃ち出す際の激しい衝撃に耐えられなければならない。対人では使用するメリットを見出すことの難しいこの武器を、人を超えた能力を持つアームドプラスなら実戦レベルで運用できる。
特に、他のプラスと比較しても一線を画す脚力を備えたホースプラスである安城翔馬にとっては、むしろ扱い易い装備なのだ。
巨大な翼に掴み掛かると、一気に身体を引き寄せる。
落下速度をも利用し、右脚をバット・ザ・ワンの右肩——翼の付け根に叩き込む。
次の瞬間。
キックの衝撃に呼応するかのように、パイルバンカー内から響く炸裂音。同時に鋼鉄の杭が射出され、一切の容赦なくザ・ワンの肉体に突き刺さる。
バット・ザ・ワンの悲鳴が、漆黒の夜空に響き渡った。
翼を生やしていた右肩に"穴"が空いたバットの身体が大きく傾いたかと思うと、次の瞬間には落下が始まっていた。墜落していく。
その下を走る鍵山真琴は、再度バイク後部の格納部に手を伸ばす。するりと取り出したそれは、真琴自身の身の丈に届きそうなポール。その先端を、バイク後部のスリットに挿入する。見た目には分かりにくいが、彼女はバイク後部に己が武器を偽装携帯している。
差し込まれたポール先端から、カチリと音が鳴る。二つに分割していた武器の組み立てが、こうして終わる。
再度抜き放ったポールの先端には、巨大な刃が装着されていた。柄だけで自身の身の丈を越し、更にその上に同等の長さの刃を持つ。この武器は、柄と刃の長さから西洋の両手剣を想起させる。事実、その構造と攻撃理論は同じである。
長い柄は、振り回すだけでその先端である刃に破壊力を乗せる為。切断以上に、鈍器としての破壊力も備えている。
常人では振りかぶることもできないであろう代物だが、当然、常人では無い真琴ならこれを使う事ができる。
便宜上、この武器を白鯨(モビーディック)と呼んでいる。
「……上出来だ」
頭上での翔馬の攻撃が成功したことを確認すると、真琴は手早く白鯨を構えた。
そして落下していくバット・ザ・ワンを、睨む。
しばし距離を測る。狙いを定めると、鍵山真琴もまた全身を変身させた。
鮫。シャークプラス。
それが鍵山真琴の内に宿ったもう一つの生命。古代より地球の海に生きる、その力を秘めている。
鮫は、凶暴と思われがちだが、そんなことはない。約500種存在する鮫の中で人に危害を加えることがあるのは、およそ1割の種類しかいないのだ。
真琴の中に宿った鮫のライフシードが、果たして鮫の中でどの種なのかは未だ分かっていない。だが確実に分かっていることは、ある。
瞬時に変身が終わった真琴もまた、異様に膨れ上がった上半身や生えたヒレなど、どこか人間離れしたシルエットに肉体を変化させていた。歯や鮫肌の如く、全身は細かく刃物のような鱗状。
元々小さい彼女の体躯はそのままだがしかし、その戦う様を見れば、誰もがそう思う。
彼女に宿った鮫のそれは、獰猛と例えられるものである、と。
自身の倍程も長さのある白鯨を肩に担ぐ。真琴はバイクのシートを蹴って跳躍した。
バイクの加速と、そしてアームド・シャークプラスとなったことで発揮される強靭な腕力を利用し——白鯨を、路上に深々と突き立てた。
柄を下に。巨大な両刃の刃は上へ。正確な角度で向けられている。そして真琴は屈んだ体勢のまま、白鯨を持つ手に力を込める。
衝撃に、備える。
数秒後。
墜落してきたバット・ザ・ワンの身体を、白鯨の刃が貫いた。
落下と自重によってもたらされた衝撃が全て、自らの身を、そして喉を貫いている。
今度は、悲鳴が響くことはなかった。
一連の戦闘行為による影響は、老朽化したガス管の爆発事故とされた。組織の対応は迅速である。すでに偽りの指示を与えられた真実を知らない本物の警官たちと、組織が手配した事故処理班が事態の収集に勤めている。
現場は立ち入り禁止の仕切りで覆われ、だがしかし騒ぎを聞きつけた報道陣や野次馬が群がってきていた。
「こんなんで誤魔化せるもんなのか?」
「それが彼らの仕事だからな。誤魔化しきってもらうさ。過去にも、存在しない会社と社長をでっち上げ、謝罪会見させたこともあるくらいだ」
「まぁ確かに、俺もニュースなんてちゃんと見てないわ。自分の身近で起きていないことって、結局なんかフィクションぽいし」
「君だけじゃない。大抵の人間は、そうだ。だからこういう方法がいいんだ」
現場から少し離れたビルの上。
