第二章 3 地底の焦熱地獄
昇降機が向かったのは上ではなく、さらに下層だった。
三日前、生命回廊の男子禁制違反があったことが最初に報告されたとき、ロッシュは、生命回廊が万が一叛徒に占領されている可能性を考え、兵を突入させるための経路を徹底的に調べ上げた。
その際、昇降機と裏ゲートへの出入口のほかに、もうひとつだけ外部へ通じる口が開いていることを発見していた。
生命回廊より下層には地熱発電所があるのみだが、発電所は、構造上いくつかの排気口をそなえている。
そのひとつに生命回廊の換気口が通じているのだった。
階層でいえば、地熱発電所は生命回廊のすぐ下に当たっているはずなのに、昇降機はなかなか止まらなかった。
幼年学校の低学年のときに見学に行ったことがあるきりで、記憶はあいまいだが、熱い溶鉱炉のような発電所と、一定の低温に保たれているという生命回廊が層をひとつしか隔てていないというのが、幼心にも不思議な感じがしたことを憶えている。
そのときには気づかなかったが、両者の間にはかなりの距離の隔たりがあったということだ。
ドアが開いたとたん、もうもうたる水蒸気が吹きつけてきた。
その水蒸気がところどころ炎のように赤く染まって見えるのは、煮えたぎる地底のマグマの光を映しているからだ。
昇降機を降りると、上層のブランカの空洞とはまた印象のちがうドーム状の巨大洞窟の宙空に、いきなり出た。
ブリッジや壁面階段があちこちへ延びていて、昇降機前のブリッジのはるか先に、ゴツゴツした溶岩壁に半分埋めこまれたような建物が見えた。
それが昔訪れたことのある中央制御室だったことを思い出した。
ロッシュは迷わずそこへむかって走った。
「保安部のロッシュだ。ここの責任者に会いたい」
熱くなっているぶあつい鉄のドアを押し開き、中にいる者たちに背後から呼びかけた。
「ロッシュだと? くそ忙しいさなかだっていうのに、おれにいったい何の用だ!」
裸の上半身に盛り上がった筋肉を背負ったたくましい体格の男が、ふり返って見下ろすようにロッシュをにらみつけた。
同じ大隊の先輩でドミニオスといい、ロッシュより半年ほど前にブランカに帰還していた。
捜索隊の選抜にあたっては、真っ先に名簿からはずした男だ。
軍では剛勇で鳴らしていたが、機を見るということを知らず、戦闘に夢中になるあまりしばしば敵中に孤立することもあった。
ロッシュにあからさまな敵意を持っているだけでなく、なにかにつけて先輩風を吹かせたがるもっともあつかいにくい相手だったからだ。
「二号排気口に案内してもらいたい」
「案内しろだと? おぬし、正気なのか。今、発電所じゅうがどんな状態になっているか、見ればわかるだろうが」
制御室の中も蒸し風呂のような熱さだった。
大型の送風機が三台もフル稼働していて、まるで嵐のただ中にいるようなありさまだが、半裸になった男たちは、一人残らず水からはい上がったばかりのように流れる汗にまみれている。
彼らはロッシュには眼もくれず、計器盤をにらみつけたり、重そうなレバーを切り替えたりする作業に没頭していた。
戦場さながらの殺気立った慌ただしさが、室内を完全に支配していた。
厚い耐熱ガラスの窓のむこうに小さく見える人影は、一人の例外もなく汗をぬぐいながらブリッジや階段を全速力で駆けている。
「なぜだかわかるか。皇帝陛下がとんでもない時刻に帰還されたからだ。ブランカじゅうが、まぶしいくらいに明るかっただろうが。空洞内の照明という照明が、最高輝度で灯されている。そのうえ、かなりの連中が部屋の明かりや空調を消し忘れて出てきたにちがいない。完全にお祭り気分なんだろう。たった今ブランカでは、いまだかつてない膨大な量の電力が消費されているんだ。おれたちは、それを全部作り出さなきゃならない。できることなら、ひと部屋ひと部屋スイッチを切って回りたいくらいさ。くそっ」
怒りといらだちのはけ口をようやく見つけたとでもいうように、ドミニオスは真っ赤な顔でロッシュをにらみつけながら吐き捨てた。
「なるほど、そうか。だったら、場所を教えてくれるだけでいい。自分で行く」
「教えてやるのはぞうさもないことだが……まあ、おぬしが怖じ気づくところを見物するのも悪くないか。よし、おれはロッシュどのと、涼みがてらちょっと散歩してくるぞ」
不敵な笑みを浮かべて部下たちに言い放つと、ドミニオスは先に立って制御室を出た。
壁面に沿ったウォークを進んでいく。
むせ返るような蒸気からはしだいに遠ざかったが、それとはまた別の、乾いた熱気が地底から吹き上げてきた。
