終 章 Kid in the Basket カゴに入った幼児

終 章   カゴに入った幼児

 一年後――


 深い森の中を進む一隊の軍団があった。


 地面が大きく起伏しているうえに、腐った倒木があちこちに転がって進路をふさいでいる。

 樹上からは太いつるが無数にぶら下がっていて、小動物がそれをつたうのか、ときおり薄気味悪く揺れて近くの兵士をハッとさせる。

 どこか遠くで、姿の見えない鳥が神経を逆なでする鋭い叫び声を上げて鳴きかわしていた。


 隊列を組んでいるというより、先頭がなんとか切り開く道をたどってついていく以外、前進する方法はないのだった。

 行軍は難渋し、足どりは重かった。

 道のひどさだけでなく、頭や腕に間に合わせの布切れで応急の血止めをしている者や、つえ代わりの棒切れにすがって歩いている者もいる。

 戦いの後なのだろう。


 まちまちな軍装からして、傭兵にちがいない。

 武器商人から仕入れたようなまともな装備をしている者はほとんどなく、戦場で拾ったかどこかでくすねた間に合わせのものでかろうじて戦士らしく身を固めているだけである。

 統率もろくにとれておらず、さほど精強な集団とは見えなかった。


 しかし、奇妙に浮き立った雰囲気があり、ひそひそかわされている会話には笑い声もまじっていた。

 どうにか戦いに勝利し、なんとか生きて帰り着けそうだと踏んで、緊張がゆるんでいるのかもしれなかった。


 最後尾を歩いているのは、おそろしく大きな身体つきの男だった。

 動きが鈍重なために遅れているのではなく、隊列からはぐれたり動けなくなる者がいないか、気を配りながら進んでいるらしかった。

 その足どりはだれよりも着実だった。


「森を抜けたぞ!」

 先頭の叫びにどっと歓声がわき、隊列の速度が急に上がった。

 最後尾にも、まもなく光にあふれた空間が見えてきた。

「なんだ、崖の上に出ただけじゃねえか」

 がっかりしてへたへたとその場に座りこむ者がいる。

 だが、崖は切り立って高さもあったが、なんとか降りられないほどではなく、これからの経路のおおよその見当がついただけでも、あちこちから安堵のため息がもれるのが聞こえた。

