独立行政法人 日本文芸振興対策センターのお仕事
和寂清敬
魔法使いの侵攻
魔法使いの侵攻 1
職務を携えて中原晃一が訪れたのは、人気のない深夜のオフィス街であった。
「大体非番の日の呼び出しが多すぎるんだよ」
隣で小さくぼやいたのは同行している同僚、加村敦だ。転職組の中原にとっては先輩にあたるが、年齢でいえば加村のほうが一回りに少し足りない程度年下である。もっとも、職場に極端に人手が少ないこともあって、二人の間にはわずらわしい上下関係は存在していない。
中原とは対照的に背が高い、加村の引き締まった筋肉に覆われた身体は分厚く、夏がとうに過ぎ去ったことを忘れそうになるほどよく日焼けしていた。
「みなし公務員なんだから、突然の呼び出しだってあるさ。本物の公務員はもっと大変だろうし」
警察や消防の突然の呼び出し事例をいくつか挙げつつ、中原は年少の仕事仲間をなだめようと努めた。前職で公務員と接触する機会も多かった彼は、公務員の過酷な業務事情をいくらかは理解していたからだ。
かつて公務員と中原の間には重要な仕事上の付き合いがあり、ある意味で取引先でもあった。どこか公務員というものを一般の職とは違う存在だと見ていたところもある。ところが今では中原自身がその公務員のようなもの、俗に言うみなし公務員に数えられるようになってしまった。
みなし公務員は純然たる公務員ではないものの、立場や刑法においては公務員と同様に扱われる。政府や自治体の直接の職員ではなくても、職務が公益性を持つ場合にはそういった特別な区分けが必要となるのである。分かりやすい例としては日本銀行だとか日本郵便、国立大学などの職員もしくは役員が挙げられる。
要するにみなし公務員はいわば準公務員であり、公務員とほぼ同じような立場にある。まさか自分がそのような立場に置かれる日々が来ようとは、みじんも考えなかった前職当事の彼であった。
実のところ、中原と加村にとって、昼夜を問わず電話で呼び出され、時間外業務を強いられるのは珍しいことではない。むしろ何もすることがない日がしばらく続くこともあるぐらいで、先に例に出したような警察官や消防官とは、過酷さとしては比較の対象にもならない。
それでも加村が不満げなのは、ゲームセンターで流行のアイドル育成ゲームをプレイ中に呼び出されたからとかであるらしい。
「今日はいつもよりいい乱数引けてて、いい感じに予選ライブが進んでたんだよ。せっかく優勝できそうだったのに」
「そりゃ大変だったな、うん」
「大会にエントリーできるのは月に一回だけなんだよ。なんでまた、『登場人物』もわざわざこんな日に出てくるかね」
時間があればジムにでも通っていそうな風体でありながら、加村はゲームやアニメを友とする男だ。なんでも子供の頃の反動がどうたらとか本人は言っていた。なんにせよ彼らの職務においては実益を兼ねた趣味であったから、むしろ奨励されてしかるべきなのである。
逆に中原は若い間にそれらに触れすぎたせいで、必要に駆られない限りはなるべく離れ気味である。加村が羅列する言葉の大半を理解しようともしないまま、彼はあいまいな相槌を打った。
加村の言葉の中で彼が共感したのは、最後の一言にのみである。彼とて、突然の時間外業務を歓迎していたわけではない。彼には彼で、電話で叩き起こされたことに対するひっかかりがあった。すごく大事な夢を見ていた気がするのに、突然跳ね起きたせいで内容をすっかり忘れてしまったのである。
ともかく、今は仕事だ、と彼は考えた。彼には分からない色々な用語の解説者へと加村を変じさせるより、目前の『登場人物』に対処せねばならない。
コートのポケットから丸く平たい手の平大の機械端末を取り出した中原は、濃緑色のディスプレイに目線を落とした。中央には、二つの白い点といくつかの文字列が表示されている。
中原たちには『登場人物』が『世界設定改変』を引き起こしたことを感じ取る能力が――中原に言わせれば、非常に残念なことに――備わっていたが、細かな場所までは計り知ることができない。
頼りのない能力を十分に補ってくれるのが、手にした機械端末にして『機密道具』の一つ、『どんなもんでも
