§4ー5 クソはおまえだよ



 次の日、あたしは遅刻すれすれで登校したけれど、小春はいなかった。

 教室の中の雰囲気は異様で、あたしが足を踏み込んだ途端にわあっと皆が駆け寄ってきて、次々にあたしの頭をこね回してくる。

「若月さん、大変だったね?」

「あやめちゃん、イトコの若月先輩は大丈夫?」

「あのキモブログ最低だよね!」

「最悪だよ!」

「森高ってもう100パー間違いなくストーカーじゃん! 裁判起こしたら慰謝料とれるかもってうちのお姉ちゃん言ってたよ。若月先輩に話してみて?」

 慰謝料なんてとれるわけねえだろクソが、てめえの姉ちゃん脳味噌トコロテンかよ。

「あはー。そうだねー」

 あたしはひとりずつに曖昧な笑顔を返す。胸がむかむかしたけれど、やっぱり皆の顔は善人の顔だった。あたしのことを心配して、あたしの代わりに小春に憤っている。

 それでも、やっぱり、こういうのは何かが違う気がする。

 あたしは、司令官のような態度でこっちの様子を眺めている長崎くんを見つけてゆっくりと歩み寄った。

 長崎くん、すごく幸せそうな顔してる。

 陽気で利発な表情が好奇心でぴかぴかに輝いている。

「長崎くんおはよう」

「おっす、お疲れ。昨日はごめん。若月さんちに電話時間ルールがあるなんて知らなかったよ、番号教えてくれたときに言ってくれたらよかったのに。ほんとゴメン!」

「もういいよ。あのときは伯父さんまだ帰ってきてなかったし」

「で、昨日はあれからどうなった? どうなった?」

「あの子のブログのこと、どうして皆が知ってるの?」


 あたしの声で、教室が静まりかえる。


 表情を変えなかったのは長崎くんだけだ。

「だってオレ、これは大変なことだと思ってすぐにクラスの皆や先生たちにも情報を拡散したんだ。こういうのは証拠保全を兼ねてたくさんの目撃者が必要なんだよ。すぐ親に言って直接先生に意見してもらったって奴も多いし。でも昨夜のうちにブログはまるごと削除されてた。当然オレはすぐにスクショとって保存してるけどな。で、若月さんは削除の理由知ってる? 森高が自分で削除したとは思えないし、君んちの伯父さんが行動を起こすとしても今日の朝イチだろうし」

 そんな理由、あたしが知るわけがない。

 あたしは長崎くんの視界を横切って、自分の机に鞄を置いた。

 教室の雰囲気が辛くてしんどい。

 心配はありがたいと思う。

 気遣ってくれて申し訳ないと思う。

 でもそれだけじゃなかった。好奇の目やもっと事件が炎上すればいいのにと期待している声が怖い。


 まるでお祭り騒ぎだ。


 ここで、もしもあたしが小春を少しでも庇ったり擁護したなら、あたしが苛められてしまいそう。いや確実に、あたしが皆に求めてられている可哀相な被害者のポジションから抜けだそうとしたなら、苛められてしまう。

 被害者はずっと傷ついてメソメソしてなくちゃならない。

 被害者はずっと皆のお力にすがる従順な弱者でなくちゃならない。

 真南の言っていたことが、判った。

 彼は小春と仲良くなって、次第に言い寄られるようになって、それが学校で噂になった。小春が怖いから真南は離れようとしたんだけど、彼だって小春の全部が嫌いになったわけじゃない。だけど、少しでも「でも」や「だって」の言葉を口にしたなら、親切な友達はみんな掌を返して敵になる。

 こんなに心配してあげているのにどうして言うことを聞かないのかと掌を返す。

 そんな空気を読んで、真南は完全に小春を切り捨ててしまったんだ。

 先生が来る前にケータイの電源を切っておこうと取り出したら、メールが入っていた。

 燎平だ。


『クソブログの件は処理した。昼休みに屋上で待て』


 小春のブログを削除したのは本人ではなく燎平だったらしい。本当に何でも出来ちゃう魔法使いなんだな。

 あたしは彼の文字を二度読んで、静かに電源を切った。

 昨日真南のパソコンを壊したときのように、今こそケータイを壊してしまいたい。だけど今のところはケータイを触っても何もない。

 泣き言を並べたメールを送ってしまったことを後悔していた。

 燎平はあたしのメールを読んでくれていた。あたしは会いに来てとメールに書いた。

 でも燎平は来なかった。

 あたしの傍に来ないで、さくっと小春のブログを潰してミッション完了。

 それが彼の最善なんだ。十八歳の大人なら当然の行動で、大人なら当然の正義だ。

 でもあたしが頼んだことは違うよ。

 窓の外を眺めていたら、先生が教室に入ってきた。

 笑顔の柔らかい中年男性だけれど、決して、心の奥を覗かせない職人肌のベテラン教師だ。前の学校の先生みたいにいつもニコニコと笑って生徒をえこひいきするようなタイプではない。

