語り部との対面
結局――――土曜日に街に行くまで、俺は何にも出来なかった。
大学の講義が終わったらすぐに闇夜の元に行こうかと思っていたのだけれど、今週は何故か合コンとか飲み会とか……いつもはそんなに誘われないのに、どうしてこうも立て続けに誘われるんだと思うほど忙しくて、俺は事前に闇夜の元へ行く事は出来なかった。
だから、今日の訪問は突然だ。本当の意味での突然もある。
どうか……どうか闇夜に嫌われませんように。
闇夜が不在である事を祈りつつ、俺はいつもの通り廃屋同然の家を目指した。
「それにしても、廃れた商店街ですね。シャッター閉まった店ばかりだ」
仲村がビデオカメラを片手に言った。
「……おい、仲村?」
「な、なに?」
オロオロしながら、俺に向き直った……のはいいが、カメラを向けるな。
「何で撮ってるんだよ?」
「え? だって、会うところから撮っておかないと……」
もう映画の撮影なのかよ。俺は鈴本さんを一瞥した。
「一応ね」
さらっと一言返してきた。俺は何か言い返そうとして、言えなかった。
「さあ、闇夜さんに会いに行こうか」
鈴本さんは芝居掛かった台詞を吐いて、俺の肩を掴んだ。
俺はカメラを気にしながら、足を進めた。
この二人を闇夜のいる、あの家に連れて行く事に今更ながら抵抗感を覚えた。
でも、俺の足は家までの道のりを憎らしいほど、しっかりと覚えていて気付いたら来ていた。俺はドアの前に立って……しばらく迷っていた。
同行者の視線が背中に突き刺さる。俺は溜息を吐きながらノックした。
こんな暗い気持ちで、この家に来たのは初めてだった。……だが。
「あれ?」
いつもなら……待ち構えていたかのように、すぐに扉が開いて闇夜が中に招き入れてくれるのにドアが開かない。
俺は怪訝に思いながらも、もう一度ノックをした。 ドアは……開かない。
「闇夜! 俺だよ、田崎 夏生!」
一応、声を掛けて強めにノックをする……が、やはり開かない。
ということは……闇夜は不在という事だ。
「す、すみません。いないようです」
ちょこっとだけ感じた嬉しさを悟られないように、俺は俯きながら言った。
「いいや、田崎君は悪くないよ。勝手に来たのは僕達なんだし」
そう明るく言う鈴本さん。仲村は家を夢中で映している。
「おい、仲村。何、勝手に撮ってるんだよ」
「えっ? だって撮影だよ?」
当たり前じゃないかという顔で仲村は言った。俺はカチンとした。
「他人の家を撮るのには許可がいるだろ、住んでいる人の許可が! 勝手に撮るのはあれだぞ! あの!……えっーと……プライバシーの侵害なんだぞ!」
プライバシーの侵害についての詳細は合っているか、どうかもわからなかったけれど、とにかく撮影を止めさせたかった。
自分の家を許可なく勝手に映されたら、誰だって良い気分はしないはずだ。
仲村は俺の言葉か、気迫か、どちらかにビビってカメラを降ろした。
「どうしますか、鈴本さん。帰って来るまで待ちますか?」
仲村はカメラを持ちながらサークル長に意見を仰いだ。
「……帰って来てから撮影を開始するから、電源は切っておいてくれ」
鈴本さんは本気で帰って来るまで待つらしく、腕を組んでその場に立った。
仲村はカメラを両手で持つと、こっちに近付いてきた。
「あ、あのさ田崎君」
「何だよ」
「闇夜さんが何処に行ったか……心当たりない?」
「あったら提案してますけど?」
勝手に闇夜の家を撮影していたカメラを一瞥してから、俺は冷たく言った。
「そ、そうだよねゴメン。いや、鈴本さんは気真面目というか頑なというか……その闇夜さんと会えるまで、ずっとここで待ちそうだから。
ずっと、あの……本当にずっと。どんなに夜遅くになっても」
「え?」
冗談だろと鈴本さんを見る。虚空に視線を漂わせている。
きっと、闇夜に出演を了解して貰う為の言葉を考えて……いや、既に了解は取ったものとして映画の構想を考えているのかもしれない。
それにしても、彼の映画では闇夜が主人公なのだろうか?
そうなのだとしたら、ちょっとその映画、見てみたいかもしれない……。
それにしても、もし闇夜を目の前にしたら二人はどんな反応をするだろうか?
あらかさまに怪しすぎる白い仮面と黒いマントを着ている事……奇抜な格好をしている事は一応予め伝えておいたが、いざ生で見たら驚くだろう。
どんな反応をするんだろう? まさか全く驚かないわけないだろうし。
「………………ぎにゃあっ!?」
二人が闇夜の格好を見て驚く前に、ズボンのお尻のポケットに入れっぱなしにしておいた携帯が震えて俺が変な声と共に飛び上がった。くそバイブモードめ!
