ラグマ・アルタ
望月美咲
プロローグ
序章 理想と現実
ゆるりと空を見上げて少年は思っていた。…今は夕方だっただろうかと。そして否と頭を振っていき、確か空襲警報が鳴って景色が一変したのだと思い出した。
しかしと、少年は黒煙が立ち込めた空を見上げて、瓦礫の中に座り込んだままそれを見る。何が空襲警報だと。空襲の意味が全然違うではないかと。いいや、ある意味これは――。
多くの屍の中に座り込み、少年は呆然と空を見上げ続ける。黒煙に塗れた都市上空を翔けているそれはラグマ・アルタと呼ばれる巨人。全長三十一メートルもの人型兵器であった。
装甲代わりとして歪な機械の体に騎士が纏う甲冑を着け、その巨人は腰に下げた長剣ではなく右手には長槍を持ち、背中からは黄金色の燐火を撒き散らしながら空を翔けている。
ラグマ・アルタ達は都市を巻き込むのも構わず、国軍という権力を振り翳しながら長槍を振るい、上空を飛ぶ戦闘機を落とし、地上に配備された対空砲や戦車を破壊している。
彼らは国家という権力を笠に着て、国軍という立場を利用して大地を燃やしているのだ。相対するラグマ・アルタが上空で交差する度、空気を震わせるほどの火花が飛び散り、その火花は大地へと舞い散って更なる猛火へと変じていく。
その度に機体を操っている者―アルヴァリエと呼ばれる者達が咆哮を上げて、その中の一人らしきアルヴァリエの女性が何やら叫んでいる。
…都市を、民間人を巻き込むな。何ゆえに我らが戦わねばならないのか。本来我らの間に敵味方など無い筈。ラグマ・アルタ同士が争うなどあってはならないのだ、と。
上空で繰り広げられるその戦いを、少年は呆然と見上げるしかなかった。…全身が痛い。家を飛び出す際に爆風で煽られた所為だ。何よりもと、少年は自嘲の笑みを漏らしていく。
もう逃げる気力など残っていない。そんなもの、疾うに尽きている。慌てて家を飛び出せたのは自分と二人の姉だけ。…何処からか飛んで来たミサイルが家に当たり、寸前で逃げられたのは子供達だけだった。まだ家には父や母、それに祖父母も居たのに。
そして家を飛び出した所で爆風に煽られ、二人の姉はその際に死んでしまった。その酷い死にざまは少年の眼に焼き付き、少年から逃げるという意思を完全に奪ってしまった。
だって一面火の海なのだ。安全な場所など思い付かない。何処まで行けば安全な場所まで辿り着くのか。…何よりもそんな場所がまだ残っているのだろうか。
おそらく残っていないだろう。周りに生きている人間が見つからない。いくら見渡しても見えるのは赤黒く焼けた人間の死骸だけ。嘗ては人間だったと思われる焼けた肉塊だけだ。
恐怖が頂点に達して神経を焼き切り、もう少年は恐怖という感情を感じられなくなっていた。少年の心に残っているのは、大切なものを何もかも失ったという悲しみだけ。
「…父さん、母さん?」
思わず、少年の口からそんな言葉が漏れていた。もう誰も応えてくれない。…そんな事は少年だって分かっている。それでも呼ばずにいられなかった。
だがそんな時、女性のアルヴァリエから絶叫にも等しい悲鳴が戦場に響き渡っていく。
『っ! 止せ、子供がそこに居るのが見えないのか? 止めろーーっ!』
女性は断末魔のような声を上げて、その声に呼応するように桃色をしたラグマ・アルタが少年を庇うように自らの機体を間に滑り込ませて来る。そして少年を懐に抱え込むように背中を丸めて地面に伏せると、そこへ集中砲火と云わんばかりに砲弾が撃ち込まれて来た。
砲弾を撃った相手の青いラグマ・アルタは撃ち尽くしたガトリング砲らしきものを地面に放り投げていき、目の前で黒煙を上げるラグマ・アルタへと呆れるように言っていく。
『…はぁ? お前さ、馬鹿じゃねぇの? 散々殺し捲った後でそれはねぇだろ。それともさ。そいつ弟だったりするの? そうじゃなかったら理解出来ん。兵士としてはイカれてるぜ』
信じ難い事を言われて、桃色の機体は背中の痛みに喘ぎながら顔を上げていき、目の前で呆れ顔をして佇んでいる青い機体を見て、その静とした佇まいに驚愕を浮かべていく。
青い機体は地面には降りず低空飛行を続けており、その後ろには三機のラグマ・アルタを従えていた。だが彼らの言動は余りに常軌を逸しており、とても正規軍とは思えない遣り方だった。だってこの都市には、申し訳程度の部隊しか配備されていなかったというのに。
このような遣り方、同じアルヴァリエとはとても思えない。我らは一体何の為に存在するのか。このような所業に手を染める為では無い。…違う、絶対に違うっ!