「よし、休憩だ。しばらく休んだら、夕暮れまでに崖の下に降りるぞ」

 先頭の隊長らしき男が言うと、崖の上のわずかに開けた日だまりに、二〇人ほどの兵士たちが思い思いに場所をとって座りこんだ。


 巨体の男は、すこし離れた崖っぷちの岩の上に腰を下ろした。

 ほかの兵士たちはすぐに重い荷や武器をはずし、くつろいで糧食を使ったりにぎやかにしゃべりだしたが、巨体の男はひとりでじっと眼下の風景を眺めている。


 そのとき、いきなり兵士の中の一人が立ち上がり、すばやく弓を構えたと思うと、巨体の男をねらって矢を射放った。

 矢は男の後頭部めがけてまっすぐ飛んだが、当たる寸前で男がひょいと首を傾けたために、矢は空中にむなしく弧を描き、やがて崖下の森の中へ吸いこまれていった。

 それを見て、傭兵たちの一座は笑いや拍手でどっとわき返った。

「やめとけ。当たりやしねえよ。あいつには後ろにも眼があるんだ」

 年かさの、正規の兵士ならとっくに引退させられているはずの男が、矢を射った男にむかってさとすように言った。


 同じようなことは何度もくり返されているらしく、だれ一人驚いた様子を見せる者もなく、また元の会話や食事にもどっていった。

 しかたなさそうに弓を下ろした男は、チッと小さく舌打ちすると、巨体の男のほうへと歩み寄っていった。

「止まれ。それ以上近づくと、おまえはいちころだぞ――」

 背を向けたまま、巨体の男が太い声で警告した。


 すると、男が背中にくくりつけているかごから、ブロンドの髪をした小さな頭がぴょんと飛び出すように現れた。

 子どもとは思えない鋭い眼で近づく相手をにらみつけると、手にしたパチンコで顔の真ん中にピタリとねらいをつけた。


「くそっ。ガキのくせに物騒なおもちゃを持ってやがる。射つなと言え」

「おれが言ったってだめだ。おまえが武器を捨てて両手を挙げればいい」

 しかたなく弓を地面に置き、ゆっくり用心深く回りこむようにして巨体の男の横の岩に腰かけた。

 その間、パチンコは精確に相手の顔をねらいつづけていた。


「後ろを見張らせるだけじゃ足りなくて、こんどは武器まで持たせたってわけか」

 あきれ顔で言ったその相手は、この隊の中で巨体の男のつぎに長身の、頭を丸刈りにした男だった。

「おれは知らん。だれかがよけいなおせっかいをして、作ってやったんだろう。いきなり後ろからねらってくるようなやつがいるからな」

 大男が皮肉っぽく言った。

 すると、兵士たちの間から、さっきの年配の男が子どもにむかって人のよさそうな笑みを浮かべながら手を振ってみせた。

「それに、おれが見張らせているわけでもない。この子が勝手に背中や首筋をたたいて知らせてくれるんだ。おかげでだいぶ命を救われている」

 そう言うと、両手を肩ごしに差しのばし、かごの中から子どもを軽々と抱え上げて自分のひざの上に座らせた。


 四、五歳ほどの、目鼻立ちのととのった、いかにも利発そうな子どもだった。

 ブロンドのきれいな髪をしていたが、長くなるたびにナイフか何かで適当に切りそろえてやっているのか、ボサボサの短髪だった。

 大きな眼は、何でも見逃したくないというように、好奇心に燃えてくるくるとよく動く。それは、つねに用心をおこたらない注意深い眼つきでもあった。

 服装もふつうの子ども用のものではなく、雨に濡れたり地面にそのまま横たわって眠ったりしても平気なように、厚手の生地で仕立てられた兵士とさほど変わらないもので、やはり隊のだれかが手縫いで作ってくれたものらしかった。

 そのせいもあって、見た目では男の子か女の子かもよくわからない。


 丸刈りの男はふうんと鼻を鳴らして、あらためて子どもを見つめた。

 子どもはもう丸刈りの男にはまったく関心を失い、崖の途中から飛び立つ鳥の群れを夢中になって眺めている。

「さすがにスピリチュアルのガキはちがうのかな」

「シッ……そのことを言うな」

 巨体の男にたしなめられて、丸刈りはあわてて口をつぐんだ。

 さいわい、彼らの会話に注意をはらっている者はだれもいなかった。


「だが、おまえも十分奇妙なやつだな。いったいどこまでおれについて来る気だ」

 巨体の男が、いかにもおかしそうに言った。

「知れたことだ。ゴドフロア、おまえは兄者の仇だ。それに、おまえのおかげで仲間たちがどうなったのかもわからない。城にもどることだってできやしない」

「だったら探しに行ったらどうだ、ダブリード。残りの仲間がどこかにいるだろうし、身内が住んでいる隠れ里もあるんだろう」

「どのつら下げて帰れっていうんだ。死んだ兄者とおれの間には、まだ三人も兄弟がいる。あんまし仲のいいやつらじゃねえが、兄者とおれがいないとなりゃなんとか協力してやっていくだろうさ。黒鷲団はしばらく休業だ」

 ダブリードはすねたように言い、小石を拾って崖の近くを飛んでいる鳥にむかって投げつけたが、まったくかすりもしなかった。


 すると、それをまねするように、ゴドフロアのひざに乗った子どもがパチンコを構え、すばやく発射した。

 ほとんどねらいをつけたとも見えなかったのに、みごとに一羽の翼を射ち抜き、鳥はクルクルきりもみしながら落ちていった。

 ダブリードは眼を丸くして、ヒューッと感嘆の吐息をもらした。


 この奇妙な取り合わせの関係が生まれたのは、もちろんレザリ伯爵領での出来事がきっかけだった。


 ゴドフロアはステファンとフィオナを先に山脈を越える抜け道のほうへ逃がし、吊り橋を落とそうとした。

 しかし、それはすんでのところで間に合わず、ロープの片方を切って数頭の馬と盗賊は谷川に落下させたが、残ったほうのロープをつたってダブリードと身軽なスピリチュアル兵たちが追いすがってきた。

