第五章 グロッケンの記憶

 正直、何が起きているのか、俺にはよくわかっていなかった。

 渡し忘れの可能性のある似顔絵を見つけて、慌ててウエノ・シティで情報収集を開始。

 そして似顔絵の相手がアキハバラ・シティにいるらしいと聞きつけ、慌てて飛んできたらこの状況だ。

 ……全く、ふざけてやがる。アップルパイのやけ食いでもしたい気分だぜ。

 そう思うが、今は仕事中。払ってもらった分の仕事は、きっちりさせてもらう。

 瑕疵保証も、俺の仕事の売りだからなっ!

 とはいえ、最低限の情報は欲しい。

 俺はイブの触手を避けながら情報収集を開始することにした。

「おい、ポンコツ!」

「ワタシはポンコツじゃないのであります! って、なんだか懐かしいやり取りでありますな、これ」

「いいから、現状の情報をよこせ」

 ポンコツが何か言いたそうな顔をしていたが、無視。

 送られてきた情報を読みながら拳銃を取り出し発砲するも、発砲した弾丸がそのままイブの肉に飲み込まれていく。

「どうするのでありますか、グロッケン!」

「どうするもこうするも、『黄金の林檎』をどうにかするしかねぇ! ポンコツの方で『黄金の林檎』の現在位置を把握出来ないか?」

「補助装置の位置情報のスキャンなんてしたことないのであります! それから、ワタシの名前はポンコツではなく――」

「来るぞ、ポンコツ!」

「リリスでありますよっ!」

 互いに叫び声を上げながら、俺はイブの体をスキャンしていく。するとイブの体内で動く影が。

「おいおい。あの状態でも科学生体は稼働していやがるのかよ。竜だろうがイブだろうが、電源として使えれば何でもいいのか。節操ねぇなぁ」

 だが、妙だ。科学生体が一箇所に固まりすぎている。

「おい、リリス!」

「やっと呼んでくれたでありますな!」

「いいから! イブの中にいる科学生体の制御を乗っ取れるか(ハックできるか)?」

「ど、どういうことでありますか?」

 触手を掻い潜るようによけながら、リリスが疑問を俺に投げかける。

「魔術傾倒者にとって、脳を動かす酸素を送っているのは心臓だ。つまり心臓は、魔術傾倒者にとっての電源になる!」

「『黄金の林檎』がイブの心臓(電源)となっている今、その周りには科学生体がいる、というわけでありますかっ!」

「だから科学生体を乗っ取れれば、」

「『黄金の林檎』をどうにか出来る、というわけでありますね!」

 疾走しながら、俺はCB弾をイブに向けて撃つ。紅雷がイブの表面で咲くが、電気信号(意志)が科学生体に届く前に分厚い肉に分散されてしまう。

「そういえば過去にイブが魔術を使った時は、補助装置になりそうなものを胸に、心臓に抱えていたのであります」

「科学生体を養えるぐらいなんだから、『黄金の林檎』経由であれば補助装置が使えるのかもな。もしかすると、リリスを稼働させるのに必要な電源もまかなえるんじゃないか?」

「……ぞっとしない話なのでありますな」

「それで、行けるのか? 科学生体の乗っ取り!」

「出来なくは、ないのであります」

「方法は?」

 イブは深刻な顔になった後、言葉を噛むようにして話し始めた。

「ワタシはAI、0と1のプログラムなのであります。電源が確保できている条件付きですが、その状態であればワタシ自身をBMI粒子を使って電気信号(意志)の固まりに移植することが可能なのであります。そうすれば、直接科学生体に電気信号(意志)を送り込み、乗っ取ることが可能となります」

「だが、それは――」

 リリス自身が筐体から抜け出し、電気信号になるということ。

 もし筐体に戻ることが出来なければ。

「はい。ワタシを移植した後、この体にワタシが戻る前に電源の供給が止まれば、ワタシは削除されます(死にます)」

「……移植までしなくても、お前(AI)を複製(コピー)すれば――」

「その時点で、ワタシはワタシではなくなるのであります。ワタシは『ワタシ』として、トモダチを助けたいのであります」

 リリスは俺の目を見ていた。真っ直ぐ、逃げることなく、ただ純粋に見つめいた。

 そんな目を見せられたら、俺はこう言うしかない。

「……電源の、あてはあるのか?」

「ありがとうなのであります、グロッケン」

「いいから教えろ!」

「あそこ、見えるでありますか?」

 リリスが指さしたのは、粉々になった絶縁体が散らばっている、その下。

「あの電源ケーブルを使うのであります。散らばっている絶縁体を絶縁破壊するほどなので、電源として申し分ないのであります」

「……わかった。ただし、イブだけでなくお前も瑕疵保証の対象だということを忘れるな。無理だと思ったら、すぐに中止しろ」

「わかっているのであります」

「俺が囮になる。頼むぞ!」

 俺が叫ぶのを契機に、俺とリリスは走り始めた。

 リリスは電源に向かうために触手をくぐり抜け、俺はリリスを追う触手を片っ端から撃ち落としてく。

 その甲斐あってか、触手の向き先が俺へと変わる。リリスを追っていた分も引き受けたことで、今まで以上に攻撃が苛烈になった。

 くそっ! きりがない!