それぞれ変身を解いた翔馬と、真琴の姿があった。
「君が削ったビルの損壊と、パイルバンカーの音が目立ったな。やはりあの武器は運用に難がある。威力は申し分ないが、今回の様な市街地ではあまりに目立つ。それと戦い方も、もう少し改めた方がいい」
「お、先輩のご指導ってやつですか?」
「君の軽率な行動で、私にまでとばっちりが来ると困る」
真琴は眼下を見下ろす。
すでにバット・ザ・ワンの死体は回収されている。あとは細かい後始末と、実際に損壊した道路の補修作業などが始まるのだろう。
ふと、気付く。
こちらを見上げている人物がいた。野次馬の群れに紛れているが、唯一人だけが真琴に睨むような視線を向けてきている。
峰十介だ。
視線が交わる。
何を言わんとしているのか、何を思っているのか、分からないわけではない。
先に視線を外したのは、十介だった。そのまま歩き出すと、すぐにその姿は人波に紛れ、見えなくなった。
「助けてやったのにな」
いつの間にか横にいた翔馬が、呟いた。彼もまた十介の姿に気付いていた。
「そんなつもりはない。だから他人にどう思われようが、私は気にしない」
そう言うと、踵を返して真琴も歩き出した。一瞬見えたその表情は決して穏やかなものではなかったが、翔馬は何も言わなかった。
残された翔馬は、ため息を一つ。
「助けてやったのにな……盛崎のこと」
人では無くなった盛崎を、真琴は迅速に処理した。だがもし真琴の判断が遅ければ。峰十介の願いを聞き入れ、出来もしないのに、盛崎を止めようとしていたら。
盛崎、いやバット・ザ・ワンは人間に牙を剥いていただろう。
本当の怪物となる前に、真琴は彼を止めたのだ。確かに、命を奪うしかなかった。その行為だけを見れば、峰十介が抱く感情も至極全うなものだ。
だが忘れてはならない。
翔馬も、十介も、そして真琴でさえ。いつかは同じようにザ・ワンとなる。その瞬間を迎えた時、自分は何を思うのだろう。それはまだ分からない。だが翔馬には前回と、そして今回の戦いを見て思ったことがある。
真琴は、ザ・ワンに対して一切の躊躇をしない。
それは非情であるからではない。むしろ逆に見える。戦いの最中。鋼鉄の仮面で見えない素顔の真琴が、実際に何を思っているのかは分からない。
だが翔馬は思う。
望まずして異形と化した自分を、怪物と人々に恐れられる存在になる前に殺して欲しい。そんな彼らの望みを、汲み取っているように翔馬には思えたのだ。
そして恐らく、それは真琴自身の望みでもあるのだろう。
その姿を目の当たりにしたからこそ、翔馬は自らも戦おうと決心した。変身し、真琴と共に戦おうと覚悟を決められたのだ。
(それにしても……)
ザ・ワンとの戦闘はこれで2回目となる。前回と、そして今回も思ったことだが、
(まぁ、こんなものか。ヒーロー物じゃあるまいし)
達成感や満足感は、感じない。わずかな不快感だけが胸に残る。
敵は、明確な悪意を持つ者などではない。
それを迎え撃つのは、相手と同じ能力を持った者。望まずして別の生命の種をその身に宿した者達が、異形へと暴走進化した同胞を倒すだけ。
子供が憧れてくれるような大義などない、そんな戦い。
今は右手に付けている装置を渡され、能力を使わないように静かに生きていけ。真琴はそう翔馬に言ったが、断った。一緒に戦うことを決めて、真琴についていくことにしたのだ。
確かに、好き好んで足を踏み入れるような世界ではない。
だが翔馬は、それを選択した。
真琴のように強くありたかったのか、若しくはこの力を存分に発揮する正統性が欲しかっただけか——あれこれと思い付きはするが、実は理由は自分でも良く分かっていない。だが確かに、命を懸けて戦う真琴の姿を見て心が動いたのだ。それだけは紛れもない事実。
いつか、自分自身がザ・ワンとなる日まで。
「それまでに一体何人、救ってやれるかな……」
誰にでもなくそう呟くと、翔馬もまたその場を後にした。
始まりは、12年前の事故。
それによってばら撒かれてしまった生命の種——ライフシード。
現在。
ライフシードが人間の身体の中で目覚め始める。
ヒトではない力を持つ者——プラスとなった者たちが生まれ始めたことを、知る者は少ない。
第1話 これが彼らの、使命と宿命 終
。
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