恐怖の終焉

 語っていた闇夜が、思い出したかのように紅茶を飲むのを見て、俺は過去から現在に戻って来た。まるでぐっすり寝入っていたのを、叩き起こされたかのような不快さを覚えた。

 ついさっきまで聞いていた、あまりに衝撃的な内容のせいか?


「――――先生が美夜子みやこを殺した?」


 横から低い声が聞こえたので、俺は隣に龍夜さんがいるのを思い出した。

 ただ、その顔を見ることは出来なかった。

 幼馴染を消してしまった犯人を教えられた彼が、どんな顔をしているのか。きっと想像以上の悲哀と憤怒が入り混じった、形相をしているに違いない。


「闇夜……それは、本当にあった話なんだよな?

 闇夜の創作話とかじゃないんだよな? 本当に、聞いた話なのか?」

「《先生の話》については、ありのままを話しております。

 信じる、信じないは龍夜のご自由に」


 龍夜さんの問い掛けに、闇夜は淡々と言葉を返した。

 ショックを受けた龍夜さんを慰めるでもなく、ただ返事をした。


「……あのとき……あの時、もう美夜子は死んでいたのか?

 あの時見た先生は美夜子を殺した後で、僕達を怒って追い返して……そして」


 ガンッ!! 目の前のテーブルが物凄い音を立てた。

 龍夜さんが振り落とした右拳がテーブルを打った。

 とても痛そうな音だけれども、龍夜さんは痛みを感じてはいないようだった。


「許せない……教師のくせに、人殺しなんて……絶対に許せない」


 唸るような、呪うような、龍夜さんの言葉に俺も感化される。

 不快が怒りに変わった。

 人としての良識が、殺人という残酷で野蛮な犯罪を嫌悪する。

 二人も殺めておいて……まるで被害者のように振る舞う《先生》が許せなかった。先生は受けた苦しみは全然足りないように思えた。


 しばらく沈黙が場を支配した。


「――――闇夜」

「はい」

「話の続きは?」


 少しばかり落ち着いた龍夜さんの言葉に、俺は呆気にとられた。

 あれ? もう話は終わったんじゃ……。


「先生は死んだんだろ? 此処で」


 その言葉で思い出した。

 俺は無意識にソファーを撫で、すぐに撫でた手を払った。


「ええ、死にました」

「殺されたと言ったな」

「はい」

「誰に?」

「《恐怖》です」

「え?」

「耐え難いほどの凄まじい恐怖が、先生を絶命させたのです」


 そう答えた後で闇夜は短く笑った。


「……フフッ、先程の答えでは『誰に?』という問いに、そぐわないですね。

 訂正します。先生を殺したのは、ワタシと……美夜子ですね」

「え、闇夜も!?」


 俺は間抜けにも、そう言った。

 先生を死に追い詰めるのは、殺された美夜子や親友のKだと思っていたから。


「闇夜が殺した!?」


 龍夜さんも驚いたように、聞き間違えじゃないか声に出して問う。


「ワタシは、ただ手伝っただけですから。

 彼が都合良く忘却した記憶を、きちんと思い出させるよう」


 人を殺したと告白したにも関わらず、闇夜の態度は普通すぎた。

 まともな罪悪感とか良心の呵責とか、動揺を生じさせるナニカが欠落しているのでは……そう疑ってしまうほど。

 そして闇夜は、落ち着いた様子で先生の最期を語り始めた。





 全て話し終えた先生が泣きやむのを待つほど、ワタシは優しくありませんでした。

命を奪った者達の亡霊に苛まれている彼を、さらに追い詰めることは百も承知で……言葉を選ばず、直接的な表現で問い掛けました。


「先生は、美夜子と《前世の話》について、話し合う為に教室に残したと言いました――――本当にそれだけの理由で……あの日も残したのですか?」


 ワタシの言葉に先生は硬直しました。


「そ、それはどういう意味……」

「美夜子が心を開いていたのは《リュウ》と《ナイト》の二人だけのはずです。

 先生は、他の児童や教師と同様、美夜子の興味の範疇には入っていなかったはず」

「し、しかし」

「美夜子が信頼していたのは、たった二人だけ。

 けれども……好意以外で感情が動かされた人間は、一人……いたようですよ」


 うろたえている先生を尻目に、ワタシは一冊のノートを持ち出しました。


「これは、美夜子が書いた日記です。

 ふと思いついた時にしか書いていないので、日付もなく、一体いつ何が遭ったのかわかりません。ただノートに書かれてあることは間違いなく《真実》です」


 ワタシは呆然としている先生に、中身を見せつけました。

 このノートに記された――――《真実》を。



【今日から新しいクラスだ。リュウと別のクラスになってしまって、残念。

 でも一人でもきっと大丈夫よね。

 と、思ったけれど、先生が私の名前を読み間違えた。

 ミヤコなのに、ミヨコって。ミヨコはお姉ちゃんなのに・・・幸先不安だわ】


【先生が間違いをつぐなうかのように、今日も私を指名した。

 もう怒っていないのに】


【他の子よりも私に関わるのは何故? どうして?