そう女性は唇を噛み締めていき、耐え切れず血を吐くように相手を糾弾していた。
『何故なのだ。…私も、そしてあなたも。こんな事をする為にアルヴァリエと成った訳では無い筈なのに。何故このような真似が出来る。何故これほど簡単に人が殺せる! この子供が何をした。武器を持てぬ人々が何をした! 何もしていないではないか! ここに配備されている我らだけを討てばそれで済む筈なのに。ここまでする必要は無い筈なのにっ!』
『……』
桃色の機体から悲痛な声を浴びせられて、青い機体は面倒臭そうな顔をして溜息を吐く。だが何かに気付いたらしく、成程と納得して笑いながら女性へと言っていった。
『あ~、成程。お前さ、まだ卒業し立てだろ。…絶対にそうだ。だってお前からはスクール独特の品行方正な臭いがする。まだ自分は穢れていません。自分は正義の為に在るのです。そんなクソッタレな臭いだ。…なら良い事を教えてやる。よく聞け、ガキ。この戦場を生き抜く為の知恵。絶対に必要な一般常識だ。俺様が特別に講義してやる。有り難く聞けよ』
『…特別に講義? それに一般常識だと?』
そんな厭らしい言い方に、桃色の機体は強張った声を上げていた。そして無意識のうちに己の懐に居る少年を改めて抱き締めていって、次に発せられるだろう相手の言葉を待つ。
すると青い機体は満足げに鼻を鳴らしていき、高飛車な態度で講義を始めていった。
『ああ、そうだ。…まず一つ、戦場ではターゲットをロストさせる事が全て。その他は全てどうでも良いんだよ。お前だって道とか歩く時、足元に邪魔なものがあれば排除するだろ。それと同じだ。足元に人間が居るかどうかなんて普通は考えないんだよ。判ったか、ガキ』
『…なっ』
余りにも常識から外れ過ぎた内容を聞かされて、女性は声も無く驚愕するしかない。だが青い機体はそんな女性の様子を意に介さず、楽しげに笑いながら更に話を続けていった。
『そして二つ目。戦場で目撃した人間は味方以外全て殺せ! …何処に敵が潜んでいるか判らない。いまお前が庇っている子供だってそうだ。そいつが一般市民だって保証は何処にある? 敵軍の間諜かも知れない。そうやって油断した馬鹿が居る部隊がな、この戦場では真っ先に全滅するんだ。…お前がやっているのは無力な子供を救うなんて綺麗事じゃない。不必要に味方を危険に晒してるだけのクソッタレな行為だ。判ったか、世間知らずがっ!』
『…っ!』
続け様に想像だにしない話を聞かされて、桃色の機体は完全に言葉を失っていた。そして自身が懐に庇っている少年を見下ろしていき、その巨体を小刻みに震わせ始める。
やがて桃色の機体は啜り泣き初めて、余りにも無慈悲な現実を前に打ち拉がれる。次第に彼女の嘆きは悲痛な叫びへと変わり、続いて我が身を呪うように胸中を吐露し始める。
『これが我らアルヴァリエの末路なのか。…人を殺す事に慣れてしまい、まるで物のように踏み躙っていく。アルヴァリエに成る事を強制され、こんな化け物で戦場を翔けているのは何の為だ。人々を救う為だったではないかっ! こんな事をする為に、私達は…私達はっ!』
『……』
そんな女性の叫び声を聴き、青い機体は呆れるように「興醒めだ」と呟くだけに留める。
桃色の機体は軽蔑するかのような相手の言葉に耳を傾ける事無く、それと同時に自らを囲っている敵軍のラグマ・アルタの全てを意識の外へと追い出してしまった。そして自身が庇い守った胸元の少年を見下ろしていき、腫れ物に触るような声を発していく。
『少年、大事ないか』
「……」
でも、少年はそれに応えなかった。少年は呆然と蹲ったまま微動だにせず、その黒い双眸を更に暗い色に変えて視線を宙に彷徨わせている。…女性はそれを見て顔色を変えていき、その声調に動揺を滲ませつつ改めて少年を呼んでいた。
『少年?』
明らかに焦点が合っていない。その双眸は暗い色を湛えたまま動かず、自らを中心として展開されている事態に付いて来られないかのようだ。そう青い機体の眼には見えたのだが、どうやら桃色の機体は別の可能性を考えたらしい。