 橋の手前では、飛空艦から降下した歩兵も参戦して、黒鷲団との間でまた新たな乱戦がはじまった。

 橋をはさんで山脈側に取り残された格好のゴドフロアとダブリードは、期せずして共闘してスピリチュアル兵と戦うことになった。


 崖っぷちに追いつめられた二人は、やむなく数十メートル下の急流にむかって飛びこんだ。

 丸一日つづいた嵐で谷川はかなり水かさが増し、流れも速くなっていた。

 水が苦手なスピリチュアルは追って来れず、彼らが下流に馬を迂回させたころには、二人はずっと川下まで押し流されていた。

 ようやく気がついたとき、ゴドフロアとダブリードは石ころだらけの河原に打ち上げられていた。

 驚いたことに、背中に結びつけておいた子どもは、苦しそうにしているどころか、つぶらな眼を開いて平然とゴドフロアを見つめ返してきたのだった。


 ステファンとフィオナの安否は気になったが、大地の裂け目のように両岸が垂直に切り立った谷川を元の場所へさかのぼるのは不可能だった。

 ステファンたちは馬に乗っているし、食糧も少しは持っていた。

 道はフィオナが知っているから、敵に追いつかれさえしなければ逃げのびられたにちがいない。


 戦いは、どちらが言い出したわけでもなく、おたがいが助かる見込みがつくまで、とりあえず休戦にするしかなかった。

 魚をつかまえるのはしぶしぶ二人で協力し合い、弓の得意なダブリードは森に入りこんでキツネや野ウサギを捕らえてきた。


 不思議な協力関係は、なんとか人里にたどり着いてからもつづいた。

 どう見ても恐ろしげな二人組だったが、力仕事をまかせるにはうってつけだった。

 そうやってその日その日の食い物と寝る場所をどうにか確保した。

 子ども連れということで、たいがい最初は人さらいではないかと怪しまれたものだが、それなりに成長した子どもがまったく二人をこわがっておらず、巨体のゴドフロアにはとくになついている様子を見せると、村人たちはすっかり気を許し、かえって気の毒がって親切にしてくれるのだった。


 三人は旅をつづけ、けっきょく慣れた傭兵稼業にもどった。

 そこでも、周旋屋に子どもが足手まといになるのではないかとまっ先にとがめられた。

 ゴドフロアは平然として「だれにも迷惑はかけない」と請け合った。

 戦力としてのゴドフロアを値踏みすれば、子どもを抱えていてさえ、さほどマイナスにならないことは容易に想像がつく。

 いっしょにいる、こちらもかなりの腕利きに見えるダブリードは、それを肯定も保証もするわけではなかったが、雇う側が勝手に二人が相棒でいっしょに面倒をみるのだろうと解釈して、問題はあっさり片づいてしまった。


「おまえ、いつまでそいつを連れているつもりだ。ガキはすぐにでかくなる。そうなったら、背負って戦うわけにはいかなくなるぞ」

 ゴドフロアは、ダブリードのせりふに、さもおかしそうに笑った。

「おまえのほうこそ、勝手におれの尻について来ているくせに、よけいなお世話だ」

「ふん。そいつがくっついてると思うと、おまえを殺しずらいんだよ。さすがのおれも、子どもに恨まれるのはイヤだからな」

「そうか。この子は敵からおれを守ってくれるだけじゃなくて、おまえからも守ってくれてるわけだな。じゃあ、よけい手放せないぞ。なあ、マチウ」

 ゴドフロアが名前を呼ぶと、ひざの上の子どもがふり返ってうなずいた。

「うん……オヤジ」


 そのとたん、ゴドフロアの巨体がビクッと震えた。

「おまえ、今、何て言った? もういっぺん言ってみろ」


 すると、ダブリードがつまらなそうに言った。

「『おやじ』って呼んだんだよ。その子がおれのとこへ来て、おまえのほうを指さして、何て呼べばいいって聞いたんだ。とうちゃんのほうがよかったか?」

 ゴドフロアはそんな言葉に耳をかしてはいなかった。

 子どもの顔を食い入るような真剣なまなざしで見つめながら言った。

「おれは……おやじか? おれが、おまえのおやじなのか?」

 子どもは、まっすぐゴドフロアを見つめ返し、大きくうなずいた。


「じゃあ、あのときおれの姿を見たんだな。カナリエルと……母親の顔といっしょに」

 子どもはもう一度大きくうなずき、にっこり笑って言った。

「オヤジ」


 それを聞くと、ゴドフロアは太い腕とぶあつい胸板の間に小さな子どもをギュッと抱きしめ、崖のむこうに広がる空にむかって叫んだ。


「おまえは、おれの……娘だ、マチウ!」


           [生誕篇] 完

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