ドミニオスが連れていったのは、壁面から突き出した露台のような場所で、ふたの取れた大型の棺を思わせるゴンドラが、ケーブルに吊られて横づけされていた。
「二号排気口というのは、あの正面の岩の裂け目さ。昔溶岩が外へ噴き出した跡だ。ほかの排気口とちがって人工のものじゃないから排気の調節もできない。したがって、ウォークも通じてないというわけだ」
「では、このゴンドラを使うしかないということか?」
ケーブルは一〇〇メートルほどむこうの岩場まで延びている。
そこから排気口へは、壁面を削った細い登り道がついているのが、薄闇の中にかろうじて見分けられる。
「そうだ。だが、こいつはもうかなり古いしろものだ。使うとしても、溶岩口のシャッターを半分以上閉じておけるような発電量が少ない時期に、点検などをする場合だけに限られる。さもなければ、お偉方が、怖いもの見たさで視察に来たような場合だ。真ん中あたりまで行くと、真下にマグマがどろどろ渦巻くのが拝めるのさ。たしかに、なかなかの壮観ではあるがな」
「わかった」
「あきらめるんだな。それが、かしこいロッシュどのにふさわしい分別ってものだ」
「いや、行く。動かし方を教えてくれ」
ロッシュは、ケーブルからぶら下がっている制御装置を指さして言った。
「冗談だろう。言ったはずだ。発電所はフル稼働しているんだ。溶岩口も全開になってる。ゴンドラがむこうに行き着かないうちに、おぬしは蒸し焼きになっちまうぞ。たいそうおきれいなその顔の皮が、ペロリとむけるくらいですめばいいが……」
ニヤニヤしながらしゃべりつづけるドミニオスを無視して、ロッシュは近くにあった工具箱をのぞきこんだ。
一つひとつ手に取っては、不要なものをむぞうさに放り出していく。
箱を片手でぶら下げてみてまだ重すぎると判断すると、ためらいもなくさらに減らし、腕を伸ばしてゴンドラの底に置いた。
「何をやってる。おい、ほんとに行く気なんじゃあるまいな?」
ドミニオスの声に驚きの色が混じった。
ロッシュは壁ぎわに立てかけてあった一メートルほどのバールを見つけると、それもゴンドラの中に投げ入れ、そのまま自分もプラットホームから乗りこもうとする。
ドミニオスはロッシュの襟首をつかみ、強引に引きもどした。
「おい。皇帝の娘と結婚できることになったくらいで、天下を取ったつもりでいるのか。いい気になるなよ、ロッシュ」
顔をふり向かせ、憎々しげににらみつけながら吐き出すように言った。
ブランカの最底辺にある男ばかりの汗臭い仕事場には、まだカナリエルをめぐる陰湿な噂は届いていないらしかった。
しかし、それだけにかえって、ドミニオスの嫉妬と憎悪は、哀れみや軽蔑などすこしも混じらない純粋な怒りと化していた。
「手を放せ」
ドミニオスは、その言葉に耳をかすどころか、公然とロッシュを拘束できる喜びで、歯をむき出して笑った。
その手を振りはらおうとすると、ロッシュのひじがドミニオスの頬にもろに当たった。
ドミニオスは眼をむき、みるみる憤怒の表情に変わっていく。
「やりやがったな……」
笑みにゆるんでいた歯を、こんどはぎりぎり噛みしめると、こぶしを固めてロッシュに殴りかかった。
丸太のような腕がブンと風を切る。一発めは肩に当たったが、つぎのもっと力をこめた一撃は、とっさにすくめた首のすぐ上をかすめ過ぎた。
前のめりになったドミニオスの胴体に、ロッシュはすかさず強烈な蹴りを見舞った。
ボスッ――
重い手応えからすれば、相手は床にはいつくばってのたうつはずだった。
そのすきに、ロッシュは身をひるがえしてゴンドラに跳び乗ろうとした。
だが、ドミニオスは、巨体を折ってわずかによろめいただけだった。
すぐさまロッシュに追いすがり、背後から腕を首に巻いて絞め上げた。
ロッシュは必死に抵抗した。渾身の力をこめたひじ打ちを、たてつづけにドミニオスのわき腹に叩きつける。
たまらずドミニオスは腕の力をゆるめたが、ロッシュにそれ以上反撃させまいと床の上に強引に引き倒した。
ロッシュは背中をしたたか打ちつけ、息の止まりそうな痛みに思わずうめいたが、上にのしかかってこようとしたドミニオスの巨体は、寸前で横へ転がってかわした。
だが、場所が悪かった。
はっと気づくと、後頭部と肩の片方がウォークの端からはずれ、空中に浮いていた。
下から吹き上がる熱風が、もろに首筋に当たる。
へたに立ち上がろうとすれば、バランスを崩してしまいかねない。
ドミニオスは、勝ち誇るように眼を輝かせてその横に立った。
ロッシュは逃げ場を失った。
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