 俺が床を転がるのと、頭の上を触手が通過したのはほぼ同時。あと一歩遅ければ、俺の頭部も肉の一部になるところだ。

 と、そこで俺は見覚えのあるものを見つけた。

 俺の左腕だ。いや、正確には元々俺の左腕だったものだが、何故だか首から下げれるように加工されている。いつ加工したのかは思い出せないが、幸いナイフのような使い方も出来そうだ。今は武器が多い方がいい。

 俺は自分の左腕だったナイフを手に取ると、触手を撃ちながら全力で走り始めた。

「リリス! まだかっ!」

「今たどり着いたのであります!」

 見ると宣言通り、リリスが放電した電源ケーブルを床から引き抜いているところだった。

 そして――

「あああぁぁぁあああぁぁぁあああっ!」

 叫び声と共に、放電しているケーブルを握りしめた。

 瞬間、リリスの体から紅雷がほとばり始める。空気中のBMI粒子を集め、リリスの電子信号(意志)を移植しているのだ。

 無秩序に飛び散っていた紅雷はやがて収束していき、リリスと瓜二つの真紅の輪郭を作り出す。その代わりとでも言うように、リリスの体現者がズルリと床に倒れた。見る人が見れば幽体離脱、あるいは魂だけが体から抜けだした、と表現していたかもしれない光景だった。

「喋れるのか?」

『無論であります。BMI粒子を人体の細胞代わりにしているようなものでありますよ』

 そう言うとリリスは放電したケーブルを手に、イブに向かって走り始めた。リリスの動きに合わせて、床に埋もれていたケーブルが地上へと掘り起こされる。

 鳴門の憎悪が危険を感じ取ったのか、触手が矢のようにリリスに振りかかる。俺も援護射撃をするが、数が多すぎる!

 だが、心配は無用だった。紅い稲妻となったリリスの動きは俊敏で、あっという間に科学生体が集まっている、イブの心臓付近まで到達した。

 その場所は肥大化した、イブの頂点。

『行くでありますっ!』

 リリスの叫び声と共に、リリスの体からさらなる紅雷がほとばしる。雷鳴に導かれるように、あるいは雷光を恐れるかのようにイブの肉が蠢き立ち、徐々に道が出来ていく。

 道を作っているのは科学生体だ。完全にリリスの制御下に落ちた科学生体は自分の住処を切り刻み、リリスを自分の城に案内していく。

 科学生体が動く度に不快な金属音と肉が引きちぎれる音が鳴り響き、臓物と血液が焼け爛れる臭がするが、ここで嗅覚機能と聴覚機能を切るわけにはいかない。何が起こるかわからないからだ。

『見えた! イブであります! グロッケンっ!』

 リリスの声に導かれ顔を上げると、そこに見覚えのない少女がいた。あれがイブという少女の素顔なのだろう。

 イブは顔と上半身以外まだあの肉の中に埋まっており、肉の十字架に貼り付けにされた聖女のように見えなくもない。瞼を閉じた彼女の胸には、明らかに不釣合いで歪な、ほの暗く輝く黄金が埋め込まれていた。間違いなく、あれが『黄金の林檎』!

『イブ! 聞こえるのでありますか? ワタシであります! リリスでありますっ!』

「リ、リリス、さ、ん?」

 リリスの懸命な呼びかけに、イブの意識が戻った。

 空気が弛緩したその瞬間、触手がリリスに向かって動くのが見えた。銃に手を伸ばすも、もう弾が残っていない。

 だが、あのリリスでは間に合わない。俺が行くしかなかった。

 俺は全力で駆けると、リリスの体現者を突き飛ばした。代わりに俺の体に、触手が深々と突き刺さる。

 用は済んだとばかりに、触手は俺を床へと放り投げた。

『グロッケン!』

「グロッケンさん!」

 リリスが戻る体がなければ、電源が切れた瞬間、リリスは死ぬ。運搬屋として、例え覚えていないとしても、雇用主の安全を優先するのは当然の判断だ。

 脳と心臓の生命維持装置が悲鳴を上げるが、直撃じゃなければ、まだ動ける。

「リ、リス。早く、イブを……」

『わかっ――』

「リリスさん、危ない!」

 イブの言葉に、リリスが振り向く。イブが何を伝えたいのか察したリリスは、自分が握っている電源ケーブルの防衛に科学生体を向かわせた。触手が今度は、電源ケーブルを狙ってきたのだ。