仲村と鈴本さんのキョトンとした目線が俺に突き刺さる。
俺は即座に携帯を開いた。電話が掛かってきたのだ、知らない番号から。
普通なら絶対に出ないでスルーするのに、変な声を上げてしまった恥ずかしさを誤魔化す為に躊躇いもせずに出てしまった。
「はい、もしもし」
『もしもし、夏生ですか?』
その中性的な声で、相手がすぐにわかった。
「あ、闇夜!」
「えっ? 闇夜さん!?」
俺の声に映研の二人が同時に声を上げた。
『いきなり、お電話して申し訳ありません。今、お時間大丈夫ですか?』
「闇夜さんから!? 闇夜さん、今どこにいるんだ!?」
鈴本さんが興奮気味に近寄って来た。
「えっ、あ、はい。今、確認しますから……」
いつ帰ってくるかもわからなかった闇夜から突然電話が来た事に、いつまでも戸惑っている場合じゃなさそうだ。鈴本さんの威勢に呑まれて、俺は尋ねた。
「闇夜、今どこにいる!?」
『――――もしかして、ワタシに会いに来ているのですか?』
「そ、そうそう! 今しがた闇夜が出掛けていて、どうしようかと思っていて」
『ワタシは喫茶店にいます。今は、夏生はワタシの家の前にいますか?』
「ああ」
『それでは、まずは≪
「宵月通りってどこ?」
『ワタシの家に来る際に通って来る商店街ですよ』
「あぁ、あの廃れた……」
言いかけて、悪いかなと口を閉じた。
闇夜は何も聞こえなかったように続けた。
『宵月通りから≪
店の前で待っていますから』
「あの宵月通りから、天の川横丁……ですか?」
『はい』
「わかりました、すぐ行きます」
『それでは失礼します』
電話が切れた。俺は即座に鈴本さんと仲村に向き直った。
そして闇夜から来るよう言われた事を告げると、二人は顔を輝かせた。
とにかく夜まで家の前で待ち呆ける事は無くなった。
闇夜の言う通りに足を進める。
俺の左隣には鈴本さん、後ろからカメラを回した仲村がついて来た。
闇夜に会えるとなったら、すぐにカメラに電源を入れて撮影を再開したのだ。
「ここって、宵月通りって言うんだね」
撮影の為か説明口調で鈴本さんが言った。
「さっき、知りました」
「天の川横丁は……あそこだね」
鈴本さんが指す先には、今まで思いっきりスルーしていた通りがあった。
「これも、さっき……」
「あれ? 誰かいる?」
覗き込んだ鈴本さんが言った。
「……いてっ!?」
「ごめん!」
天の川通りを映すべく後ろから仲村が駆け足でやって来て、俺にぶつかった。
「だ、誰かいます!」
天の川横丁……神秘的な名前が似合わない古ぼけた通りだった。
表通りと同様に、閉まっている店しかなかった。
シャッターに寄り掛かるように待っている人影がある。
それは遠目から見ても、はっきりとわかる黒いシルエット。
俺は思わず笑みが浮かんだ。
「闇夜だ」
足早に歩き進める。闇夜は俺に気付いたのか、片手を上げた。
白い仮面は飲食用のものだった。そうか喫茶店にいたんだもんな。
「ごめんよ、てっきりいるもんだと思って、いつも通り来ちゃってさあ!」
「いいえ。わざわざご足労を掛けまして」
「そんなに苦労してないよ!」
闇夜と話が出来て、俺は次第に心が浮き立った……。
「それで……あちらのお二方は、どちら様ですか?」
闇夜の言葉に俺は上がった気分が落ち込んだ。
「その、俺の知り合い……です。闇夜に是非会いたいって」
「そうですか」
「勝手に連れて来て、ごめんなさい!」
「謝る必要はありませんよ、夏生。ワタシは気にしていませんから」
「ほ、本当に? ウザイとか思ってない?」
「夏生の知り合いなら、大歓迎ですよ」
ずっと気にしていた不安がすっかり無くなり……この街に来てから
明るく鈴本さんが挨拶しようとして、固まった。
カメラを闇夜に向けた仲村もギョッとしていた。この反応が見たかった。
自分でも嫌な奴だと思うが、ニヤニヤするのを抑える事が出来ない。
「あ。闇夜さん?」
「――――初めまして、闇夜と申します。
お会いできて光栄です。これからも仲良くしていきましょう」
黒いフードつきマントを身に纏い、白い仮面を被った闇夜は常套句を述べた。
「鈴本 悠吏です」
「な、仲村 一彰……です」
初対面のショックから思っていたよりも早く回復したサークル長に比べて……部員の方は未だにビクビクしている。そんなに怖がらなくてもいいのに。
「どうぞ、よろしくお願いします。それでは店の中に入りましょうか」
闇夜は踵を返した。
「えっ? 闇夜がいた、喫茶店?」
「そうです。とても良い店ですよ……いかがですか?」
そう言って闇夜は同行者の二人に向き直った。
「よろこんで」
鈴本さんは笑顔で答えた。この人、立ち直り早すぎる。
俺なんか闇夜の格好に慣れるのにかなり時間掛かったのに……。
白い仮面をなるべく見ないようにしている仲村を見て、俺は言った。