白く点滅しながら画面に浮かぶマーカーは、目標物の現在位置からの方位と距離を示している。
その名の通りなんでも、ありとあらゆる事象を観測、測定、探知することのできる『機密道具』。それが『どんなもんでも観測器』だ。レーダーモードにダイヤルを合わせ、中原が探知の目標としたのは世に様々な『世界設定改変』を引き起こした『登場人物』の所在である。
「近いな」
「じゃあ、ちゃちゃっと公務員モドキのお勤めしますかね」
低く呟いた中原の短い言葉を受けて、加村は立ち止まって屈伸をはじめた。
数年前からこの世界に現れるようになった『登場人物』の存在を知る者は、世界全体でもごくごく少人数に限られている。世界の混乱を鑑みてとかなんとかにより、国際連合での取り決めでその存在が隠蔽されているからだ。
中原や加村は『登場人物』の存在を知る少数派の中に含まれていたが、少なくとも中原はそのことを誇らしく思ったことはなかった。
現場到着から程なくして、二人は目標の目視確認を完了した。二つの人影が、空に突き立った高層ビルの間をぴょんぴょんと跳ね回っている。
「おお、やってるやってる。いつ見ても魔法使いってのは非現実的な動きをするなぁ」
「非現実的だから魔法っていうんだろ」
丸太のように太く丸々とした両腕を回しながら、加村が話題を向けてくる。中原が返したのは、いつものように淡白そのものの対応だった。
「このクソ寒いのに、そんな格好してる方が非現実的だ」
暦が冬を迎えてしばらくたつというのに薄着も薄着、加村のいでたちはカッターシャツ一枚に薄手のスラックスと、相変わらず年中変わらない。中原はといえばジャケットにダッフルコートを羽織った完全防備態勢だが、強いビル風にさらされて冷えた手指にさかんに白い息を吐きかけていた。
「冬の薄着は新陳代謝を良くするんだって言うからさ」
「お前くらい身体が頑丈ならいいけどね、俺が真似をしたって風邪をひくだけだよ」
聞くところによれば、加村は学生時代には体育会系のフィジカルエリートだったらしい。生粋の文化系として学生時代を過ごしてきた中原とでは、鍛え上げられた身体も、精神力も比べるべくもない。
似つかない彼らが共にしている職務はきわめて特殊なもので、この日に当てはめれば、『深夜の街に夜な夜な魔法使いが出現する事案』の秘密裏な解決といったものであった。冗談のようでありながら、国家から任された職務である。
「魔法使いに対処する事案は久しぶりだな」
「そうか? こないだ氷炎の魔術士とかいうの退場させたばっかりじゃないっけ」
魔法使いたちの動きを目で追いながらの中原の呟きに、準備運動の屈伸を止めて加村が首をかしげた。
「あの事案は違う。ありゃ異能力者だ」
「似たようなもんだろ。一般人にはとても対抗できない、よく分からん力を持ってる奴らなんだから」
「お前、結構いろいろ見たり読んだりしたりしてる割には、その辺の設定回りに関してはこだわりがないよな」
「俺は世界観とか考察とかには興味がないの。面白けりゃいいの。ましてや、出来損ないなんだぜ」
魔法を操る『登場人物』は、近年減少の一途を辿っている。正統派ファンタジーの『物語』が減少した結果だ。代わりに台頭してきたのが、魔力だのなんだのに依存せずに様々な能力を行使する異能力者である。魔法使いを名乗ってはいても、その実は昔のような正統派の魔法使いはあまり見かけなくなってしまった。一時魔王物と呼ばれる作品群が増えて魔法も盛り返していたが、今ではまた別の流行に押し流されてしまった。
結構前の青春時代をライトノベルと共に過ごした中原としては、正統派のファンタジー作品の復興を願うばかりだ。なにせ現代世界には似つかわしくないため、『登場人物』が設定をうまくすり合わせて現れる頻度が随分低くなるはずなのである。
「魔法だろうが異能力だろうが超能力だろうが、対処は同じさ」
「ま、出てくるからには排除しなきゃいけない。それが俺たちの仕事なんだから」
ともかく優先すべきは目前の仕事だった。加村の愚痴に愚痴を返し、中原も準備運動をはじめた。
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