 あの電源ケーブルは、リリスの生命線。鳴門の憎悪は、的確に俺たちを殺しに来ている。

『こ、このままでは、皆共倒れになってしまうのであります!』

 リリスの叫び声が、俺たちの今の現状を正確に示していた。

 イブが動けないのは言わずもがなで、リリスは電源ケーブルの防衛に手一杯。その電源も、いつまで持つかはわからない。俺はといえば、無様に床に転がることしか出来なかった。

 その時、あるアイコンが俺の眼前に広がった。

 いつまで経っても起動できなかった、水面で林檎が漂っているアイコン(MADA)。

 触れてもいないのに、あのメッセージが出力される。

『アナタは、人間ですか?』


「助かる方法なら、あるよ。リリスさん」

 絶体絶命の状況で、イブが口を開いた。

『ほ、本当でありますか! イブっ!』

「うん。この触手は、補助装置で動いているんだから、それを動かしている魔術傾倒者が死ねば、触手は止まるよ」


 メッセージは、まだ消えない。

『アナタは、人間ですか?』


『……イブ。何を言っているのか、わかっているのでありますか?』

「……うん、わかってるよ。『黄金の林檎』を動かしている私を殺せば、皆助かるよ。ほら、私の脳はここにあるんだから」

『いい加減にするのでありますっ!』

 泣きながら笑うイブに、泣きながらリリスが怒る。


 メッセージは、いつまで経っても消える気配を見せない。

『アナタは、人間ですか?』


『どうしてなのでありますか? どうしてイブはそんなにすぐ死ぬことばかり選ぶのでありますか? そんなに死にたいのでありますか? そんなに、ワタシと生きたくないのでありますかっ!』

「そんなわけないじゃないっ!」

 喉が裂けそうなほどの凄絶さで、イブはリリスに泣きついた。


 メッセージは、消えない。

『アナタは、人間ですか?』


「私だって生きたいよ! 記憶喪失だなんて知らないよ! 「最も危険な野獣」? なにそれ私獣じゃないよ、人間だよ! 勝手にそんな役割押し付けないでよ! そんなの全然、全然わからないよっ!」

 イブの慟哭は、哀哭は、泣哭は止まらない。

『アナタは、人間ですか?』

「記憶が無いから、もっと世界のこと知りたかった。生きたい。私だって生きたいよ」

『アナタは、人間ですか?』

「何で私ばっかりなの? 何で私が死なないと、大切な人に迷惑がかかっちゃうの?」

『アナタは、人間ですか?』

「グロッケンさんに刺されるとき、もうこれで最後だって思ったから笑えたんだよ? 泣きながらでも、笑えたんだよ?」

『アナタは、人間ですか?』

「こうなっちゃった時も、グロッケンさんみたいになりたいって、してもらったことを返そうって、リリスさんを助けれるなら、死ねるって思ったんだよ?」

『アナタは、人間ですか?』

「なのに、もう、もう三回目だよ! これで三回目なんだよ! 死のうと思うのはっ!」

『アナタは、人間ですか?』

「生きたいけど、二人に迷惑かかるなら、友達を殺しちゃうぐらいなら、私、そんな風にしてまで、生きたくないよっ!」

『アナタは、人間ですか?』

「生きたいけど、そうなっちゃったら生きていけないよっ!」

『アナタは、人間ですか?』

 だから――

『アナタは、人間ですか?』

「ね? 殺して(助けて)」

『アナタは、人間です――

 あああぁぁぁあああぁぁぁあああぁぁぁあああぁぁぁあああっ!

 うるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえっ!

 肝心なときには押してもうんともすんとも言わなかったくせに、いまさらしゃしゃり出てきてんじゃねぇよっ!

 俺は今、こいつらを助けなくちゃいけないんだ!

 こいつらを助けるのに、必死にならなくちゃいけないんだよっ!

 俺が人間? そんなもん、どうでもいいだろうがっ!

 俺よりも友達のことを真剣に思いやってる、こいつらの方が何処からどう見ても『人間』だろうがよっ!

 だから、こんなくだらない質問してんじゃねぇっ!

 邪魔だぁぁぁあああ! どけぇぇぇえええっ!

 そう想い、俺は目の前のメッセージを粉々に叩き割る意志を発生させた。

 瞬間――

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