桃色の機体は外から見ても分かるほど焦りを浮かべていき、少年の全身を素早く見回しながら何度も少年の事を呼び始める。そして数度目になった時だった。
『少年、少年っ! しっかりしろ。怪我でもしているのか。少年っ!』
「煩いっ!」
ようやく少年の口から鋭い声が発せられてくる。だがそれは女性が想像していた返答とは大きく懸け離れており、何故怒声されたのか女性には理解出来なかった。
狼狽えるばかりの桃色の機体を、少年は憎しみに満ちた眼をして睨み付ける。だが少年の双眸が捉えているのは桃色の機体ではなく、その中に乗っているアルヴァリエである女性自身であるかのようだった。…怖い。女性は知らずそう思った。
そんな女性の恐怖など知らず、少年は思いの丈をぶつけるように女性を怒鳴り始める。
「早く殺せよ! …まさか俺を助けたつもりか? 俺は死にたかったのに。俺だけ助けてどうするつもりだよ。周りを見ろよ。皆を殺して俺だけ助けるとか、こんな残酷な事が他に在るかよっ! …殺してくれよ、早く殺してくれっ! もう俺には何も…何もっ――」
『…し、少年――』
驚くべき言葉を浴びせられて、女性は言葉を詰まらせて驚愕していた。懐に庇った少年はおそらく、十歳に届くか届かないかの少年だろう。憎悪に満ちた顔貌は明らかに幼く、現在は炎に照らされて全身が緋色に染まっているが、髪や眼の色は黒であろうと推測できる。
少年の言葉に絶句している女性を横目に、青い機体はそれを黙って聴きながら「それ見ろ」と呆れ顔をしていた。そして無言で両腕を前で組んでいき、二人の遣り取りを静観し続ける。
その身勝手とも云える人型兵器達を見て、少年の怒りは頂点に達していた。…失うものは最早何も無い。そんな狂気とも云える憎しみが少年の中を渦巻き始めて、その顔貌を大きく歪めて憎しみへと変えていく。
もう命など惜しくない。…いいや、こんな命など――。
早く消えてしまえ。そう少年は心の中で自身へと呪詛を吐きつつ、当て付ける様に眼前の大量殺人兵器である人型兵器達を絶叫にも等しい声で罵声していた。
「俺の父さんと母さんを返せ! …爺ちゃんと婆ちゃんを返せ。姉ちゃん達を返せよ! 何がラグマ・アルタだ。ただの戦争の道具じゃないか! 何が救世主だ。この人殺しっ! 何してんだよ。早く俺も殺せよ。早く殺せ! あんたらには簡単だろう? 早くしろよ!」
何故自分だけが助けられたのか。余りにも不条理ではないか。それこそ少年が抱いている怒りであり、狂気とも云える憎しみだった。…何故自分だけが助けられたのか。
分からない。分かりたくもない。唯の生殺しではないか。相手が苦しむのを見て楽しんでいる。少年にはそうとしか思えなかった。…そうだ。彼ら人型兵器達は楽しんでいるのだ。
女性は少年から憤怒の形相で睨まれて、ただ絶句するしかない。しかしそこで青い機体が長々と溜息を吐いてきて、二人の遣り取りを妨げるように言っていく。
『これで分かっただろう。間違ってるのはお前の方なんだよ、世間知らずが。そっちの坊主の方がむしろよく理解してるぜ。俺達はな、国家に雇われてる身なんだよ。しかもスクールから売り飛ばされた身だ。これはスクールが公認してる事なんだ。…だから俺達が幾ら人を殺しても何も言われない。スクールが公認してるからな。俺達はスクールに所属すると同時に国家にも所属している。そして俺達の指揮命令系統は全て国家にある。…スクールを卒業したアルヴァリエである以上、売り飛ばされた先の国家とスクール、双方の命令に従うしかねぇんだよ。人間としての感情を捨てろ。それがお前の為だ』
だが桃色の機体は小さく頭を振っていき、悲痛な声で相手に弱々しく言い返していく。
『何が私の為だ。我らはそんな事の為に存在すると云うのか。そんな事の為にっ――』
『……』
一向に認めようとしない女性の叫び声を聴き、青い機体はただ嘆息するしかない。そして何故ここまでして世間知らずのガキに呼び掛けているのかと自身に困惑していき、しかしそれをおくびにも出さず、今度は自身の理解不能な行動に溜息を付いた瞬間だった。
