巡り深まる思考


 闇夜の話は終わった。


 しばらく俺も龍夜たつやさんも、口を開かなかった。

 何を言えばいいのか、わからなかった。

 気まずい静寂を破ったのは闇夜だった。


「ワタシの話は、これで終わりです。もう話す事はありません」

「あ……うん」


 闇夜の澄んだ声に、俺はアホな返答しか出来なかった。

 寝起きの頭みたいに思考が働かない。


「どうでしたか龍夜……求めていた物語の結末を知り得て、満足ですか?」


 闇夜は俺を見ず、龍夜さんを見据えて訊ねた。

 答える前に龍夜さんは、ゆっくりと首を左右に振った。

 頭の中に発生している暗澹のモヤを振り払おうとしているかのようだった。

 俺も、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。話を聞いている最中は呼吸をするのも躊躇われるほど緊迫した空気だったから……新鮮な空気を肺一杯に取り入れる。


 俺の頭がようやく回り始めた頃、龍夜さんも話す決心がついたらしい。

 軽く咳払いをしてから、思いを口にした。


「ずっと知りたかった事をようやく知ったはずなのに、心に穴が空いてしまったみたいだ。美夜子みやこの死は、とっくに疑う余地などなかったのに……いざ死んだ殺されたと耳にしたら……信じられなかった。

 そんな事実を知るくらいなら、行方不明のままが良かった。たとえ法律で死亡したことと決まっていても……僕は美夜子の生存を信じていたんだ」


 龍夜さんの声が次第に涙交じりになっていった。


「ああ、いや。ごめん……闇夜が話をしてくれて、本当に良かった。

 物語の完結は、もう知る事は出来ないのではないかと思ったから。

 でも先生が消えてしまった今、美夜子の失踪の真相を公表しようがないな。

 どこかにある美夜子の遺体を、彼女の両親の元に帰してやりたいけれど」


 現実に起こった事件の話は、あまりにもリアルを彷彿とさせる。

 美夜子の失踪は、身勝手な大人が引き起こした殺人事件のせいだ。

 話を聞いてしまった以上、警察に行って話をするのが善良な一般市民の義務だ。


 しかし、それは難しい。何しろ先生の話を裏付ける証拠がない。


 先生から直接話を聞いた、こんな風変わりな恰好をした闇夜を警察に連れて行くなんて言語道断だ。絶対に信じて貰えない。

 そもそも闇夜は話す気はないみたいだ。


 何故なら先生が話した日から、今までずっと何もしていないのだから。


「――――美夜子は、もうこの世にいません」


 囁くように言った闇夜は安楽椅子に深く座り直し、足を組んだ。


「そして死に引きずりこまれた先生も、もうこの世にはいません。

 呪いをかけられた二つの魂は、現世を離れて輪廻転生を繰り返しても出会いと別れを繰り返す。殺人の罪を犯して、それに罰を与えて……その繰り返し。

 ワタシ達は、その一部を垣間見ただけに過ぎません」


 怪談蒐集家にとっては《美夜子の話》もコレクションの一つ……か。


 その割には、先生に対して感情的な言動をとっていたようだけれど。

 人間としての良識のせいで、だったのかな?