 先生は淡々と出席を取った後、

「森高さんはおうちの事情でしばらくお休みです。その間、手の空いてるひとは彼女のクラス委員の仕事を代わってあげて下さい」

 とだけ言った。それって仮病ですよねと誰もが突っ込みたがっている。

 あたしは片手を挙げた。

「あたし、やります。小春の代わりに」

 教室がざわめく。

「あっ、ハイ! 先生、オレもオレも! クラス委員ってたしか一人でも二人でもいいんですよね? 若月さんはまだ転入してきたばかりだし」

 長崎くんも陽気な声で叫んで両手を挙げた。

 先生は長崎くんに一瞥をくれたあと、あたしのほうを向いて小さく指先を振った。

「それじゃさっそくだけど今日の放課後に第一会議室で高学年クラス委員会議があるから出席よろしく。それから若月さん、昼休みにちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな。職員室で待ってるから」

「はい」

 皆の顔が好奇心で輝いている。


 少し悩んだけれど、昼休みには先生の呼び出しに応じて、燎平の「昼休みに屋上で待て」というメールは無視した。

 昨夜の小さな仕返しだった。

 あたしに無視されて燎平も少しは傷つけばいいのにと思った。気持ちが届かないことがどれだけ切ないのか、思い知ればいい。

 あたし、もしかして、燎平のことが好きなのだろうか。

 どういうこと?

 自分で自分の心の流れが判らなくなってきた。

 燎平に会いたかった。でも彼は会いに来てくれなかった。もちろんそれはあたしのわがままだ。わがままをきいてくれなかったからあたしは怒っている。この感情は何処から出てきたのだろう。好きだからわがままを言ったの? それとも彼が奈那さんの息子だから? 奈那さんの代わりだと言ってくれたから、あたしはその言葉に甘えているだけ?

 そういうのは、好きとか嫌いとか、そういうのとは違う。

 それじゃ好きというのはどういう感情?

 すごく好きで恋してる、大切で大切で愛しているというのはどういう気持ち? それはあたしが奈那さんにぶつけていた感情のこと?

 それともたとえば。

 小春が真南に執着する気持ち?


 先生からは、ここ最近の小春とのことを色々と聞かれた。

「昨日の夜のことなんだけど、森高さんのブログに君の家族の写真や個人情報が無断掲載されて嘘の内容が書かれているという話をたくさん聞いたんだ。児童だけでなく保護者からの意見も多かった。先生に報せてくれた皆が君と君のご家族を心配していたよ。今朝は君の伯父さんからも連絡があって、森高さんのご両親と話し合いをすると仰っていた。それとは別に君が知っていることがあれば先生に聞かせてくれないかな。先生は本当のことが知りたいんだ。校長先生も他の先生もみんな心配してるんだよ」

 君の家族というのは真南のことで、嘘の内容というのは真南が小春の彼氏だという記述だ。

 簡単に言ってくれればいいのに、学校の先生ってどうしてこんなふうに回りくどくて柔らかい言葉を使いたがるのだろう。

「知っているだろうけど、森高さんと君の従兄の真南くんは過去にいろいろあってね、今は大人たちが見守っているところだったんだよ。孤立していたけれど彼女なりにクラス委員に立候補したり頑張っているように見えたし。君が仲良くしてくれるようになって安心していたところだったのに、残念だ」

 長崎くんが垂れ流した情報は何処まで広がっていたのか、すでに校内でも噂になっていた。

 先生に何を訊かれてもあたしは突っぱねることにした。

 去年のことはあたしのイトコと小春のトラブルなのであたしはよくわかりません、とあたしは言い続けた。学校を巻き込まない方がいい。教室内の、あの痛くて辛い雰囲気はもうたくさんだ。先生は何かあったら隠さずに話して欲しいと何度も言ってあたしを解放した。

 放課後、あたしの後ろを元気に跳ねながらついてくる長崎くんと一緒に緊急クラス委員会議に出席した。そこでは大量のプリントとアンケート用紙が配布され、来週月曜の全校集会までに全員に渡しておくようにと命じられた。


『本当はこわいインターネット ネットリテラシーってなんだろう?』

『炎上とは? ~もしもキミのカキコミがトラブルを起こしたら~ 』

『インターネットとSNSに関するアンケート』

 

 A4サイズのプリントは両面刷りで、何処かの子ども向けサイトからコピーしただけの幼稚なポップ文体が踊っていた。

 これは明らかに、小春がしでかしたことを全校に晒す公開処刑だ。

「こんなアンケートやら全校集会なんてクソだよな」

 長崎くんが隣で呟いたけど、あたしは笑えない。

 小春のことを先生にまで報告したのは、あんたじゃないか。

 そりゃこんな報告を受けたら、まともな小学校なら問題視してネットに関する特別集会を催すに決まってる。

 そっとしておいて欲しかったのに。

 そしたら、真南の父親である伯父さんと小春の両親が対話して処理するだけで終わったことなのに。

 あんたが〝祭り〟を盛り上げたくせに、傍観者気取りで何を言ってるんだ。こんな騒動になってしまったら小春は二度と教室に戻れない。どうしてそんな簡単なことが想像できなかったの?

 想像力がないの?

 長崎くん、クソはおまえだよ。


「クソはおまえだよ、」


「えっ?」


 やばい。

 ――聞かれてた。





§4小さな箱/了

§5に続く

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