 いくら考えてもわからない】


【・・・美夜子ちゃん、美夜子ちゃんって、うっとうしい。いいかげんにして】


【どうして私に構うの? もういや】


【今日、Tに教室に呼び出されて好きだと告白された・いや】


【Tが今日も教室に残るよう言ってきたので、習い事だからと嘘を吐いた。

 怖かった。どうしよう、また教室に残れと言われたら・・・】


【Tきらい。こわい。もういや。 顔も見たくない、大っ嫌い!】


「先生。このTという人物に心当たりは、ありますか?

 ……失礼、訊かなくてもわかってはいるのですけれどね。

 Tって……先生TeacherのTですよね?」


 先生は答えませんでした。青白い顔をして、ガタガタと震えていました。


「この後のページは、罵詈雑言のオンパレードなので……見なくてもいいです。

 先生にとって美夜子は、お気に入りの児童だったのでしょう?

 いや、それ以上……理想の異性でしたか?

 街を歩けば大方の異性は振り返る、純粋可憐な美少女でしたからね。

 それにしても教師であるなら、私情を自制をして欲しかったですね。

 教師の立場を利用して教室に残させ、愛の言葉を囁くとは。

 広々とした教室に、大人の男と一対一でいる……まだ子供の美夜子にとって、どれほどの恐怖だったでしょう。

 それに……どんなに好意を抱いていても、どんなにヒイキしたとしても美夜子が、あなたに振り返る事など有り得ないことです。

 美夜子が心を開いていたのは後にも先にも二人だけ。

 幼馴染の《リュウ》と、双子の姉の《ナイト》だけです」


 ワタシの言葉にうなだれていた先生が、がばっと顔を上げました。


「ふっ、双子の姉!?」

「御存知ではありませんでしたか?

 美夜子には一卵性双生児の姉、美陽子みよこがいます」

「だって家族構成は父親と母親との三人暮らしだと」

「わけあって別々に暮らしていたのです。

 ……先生が知らないのは、無理もない事です。

 先生は《美夜子》しか会っていないのですから。

 けれども二人は……先生の事をよく存じ上げていたようですよ」

「な、なん……で」

「一卵性双生児は、見た目も声もそっくりです。ですので同じ服装、同じ髪型にしてしまえば、入れ換わっても誰も気づかない事もあるとか」


 話の主導権は今や完全にワタシが握っておりましたので、先生は相槌を打つ事しか出来ませんでした。血の気の引いた顔は、これ以上の会話の継続を望んでいないのは明らかでした。けれども、ワタシは話し続けました。

 話を止める権利は、こちらにあるのですから。


「成人男性からの熱烈なアプローチに恐怖を覚えた美夜子。

 しかし、その事は誰にも相談出来なかったのでしょう。

 両親へも、幼馴染にも。心配を掛けたくなかったのかもしれません。

 どんなに嫌でも毎日、先生が待つ学校へ登校しなければならない。

 その絶望を美夜子は必死に隠し続けていましたが、わずかな異変に姉の美陽子は気付きました。

 苦しみにもがく美夜子を救う為、美陽子が提示した救済策は単純明快でした。


 一卵性双生児だから出来る救済――――それは、時々入れ換わる事。


 美夜子が別の学校で心の休息している間、美陽子が社交性を駆使して《美夜子》として友達作りをする。一人ぼっちから抜け出す為に。

 そして美夜子が戻った時には、交流のなかったクラスメートが自然と自分に話しかけてくる。二人の秘密の計画は……全て、このノートに書かれていました。


 ――――さて。

 先生がワタシの話を聞いて、一瞬過ぎった最悪な想像……当てましょうか?