 時々、闇夜という存在が人間なのか怪奇なのか、わからなくなってしまう。

 こうして目の前にいるわけだし、ちょっと変わった人間だと思うけれども。

 先生の悲惨な最期を目の前で見たにも関わらず、その時の状況を冷静に語る闇夜の無機質な白い仮面を見ると……どうも、不安を覚えざるおえない。




 結局、暗い気持ちは晴れず……俺と龍夜さんは闇夜の家を去る事になった。


「龍夜さん!」


 どこかフラフラしている足取りの彼を、慌てて追いかける。


「……大丈夫ですか?」

「ええ、はい」


 追いついた俺に、龍夜さんは笑顔を向けた。

 そして、今しがた出てきたばかりの家を見た。


「それにしても、闇夜……不思議な人だったなぁ。

 それに……外装と内装が違い過ぎて。別の世界に行っていた気分ですよ」

「あーわかります。わかります。

 俺も、闇夜の家から帰る度に毎回、そう思いますから」

「よくよく考えたら、美陽子みよこのはずがなかったんだ」


 龍夜さんは、闇夜に投げ飛ばされた時の事を思い出したのか苦笑した。

 俺もあの時に見た腕を思い出す。真っ白い病弱な腕。


「左腕に火傷が無かったですよね。

 もっとも、腕だけじゃあ判断材料は乏しいですけれど」

「あれで仮面をはぎ取ってたら……本気でぶちのめされていましたよ。

 気付いたら宙を舞っていて、テーブルに激突していて。

 もう何が起きたのかわからなくって、痛みよりも呆然としていましたよ」

「あはは……俺も一回、闇夜のマントを掴んだら『触るな!』って怒鳴られて、腕をねじり上げられたことがありました」


 闇夜の正体については何度も考えて、その度に追及しないようにしよう……と自分を戒めてきた。だから好奇心は解消されず、心の奥底に残り続けている。

 駅までの道すがら、無意識に闇夜について考えていた。


 龍夜さんと俺は、使う電車が違う。龍夜さんは上りで、俺は下りの電車。

 だから駅のホームでお別れとなる。


「―――夏生さん。今回は、本当にありがとうございました。

 夏生さんの協力がなければ、僕は全てを知る事は出来なかったでしょうから」

「いやぁ……お役に立てて良かったです」

「今後も友達として長くつきあっていきたいですね。

 僕の雑誌の記事へ、色々とアドバイスをくれると嬉しいです。

 夏生さん、怖い話を色々と知っているから」

「闇夜には負けますけれどねー」


 俺と龍夜さんは笑い合った。


「……それじゃあ、また」

「はい、また飲み会とかやりましょうね!」

「ええ、是非!」


 龍夜さんと別れてから、俺は再び闇夜の事について考えていた。

 今回は、恐怖を得られた充実感があったので考え事に集中する事が出来た。

 一段落着いた今になって思い返せば、いくつも気になることがあった。

 今まで色々と話を聞いてきたが、闇夜が《物語の完結》を、意図的に隠す事は初めてだ。単純に考えたら『結末を教えたくなかった』んだと思う。

 でも……それは、一般的な理由。闇夜は……そんな事で隠したりはしない。

 喫茶店≪illusion≫で、闇夜に問い詰めた時の事を思い出す。



「闇夜。《美夜子》のこと、知っているんだろう?」

「何故、そう思うのですか?」

「色々考えた結果……完結を求めないなんておかしいと思った。

 きちんと完結している怪談だからこそ、恐怖が得られる。

 そもそも、闇夜が怖い話を集めているのは、恐怖を求めているからだろ?

 それなのに、どうして《未完結の話》を、そのままにしているのか。

 実は……闇夜は、既に完結を知っているからじゃないかって」

「ワタシが、完結した物語を独占するような人物だとお思いですか?」

「いいや。それより、もっと酷い奴だよ。

 闇夜はわかっているんだ。恐怖の中毒者が何を求めているのか。

 《至高の恐怖》を俺達に魅せる為に、闇夜は動いているんだ」



 俺の推測通り、闇夜は完結を知っていた。そして俺に隠していた。

 それは《至高の恐怖》を俺に魅せる為。

 もっと思い出せ。闇夜は、俺に気付かせようとしている。

 自分自身の力で、より深く、絶対的な恐怖を見つけ出させようとしている。

 だから最後の方まで結末を明かさなかった。



「ごく普通に怪談を語って聞かせるよりも、効果的かと思いました。

 それに夏生ならば、怖い話の完結を必ず求めようとするとも思いました」

「そんな回りくどい手法をとらないで、最初っから完璧な話をきかせてくれよ!」

「そうしたら夏生は、一つしか話を知れなかったと思いますよ?

 ワタシは《美夜子》については、あまり知りませんから」

「どうして『完結を求めることはやめろ』なんて忠告したんだよ!」

「あれは本心ですよ。夏生は知らないままの方が良いと思いまして」



 闇夜は、好奇心の強い俺が『知ってはいけないといわれると、知りたくなる』のを百も承知でわざと忠告したんだ。

 つまり、んだ。辿りついて欲しいんだ。

 闇夜が俺に《物語の完結》を隠したのは、俺が龍夜さんと協力して《美夜子》についての話を集めて、様々な情報を会得させる為。

 色々と知った上で、闇夜の《最後の話》を聞けば……わかるのだ。

 ここから先は理論的に考えないで心に思いついたまま、思考を進めよう。

 きっと本能が教えてくれる。《至高の恐怖》へと導いてくれるはずだ。

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