そんな青い機体のアルヴァリエにも、彼女と似たような時代があった。…アルヴァリエは人を殺す為に在るのではない。そう世界に叫びながら戦っていた時代があったのだ。
嫌な過去を思い出した。青い機体は苦々しく溜息を付きつつ、改めて言葉を続けていく。
『あのな、これはスクールに居た時から気付いていた筈だぞ。俺も在学中に何度も噂を耳にしてきた。…そして先に卒業した先輩達が戦場で人を殺している姿も、だ。見ていない筈が無いんだ。ただお前が認めたくなかっただけの話なんだよ。ただそれだけの…な』
過去を思い出すように青い機体から言われても、それでも女性は否定しか出来なかった。何も知らない卒業し立ての学生である自身を呪いながら、頭を振って否定するばかりだ。
『それでも、それでも私は…私はっ――』
現実を受け止めたくない。そう女性は悲痛な声で打ち拉がれ続ける。…やがて女性は何を思ったのか、自らが操縦するラグマ・アルタを跪かせて身を屈めていき、胸元にある装甲を上下に割り開いていって、そこから現れた楕円形をした虹色の膜から外へと出て行った。
女性は体にフィットさせるタイプのパワード・スーツを着ていた。そして胸元と脛、前腕に厚手のカバーを着けており、それが防弾の役割を果たしているようだった。
だが、額には紫色の宝石が付いた金冠が嵌められていた。全身を覆う最新型のパワード・スーツと違って古風なデザインをしており、まるで中世の欧州にあった装飾品かのようだ。
紫色の宝石は縦に細長い形状をしていて、黄金に輝く環の部分には蔓草が絡み合った様な模様が彫られている。…人間とは現金なもので、それを美しいと感じるから不思議だ。
彼女は桃色一色で包んだその身で宙を舞っていき、腰まである癖の無い黒髪をふわりと揺らして地上へと降り立って行く。
そして緩やかに少年の元へと歩み寄って行って、数歩前で立ち止まって少年を見下ろす。女性は少年を見下ろしながら思っていた。…これほどにも外は熱かったのか、と。炎上する都市の熱が四方から押し寄せて、まるで釜で茹でられているかのようだ。こんな中に少年は居たと云うのか。たった一人で、地獄にも等しい中を――。
全身をパワード・スーツで守っている自分でもこれほど熱いのだ。シャツとズボンだけの少年はどれほど熱いだろう。…私は煤一つ被っていないと云うのに、それなのに。
そう思うと余りに己が情けなく、女性は知らずに激情を吐き出すように叫んでいた。
「何が救世主だ。何が守護者だっ! …おこがましい、おこがましいっ! 血に飢えた獣と何が違うのだ。何も違いはしないっ! いいや、獣の方がまだ良い。我らがやっているのは唯の虐殺ではないかっ! これが救世主のする事か。こんな…こんな所業がっ」
悲しみに満ちた絶叫が迸る度、周囲の炎が僅かに揺らぐ。まるで炎が彼女を避けている様に思えて、少年の瞳には翼なき天使のように映っていた。…それほどに女性は美しかった。
そんな年上の女性を前にして、少年の怒りは知らずに静まっていた。そして先ほどの怒りを忘れたかのように困惑を浮かべていき、思わずと云った風に女性へと漏らしていく。
「…おねえちゃん、泣いてるのか?」
「っ!」
激しい怒りを浮かべていた少年から柔らかな声を掛けられて、女性は小さく息を呑んでいた。やがて女性は顔を大きく歪めていき、地面に崩れ落ちる様に少年を抱き締めていた。
「…おねえちゃん?」
再び少年から呼び掛けられて、女性はその細い双肩を小さく震わせるしかない。女性には少年を抱き締める事しか出来ず、煤に塗れている少年を掻き抱いて謝罪するしかなかった。
「…ごめん、ごめんっ! スクールを卒業したら人殺しにだけは成るまいと…そう思っていたのに。私は何て馬鹿だったんだろう。何て愚かだったんだろう! ただ命令に従うだけの愚かな存在。命令に従うしか能が無い人間。私は何も分かっていなかった。私はっ――」