「怖いか?」
「え……い、いやいやいや!」
闇夜が仲村に向いた。
「どうかしましたか?」
「な、ななな、何でもないです!」
大丈夫かコイツ……。必要以上に怯えている仲村を見て俺は思った。
闇夜の案内で、俺達は天の川通りの路地に入って行った。
大人一人だけ通れる道幅狭い路地を通って……行き止まりまで向かった。
「――――闇夜、行き止まりなんだけれど」
「こちらです」
そう言うと闇夜は、しゃがみ込んで地面を引き剥がした。
「え!?」
「さあ、行きましょう」
それは地下へ続く隠し階段だった。良く見れば、取っ手がある。
「何、これ? すげえ……」
闇夜に続いて俺はついて行く。当然同行者も二人もだ。
レンガ造りの地下へ続く階段……オレンジ色の蛍光灯が妖しく光っている。
そして階段を降りきると美しい装飾が施された木製のドアがあった。
「喫茶店≪illusion≫へ、ようこそ」
ドアが開かれると、聞き覚えのあるクラシック音楽の旋律が聞こえた。
レトロな店だった。大正
「素敵なお店だ……」
鈴本さんも思わず呟いた。
「いらっしゃいませ、お客様方」
玉を転がすような声とは、このような声の事をいうのだろう。
ソプラノのような綺麗な女性の声に俺達は振り返って、息を呑んだ。
プラチナブロンドと呼ぶべき真っ白な長髪を青いリボンで束ねていて、宝石のような澄んだ蒼眼と透き通った雪のような色白な肌を持つ……美しい人がいた。
俺は、馬鹿みたいに彼女を見つめていた。
こんな美しい人は……今まで見た事がない。
「ご来店、ありがとうございます」
ニコリと微笑まれて俺の胸はキュウゥ!と、苦しくなった。
「テーブル席に致しますか?」
美しい女主人は、闇夜に声を掛けた。
「はい」
そう答えると今まで座っていたらしいカウンター席から闇夜が、陶器のティーポットとカップと器用に持ってテーブルへと移動した。
ここでも紅茶なんだ……と、どうでもいい事を思った。
闇夜に続いて、俺と映研の二人がテーブル席に着いた。
女主人は、そそくさと奥へ行ってしまった。思わず目で追いかけてしまう。
四人掛けのテーブルで、俺は闇夜の左隣。その向かいに同行者の二人は座った。
「闇夜さん」
鈴本さんは、情熱で目を爛々と輝かせながら身を乗り出した。
「呼び捨てで構いませんよ、悠吏」
「えっ……あ、はい。わかりました。それで僕達は映画研究サークルの者です」
「そうだったのですか」
そう言って闇夜は俺を見た。
「え? ち、違う違う! 俺は違うよ!?」
そこまで必死に否定しなくても良かったよな……。
苦笑する鈴本さんを見て思った。
「それで……どのような御用件で、いらしたのですか?」
「いきなりの事で申し訳ありませんが……単刀直入に申し上げますと、約一ヶ月ほど密着撮影させて頂けないでしょうか?」
本題を口にしてから、鈴本さんは早口でシネマフェスタの事を説明した。
闇夜は相槌を打ちながら、最後まで話を聞いていた。
「――――というわけで、我々映画研究サークルはオカルトマニアの間で有名な都市伝説の実態を、映像に撮ったという……ドキュメンタリー風映画を撮りたいのです」
「なるほど」
闇夜は細長い指を白い仮面のふちに滑らせた。
「どうか、よろしくお願いします!」
鈴本さんが頭を下げたので、仲村も慌ててそれに倣った。
「申し訳ありませんが、御断りさせて頂きます」
闇夜は即答した。あまりに返事が早かったので何故か俺まで二人と一緒に。
「えっ!?」
そう、驚いて声を上げてしまった。
「ワタシの元には来客があります。怖い話を聞き来たり、怖い話をしに来たり。
時には実名を伏せて匿名を希望する方もいらっしゃいます。
後ろでカメラが回っていたら、そういう方から話が窺えなくなります」
……話をするにしろ聞くにしろ、カメラが回っていたら緊張してしまう。
「では、あの、目立たないように撮影しますから」
そう、おずおずと仲村は言った。
はっきり断られた後によく言い出せたな、おい。
「一彰……ワタシが撮られたくないのです」
ばっさりと言い切った闇夜。
闇夜に会う前に撮りまくっていた仲村は、気まずそうに俯いた。
それにしても、出会ったばかりの人の名前を呼び捨てに出来るなんて。
でも何故か闇夜に呼び捨てにされても、全然悪い気がしない。
映研の二人も、特に気にしていないようだ。
白い仮面に黒いマント……フードを被っているから髪型すらもわからない。
年齢も性別も、素性に繋がる情報は一切不明。
わかるのは、声と物腰穏やかで礼儀正しい性格であることだけ。
それなのに皆、惹かれてしまう。
闇夜には不思議な魅力がある事に、俺は今更気付いた。
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