 もし、あの日も……美夜子ではなく。

 ……



 先生は、声にならない絶叫を上げ、頭を両手で抱えました。


「もしそうだったとしても……先生。

 あなたにはどうしようもない事。もう過ぎてしまった事なのですから。

 ただ……呪われている事は覚悟して下さい?」

「の、呪われている!? 呪われて……」

「突発的に殺してしまった美陽子。

 そして一生、別人として生きることを強いられた美夜子。

 この二人から呪われているのでしょう。

 ……そういえば、美夜子が同級生に《呪いの話》をしたことがありますね。

 誰かから嫌がらせを受けていた美夜子は、相手に呪いをかけていたのです。

 その相手はきっと、先生……だったのでしょうね。

 午前零時に顔を浮かべて、苦しめ、苦しめ、と念じる……毎晩行っているにも関わらず、大した効果が得られなかったようで。

 それは自分達が幼いから、そして呪う力が弱すぎるせいだ。

 一人だと効かないのなら二人で呪おう。

 呪いとは、信じる力。

 呪っているのだから絶対に相手に不幸が訪れる……そう、どれだけ信じれるか。

 信じる事によって呪いは完全になって効く。

 ――――そう、美夜子は信じていたようです。

 二人分の壮絶な呪いは、先生にどのような不幸をもたらすのでしょうね。

 今の今まで贖罪もせず、罪を隠し続けてきた先生には……破滅的な末路しかありえないでしょうね。お気の毒なことです」


 美夜子と美陽子が、時々入れ換わっていたのは事実です。

 しかし殺されたあの日も入れ換わっていたか、どうかは……ワタシの想像です。

 何の証拠もない、ただの想像。

 それを、さも真実であるかのように先生に話してしまいました。


 後悔はしていません。相当、先生を追いこむ事が出来たのですから。


 ワタシが口を閉ざすと、部屋の中はシン……と静寂に包まれました。

 先生は話す事を忘れてしまったようで、まるで抜け殻でした。

 これ以上、憔悴することはないと思っていた先生の顔が、この小一時間でますます痩せ衰えていました。

 ダメージが回復する前に、ワタシは改めて先生に自首を勧めようと思いました。

高校時代の殺人は既に時効ですが、美夜子を殺害した罪は、まだ法で裁けますから。


 そう思って口を開こうとした、その時。

 突如、先生が恐怖に目を見開いて、部屋の隅を見ました。


「うっ、ぅああっ! やめろ! やめろ!!」


 先生が見ている部屋の隅に振り返りました。誰もいませんでした。


「何ですか?」

「ひっ……ぁああああああああ!」


 先生は、今度は別の方向を見て悲鳴を上げました。

 再び視線を追っても、誰も、何もいません。


 先生はこめかみを両手の爪で力任せにガリガリと掻き毟り、ブンブンと大きく首を横に振り回し、一目でわかるほど全身を震わせ……あまりの狂乱ぶりにワタシは恐怖のあまり先生の精神が変調に来してしまったのだと思い、焦りました。


「先生! ……せんせ」


 ともかく落ち着かせようと、腰を上げようとした時。

 部屋の灯りが消えました。

 いつの間にやら、外には夜の帳が降りていたようでした。


「今、懐中電灯を持ってきますので。少々お待ち下さい」


 断続的に聞こえる先生の叫び声に負けないよう、少し声をはりました。

 大急ぎで灯りを持って来て、点けました。

 暗闇に光が湧き、先生の狂乱は少しだけ治まりました。


「先生、大丈夫ですよ。

 此処にいるのは、ワタシだけ。他には誰もいませんから」

「う、う、嘘だ嘘だ! う、後ろ! うしろっ後ろにぃ!」


 先生が指差すのはワタシ――――の背後。

 窓も開けていないのに、ひんやりした冷たさを感じました。

 間違いなくいるのです。先生の目だけに映っていた美夜子の幽霊が。

 絞め殺した美少女が怨恨と憎悪に綺麗な顔を歪め、睨みつけている。


「ゆ、ゆ、ゆゆ許してくれ! もう許してくれえぇ!

 わ、わたしが悪かった! 悪かったからぁ、もうゆるし」


 恐怖に支配された口が勝手に吐き出した、心のこもってない謝罪の言葉。

 当然、そんなもので許されるはずもない。

 深々と頭を下げた先生が見たのは、自分の足の間から覗く顔。

 死人特有の生気の無い顔が、先生を睨んでいた。

 しかも逃げられないよう……氷のように冷たい両手が、足首を掴んでいました。


「ひいいっ、ひぃいいいい!」


 声帯が引き千切れるのではないかと思うくらい、先生の悲鳴が続きました。

 聞いていて哀れというより、情けないと侮蔑の感情が浮かぶ悲鳴の中……よくよく耳を澄ませると別の声が聞こえました。



 「……ウソツキ……ウソツキ……ウソツキ……ウソツキ、ウソツキウソツキ

 ウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキ

ウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキ

  ウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキウソツキ」



 絶え間なく続く恨み言を囁くのは、まぎれもない少女の声でした。


「ぅ、うげっ、げぇ……ぐぶ、う……ぅう……」


 悲鳴が、うめき声に変わっていたので先生を見ると。

 先生の身体には、いくつもの白い手が肩、両腕、脚……絡みつき、締めつけ、絶対的に拘束していました。


 そして一際白く輝く二つの手で首を絞められていました。


 もはや命乞いすら叶わない先生は、後悔と絶望による血の涙を流しながら、ゆっくりとじわじわと……そして確実に死へと向かっていきました。

 顔が鬱血して赤くなり、赤紫から……ゆっくりと青白くなっていきました。

 いくつもの白い手は、先生を絞め殺した後、まるで蛇のようにするすると離れていき、消えてしまいました。


 それと同時に、天井の灯りが復旧しました。


 煌々と照らされた部屋には、ワタシと、ソファーには先生の死体。

 これからどうしたものかと視線を天井に向け、しばらく湧いた雑念を対処し、心が決まってからソファーに視線を向けると、先生の死体は消えていました。


 初めからなかったかのように。綺麗さっぱり、跡形もなく。

 先生が今までいた事を示す証拠は、ワタシが用意した客人用の紅茶カップが目の前にある事のみでした。

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