そんな女性の謝罪を、少年は何処か遠い世界の言葉のように聞いていた。…もう疲れた。少年は虚ろな眼差しを浮かべて、自らを抱き締めて来る女性の温もりを感じていた。女性は煤けた少年を抱き締めるしかなく、謝罪する事しか出来ない愚かな自分を恥じていた。
やがて破壊し尽された都市の中にサイレンが響き渡ると、侵略者であるラグマ・アルタ達はその音を聞いて一機、また一機と飛び立って空と彼方へと消えてゆく。…撤退命令だ。
女性と相対していた青い機体は他のラグマ・アルタ達を従えて空へと飛び立ち、そのままレーダーから消えてゆく。そして都市に残されたラグマ・アルタは女性の機体だけとなり、そこには炎の中に消えゆく都市と少年だけが残された。
敵部隊が撤退して行く中、女性は目の前の少年を抱き締める事しか出来なかった。泣く事しか出来ない無力な自分が情けない。こんな顔を少年には見られたくなかった。…しかし、
「おねえ…ちゃ、ん」
そんな弱々しい少年の声が聴こえて、女性は訝しく思いながら顔を上げていく。そうして女性は相手の姿を確認する前に口を開いていき、少年の様子を確かめるように呼び掛ける。
「少年、どうかしたのか? …っ。少年、少年っ!」
だがその時、少年の体が力を失ってぐらりと傾いてくる。女性はそんな少年の体を素早く抱き留めていき、危機迫った表情を浮かべて少年の体を揺さ振り始める。
「少年、少年っ! 返事をしろ、少年!」
女性は何度も必死に呼び掛けていたが、ようやくその時になって、少年が全身に大火傷を負っていたのだと気付いた。これほど炎に熱せられた中に居たのだから当然だ。何故もっと早く気付かなかったのか。冷静に考えれば当たり前なのに考えが及ばなかったとはっ!
「…不覚っ! 私とした事がっ」
いくら動揺していたとは云え、これほどの火傷を見落とすとは前代未聞の失態だ。女性は自らの失態に怒りを覚えつつ、少年を素早く抱き上げて自らのコックピットへと大慌てで戻って行く。…しかしこの時、女性は取り返しのつかない致命的な失敗を犯していた。
動揺のあまりに、民間人である少年を抱えたままコックピットへと戻ってしまった事に。それは絶対に犯してはならない致命的なミスであった。
資格無き者をコックピットに連れ込めばどうなるか。この少年を助けたい。ただそれだけを考えていた女性がそれを思い出す事はついになかった。…手遅れになるその瞬間まで。
やがて時は巡る。…人々の救世主たるアルヴァリエ達は戦禍を大地に撒き散らしながら。そこに存在するのは救世主では無く、虐殺の為だけに存在する大量殺人兵器の姿だった。
何故ラグマ・アルタは存在するのか。何故この世にアルヴァリエが存在するのか。彼らの存在意義は権力者によって捻じ曲げられ、権力者の私欲の為だけに戦場を翔け続ける。
人類には共通の敵が居ると云うのに、それでも誰も戦争を止めようとしなかった。まるで初めから敵など居ないかのように振る舞い、目先の利益に囚われて争い続ける。
やはりそれは、人間が生まれ持つ業によるものなのだろう。…そうしていつの世も犠牲となるのは、社会の最下層というレッテルを貼られた底辺で生きる者達だった。
逃げる事すら儘ならず、あまりの恐怖に声すら上げられず殺されるだけ。何故これほどにも世の中は狂ってしまったのか。だがしかしと、アルヴァリエ達は思っていた。
底辺を生きる者達の嘆きを世に伝える方法はきっと在る筈だ。…自分達だけは最後までそう信じなければならないのだと。でもと、彼らは苦渋を浮かべながら我が身を振り返る。
これほどにも自分の手は赤く汚れている。罪無き人々の血で真っ赤に染まった自分の手。最早洗い流せはしないだろう。そう嘆きながらアルヴァリエ達は心の翼で戦場を翔ける。
そして誰に告げるでもなく、頬に一粒の涙を伝わせながら漏らすのだった。
この世に希望など在りはしない。…最早何処にも在りはしないのだ、と。
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