§5ー2 丘の家のカリカ



 田端邸は丘の上に建つ洋館風のお屋敷だ。

 大きな鉄の門をくぐると、上品に手入れされた秋の庭が広がってここだけ古いヨーロッパのよう。

 小さな妖精がはしゃぎながら借り暮らしをしていそうな静かな庭だ。

 その向こうにはガレージ、黒塗りの外車の横に燎平が乗っていた白くて小さな車が停まっていた。

 あの日のことを思い出して、ちょっと鼻の奥が痛くなる。

 いつかまた燎平とデートしたい。


「いらっしゃい、中等部の英雄若月真南くん。待っていたのよ」

 大きな扉を開けて出迎えてくれたのは、背が高くてハイヒールのよく似合う女性だった。

 淡いクリーム色のふわっとしたワンピース、大きくてセクシーな胸、重そうな色で上品に輝く銀色のネックレス。きりっとした顔だちと印象的な強い色の眸、さらりと盛った黒髪。落ち着いた二十代に見えるけど上手な化粧のせいかもしれない。

 ああ、これは間違いない。

 ガチのお姫様だ。

 すると真南が彼女に向かってぺこんと頭を下げた。

「お招きいただきありがとうございます。大岡先輩、遅れてすみません」

 大岡先輩と真南は言った。

 ということはこの女性は高校生か!

 世界は広い。世界は深い。あたしは目の前の圧倒的な美貌にひれ伏したい気分で、真南に続いてお辞儀した。

 たしかにこれは夢の舞踏会だ。こんな美女が生息しているのだから、ここは夢の世界で間違いない。


「初めまして、こっちがあの若月菖蒲ちゃん?」


 いきなり名前を呼ばれた。

 イエスアイアムと応える猶予もなかった。

 彼女はあたしの返答など関係なく、すでにあたしが若月菖蒲であることを確信していた。というよりも知っていた。真南はあたしを連れてくることを周囲に予告していたのだろうか。

「翔馬が言っていたとおり、ちっちゃくて可愛いのね。だから口紅はもうすこし柔らかいピンク色のほうが似合うかもよ。さあいらっしゃい、翔馬が待ってる」

 お姫様のような第一印象だったけれど、立ち振る舞いはお妃様に近い。まるでこのお屋敷まるごとが彼女の所有物であるかのようだ。

 実際に、それに近い特別に立場の女性なのだと思う。

 田端翔馬のことを、翔馬と親しげに呼んでいる。これはあたしが田端燎平を燎平と呼ぶ声とは明らかに意味が違う、そして雰囲気が違う。

 たとえば恋人のような、たとえば家族のような。

 彼女に肩をぽんと押され、あたしと真南は中に入った。

 ――うん、外見から想像したとおりだ。

 ここはまるで異人館だ。広くはない、そして新しくもない。

 狭い廊下、壁にかかった絵は古くて映画のセットのよう。天井は高く吹き抜けになっていて、若い男女が談笑する声が聞こえてくる。

「お城のような大きな御屋敷の舞踏会を期待してた? それはただのデマだから信じちゃ駄目。この屋敷のスペースの問題で大勢を呼べないからバカバカしい噂を流して牽制してるの」

 彼女がくすくす笑う。

「本当は、仲間内で月に一度おめかしして集まるただのお茶会。十人呼べばぎゅうぎゅうの狭いホームパーティーなのよ。だから太郎ちゃんはこの家を使うなっていつも怒るの、今日も朝から怒鳴り散らして恋人のマンションに避難しちゃった」

 背の低いあたしの両肩に手を置いて、彼女が馴れ馴れしく寄りかかる。

「ところであなたは誰ですか?」

 あたしがつんとした声で尋ねると、隣で真南が小さく息を呑んだ。

「あや、このひとは高等部三年の」

「大岡梨佳です、よろしくね――翔馬! お待ちかねの可愛いお二人さんの到着よ」

 あたしの失礼な態度もまったく気にせず、大岡梨佳はあたしと真南の背中を両手でぽーんと叩き、広間に押し込んだ。


 たしかに、これはちょっとだけ上等な単なるホームパーティだ。

 お金持ちが催すお誕生日会のイメージに近い。

 壁一面のスクリーンには、あたしの知らない外国映画が流れている。天井からつり下がっているプロジェクターは年代物のようで、ときどき映像が斜めに歪んでいた。それをソファに座って笑いながら鑑賞している男女は四人。その他、大騒ぎしながら人生ゲームをやっているグループは瓶コーラの一気飲みを罰ゲームにしているらしく盛り上がっていた。さらにキッチンでは長い髪を束ねた女性が三人でオーブンと格闘している。焦げ臭い。

「カリカちゃん、ケーキが超焦げた! このオーブン壊れてる!」

 甲高い声が飛んできた。

 大岡梨佳は透き通った声で怒鳴り返す。

「いったい今日はどうしちゃったんだろう、家じゅうすべてがポンコツ!」

「はいはいポンコツが参りましたよ!」

 覚えのある声が聞こえて振り返ると、ジャージ姿の翔馬が口を尖らせて立っていた。小脇に工具箱を抱え、右手の指先でドライバーをくるくる回している。

 初対面のときのような、尖った印象はすでに無い。

 あのときはあんなに厭なヤツだと思ったのに、太陽のような笑顔が魅力的にさえ見える。きっと、この表情が彼の本性なのだろう。

 大岡梨佳が肩をすくめ、ちょうどいい高さにある翔馬の胸をグーで殴った。

「ちょっとあんた、プロジェクターもまだ全然おかしいじゃないの。直してないでしょ」

「悪いけどオレはド文系だから磁石のN極とS極ぐらいしかわかんねえよよバーカ。太郎ちゃんは相変わらずの逃走中だしポンコツ修理担当大臣は例の状態だし、ブレーカーはすぐ落ちるし床はミシミシいうしもう最低だよこの家は、それに、」

 と言いかけて、翔馬はようやくあたしと真南を見おろした。

「よう若月兄妹。このオレ様からご招待を受けておきながらがっつり遅刻とは恐れ入るよね。っていうかおまえたち二人がセットで並ぶとひな祭りや七五三みたいで無駄におめでてえな。よしよしあとでおっちゃんが写真を撮ってあげよう」

「どうも」

 あたしたちはお辞儀したけれど、翔馬の恰好が気になって仕方ない。

 好き勝手に遊んでいる連中も、あしたと真南も、そして大岡梨佳も、皆がそれなりにおめかししているのにどうして翔馬だけがジャージ姿なんだろう。

「もうすぐご馳走が出来上がるはずだから、今日は全力で飲み食いしていけよ。それで、ちょっと遅くなったけど初対面のときのアレとその後のアレはすべてチャラということにしてくれる?」

「ご馳走は嬉しいんですけどオーブン壊れてケーキが焦げたって言ってますよ」

「問題ない。なんとかなる、なんとかなるよな! カリカ様!」

「んもう、なるわけないっしょ。あたしは魔女じゃないんだから」

 大岡梨佳は苦笑してみせると、「ああもう」と呟き小走りでキッチンに向かう。

「ぼくも何か手伝います! 配線とか修理とか得意だし手先も器用なほうだから大丈夫です!」

 真南が翔馬を見上げて威勢良く挙手した。その目はすでに忠実な子犬の顔だ。いったいどうして何の根拠もなく田端翔馬に懐いているのかさっぱりわからない。一度はボッコボコにした相手だというのに。

「おまえは並外れた運動神経のくせに工学系もいけるとはほんとにバットマンかスパイダーマンかそれともアイアンマンなのか、どんだけ神に愛されて生まれてきたんだよ。今日からオレを兄さんと呼んでおくれ」

 翔馬が真南の耳を引っ張って頭をこね、痛い痛いと笑っている真南に工具箱を押しつけている。どうみても小型犬をおちょくっている大型犬だ。

「あ! 火力が元に戻った!」

 女たちの歓声があがる。

「おー、プロジェクターも直ったぞー」

 映画鑑賞組からも暢気な声。

「こっちの照明も点いたよーお」

 人生ゲームで遊んでいた連中も、壁の照明を指さした。

 薄暗かった部屋がふわりと明るくなる。この屋敷の部屋が物寂しく古めかしかったのは、部屋全体の照明が足りなくて暗かったせいだったんだ。

 翔馬はゆっくりと周辺を見渡して、階段の上で視線を止めた。

 あたしも翔馬の視線を追う。その先には。


「おう、相変わらずバカが集まってバカ騒ぎやってるねえ」


 吹き抜けの二階から一階を見おろしている燎平がいた。いつかと同じように頭に血の滲んだ包帯を巻いている。

 そして、彼の傍らには点滴を吊したスタンド。

「おまえら、壊れた人間が住んでる壊れた家で遊ぶ気分はどうよ?」

 全員の視線が止まった。

「燎平さん、帰ってたのか」

 翔馬が淡々とした声で呼ぶ。燎平は手摺りに頬杖をついた。

 不機嫌に曲げた口元、覇気のない頬。

「いま帰ってきたよ。右足が痺れて内臓も弱ってるから少し眠りたいんだよな。お楽しみのところ悪いけど、そのバカ騒ぎはまた今度に延期してくれる? はい、そういうわけで全員解散!」



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